rrbのブログ - 2009/03のエントリ
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天を仰いで思うこと 大上段 2009/03/16 12:00 am
だいじょうだん…威圧的な態度をとるさま。
◇ちょっと予備知識 → 剣道の竹刀を頭上に高く振りかぶり、相手を威圧する構えから。
考え方の視点を高所に置くことにも使う。
類義語に居丈高(いたけだか)・傲慢(ごうまん)・権高(けんだか)がある。
対義語は低姿勢(ていしせい)・謙虚(けんきょ)・謙抑(けんよく)。
ソーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。
話のネタ雑学(17)
ジャガイモは温度が低いと甘くなる? (旧フォトヴィレッジ 2007年2月7日掲載)

ニュースとかで「今年のジャガイモは、低温に見舞われ、例年より甘いできになりました」などというのを聞くけれど、温度と甘みにはどんな関係があるのか? それには、いろいろな濃度の砂糖水を作って冷凍庫に入れてるとよくわかる。濃度の濃いものほど、低い温度まで凍らない。冬の魚のほうが、脂が乗っているのと同じように、植物も糖分を増やして対抗している。冬のホウレンソウやニンジンが他の季節より甘みがあるのもこのため。

とはいえ、どこまでも甘くなるわけではない。これらの糖分は酵素がデンプンなどを分解してつくるものなのだが、この酵素はかなり高い温度でよく働くという性質がある。このからくりは簡単には説明できないものなんだって。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
暖冬の場合は、甘みのあるジャガイモは少なくなるのだろうか? ジャガイモを使った料理は結構好きなので、なんか悲しくなる。暖冬で暖かい冬はありがたいけれど、思わぬところに影響がありそうだ…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 剣道の竹刀を頭上に高く振りかぶり、相手を威圧する構えから。
考え方の視点を高所に置くことにも使う。
類義語に居丈高(いたけだか)・傲慢(ごうまん)・権高(けんだか)がある。
対義語は低姿勢(ていしせい)・謙虚(けんきょ)・謙抑(けんよく)。
ソーダ村…の情報を募集しています。詳細はここ(←クリック) よろしくお願いします。
話のネタ雑学(17)
ジャガイモは温度が低いと甘くなる? (旧フォトヴィレッジ 2007年2月7日掲載)

ニュースとかで「今年のジャガイモは、低温に見舞われ、例年より甘いできになりました」などというのを聞くけれど、温度と甘みにはどんな関係があるのか? それには、いろいろな濃度の砂糖水を作って冷凍庫に入れてるとよくわかる。濃度の濃いものほど、低い温度まで凍らない。冬の魚のほうが、脂が乗っているのと同じように、植物も糖分を増やして対抗している。冬のホウレンソウやニンジンが他の季節より甘みがあるのもこのため。

