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天を仰いで思うこと 一家言 2009/01/21 12:00 am

っかげん…その人独自で持っている、意見や主張。また、そのような一角の見識。
◇ちょっと予備知識 → もとは「一家の持つ意見」ということから。
                義語に定見(ていけん)がある。

のネタ雑学(36)
クマとカエルでは冬眠の仕方が違う?
寒い冬に関係するお話をひとつ。冬の間中眠り続けているのが冬眠だというイメージある。また、クマもカエルもヘビも同じように眠り続けていると思われがちである。しかし、それは間違い。カエルやヘビは、気温にしたがって体温が変化する変温動物で、気温が下がると体温も下がり、すべての生理作用が行われなくなるため眠り続ける。



一方、クマやコウモリは温血動物、恒温動物であり、人間と同じように体温は一定している。このため冬でも同じ体温であるから、食糧のなくなる冬場もこの体温を維持しなくてはならない。そのため、なるべく温かい場所で、体力を消耗しないようにできるだけ静かに過ごす必要がある。つまり、眠り続けるわけではないので、冬眠というより冬ごもりといったほうが正しい。



冬期、エサがなくなって大きな体を維持しきれないクマは、秋にひたすら食べ続け体に厚い皮下脂肪を蓄えて冬ごもりをする。動物園のクマは食べ物の心配もなく、皮下脂肪を蓄える必要もないから冬ごもりすることはない。
秋のうちに木の実などを食べて、皮下脂肪を蓄え、冬ごもりを始めたクマ、春になって穴から出てきたときは、3分の2の体重に減っているという。この方法、ダイエットにはお奨めできない…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)>


(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4


(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4


(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4


 

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今京都 一目散 2009/01/20 12:00 am

ちもくさん…わき目もふらずに走っていくさま。まっしぐら。
◇ちょっと予備知識 → 必死で逃げるときに使うことが多い。
                類義語に一散(いっさん)がある。

掃き
以前に、きれいにお化粧した若奥さん風の女性が立派な町家の前をホウキで掃いている場面に「門掃きの励行で私たちのまちを美しく」という文字を躍らした美化運動のポスターを見たことがある。家の前を「門(かど)」というのは京都府全域と新潟県佐渡市などに残る方言であり、「門掃き」という単語は方言辞典以外に見ることはないと聞く。自宅前を掃き清める習慣は他地域にも当然あるが、京都でそれが特に「門掃き」と名づけられたのには理由がある。門掃きは単なる掃除ではなく、地域の人々とのコミュニケーションの手段となっている。



門掃きの習慣がない地域から京都に嫁いできた女性などは、新婚旅行から帰った翌朝早々、門掃きするよう姑から言われるという。少しでも遅れると、他の家の方が気をつかって自分の家の前まではいてしまうというのも門掃きの規則のようだ。門掃きをしている地域住民の方々は「特別なことをしているわけではない」と口を揃えていう。ご近所が皆ホウキを使いつつ、「おはようさん」と挨拶をしあうのが円満の秘訣であり、「門掃き」の重要な役割だ。隣の住人がどんな人かわからないといった今どきの住宅事情では難しいかもしれないが、互いに挨拶しあうことで、犯罪や事故を未然に防ぐ効能がある点では先人の知恵といえる。



しかし、家庭環境の変化や職業の多様化により、必ずしも門掃きができる住民ばかりではないのも現実である。集合住宅ならば清掃はほとんど管理会社の手に委ねられているし、働きながら子育てをする主婦などの朝に門掃きしているような余裕はない。町の美化運動とコミュニケーションとしての門掃きとは分けるべきであろう。
朝の就業前にこの門掃きをする企業が増えている。地域社会への貢献といった意味から始めたのであろうが、今ではそういう気負いは感じられず、すれ違う人々と気軽に挨拶を交わす姿がすがすがしく見える。



「伝統的な習慣だから」という前に、良いところは残し、現代に合わないところは変えていくという意識改革がなければ「門掃き」の存続は難しいのではないかと思うが、東京都足立区では京都にならって「門掃き運動」を展開していると聞く。
この京の門掃きで使用されるホウキは植物のシダで作られた庭ホウキやデッキブラシ、竹ホウキが人気だという。いずれも京都府内産で、それぞれのホウキを各専門の職人が作っている。シダは水に強くゴミや砂をしっかり取るのが特徴で、12月になると新しいのに替えて新年を迎える人が多いという。
いずれにしても、京都の人間にとって門を掃くことはごく当り前のことであり、役所から言われてするものではない、という京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


 

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今京都 韋駄天 2009/01/19 12:00 am

だてん…足の速い人のたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 韋駄天神は、走るのが非常に速いことから。「韋駄天足」「韋駄天走り」などともいう。
                類義語に駿足(しゅんそく)がある。
                対義語は鈍足(どんそく)。

並み








蔵物語(238)




 

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今京都 居丈高 2009/01/18 12:00 am

たけだか…上から押さえつけるような、頭ごなしな態度。
◇ちょっと予備知識 → 「居丈」は座った背の高さ。座高。「威丈高」とも書く。
                類義語に威圧的(いあつてき)・高飛車(たかびしゃ)がある。
                対義語は低姿勢(ていしせい)。

並み








蔵物語(237)




 

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天を仰いで思うこと 依怙地 2009/01/17 12:00 am

こじ…つまらないことに意地を張って、自分の意思を通そうとすること。頑固なこと。
◇ちょっと予備知識 → 「意固地」とも書く。「うこじ」ともいう。
                類義語に片意地(かたいじ)・頑固一徹(がんこいってつ)がある。

日の日に思うこと
あれから14年、自然の驚異もさることながら、人のパワーのすごさを見る気がする。太古の昔から、それが自然災害であろうが人的災害であろうが、人は絶望のどん底から這い上がってくる。崩壊した瓦礫の山を整理し、道路や家を復旧する。尊い命を奪われた人々の絶望と希望を受け継いで生きていく。



あれから14年、変わらない自分がここにいる。「少しくらいは成長しないと…」と思うがなかなか成長できない自分がここにいる。それでも、今出来る事をひとつずつ確実にこなしていくことに全力を注いでいる。それでいいのだと自分に言い聞かせている。



あれから14年、少しは「希望」が見えたのだろうか。日本列島や地球規模で発生している自然災害に人類は無力だ。これだけ科学技術が進んでも自然には勝てない。地球の呼吸ひとつで吹っ飛んでしまう。地球規模で見た場合、これだけ進んだ人類の科学技術でさえ無力に等しい。しかし、この日に逝った生命もあれば、この日に誕生した生命もある。それがひとつの「希望」になっているに違いない。


(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

あれから14年、世界的規模の経済悪化となっている。自然の驚異もさることながら、人的要素の驚異も後を絶たない。戦争や争い事、殺生沙汰の事件も後を絶たない。いったい、いつになったら地球規模の平和がやってくるのだろう。地球は愚かな人類に平和の大切さを気づかせるために「ひとつ呼吸」をしているのかもしれない…天を仰いで思うこと。

1.17希望の灯り
1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災
震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出
…たった1秒先が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは 奪われた すべてのいのちと
生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ


 

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