rrbのブログ - 2009/03のエントリ
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今京都 鉄面皮 2009/03/26 12:00 am
てつめんぴ…恥を恥とも思わない人。また、非常に厚かましいこと。
◇ちょっと予備知識 → 面の皮が鉄のように硬い、というたとえ。
類義語に厚顔無恥(こうがんむち)がある。
対義語は臆面(おくめん)。
街に羽織袴姿やスーツ姿を最近見かける…と思ったら、卒業のシーズンだった。4月から勤める人、進学する人、様々に母校を飛び出していく。社会人となる人は今までに培った学問・知識以外に「知恵」が必要となる。学生の時のように、「試験に合格し単位を取得する」というような、はっきりと形に見える目的がなくなるのが社会人。「成果をあげて当り前」「できて当り前」の世界が社会だ。知識や学問は学校で学ぶことができるが、知恵は自分で開発するしかない。知恵を開発する一番の方法は、その仕事を好きになること。その仕事が好きになれば工夫をするようになる。工夫をすれば自ずと成果があがる。成果があがればさらにその仕事が好きになる。こんな言葉が「ふっ」と思い出された。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
ソーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。
オウマ(童謡物語第10弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年12月15日掲載)
「オウマ」
作詞:林 柳波 作曲:松島彜(津根)
オウマノ オヤコハ ナカヨシ コヨシ
イツデモ イッショニ ポックリ ポックリ アルク
オウマノ カアサン ヤサシイ カアサン
コウマヲ ミナガラ ポックリ ポックリ アルク
現在も子供たちが大好きな「オウマ」。えっ…大人も大好きだって!? それは「各馬ゲートインから一斉にスタート。第一コーナーを…」のお馬でしょ。ここでいう「オウマ」は童謡のこと。
さて、本題。この歌は最初、題名も歌詞も全部カタカナで記されていた。だから上の歌詞もカタカナとした。可愛らしい子馬と、それをやさしく見つめる母親が、本当に
♪ ポックリ ポックリ
歩いている、そんな姿が目に浮かんでくるような詩と曲のバランスのよさ。のどかな牧場…そんな光景が目に浮かんでくる、淡い優しい色彩の歌。この歌には、実はやるせない母心が秘められているという。

この歌が文部省唱歌として「ウタノホン(上)」(1年生用)の中で発表されたのは、1941(昭和16)年2月のこと。その4月から小学校は、国民学校という呼び名に改称された。「ウタノホン」は、その国民学校の芸能科(今の音楽)のために作られた教科書だった。日本は1931(昭和6)年の満州事変に始まり、翌1932(昭和7)年の上海事変、さらに1937(昭和12)年の日中戦争と、既に10年間も戦争の渦の中にいた。国民学校の第一の目標は「皇国民の練成」。練成は鍛えて立派になるという意味で、このときから児童のことを「少国民(しょうこくみん)」と呼ぶようになった。この時代につくられた歌であるから、「のどかな」雰囲気などあるはずがない。当時の男の子の夢は大きくなったら立派な兵隊さんになることだった。それが一番普通で、一番カッコイイ夢だった。「お国のために」の言葉はしっかりと子供にも浸透している時代だった。しかし、何故か「オウマ」の詩の裏には戦争奨励というより、かえって戦争反対の意思が見え隠れしているように感じられる。

この頃の馬はそれまでの農耕馬などのどかなイメージを想像させる動物から、戦場に赴き働く軍馬へと変わっていった。馬を「もの言わぬ戦士」と形容しているのがその証。「オウマ」の発表と同時に陸軍省選定の東宝映画「馬」が封切られている。この映画は戦争に役立つ立派な馬を育てよう…という主張がこめられていたのだが、その裏側には大事に育てた馬を戦場に駆り立て、犠牲にしてもいいのか? という反戦ともとれる気持ちが隠されていたという。そして「オウマ」の
♪ ヤサシイ カアサン コウマヲ ミナガラ
の部分は映画と同様に、子馬をやさしそうな目で、大事そうに見つめる母馬とは、戦場に送る年頃の男の子を持つ皇国の母たちのことではないだろうか…といわれている。母の瞳は子供の成長を楽しそうに、嬉しそうにいつも見つめている。馬とて親心は同じこと。馬は賢い動物である。人にもよくなつく。だからこそ昔から馬と人間は共存してきた。悲しいとき馬は涙を流すという。しかし、この子馬もいつかは戦場に駆り出される宿命。その時代の男の子たちと同じように。

「大きくなったら兵隊さんになりたい」「大きくなったらボクが母さんを守るために働くんだ」 と、子供たちの瞳はらんらんと輝いていた。
「そうかい、お国のために頑張るんだよ」 と、母も子供の頭をなでる。
しかし、母は本当は声を出して泣き出したかった。しっかり子供を抱きしめて、「戦争になんて行かないでおくれ」と叫びたかったに違いない。誰が可愛いわが子を、みすみす戦場に送りたいものか。誰が白木の箱に入れられて還ってくる子供を心底待っているものだろうか。「よくやった、でかしたぞ」と、お国のために死ぬのが立派、そう口では言ってみても、どこのどの母が本気でそんなことを心で思っているものか。このまま時が止まってくれたらいい…子供のままで、子馬のままでいて欲しい。そうしたら戦争に行かなくたっていいのだから。
♪ コウマヲ ミナガラ ポックリ ポックリ アルク
この歌は、母親たちの心の代弁だったのではないか。声に出して言えない、いや言ってはいけない、声なき声を密かに歌いこんだのではないか。