とはいえ、どこまでも甘くなるわけではない。これらの糖分は酵素がデンプンなどを分解してつくるものなのだが、この酵素はかなり高い温度でよく働くという性質がある。このからくりは簡単には説明できないものなんだって。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
暖冬の場合は、甘みのあるジャガイモは少なくなるのだろうか? ジャガイモを使った料理は結構好きなので、なんか悲しくなる。暖冬で暖かい冬はありがたいけれど、思わぬところに影響がありそうだ…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 醍醐味 2009/03/15 12:00 am
だいごみ…物事の本当のおもしろみ。芸事の真髄や最高の味わい。
◇ちょっと予備知識 → 仏法の真髄を醍醐の味にたとえたことから。
「醍醐」は牛乳や羊乳からつくられた美味な液体。
類義語に妙味(みょうみ)・妙趣(みょうしゅ)がある。
気になることがある。
先日、「ソーダー村の村長さんが、ソーダー飲んで…」という歌(?)で、ある人たちの話が盛り上がっていた。傍で聞いていてとても気になった。この歌(?)は一体何なのだろう? で、調べられるだけ調べてみた。
まず、バージョンは色々とあるが、
(1)ソーダー村のソーダーさんが ソーダーを飲んで死んだそうだ かわいそうだ
(2)ソーダ村の村長さんが ソーダ飲んで死んだソーダ 葬式饅頭でっかいソーダ 中身のアンコは無いソーダ
の2種類に分けることができソーダ。
(2)の「葬式饅頭…」のところは、「葬式饅頭くれないソーダ けちなソーダ」というのもあるらしい。
さらに、調べていくと、
【長野バージョン】
そうだ そうだ そうだ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ
葬式饅頭でっかいそうだ 中にはあんこがないそうだ
【新潟バージョン】
そうだ そうだ そうだ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ
葬式饅頭でっかいそうだ オイラが行ってもくんないそうだ
【東京バージョン】
そうだ そうだ そうだ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ
葬式饅頭うーまいそうだ 中にはあんこがはいってないそうだ
【鳥取バージョン】
ソーダ村のソーダさんが ソーダ飲んで死んだそうだ
ソーダさんの葬式には ソーダいっぱい出るそうだ
というのがあった。論拠は何もないので、これらが正しいかどうかは全く不明なんだけれど、この歌(?)は全国的にあるような気配。
皆さんのところにもこの歌(?)は、あるのか? あるならどんな歌詞? さらに、歌詞もだが、「ソーダ村」ってどこ? 「ソーダ」って飲むソーダのこと? などなど、気になることがたくさん。調べるのも時間がかかりソーダ。
ということで、「皆さんからの情報をいただければ…」と思い、次のようにしてみました。
−お願い−
「ソーダ村の村長さん…」に関する情報をひとつでも多くいただきたいので、
サブサイト「rrbの天を仰いで思うこと…」にコメント投稿できるようにしました。
コメントフリーに設定していますので、どんな情報でも結構ですので、お寄せください。
「ソーダ村の村長さん…」に関するコメント投稿はここ(←クリック)
よろしくお願いします。
羅漢

「ソーダ村…」の情報がたくさん集まると嬉しいね、羅漢さん。えっ、前列左から「集まるかなぁ〜」「黙って待つべし」「祈りましょう」「同じく祈りましょう」って、言ってるように見えるって!? 確かにそうかも…今京都。
地蔵物語(248)

情報がたくさん集まるようにお地蔵さんも力を貸してね…今京都。

◇ちょっと予備知識 → 仏法の真髄を醍醐の味にたとえたことから。
「醍醐」は牛乳や羊乳からつくられた美味な液体。
類義語に妙味(みょうみ)・妙趣(みょうしゅ)がある。
気になることがある。
先日、「ソーダー村の村長さんが、ソーダー飲んで…」という歌(?)で、ある人たちの話が盛り上がっていた。傍で聞いていてとても気になった。この歌(?)は一体何なのだろう? で、調べられるだけ調べてみた。
まず、バージョンは色々とあるが、
(1)ソーダー村のソーダーさんが ソーダーを飲んで死んだそうだ かわいそうだ
(2)ソーダ村の村長さんが ソーダ飲んで死んだソーダ 葬式饅頭でっかいソーダ 中身のアンコは無いソーダ
の2種類に分けることができソーダ。
(2)の「葬式饅頭…」のところは、「葬式饅頭くれないソーダ けちなソーダ」というのもあるらしい。
さらに、調べていくと、
【長野バージョン】
そうだ そうだ そうだ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ
葬式饅頭でっかいそうだ 中にはあんこがないそうだ
【新潟バージョン】
そうだ そうだ そうだ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ
葬式饅頭でっかいそうだ オイラが行ってもくんないそうだ
【東京バージョン】
そうだ そうだ そうだ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ
葬式饅頭うーまいそうだ 中にはあんこがはいってないそうだ
【鳥取バージョン】
ソーダ村のソーダさんが ソーダ飲んで死んだそうだ
ソーダさんの葬式には ソーダいっぱい出るそうだ
というのがあった。論拠は何もないので、これらが正しいかどうかは全く不明なんだけれど、この歌(?)は全国的にあるような気配。
皆さんのところにもこの歌(?)は、あるのか? あるならどんな歌詞? さらに、歌詞もだが、「ソーダ村」ってどこ? 「ソーダ」って飲むソーダのこと? などなど、気になることがたくさん。調べるのも時間がかかりソーダ。
ということで、「皆さんからの情報をいただければ…」と思い、次のようにしてみました。
−お願い−
「ソーダ村の村長さん…」に関する情報をひとつでも多くいただきたいので、
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よろしくお願いします。
羅漢

