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rrbのブログ - 2009/12のエントリ

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今京都 かく 2009/12/26 12:00 am


持ち上げて運ぶ。一人では持てないような重い荷物を他の場所へ移す。「この机ちょっとそこまでカイテほしいのやけど」「これ重たいさかいカイテんか」 駕籠を舁(か)くというように、肩にかつぐこと。漢字「舁」は、二人で両手を差し出して物を運ぶさまを表す。カタゲルは担う、かつぐ、肩に乗せる。「肩」を動詞化した。カタグとも。「重い荷物カタゲテ(カタイデ)通らはる」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

宮神社の常夜燈 (旧フォトヴィレッジ 2007年4月23日掲載)
京都市北区の千本北大路の交差点から北に約200mの地点に南東に斜めに延びた道がある。通称「みこし道」。近くの今宮神社の例祭「今宮祭」の「みこし」を指す。しかし、今は「みこし」は通らない。この道が東に折れる場所に、ゆうに3mはある大型の常夜燈が一基、鉄柵に囲われて立っている。



「今宮大神宮」「往来安全」の文字と、秤(はかり)屋や米屋といった姓の町人らしい世話人11名の名が刻まれている。信仰に厚い氏子たちが、お参りする人や旅人の道中の安全を祈って参道に寄進したものなのか?



5月の今宮祭。今宮神社を出た「みこし」は、かつてはこの道を経て御旅所に向かっていた。今では家が建って道が寸断され「みこし」は千本通を通る。「みこし道」の呼び名は地元の人にしか通じなくなったという。常夜燈ができたのは1830(文政13)年ということ。当時、今宮祭は「南の祇園、北の今宮」と称されたといい、この大型の常夜燈は豪勢な「みこし」行列が通った「みこし道」を偲ばせている。
さて、この記事で旧フォトヴィレッジからの主要な記事の再掲は終わり。次回からの分が全く用意できていない。どうしたものか思い悩む…今京都。


 

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今京都 まねき 2009/12/24 12:00 am

ねき
京都南座の顔見世興行の招き看板。客を招き入れるからマネキ。南座の前を通る人々が正面二階のマネキを見上げると、青竹の矢来が組まれ、それを覆うマネキ看板が50枚あまり、ニ段組で11月24日ごろの深夜から朝に上げられる。マネキ看板は桧の一枚板で役者の名前が筆太の勘亭流と呼ばれる字体で書かれる。「マネキが上がりましたえ、もうすぐ師走どすな」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

士像 (旧フォトヴィレッジ 2007年4月1日掲載)
西陣の、とある児童公園に西洋風の甲冑に身を固めた青銅色の像が公園の中を見つめている。伝統産業のイメージが強い西陣には少し不似合いな感じも…。写真からもわかるように腕が折れ、コンクリートがむき出しになっている。その姿が何か痛々しい。像からわかるのは昭和54年3月という建立年月だけで、像の名前も誰が何のために建てたのかも書かれていないので全く不明。



調べたところ、この像を建てた人は、公園の世話が大好きで、地蔵のほこらを建てたり、桜の木などを整備していたおじいさんだということ。このお地蔵さんもそのおじいさんの手によるものかも知れない。さらに既に亡くなっていて、その御家族も西陣を離れてしまったているということ。子供が大好きで、子供を守ろうという願いをこめて作成したのかどうかも不明。



さらに調べるとある本の中には、両腕を組んで胸の前でしっかりと剣を握る姿が紹介されていた。子供たちが親しみを込めて登って遊んでいるうちに壊れたのか、誰かが故意に破壊したのかも不明で、どんな目にあって今の姿になったのかは分からない。



ただ、傷ついた像は今も公園の入り口に立ち、お地蔵さんといっしょに公園内で遊ぶ子供たちを見守っているに違いないという想像だけが駆け巡る…今京都。


 

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今京都 つずれさせ 2009/12/22 12:00 am

ずれさせ
ツズレサセは、コオロギの異名。鳴き声が「衣服をつづり刺せ」とも聞こえるから。筆者も祖母が「ツズレサセ かんこさせ 寒さが来るぞ」と唱えるのを聞いた。コオロギが鳴くころになると、冬用の着物を準備した。秋が深まり、京の町に冬の到来を知らせる童歌で、「かんこ」は紙衣のこと。厚紙に柿渋を引いて乾燥させ、揉んで柔らかにした保温用の衣服である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。

山三十六峰 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月27日掲載)
「東山三十六峰、静かに眠る丑三つ時、鴨の河原のしじまを破り、にわかに起こる剣戟(けんげき)の響き…」とは無声映画の時代、新撰組が登場すると活動弁士がうなった名フレーズ。弁士の迫力で「東山三十六峰」が庶民の間に広まり、有名になったといわれている。