林柳波は1893(明治26)年に群馬県沼田市に生まれ、教授としても教鞭を取っている。国民学校の芸能科では、歌のほかに音感教育も始められている。理由は、音感の勉強も、敵機の飛行機の音を聞き分けられるようになるからいい、という事だそうだ。それを聞いた林柳波は、「ああ、ここまで日本は戦争のぬかるみにはまってしまったか」と絶句したという。「このままでは世界を敵にまわしてしまうのに」と思ったという。
しかし、そんなことを口に出すことは断固として許されない時代。そんな考えが少しでもバレると待っているものは死。そんな恐ろしい時代だった。林柳波の反抗心と最後の抵抗がこの歌にこめられているのではないか。子馬を優しく見つめる母馬、子供をやさしく見守る母親、戦争が全てを狂わせていった。やさしいまなざしのその奥には、やりきれない悲しみが潜んでいた。心の痛みが叫んでいた。明るく楽しい「オウマ」の歌は、
♪ イツデモ イッショニ
歩いていきたいと思う悲しい母の願いだった。戦争が終結して、子供が戦争に取られなくてもよい時代が早く訪れて欲しい、そんな林のむなしい抵抗の歌であった。

「臨時ニュースをお伝えします。大本営陸海軍部、午前6時発表。帝国陸海軍部隊は、本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり…」 寒風吹きすさぶ中、ラジオの声が淡々と日本の町に流れたのは、この歌を国民学校始めての1年生が習った年の師走8日、午前7時の時報の直後だった。
♪ オウマノ オヤコハ ナカヨシ コヨシ〜
時代は林のそんな抵抗、そんな願いを無惨にも断ち切った。真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦。その結末はご存知のとおり…今京都。 ※写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景とその他で本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第9弾「たきび」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 面の皮が鉄のように硬い、というたとえ。
類義語に厚顔無恥(こうがんむち)がある。
対義語は臆面(おくめん)。
街に羽織袴姿やスーツ姿を最近見かける…と思ったら、卒業のシーズンだった。4月から勤める人、進学する人、様々に母校を飛び出していく。社会人となる人は今までに培った学問・知識以外に「知恵」が必要となる。学生の時のように、「試験に合格し単位を取得する」というような、はっきりと形に見える目的がなくなるのが社会人。「成果をあげて当り前」「できて当り前」の世界が社会だ。知識や学問は学校で学ぶことができるが、知恵は自分で開発するしかない。知恵を開発する一番の方法は、その仕事を好きになること。その仕事が好きになれば工夫をするようになる。工夫をすれば自ずと成果があがる。成果があがればさらにその仕事が好きになる。こんな言葉が「ふっ」と思い出された。
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オウマ(童謡物語第10弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年12月15日掲載)
「オウマ」
作詞:林 柳波 作曲:松島彜(津根)
オウマノ オヤコハ ナカヨシ コヨシ
イツデモ イッショニ ポックリ ポックリ アルク
オウマノ カアサン ヤサシイ カアサン
コウマヲ ミナガラ ポックリ ポックリ アルク
現在も子供たちが大好きな「オウマ」。えっ…大人も大好きだって!? それは「各馬ゲートインから一斉にスタート。第一コーナーを…」のお馬でしょ。ここでいう「オウマ」は童謡のこと。
さて、本題。この歌は最初、題名も歌詞も全部カタカナで記されていた。だから上の歌詞もカタカナとした。可愛らしい子馬と、それをやさしく見つめる母親が、本当に
♪ ポックリ ポックリ
歩いている、そんな姿が目に浮かんでくるような詩と曲のバランスのよさ。のどかな牧場…そんな光景が目に浮かんでくる、淡い優しい色彩の歌。この歌には、実はやるせない母心が秘められているという。

この歌が文部省唱歌として「ウタノホン(上)」(1年生用)の中で発表されたのは、1941(昭和16)年2月のこと。その4月から小学校は、国民学校という呼び名に改称された。「ウタノホン」は、その国民学校の芸能科(今の音楽)のために作られた教科書だった。日本は1931(昭和6)年の満州事変に始まり、翌1932(昭和7)年の上海事変、さらに1937(昭和12)年の日中戦争と、既に10年間も戦争の渦の中にいた。国民学校の第一の目標は「皇国民の練成」。練成は鍛えて立派になるという意味で、このときから児童のことを「少国民(しょうこくみん)」と呼ぶようになった。この時代につくられた歌であるから、「のどかな」雰囲気などあるはずがない。当時の男の子の夢は大きくなったら立派な兵隊さんになることだった。それが一番普通で、一番カッコイイ夢だった。「お国のために」の言葉はしっかりと子供にも浸透している時代だった。しかし、何故か「オウマ」の詩の裏には戦争奨励というより、かえって戦争反対の意思が見え隠れしているように感じられる。

この頃の馬はそれまでの農耕馬などのどかなイメージを想像させる動物から、戦場に赴き働く軍馬へと変わっていった。馬を「もの言わぬ戦士」と形容しているのがその証。「オウマ」の発表と同時に陸軍省選定の東宝映画「馬」が封切られている。この映画は戦争に役立つ立派な馬を育てよう…という主張がこめられていたのだが、その裏側には大事に育てた馬を戦場に駆り立て、犠牲にしてもいいのか? という反戦ともとれる気持ちが隠されていたという。そして「オウマ」の
♪ ヤサシイ カアサン コウマヲ ミナガラ
の部分は映画と同様に、子馬をやさしそうな目で、大事そうに見つめる母馬とは、戦場に送る年頃の男の子を持つ皇国の母たちのことではないだろうか…といわれている。母の瞳は子供の成長を楽しそうに、嬉しそうにいつも見つめている。馬とて親心は同じこと。馬は賢い動物である。人にもよくなつく。だからこそ昔から馬と人間は共存してきた。悲しいとき馬は涙を流すという。しかし、この子馬もいつかは戦場に駆り出される宿命。その時代の男の子たちと同じように。