「ソーダ村…」の情報がたくさん集まると嬉しいね、羅漢さん。えっ、前列左から「集まるかなぁ〜」「黙って待つべし」「祈りましょう」「同じく祈りましょう」って、言ってるように見えるって!? 確かにそうかも…今京都。
地蔵物語(248)

情報がたくさん集まるようにお地蔵さんも力を貸してね…今京都。


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今京都 大黒柱 2009/03/14 12:00 am
だいこくばしら…家の中央にある太い柱のこと。そこから、家族や団体などの中心人物。
◇ちょっと予備知識 → 「大黒」は仏教で、飲食を司る神のこと。
類義語に支柱(しちゅう)・柱石(ちゅうせき)がある。
てるてるぼうず(童謡物語第5弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月26日掲載)
「てるてるぼうず」
作詞:浅原鏡村 作曲:中山晋平
てるてるぼうず てるぼうず あしたてんきに しておくれ
いつかのゆめの そらのよに はれたらきんの すずあげよう
てるてるぼうず てるぼうず あしたてんきにしておくれ
わたしのねがいを きいたなら あまいおさけを たんとのましょ
てるてるぼうず てるぼうず あしたてんきに しておくれ
それでもくもって ないたなら そなたのくびを ちょんときるぞ
明日は待ちに待った遠足か、いや運動会か、なんでもよい。お子たちが軒先に
♪ あしたてんきに しておくれ
と、「てるてるぼうず」を吊るす、こんな光景は今では見ないかも知れない。しかし、ひと世代くらい前までは「やったなぁ〜」という記憶があるのではないだろうか? この歌の面白いところは、約束を守ってくれたら、
♪ きんの すずあげよう
とか
♪ あまいおさけを たんとのましょ
と交換条件を出し、最後は
♪ そなたのくびを ちょんときるぞ
と、残酷な脅しになるところ。なんか人間社会の駆け引きがそのまま歌になっているような感じがする。

「てるてるぼうず」は漢字で書くと「照照坊主」。この坊主、最初は男でなく女だったというから意外。生まれは中国で、正体は中国の掃晴娘(そうせいじょう)だとされている。掃晴娘は、必ず掃除のための箒(ほうき)を持っていた。箒は霊や悪事だけでなく福をも掃き払うほどに力を持つとされた一種の呪具(じゅぐ)で、その箒を使って雲を掃き払い晴天に導くのが掃晴娘の役目。だから中国では箒を持った人形を吊るしていたという。この風習が日本に入ってきたのは平安時代だとされている。天気占いとはいえ、ひとつの祈祷を施すわけだから、日本では普通僧侶がその任を承る。年かさの少ない若い娘より坊さんのほうが効果があると信じられていた。経験がものをいうというやつね。だから「照照坊主」となった。作詞をした浅原鏡村はこの歌一曲だけで童謡界に名をはせたという。

この歌詞、初めは
♪ はれたらきんの すずあげよう
のくだりは二番になっていて、代わりに一番には
♪ もしも曇って泣いてたら 空を見上げてみんな泣こう
となっていたらしい。なんと慈悲深い歌詞なんだ。しかし、三番は首をちょん切ると残忍な歌詞。この背景には朝原鏡村の父の生き様が影響しているといわれている。父は事業失敗後の1908年に牧師をしている。いつもむごたらしい形で十字架にかけられているキリストの像を目の当たりにしていたから「首をちょん切る」といった発想ができたともいわれている。当時、キリスト教は弾圧されており、父は迫害にも近い嫌がらせをいつも受けていた。その環境の中でも牧師生活を貫き通した父を心底立派だと尊敬していたのね。もし「照照坊主」という名の神が子供の望みを叶えられぬような邪神であれば、そのときは首を切ってもかまわないだろう…そう思わずにはいられなくなっていたのではないか…と考えられている。