三十六峰は、初めから東山に三十六の峰々があったというわけではなく、のちに当てはめたもの。東山という以上、大文字山でおなじみの如意ヶ嶽から始めたいところだが、現在では次のとおりだという。
(1)比叡山(ひえいざん) (2)御生山(みあれやま) (3)赤山(せきざん) (4)修学院山(しゅうがくいんやま) (5)葉山(はやま) (6)一乗寺山(いちじょうじやま) (7)茶山(ちゃやま) (8)瓜生山(うりゅうやま) (9)北白川山(きたしらかわやま) (10)月待山(つきまちやま) (11)如意ヶ嶽(にょいがたけ) (12)吉田山(よしだやま) (13)紫雲山(しうんざん) (14)善気山(ぜんきやま) (15)椿ヶ峰(つばきがみね) (16)若王子山(にゃくおうじやま) (17)南禅寺山(なんぜんじやま) (18)大日山(だいにちやま) (19)神明山(しんめいやま) (20)粟田山(あわたやま) (21)華頂山(かちょうざん) (22)円山(まるやま) (23)長楽寺山(ちょうらくじやま) (24)双林寺山(そうりんじやま) (25)東大谷山(ひがしおおたにやま) (26)高台寺山(こうだいじやま) (27)霊鷲山(りょうじゅせん) (28)清水山(きよみずやま) (29)鳥辺山(とりべやま) (30)清閑寺山(せいかんじやま) (31)阿弥陀ヶ峯(あみだがみね) (32)今熊野山(いまくまのやま) (33)泉山(せんざん) (34)恵日山(えにちやま) (35)光明峰(こうみょうほう) (36)稲荷山(いなりやま)



無声映画の時代は、活動弁士の口先ひとつで物が伝えられた、つまり口伝の時代。弁士の影響は大だね。そういえば「チャップリンの声を聞いてみたい」と思ったこともあった…今京都。 ※写真は本文と関係ないのであしからず。


 

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今京都 ひりょーす 2009/12/19 12:00 am

りょーす
京のヒリョースは東京では「がんもどき」。ヒリョーズ・ヒロース・ヒロスともいう。ポルトガル語のfilhosから。室町時代、ポルトガルの宣教師が伝えた。うるち米を当分に混合し、水で練って油で揚げたもの。上方では豆腐を潰して、山芋をすりおろして混ぜ、きくらげやごぼうも混ぜて丸め、油で揚げる。漢字で「飛竜子・飛竜頭」と書く。「雁擬き(がんもどき)」は雁の肉に味が似ているのでいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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政所御旅所 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月4日掲載)
烏丸通のオフィスが立ち並ぶ一画に、窮屈そうに鳥居がたつ。大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)である。御旅所とは、八坂神社から分霊が町に降りて来られるのをお迎えするための施設であり、また、ここから八坂神社を遥拝するための出張所としても機能するものである。



祇園会(ぎおんえ)の神輿(みこし)三基のうち、素盞嗚尊(すさのおのみこと)(牛頭(ごず)天王)と八王子との二基を大政所とよび、妃神奇稲田(くしなだ)姫の一基を少将井とよんだ。



江戸時代にはこの大政所の神輿は八坂神社を出て四条通を経て神泉苑に入った。この御旅所は円融天皇の時代に秦助正という人が夢に八坂大神の神幸を見、また自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛(くも)が糸を引いているのを見て朝廷にこのことを奏上した結果、助正の家が御旅所となり、その後大政所といわれるようになったという。



後奈良天皇の天文5年(1536)に騒乱のため焼失し、天正19年(1591)豊臣秀吉の命により四条寺町に御旅所が移されたが、そのあとに町の人々が小祠を建て、八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年7月16日を例祭日と定めた。



と、看板には記されている。烏丸通は京都市内随一のオフィス街。高い建物に囲まれながらも史実を伝える小さな一画。しかし、その存在はとても大きい…今京都。


 

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今京都 みせだし 2009/12/17 12:00 am

せだし
祇園で見習いの期間「仕込み」から、舞妓・芸妓になること。「見世だし」は「見せ出す」の意味。ミセダシをするのをデルという。姉さん芸妓に連れられて「今度でました美代子どす。どうぞよろしゅうおたの申します」とあいさつ回りをして赤飯を配る。縁日などに社寺の前で商売する小さい露店のこともミセダシ(店出し)という。「寺町でミセダシしてたんや」 夜の場合はヨミセダシ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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見十石舟 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月3日掲載)
伏見区の酒蔵界隈(月桂冠大倉記念館)の先には十石舟が運航されている。月桂冠大倉記念館そばの乗船場から三栖閘門(こうもん)までの宇治川派流と濠川(ごうかわ)を55分で往復。十石舟は江戸時代に伏見と大阪を結んだ木造船にちなんでいるという。







春と秋には寺田屋浜から一回り大きい三十石船も運航するという。宇治川と濠川の合流点にある三栖閘門には資料館と展望台もある。酒蔵の町並みなど伏見の歴史と情緒を感じることができる。宇治川へ続くこの小さな川を利用した十石舟の観光。川の流れがとても緩やかなのが印象的。







こういう場所にいると時間の流れがゆるやかに感じる。しかし、時は確実に流れている…今京都。
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