「大きくなったら兵隊さんになりたい」「大きくなったらボクが母さんを守るために働くんだ」 と、子供たちの瞳はらんらんと輝いていた。
「そうかい、お国のために頑張るんだよ」 と、母も子供の頭をなでる。
しかし、母は本当は声を出して泣き出したかった。しっかり子供を抱きしめて、「戦争になんて行かないでおくれ」と叫びたかったに違いない。誰が可愛いわが子を、みすみす戦場に送りたいものか。誰が白木の箱に入れられて還ってくる子供を心底待っているものだろうか。「よくやった、でかしたぞ」と、お国のために死ぬのが立派、そう口では言ってみても、どこのどの母が本気でそんなことを心で思っているものか。このまま時が止まってくれたらいい…子供のままで、子馬のままでいて欲しい。そうしたら戦争に行かなくたっていいのだから。
♪ コウマヲ ミナガラ ポックリ ポックリ アルク
この歌は、母親たちの心の代弁だったのではないか。声に出して言えない、いや言ってはいけない、声なき声を密かに歌いこんだのではないか。

林柳波は1893(明治26)年に群馬県沼田市に生まれ、教授としても教鞭を取っている。国民学校の芸能科では、歌のほかに音感教育も始められている。理由は、音感の勉強も、敵機の飛行機の音を聞き分けられるようになるからいい、という事だそうだ。それを聞いた林柳波は、「ああ、ここまで日本は戦争のぬかるみにはまってしまったか」と絶句したという。「このままでは世界を敵にまわしてしまうのに」と思ったという。
しかし、そんなことを口に出すことは断固として許されない時代。そんな考えが少しでもバレると待っているものは死。そんな恐ろしい時代だった。林柳波の反抗心と最後の抵抗がこの歌にこめられているのではないか。子馬を優しく見つめる母馬、子供をやさしく見守る母親、戦争が全てを狂わせていった。やさしいまなざしのその奥には、やりきれない悲しみが潜んでいた。心の痛みが叫んでいた。明るく楽しい「オウマ」の歌は、
♪ イツデモ イッショニ
歩いていきたいと思う悲しい母の願いだった。戦争が終結して、子供が戦争に取られなくてもよい時代が早く訪れて欲しい、そんな林のむなしい抵抗の歌であった。

「臨時ニュースをお伝えします。大本営陸海軍部、午前6時発表。帝国陸海軍部隊は、本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり…」 寒風吹きすさぶ中、ラジオの声が淡々と日本の町に流れたのは、この歌を国民学校始めての1年生が習った年の師走8日、午前7時の時報の直後だった。
♪ オウマノ オヤコハ ナカヨシ コヨシ〜
時代は林のそんな抵抗、そんな願いを無惨にも断ち切った。真珠湾攻撃による太平洋戦争の開戦。その結末はご存知のとおり…今京都。 ※写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景とその他で本文とは関係ないのであしからず。
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天を仰いで思うこと 付焼刃 2009/03/25 12:00 am
つけやきば…その場だけの見せかけ。にわか仕込みの知識や態度。
◇ちょっと予備知識 → 鈍刀に鋼の刃をつけたもので、すぐに切れ味が悪くなることから。
「付焼刃は鈍りやすい」ともいう。
類義語に泥縄(どろなわ)・一夜漬(いちやづけ)がある。
今週になって寒の戻りで寒い。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、彼岸が過ぎてからの寒さはいただけない。「もう冬物もしまわなければ…」と思っていた矢先の寒さに衣類の入替えのタイミングがずれてしまう。体調管理には十分注意したいものだ。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
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話のネタ雑学(21)
トンネルの中の電灯はなぜオレンジ色? (旧フォトヴィレッジ 2007年4月10日掲載)

高速道路などのトンネルではオレンジ色のナトリウム灯が使われている。トンネルという異空間が、あの色でさらに不思議な雰囲気を醸し出している。見るもの全てオレンジ色。さっきまで緑色をしていたTシャツも、青いトレーナーもオレンジ色に変わる。あまり気持ちのいいものではない。
しかし、オレンジ色にするにはちゃんと理由がある。スピードを出して走る高速道路では、前を行く車がはっきり見えることが大切。それには、そのスペクトルが可視領域全体に分布している白色光より影がはっきり見える一種類の色の光のほうが適しているということ。

では、何故オレンジ色かといえば、それは波長が長いため。ご存知のように光の波長は紫・青・黄・オレンジ・赤の順で長くなる。霧やもやが発生したときには、なるべく波長の長い光のほうが、より遠くまで見えるのでオレンジ色が使われているということ。
ちなみに夕焼けが赤くなるのも、フィリピン上空にいる太陽の光が、西の空にある水蒸気や地面から舞い上がったホコリを通ってくるため、赤い色だけが日本に届くというわけ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
はっきり見えるからといってスピードの出しすぎはだめ。地球にも人にも優しいスピードは法定速度。ちょっとイライラするかも知れないけれど、法定速度で走ると燃費がのびる。それに、スピードを出したって到着時間はさほど変わらない。警察に捕まったりしてたら、むしろ余計に時間もかかるしお金もかかる。さらに免許更新のときにも時間がかかる。「急がば回れ。急(せ)いては事を仕損ずる。狭い日本そんなに急いでどこへ行く?」だ。ちょっと、話がそれたかな…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 鈍刀に鋼の刃をつけたもので、すぐに切れ味が悪くなることから。
「付焼刃は鈍りやすい」ともいう。
類義語に泥縄(どろなわ)・一夜漬(いちやづけ)がある。
今週になって寒の戻りで寒い。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、彼岸が過ぎてからの寒さはいただけない。「もう冬物もしまわなければ…」と思っていた矢先の寒さに衣類の入替えのタイミングがずれてしまう。体調管理には十分注意したいものだ。
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話のネタ雑学(21)
トンネルの中の電灯はなぜオレンジ色? (旧フォトヴィレッジ 2007年4月10日掲載)