♪ もしも曇って泣いてたら 空を見上げてみんな泣こう
は聖母マリアのイメージさせる。宗教弾圧の時代背景がこの歌詞を変更させ、邪神であればそのときは首を切ってもかまわないだろうという発想が生まれる。この童謡にもそんな時代背景が反映されているのだろうか…今京都。 ※写真は京都府南丹市美山町の風景で本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第4弾「村祭り」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 「大黒」は仏教で、飲食を司る神のこと。
類義語に支柱(しちゅう)・柱石(ちゅうせき)がある。
てるてるぼうず(童謡物語第5弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月26日掲載)
「てるてるぼうず」
作詞:浅原鏡村 作曲:中山晋平
てるてるぼうず てるぼうず あしたてんきに しておくれ
いつかのゆめの そらのよに はれたらきんの すずあげよう
てるてるぼうず てるぼうず あしたてんきにしておくれ
わたしのねがいを きいたなら あまいおさけを たんとのましょ
てるてるぼうず てるぼうず あしたてんきに しておくれ
それでもくもって ないたなら そなたのくびを ちょんときるぞ
明日は待ちに待った遠足か、いや運動会か、なんでもよい。お子たちが軒先に
♪ あしたてんきに しておくれ
と、「てるてるぼうず」を吊るす、こんな光景は今では見ないかも知れない。しかし、ひと世代くらい前までは「やったなぁ〜」という記憶があるのではないだろうか? この歌の面白いところは、約束を守ってくれたら、
♪ きんの すずあげよう
とか
♪ あまいおさけを たんとのましょ
と交換条件を出し、最後は
♪ そなたのくびを ちょんときるぞ
と、残酷な脅しになるところ。なんか人間社会の駆け引きがそのまま歌になっているような感じがする。

「てるてるぼうず」は漢字で書くと「照照坊主」。この坊主、最初は男でなく女だったというから意外。生まれは中国で、正体は中国の掃晴娘(そうせいじょう)だとされている。掃晴娘は、必ず掃除のための箒(ほうき)を持っていた。箒は霊や悪事だけでなく福をも掃き払うほどに力を持つとされた一種の呪具(じゅぐ)で、その箒を使って雲を掃き払い晴天に導くのが掃晴娘の役目。だから中国では箒を持った人形を吊るしていたという。この風習が日本に入ってきたのは平安時代だとされている。天気占いとはいえ、ひとつの祈祷を施すわけだから、日本では普通僧侶がその任を承る。年かさの少ない若い娘より坊さんのほうが効果があると信じられていた。経験がものをいうというやつね。だから「照照坊主」となった。作詞をした浅原鏡村はこの歌一曲だけで童謡界に名をはせたという。

この歌詞、初めは
♪ はれたらきんの すずあげよう
のくだりは二番になっていて、代わりに一番には
♪ もしも曇って泣いてたら 空を見上げてみんな泣こう
となっていたらしい。なんと慈悲深い歌詞なんだ。しかし、三番は首をちょん切ると残忍な歌詞。この背景には朝原鏡村の父の生き様が影響しているといわれている。父は事業失敗後の1908年に牧師をしている。いつもむごたらしい形で十字架にかけられているキリストの像を目の当たりにしていたから「首をちょん切る」といった発想ができたともいわれている。当時、キリスト教は弾圧されており、父は迫害にも近い嫌がらせをいつも受けていた。その環境の中でも牧師生活を貫き通した父を心底立派だと尊敬していたのね。もし「照照坊主」という名の神が子供の望みを叶えられぬような邪神であれば、そのときは首を切ってもかまわないだろう…そう思わずにはいられなくなっていたのではないか…と考えられている。

♪ もしも曇って泣いてたら 空を見上げてみんな泣こう
は聖母マリアのイメージさせる。宗教弾圧の時代背景がこの歌詞を変更させ、邪神であればそのときは首を切ってもかまわないだろうという発想が生まれる。この童謡にもそんな時代背景が反映されているのだろうか…今京都。 ※写真は京都府南丹市美山町の風景で本文とは関係ないのであしからず。
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天を仰いで思うこと 太公望 2009/03/13 12:00 am
たいこうぼう…釣り人の異称。また、釣り好きな人のこと。
◇ちょっと予備知識 → 周の賢臣、呂尚(りょしょう)の故事で、周の文王が釣りをしている呂尚に出会い、
「彼こそ父の太公のときから待ち望んでいた賢人である」と喜んだことから。
類義語に釣師(つりし)・釣天狗(つりてんぐ)がある。
話のネタ雑学(16)
冷蔵庫に入れたマヨネーズは傷みが早い!? (旧フォトヴィレッジ 2007年1月30日掲載)