高速道路などのトンネルではオレンジ色のナトリウム灯が使われている。トンネルという異空間が、あの色でさらに不思議な雰囲気を醸し出している。見るもの全てオレンジ色。さっきまで緑色をしていたTシャツも、青いトレーナーもオレンジ色に変わる。あまり気持ちのいいものではない。
しかし、オレンジ色にするにはちゃんと理由がある。スピードを出して走る高速道路では、前を行く車がはっきり見えることが大切。それには、そのスペクトルが可視領域全体に分布している白色光より影がはっきり見える一種類の色の光のほうが適しているということ。

では、何故オレンジ色かといえば、それは波長が長いため。ご存知のように光の波長は紫・青・黄・オレンジ・赤の順で長くなる。霧やもやが発生したときには、なるべく波長の長い光のほうが、より遠くまで見えるのでオレンジ色が使われているということ。
ちなみに夕焼けが赤くなるのも、フィリピン上空にいる太陽の光が、西の空にある水蒸気や地面から舞い上がったホコリを通ってくるため、赤い色だけが日本に届くというわけ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
はっきり見えるからといってスピードの出しすぎはだめ。地球にも人にも優しいスピードは法定速度。ちょっとイライラするかも知れないけれど、法定速度で走ると燃費がのびる。それに、スピードを出したって到着時間はさほど変わらない。警察に捕まったりしてたら、むしろ余計に時間もかかるしお金もかかる。さらに免許更新のときにも時間がかかる。「急がば回れ。急(せ)いては事を仕損ずる。狭い日本そんなに急いでどこへ行く?」だ。ちょっと、話がそれたかな…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 張本人 2009/03/24 12:00 am
ちょうほんにん…事件を引き起こすもとになった人。悪事を企てた人。
◇ちょっと予備知識 → 「張本」は事件の発端や原因のこと。
類義語に首謀者(しゅぼうしゃ)がある。
観光で京都にやってくる一部の人々は古い木造建築はすべて町家だと思っているらしい。「町家」は京都ブームの目玉であるが、正しい京町家にはちゃんとした基準がある。まず、「町家」の基本は、歴史的には豊臣秀吉の頃にできた。残念ながら、現存している京都の町家は明治以降のものだ。さて、その特徴であるが、ひとつめは、必ず通りに面していることがあげられる。入り口まで庭があったりするのは「町家」ではない。そして、狭い間口と対照的に、奥行きは60mにも及ぶ。これが「うなぎの寝床」といわれるゆえんである。そして、ふたつめは、通りに入り口があるから、たいていの「町家」では表の間で商売を行い、奥に家族の生活空間がある。この入り口で商売、奥に家族の生活空間という構成も不可欠な要素。京都の町を散策する際、こういう知識を持っていると意外と楽しいものである。
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たきび(童謡物語第9弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年12月4日掲載)
「たきび」
作詞:巽 聖歌 作曲:渡辺 茂
かきねの かきねの 曲がり角 たきびだ たきびだ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ 北風ぴいぷう 吹いている
さざんか さざんか 咲いた道 たきびだ たきびだ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ しもやけお手てが もうかゆい
こがらし こがらし 寒い道 たきびだ たきびだ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ 相談しながら 歩いてる
戦後から現代まで、ずっと音楽の教科書に選定され続けている童謡に「たきび」がある。
♪ たきびだ たきびだ 落ち葉たき
「落ち葉たき」とは何? と思う現代の子ども多いでは? 読んで字の如く、落ち葉を集めて火で焚くことなんだけれど、最近はこんな光景をトンと見なくなった。
♪ あたろうか あたろうよ
と、焚き火を経験したことがない子ども多いことだろう。都会の子だったら、なおさらである。
♪ しもやけお手てが もうかゆい
北国ならまだしも、しもやけになった手を急に暖めると血の巡りがよくなって、かゆくなるという実体験をした子ども少ないかも。それなのにこの歌はしっかりと生き抜いてきた。しかし、この童謡の歩んできた道は決して平坦ではなく、肩身の狭いものだった。何度も何度も「たきび」の火は消されそうになっていたという。

この歌の童謡碑は作詞者の巽聖歌の出身地、岩手県紫波郡紫波町の紫波運動公園の中にある。今も自然が残るこの地は「たきび」の故郷としてはもってこい。だが、東京都中野区上高田、西武新宿線、新井薬師前駅の南東300mほどの住宅街にある旧家の入り口にも『「たきび」のうた 発祥の地』という立て札が立っているという。
実は、聖歌はこの近所の現在の上高田4丁目に住んでいた。この立て札の立っている家は広い敷地に大きな庭木が何本も残り、長く続く竹垣は、まさに、
♪ かきねの かきねの 曲がり角
だという。そこには時間を置き忘れてきたような空間があり、武蔵野の面影が残されている。聖歌は、自分の家からほど近いこの垣根の細道を、毎日仕事の行き帰りの通り道にしていた。今は、けやきの木がそびえているらしいが、この詩を作った当時は本当に、
♪ さざんか さざんか
が植えられていただろうし、冬には庭で、
♪ たきびだ たきびだ 落ち葉たき
する様子を文字通り垣間見たに違いない。

そんな中から生まれた「たきび」に渡辺茂が曲をつけ「ラジオ少国民」という放送テキストに掲載されたのは、1941(昭和16)年の12月号。今でいえば幼児番組の「おかあさんといっしょ」の今月の中の一曲のようなもの。それにともなって12月9日からNHKラジオ「幼児の時間」という番組内で発表。しかし、12月8日に突如勃発したハワイ真珠湾攻撃、日米開戦のため、翌日10日の放送分で放送が急遽中止になる。戦況をこと細かに報告する番組編成となり、11日から「幼児の時間」は中止された。しかも軍から「たきび」の歌にクレームがついた。たきびは敵機の目印になり、攻撃の目標になるから、この歌の放送を禁じる。たきびをしている近くには、当然人がいるし、家もあるから、敵から攻撃されないとは限らない。おまけに物資不足の時代。落ち葉とて貴重な燃料だというのだ。
♪ あたろうか あたろうよ
などと、楽しみながら落ち葉たきをしている場合ではないということ。落ち葉を燃料にご飯やお風呂をたいたりすることだってできるというのである。そんなこんなで「たきび」の火は、生まれてすぐに消された。わずか二度だけしか放送されぬまま消えた。またしても戦争の影響。

戦争の影響で消された「たきび」の火。ところが「たきび」は戦争時代を経て、戦後、再び甦るのである。1949(昭和24)年8月1日からNHKは「うたのおばさん」の放送を開始。この番組の中の「うたのおけいこ」というコーナーで新しい童謡を続々と発表。「めだかの学校」「かわいいかくれんぼ」「ぞうさん」などが次々と作られていった。そんな中に「たきび」があった。消したはずの「たきび」の火種はまだくすぶっていたのである。たちまち子どもたちは「たきび」が大好きになった。さらに、1952(昭和27)年からは教科書にも選曲されるようになって「たきび」の火の勢いはよく燃え盛ったのである。そんな最中のこと、またもや「たきび」の火を消そうという動きが始まる。軍に代わってクレームを出したのは消防庁。理由は防火教育上よくない、街角でのたきびは奨励できないというのである。しかし「たきび」の歌は、既に子どもたちに浸透し定着していた。いくら消火するのが仕事の消防といえども「たきび」の歌を完全に消火することができなかったのである。困った消防庁は「それならば…」と条件をつける。今後、教科書や歌集にこの歌の詩や譜面を載せる際には、必ずその脇に水の入ったバケツや監視役の大人を挿入絵として描くように…と。

なんとか歌は生き残ったが、時を経ると今度は「たきび」自体をする場所が少なくなってしまった。それでも「たきび」は子どもたちの心の中で燃え続けていた。そしていつの頃からか「たきびをしてみたい」という願望に変わっていった。今でも続いているかどうかは定かではないが、『「たきび」のうた発祥の地』では、毎年一回、中野区内の親子を集めて
♪ 落ち葉たき
をしながら、やきいもを作る行事があるという。さらに歌に歌われる「たきび」を体験させようと幼稚園や学校では社会学習として「たきび」を行っているところもあるという。しかし、どうも「たきび」はやはり肩身が狭いようだ。現代では、「ダイオキシンの問題」が勃発する。まったくもって生まれてから現代にいたるまでクレーム続きの歌。でも、それでも「たきび」の歌は、歌い続けられるだろう。いや、歌われ続けて欲しい、その火を絶やさずにいて欲しい。
♪ あたろうか あたろうよ
の会話形式の詩には、心洗われるような忘れさせたくない優しさが、満ち溢れている。

(ブレブレ゛けど雰囲気があったので…)
寒い冬、みんなで焚き火を囲むのもいい。ぷ〜んと香る焼き芋の匂い。(ん〜たまらん!) けれど、くれぐれも火の用心には細心の注意を!…今京都。 ※写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第8弾「黄金虫(こがねむし)」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 「張本」は事件の発端や原因のこと。
類義語に首謀者(しゅぼうしゃ)がある。
観光で京都にやってくる一部の人々は古い木造建築はすべて町家だと思っているらしい。「町家」は京都ブームの目玉であるが、正しい京町家にはちゃんとした基準がある。まず、「町家」の基本は、歴史的には豊臣秀吉の頃にできた。残念ながら、現存している京都の町家は明治以降のものだ。さて、その特徴であるが、ひとつめは、必ず通りに面していることがあげられる。入り口まで庭があったりするのは「町家」ではない。そして、狭い間口と対照的に、奥行きは60mにも及ぶ。これが「うなぎの寝床」といわれるゆえんである。そして、ふたつめは、通りに入り口があるから、たいていの「町家」では表の間で商売を行い、奥に家族の生活空間がある。この入り口で商売、奥に家族の生活空間という構成も不可欠な要素。京都の町を散策する際、こういう知識を持っていると意外と楽しいものである。
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たきび(童謡物語第9弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年12月4日掲載)
「たきび」
作詞:巽 聖歌 作曲:渡辺 茂
かきねの かきねの 曲がり角 たきびだ たきびだ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ 北風ぴいぷう 吹いている
さざんか さざんか 咲いた道 たきびだ たきびだ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ しもやけお手てが もうかゆい
こがらし こがらし 寒い道 たきびだ たきびだ 落ち葉たき
あたろうか あたろうよ 相談しながら 歩いてる
戦後から現代まで、ずっと音楽の教科書に選定され続けている童謡に「たきび」がある。
♪ たきびだ たきびだ 落ち葉たき
「落ち葉たき」とは何? と思う現代の子ども多いでは? 読んで字の如く、落ち葉を集めて火で焚くことなんだけれど、最近はこんな光景をトンと見なくなった。
♪ あたろうか あたろうよ
と、焚き火を経験したことがない子ども多いことだろう。都会の子だったら、なおさらである。
♪ しもやけお手てが もうかゆい
北国ならまだしも、しもやけになった手を急に暖めると血の巡りがよくなって、かゆくなるという実体験をした子ども少ないかも。それなのにこの歌はしっかりと生き抜いてきた。しかし、この童謡の歩んできた道は決して平坦ではなく、肩身の狭いものだった。何度も何度も「たきび」の火は消されそうになっていたという。