ふりかけでも、塩でも、醤油でも、とにかく何でもかんでも冷蔵庫に入れておけば安心だと思っている方も多いようだけれど、実は冷蔵保存をしないほうがいいものもある。マヨネーズがそのひとつ。卵黄と酢と塩、植物油を加えて乳化してつくるマヨネーズは、室温10〜30℃くらいのときが一番乳化状態が安定していて、それ以上でも以下でも不安定になって分離しやすくなる。

分離すると、油、酢、卵が別々になって、酢の殺菌力が全体にいきわたらなくなり、油も酸化されて傷みが早くなってしまうということ。冷蔵庫に保存していたマヨネーズが分離しているのを見たことがあるのでは? といういうわけで、マヨネーズは直射日光があたらないところに保存するのが一番。夏場、冷蔵庫に入れる場合は、冷えすぎないように、袋詰めにするなどの方法が必要。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さらにマヨネーズの殺菌力は強力で、ある病原菌にマヨネーズをつけたら数十時間で死滅したという実験報告もあるくらい。サラダを食べるときマヨネーズをつけると殺菌作用もあるということだ。しかし、いくら殺菌効果があるといっても採りすぎはダメ。何事もほどほどに…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
★前回はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 周の賢臣、呂尚(りょしょう)の故事で、周の文王が釣りをしている呂尚に出会い、
「彼こそ父の太公のときから待ち望んでいた賢人である」と喜んだことから。
類義語に釣師(つりし)・釣天狗(つりてんぐ)がある。
話のネタ雑学(16)
冷蔵庫に入れたマヨネーズは傷みが早い!? (旧フォトヴィレッジ 2007年1月30日掲載)

ふりかけでも、塩でも、醤油でも、とにかく何でもかんでも冷蔵庫に入れておけば安心だと思っている方も多いようだけれど、実は冷蔵保存をしないほうがいいものもある。マヨネーズがそのひとつ。卵黄と酢と塩、植物油を加えて乳化してつくるマヨネーズは、室温10〜30℃くらいのときが一番乳化状態が安定していて、それ以上でも以下でも不安定になって分離しやすくなる。

分離すると、油、酢、卵が別々になって、酢の殺菌力が全体にいきわたらなくなり、油も酸化されて傷みが早くなってしまうということ。冷蔵庫に保存していたマヨネーズが分離しているのを見たことがあるのでは? といういうわけで、マヨネーズは直射日光があたらないところに保存するのが一番。夏場、冷蔵庫に入れる場合は、冷えすぎないように、袋詰めにするなどの方法が必要。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
さらにマヨネーズの殺菌力は強力で、ある病原菌にマヨネーズをつけたら数十時間で死滅したという実験報告もあるくらい。サラダを食べるときマヨネーズをつけると殺菌作用もあるということだ。しかし、いくら殺菌効果があるといっても採りすぎはダメ。何事もほどほどに…と、天を仰いで思うこと。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 走馬灯 2009/03/12 12:00 am
そうまとう…回りどうろう。中にあるろうそくに火をつけると、影絵が次々に回って見えるもの。
◇ちょっと予備知識 → 「走馬灯のように」というかたちで、過ぎ去った昔のことを次々に思い出す場合に使う。
ん〜…、最近は再掲ばかりで少し飽きてきた。早く本来の形に戻したいが、旧フォトヴィレッジのサーバーも不調だし。旧フォトヴィレッジのときは何日かに分けて掲載した内容でも、再掲は分けずに掲載するようにしよう…と思う。
村祭り(童謡物語第4弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月25日掲載)
「村祭り」
文部省唱歌
村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
朝から聞こえる笛太鼓
年も豊年満作で 村は総出の大祭り
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
夜までにぎわう宮の森
みのりの秋に神様の めぐみたたえる村祭り
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
聞いても心が勇み立つ
祭りは春夏秋冬、どの季節にも存在する。この「村祭り」は秋の祭りの歌。
♪ 年も豊年満作で
となっているから、米の収穫祭の歌であることが容易に想像できる。村の人々は今年も稲刈りが終わり、ほっとした気分を持ちながら神々に感謝の念を抱く。日本の風景や日本人の気質を見事にとらえた歌だといえるのではないだろうか。しかし、そんな願いと喜びにあふれるこの歌を知らない子供たちが多くなっているという。理由は学校でこの歌を教えなくなったからということであるが、教えなくなった理由というのがちょっと驚く。

この唱歌が、はじめて教科書に載せられたのは1912(明治45)年。第122代天皇である明治天皇の在位は、この歌が生まれた年にすでに45年目を迎えていた。その長期を寿ぎこの歌も作られたという。天皇は、それまでの徳川封建国家を一新し、世界の大国のひとつに成長させる。国会の開設や学校制度の確立、身分制度の廃止など日本の近代化を急速に進める。まさに「神としてのお働き」。だから、当時、三番の歌詞は
♪ 治まる御代に神様の めぐみあおぐや 村祭り
となっており、戦後になって天皇が人間宣言をするとともに、今の
♪ みのりの秋に神様の
に変化していったそうだ。それからは長いことこの歌は必ず学校で教わる歌として君臨し続けた。日本の祭りのルーツ、日本の主食である米への感謝、そして農民へのねぎらいといった大切な日本の心がしっかりと描かれている歌だったからに違いない。

日本人は農耕民族。手をかけ時間をかけて、秋に主食である米を収穫する人々が多くを占める国。米ができるまでは、春の田植えに始まってやっと訪れる実りの秋まで優に半年を要す。太陽のめぐみ、米のめぐみに感謝し、降りすぎても降らなすぎても命取りになる雨の神、つまり天の神に祈りをささげる。草取り、虫の駆除、ねずみや野鳥の被害などを切り抜けたにもかかわらず、収穫前に無残にも押し寄せる台風。俗に半年で八十八回も手がかかるとされるのが米作りである。そんな手間隙がかかる米作り。しかし、それが生きるすべだった。だからこそ収穫が終わると人々は喜び勇んだ。苦労から解き放たれるひと休みの期間の到来。同時にたまったストレスからの解放。そこにやってくるのが待ちに待った
♪ 神様の めぐみたたえる村祭り
なのである。
この歌は日本の祭りのルーツを歌を通して教えている。五穀豊穣、豊年満作への感謝と翌年の祈願が祭りを発祥させたのである。つまり人は生きるために働く、懸命に働いて働いて働き抜けば、その後に必ず幸せが訪れるという日本人気質こそが、楽しい収穫祭を生んだといえる。そんな大事なことを教えてくれるこの歌が教科書から消えたのは、1962(昭和37)年に端を発する。どの都道府県にもあった村が町村合併で消えていくことにある。教科書は全国で使用されるもの。たとえひとつふたつの県だけであっても、村が存在しなくなったとき、この歌は時代にそぐわない歌と決めつけられ、自然と教科書から消されていった。今、日本語の大切さや日本文化の継承が叫ばれている。こういった古きよき時代の教訓こそ、しっかり子孫に受け継がなければならないのではないだろうかと感じる。

♪ どんどんひゃらら どんひゃらら
ウキウキしてくる祭りの興奮。祭りの喜びは苦労の後のご褒美。やらなければならないことをしなければ、後についてくる喜びもない。ごくごく当たり前なことなのに、何故か欠けてしまったそんな教えをこの歌はしっかりと教えてくれているのではないだろうか…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
★前回の童謡物語第3弾「赤とんぼ」はここ(←クリック)