この歌の童謡碑は作詞者の巽聖歌の出身地、岩手県紫波郡紫波町の紫波運動公園の中にある。今も自然が残るこの地は「たきび」の故郷としてはもってこい。だが、東京都中野区上高田、西武新宿線、新井薬師前駅の南東300mほどの住宅街にある旧家の入り口にも『「たきび」のうた 発祥の地』という立て札が立っているという。
実は、聖歌はこの近所の現在の上高田4丁目に住んでいた。この立て札の立っている家は広い敷地に大きな庭木が何本も残り、長く続く竹垣は、まさに、
♪ かきねの かきねの 曲がり角
だという。そこには時間を置き忘れてきたような空間があり、武蔵野の面影が残されている。聖歌は、自分の家からほど近いこの垣根の細道を、毎日仕事の行き帰りの通り道にしていた。今は、けやきの木がそびえているらしいが、この詩を作った当時は本当に、
♪ さざんか さざんか
が植えられていただろうし、冬には庭で、
♪ たきびだ たきびだ 落ち葉たき
する様子を文字通り垣間見たに違いない。

そんな中から生まれた「たきび」に渡辺茂が曲をつけ「ラジオ少国民」という放送テキストに掲載されたのは、1941(昭和16)年の12月号。今でいえば幼児番組の「おかあさんといっしょ」の今月の中の一曲のようなもの。それにともなって12月9日からNHKラジオ「幼児の時間」という番組内で発表。しかし、12月8日に突如勃発したハワイ真珠湾攻撃、日米開戦のため、翌日10日の放送分で放送が急遽中止になる。戦況をこと細かに報告する番組編成となり、11日から「幼児の時間」は中止された。しかも軍から「たきび」の歌にクレームがついた。たきびは敵機の目印になり、攻撃の目標になるから、この歌の放送を禁じる。たきびをしている近くには、当然人がいるし、家もあるから、敵から攻撃されないとは限らない。おまけに物資不足の時代。落ち葉とて貴重な燃料だというのだ。
♪ あたろうか あたろうよ
などと、楽しみながら落ち葉たきをしている場合ではないということ。落ち葉を燃料にご飯やお風呂をたいたりすることだってできるというのである。そんなこんなで「たきび」の火は、生まれてすぐに消された。わずか二度だけしか放送されぬまま消えた。またしても戦争の影響。

戦争の影響で消された「たきび」の火。ところが「たきび」は戦争時代を経て、戦後、再び甦るのである。1949(昭和24)年8月1日からNHKは「うたのおばさん」の放送を開始。この番組の中の「うたのおけいこ」というコーナーで新しい童謡を続々と発表。「めだかの学校」「かわいいかくれんぼ」「ぞうさん」などが次々と作られていった。そんな中に「たきび」があった。消したはずの「たきび」の火種はまだくすぶっていたのである。たちまち子どもたちは「たきび」が大好きになった。さらに、1952(昭和27)年からは教科書にも選曲されるようになって「たきび」の火の勢いはよく燃え盛ったのである。そんな最中のこと、またもや「たきび」の火を消そうという動きが始まる。軍に代わってクレームを出したのは消防庁。理由は防火教育上よくない、街角でのたきびは奨励できないというのである。しかし「たきび」の歌は、既に子どもたちに浸透し定着していた。いくら消火するのが仕事の消防といえども「たきび」の歌を完全に消火することができなかったのである。困った消防庁は「それならば…」と条件をつける。今後、教科書や歌集にこの歌の詩や譜面を載せる際には、必ずその脇に水の入ったバケツや監視役の大人を挿入絵として描くように…と。

なんとか歌は生き残ったが、時を経ると今度は「たきび」自体をする場所が少なくなってしまった。それでも「たきび」は子どもたちの心の中で燃え続けていた。そしていつの頃からか「たきびをしてみたい」という願望に変わっていった。今でも続いているかどうかは定かではないが、『「たきび」のうた発祥の地』では、毎年一回、中野区内の親子を集めて
♪ 落ち葉たき
をしながら、やきいもを作る行事があるという。さらに歌に歌われる「たきび」を体験させようと幼稚園や学校では社会学習として「たきび」を行っているところもあるという。しかし、どうも「たきび」はやはり肩身が狭いようだ。現代では、「ダイオキシンの問題」が勃発する。まったくもって生まれてから現代にいたるまでクレーム続きの歌。でも、それでも「たきび」の歌は、歌い続けられるだろう。いや、歌われ続けて欲しい、その火を絶やさずにいて欲しい。
♪ あたろうか あたろうよ
の会話形式の詩には、心洗われるような忘れさせたくない優しさが、満ち溢れている。

(ブレブレ゛けど雰囲気があったので…)
寒い冬、みんなで焚き火を囲むのもいい。ぷ〜んと香る焼き芋の匂い。(ん〜たまらん!) けれど、くれぐれも火の用心には細心の注意を!…今京都。 ※写真はEPSON R-D1sで撮った京都東山花灯路2009の光景で本文とは関係ないのであしからず。
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天を仰いで思うこと 長広舌 2009/03/23 12:00 am
ちょうこうぜつ…雄弁なこと。また、長々としゃべること。
◇ちょっと予備知識 → もとは「広長舌」。仏の舌広く長くて顔面至るところに届いたことから。
「長広説」と書くのは誤り。
類義語に長談義(ながだんぎ)・獅子吼(ししく)・熱弁(ねつべん)がある。
春は、あけぼの…の続きって何だっけ?
そりゃ、「やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる」やろ。
で、その続きは?
ん〜…「夏は、夜。月の頃は、さらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし」や。
ふんふん、その続きは?
「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず」
ついでに「冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも。また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温く緩びもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし」や。
いとも簡単にスラスラと答えられた。「ここまで記憶している人も珍しい、スゴイ!」と感心するのも束の間。種を明かせば、ネットで調べてそれを読まれただけやった。近年の職場は業種にもよるが、ひとり一台のパソコンが与えられているのが主流。パソコンに向かって、仕事しているのやら、遊んでいるのやら不明なこともシバシバ。
情報を即座にひっぱり出すことができるのはありがたい。が、ここに落とし穴がある。先日、「漢字を打てるが書けない」というような新聞記事を見かけた。正しい漢字が書けない人が増えているという。パソコンの漢字はイメージで作られている。イメージであるから、そこに「点」があるのか、ないのかがわからなくなる。今時の中・高・大学生は携帯電話を辞書代わりに使用するのがほぼ全員。社会人にも増えている。ここに学力低下や日本文化衰退の落とし穴がある。時には、手書きを心がけたいものだ。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
ソーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。
話のネタ雑学(20)
ジャガイモをリンゴと一緒に置いておくと芽が出にくい? (旧フォトヴィレッジ 2007年3月16日掲載)

「ジャガイモの芽には毒がある」とはよく聞く話。これはソラニンというアルカロイドが入っているからで、ソラニンは人間の消化器や神経系に異常を起こし、死ぬこともあるほどの猛毒物質。とはいえ、芽だけ取り除けば、あとは食べても問題なく、多少食べた程度で影響がでることはない。

ところで、このジャガイモの芽を出ささない方法があるのをご存知? それはリンゴと一緒に置いておくこと。掘ったばかりの新ジャガの芽は「休眠」といってまだ眠っている状態で、三ヶ月を過ぎる頃から発芽を始める。休眠を過ぎてからリンゴと一緒に置くと芽の成長が抑えられる。ただし、休眠中にリンゴと一緒にすると、芽の成長は促進されるので注意。これはリンゴから発生するエチレンガスによるもの。その正体は果物の出すあの甘い香りなのです。果物ならみんな出しているのですが、リンゴは特に強いということ。リンゴ一個が出すエチレンガスでなんと約10キロのジャガイモの芽の成長を抑えられる。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
しかし、なぜエチレンガスがこれほどの威力を発揮するのかは、まだわかっていない。放射線を当ててジャガイモの芽を出さないようにしていることも多いみたいだけれど、こちらのほうは、あまり美味しいとはいえないという。それにしても、色々な意味で未だに芽が出ないのは、リンゴが好きだったからだろうか…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → もとは「広長舌」。仏の舌広く長くて顔面至るところに届いたことから。
「長広説」と書くのは誤り。
類義語に長談義(ながだんぎ)・獅子吼(ししく)・熱弁(ねつべん)がある。
春は、あけぼの…の続きって何だっけ?
そりゃ、「やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明りて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる」やろ。
で、その続きは?
ん〜…「夏は、夜。月の頃は、さらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし」や。
ふんふん、その続きは?
「秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず」
ついでに「冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜のいと白きも。また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、温く緩びもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし」や。
いとも簡単にスラスラと答えられた。「ここまで記憶している人も珍しい、スゴイ!」と感心するのも束の間。種を明かせば、ネットで調べてそれを読まれただけやった。近年の職場は業種にもよるが、ひとり一台のパソコンが与えられているのが主流。パソコンに向かって、仕事しているのやら、遊んでいるのやら不明なこともシバシバ。
情報を即座にひっぱり出すことができるのはありがたい。が、ここに落とし穴がある。先日、「漢字を打てるが書けない」というような新聞記事を見かけた。正しい漢字が書けない人が増えているという。パソコンの漢字はイメージで作られている。イメージであるから、そこに「点」があるのか、ないのかがわからなくなる。今時の中・高・大学生は携帯電話を辞書代わりに使用するのがほぼ全員。社会人にも増えている。ここに学力低下や日本文化衰退の落とし穴がある。時には、手書きを心がけたいものだ。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
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話のネタ雑学(20)
ジャガイモをリンゴと一緒に置いておくと芽が出にくい? (旧フォトヴィレッジ 2007年3月16日掲載)

「ジャガイモの芽には毒がある」とはよく聞く話。これはソラニンというアルカロイドが入っているからで、ソラニンは人間の消化器や神経系に異常を起こし、死ぬこともあるほどの猛毒物質。とはいえ、芽だけ取り除けば、あとは食べても問題なく、多少食べた程度で影響がでることはない。

ところで、このジャガイモの芽を出ささない方法があるのをご存知? それはリンゴと一緒に置いておくこと。掘ったばかりの新ジャガの芽は「休眠」といってまだ眠っている状態で、三ヶ月を過ぎる頃から発芽を始める。休眠を過ぎてからリンゴと一緒に置くと芽の成長が抑えられる。ただし、休眠中にリンゴと一緒にすると、芽の成長は促進されるので注意。これはリンゴから発生するエチレンガスによるもの。その正体は果物の出すあの甘い香りなのです。果物ならみんな出しているのですが、リンゴは特に強いということ。リンゴ一個が出すエチレンガスでなんと約10キロのジャガイモの芽の成長を抑えられる。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
しかし、なぜエチレンガスがこれほどの威力を発揮するのかは、まだわかっていない。放射線を当ててジャガイモの芽を出さないようにしていることも多いみたいだけれど、こちらのほうは、あまり美味しいとはいえないという。それにしても、色々な意味で未だに芽が出ないのは、リンゴが好きだったからだろうか…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 断末魔 2009/03/22 12:00 am
だんまつま…息を引き取る間際。また、臨終の苦しみのこと。
◇ちょっと予備知識 → 「末魔」は仏教で、触られると激痛を伴って死に至るとされる身体の部分。
「断末摩」とも書く。
類義語に今際(いまわ)・末期(まつご)・死期(しき)・往生際(おうじょうぎわ)がある。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
ソーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。
羅漢