◇ちょっと予備知識 → 「走馬灯のように」というかたちで、過ぎ去った昔のことを次々に思い出す場合に使う。
ん〜…、最近は再掲ばかりで少し飽きてきた。早く本来の形に戻したいが、旧フォトヴィレッジのサーバーも不調だし。旧フォトヴィレッジのときは何日かに分けて掲載した内容でも、再掲は分けずに掲載するようにしよう…と思う。
村祭り(童謡物語第4弾) (旧フォトヴィレッジ 2006年10月25日掲載)
「村祭り」
文部省唱歌
村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭り日
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
朝から聞こえる笛太鼓
年も豊年満作で 村は総出の大祭り
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
夜までにぎわう宮の森
みのりの秋に神様の めぐみたたえる村祭り
どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら
聞いても心が勇み立つ
祭りは春夏秋冬、どの季節にも存在する。この「村祭り」は秋の祭りの歌。
♪ 年も豊年満作で
となっているから、米の収穫祭の歌であることが容易に想像できる。村の人々は今年も稲刈りが終わり、ほっとした気分を持ちながら神々に感謝の念を抱く。日本の風景や日本人の気質を見事にとらえた歌だといえるのではないだろうか。しかし、そんな願いと喜びにあふれるこの歌を知らない子供たちが多くなっているという。理由は学校でこの歌を教えなくなったからということであるが、教えなくなった理由というのがちょっと驚く。

この唱歌が、はじめて教科書に載せられたのは1912(明治45)年。第122代天皇である明治天皇の在位は、この歌が生まれた年にすでに45年目を迎えていた。その長期を寿ぎこの歌も作られたという。天皇は、それまでの徳川封建国家を一新し、世界の大国のひとつに成長させる。国会の開設や学校制度の確立、身分制度の廃止など日本の近代化を急速に進める。まさに「神としてのお働き」。だから、当時、三番の歌詞は
♪ 治まる御代に神様の めぐみあおぐや 村祭り
となっており、戦後になって天皇が人間宣言をするとともに、今の
♪ みのりの秋に神様の
に変化していったそうだ。それからは長いことこの歌は必ず学校で教わる歌として君臨し続けた。日本の祭りのルーツ、日本の主食である米への感謝、そして農民へのねぎらいといった大切な日本の心がしっかりと描かれている歌だったからに違いない。

日本人は農耕民族。手をかけ時間をかけて、秋に主食である米を収穫する人々が多くを占める国。米ができるまでは、春の田植えに始まってやっと訪れる実りの秋まで優に半年を要す。太陽のめぐみ、米のめぐみに感謝し、降りすぎても降らなすぎても命取りになる雨の神、つまり天の神に祈りをささげる。草取り、虫の駆除、ねずみや野鳥の被害などを切り抜けたにもかかわらず、収穫前に無残にも押し寄せる台風。俗に半年で八十八回も手がかかるとされるのが米作りである。そんな手間隙がかかる米作り。しかし、それが生きるすべだった。だからこそ収穫が終わると人々は喜び勇んだ。苦労から解き放たれるひと休みの期間の到来。同時にたまったストレスからの解放。そこにやってくるのが待ちに待った
♪ 神様の めぐみたたえる村祭り
なのである。
この歌は日本の祭りのルーツを歌を通して教えている。五穀豊穣、豊年満作への感謝と翌年の祈願が祭りを発祥させたのである。つまり人は生きるために働く、懸命に働いて働いて働き抜けば、その後に必ず幸せが訪れるという日本人気質こそが、楽しい収穫祭を生んだといえる。そんな大事なことを教えてくれるこの歌が教科書から消えたのは、1962(昭和37)年に端を発する。どの都道府県にもあった村が町村合併で消えていくことにある。教科書は全国で使用されるもの。たとえひとつふたつの県だけであっても、村が存在しなくなったとき、この歌は時代にそぐわない歌と決めつけられ、自然と教科書から消されていった。今、日本語の大切さや日本文化の継承が叫ばれている。こういった古きよき時代の教訓こそ、しっかり子孫に受け継がなければならないのではないだろうかと感じる。

♪ どんどんひゃらら どんひゃらら
ウキウキしてくる祭りの興奮。祭りの喜びは苦労の後のご褒美。やらなければならないことをしなければ、後についてくる喜びもない。ごくごく当たり前なことなのに、何故か欠けてしまったそんな教えをこの歌はしっかりと教えてくれているのではないだろうか…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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