京都は年間を通して多くの観光客が訪れるが、市内中心部の道路は狭く自動車による移動には適さない。路面電車や路線バスなど公共交通を活用したほうがはるかに効率的である。渋滞の主な原因はマイカーと公共交通の混在。マイカーの流入で路線バスは遅くなり、時刻表どおりに運行できない。バスが時間どおりに来ないのでマイカーの使用が増え、さらに道路が混雑するという悪循環に陥ってしまう。多くの人がマイカーをやめると路線バスの遅れはなくなり、バスの増便も可能となってくる。便利なら公共交通の利用者も増える。また、渋滞は駐車場の問題でもある。観光バスは動いている間はまだよいが、観光客を降ろして待つ間、駐車スペースが必要となる。マイカーとともに駐車待ちの渋滞を引き起こす。

郊外の駐車場にマイカーを置き、公共交通で移動する「パークアンドライド」を京都は推進している。観光バスも「パークアンドライド」の対象としたいものだ。都市交通に関しては、歩行者、公共交通、自転車、自動車の順に考えるのが基本ルール。現在は自動車が優先的に考えられており、逆になっているのが実態。場所柄などをよく検討し、必要な規制なら設けなくてはならない。人々に訴えかけて意識を変える手法「モビリティ・マネジメント」の活用により、京都に車を流入させないように呼びかけるしかない。時間はかかるが社会的風潮させ作れれば、強制的な規制もしやすくなる。

(カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4)
以前に歩く(←クリック)で掲載した内容と類似するが、もうすぐ桜の季節。冬の間、少しはマシになっていたが、これからの季節は花見の観光客で渋滞、その渋滞の車から出る排気ガスで空気が汚れる。渋滞は人をイライラさせ、環境をも破壊する。渋滞はないほうがいいのは当たり前だよね、羅漢さん…今京都。
地蔵物語(249)

さて、諸刃の剣の情報がひとつ。2009(平成21)年3月28日から全国で高速道路料金の大幅値下げが始まる。値下げの影響で観光客が増える一方で、市内の車の流入も増えると予想される。京都市は「パークアンドライド」のPRを強化するというが、どこまで対応しきれるか、また、どれだけの人が従ってくれるか、問題だ。今回の大幅値下げは、地方圏の高速道路料金が土日祝日に限り上限1000円で乗り放題になるというもの。確かに観光客の増加は期待できるが、観光客が増えても渋滞が悪化すれば、歩行者と公共交通を優先する交通政策や地球温暖化防止の取り組みが後退しかねない。さらに、今更ながらに以前に掲載した寺社仏閣(←クリック)の内容が気になる。高速道路料金の大幅値下げは観光地にとってはまさに諸刃の剣だよね、お地蔵さん…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 「末魔」は仏教で、触られると激痛を伴って死に至るとされる身体の部分。
「断末摩」とも書く。
類義語に今際(いまわ)・末期(まつご)・死期(しき)・往生際(おうじょうぎわ)がある。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
ソーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。
羅漢

京都は年間を通して多くの観光客が訪れるが、市内中心部の道路は狭く自動車による移動には適さない。路面電車や路線バスなど公共交通を活用したほうがはるかに効率的である。渋滞の主な原因はマイカーと公共交通の混在。マイカーの流入で路線バスは遅くなり、時刻表どおりに運行できない。バスが時間どおりに来ないのでマイカーの使用が増え、さらに道路が混雑するという悪循環に陥ってしまう。多くの人がマイカーをやめると路線バスの遅れはなくなり、バスの増便も可能となってくる。便利なら公共交通の利用者も増える。また、渋滞は駐車場の問題でもある。観光バスは動いている間はまだよいが、観光客を降ろして待つ間、駐車スペースが必要となる。マイカーとともに駐車待ちの渋滞を引き起こす。

郊外の駐車場にマイカーを置き、公共交通で移動する「パークアンドライド」を京都は推進している。観光バスも「パークアンドライド」の対象としたいものだ。都市交通に関しては、歩行者、公共交通、自転車、自動車の順に考えるのが基本ルール。現在は自動車が優先的に考えられており、逆になっているのが実態。場所柄などをよく検討し、必要な規制なら設けなくてはならない。人々に訴えかけて意識を変える手法「モビリティ・マネジメント」の活用により、京都に車を流入させないように呼びかけるしかない。時間はかかるが社会的風潮させ作れれば、強制的な規制もしやすくなる。

(カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4)
以前に歩く(←クリック)で掲載した内容と類似するが、もうすぐ桜の季節。冬の間、少しはマシになっていたが、これからの季節は花見の観光客で渋滞、その渋滞の車から出る排気ガスで空気が汚れる。渋滞は人をイライラさせ、環境をも破壊する。渋滞はないほうがいいのは当たり前だよね、羅漢さん…今京都。
地蔵物語(249)

さて、諸刃の剣の情報がひとつ。2009(平成21)年3月28日から全国で高速道路料金の大幅値下げが始まる。値下げの影響で観光客が増える一方で、市内の車の流入も増えると予想される。京都市は「パークアンドライド」のPRを強化するというが、どこまで対応しきれるか、また、どれだけの人が従ってくれるか、問題だ。今回の大幅値下げは、地方圏の高速道路料金が土日祝日に限り上限1000円で乗り放題になるというもの。確かに観光客の増加は期待できるが、観光客が増えても渋滞が悪化すれば、歩行者と公共交通を優先する交通政策や地球温暖化防止の取り組みが後退しかねない。さらに、今更ながらに以前に掲載した寺社仏閣(←クリック)の内容が気になる。高速道路料金の大幅値下げは観光地にとってはまさに諸刃の剣だよね、お地蔵さん…今京都。

