rrbのブログ - 2009/12/15のエントリ
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今京都 ほどらいに 2009/12/15 12:00 am
ほどらいに
おおよそ。適当に。「この蜜柑、ホドライニ500円がとこ(程度)おくれやす」 程合いから。『古今著聞集』に「引出物の程らひ」のように記され、程度の意味。「そないにきちんとせんとホドライにしとき」 ホドライコとも。ホドノエーは、すかっとして、ごてごてしないで節度があるさま。「あの人はほんまにホドノエーお方どすな」は、「愛想がよい」の意味でも使用し、皮肉をこめてもいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
八坂神社御手洗井/手洗水町 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月1日掲載)
烏丸通のオフィスが立ち並ぶ一画に、いつも柵で塞がれている井戸がある。八坂神社御手洗井である。ここにはかつて祇園社の御旅所があり、毎朝この井戸から霊水を汲み、牛頭天王社にお供えしていたのだそうだ。
看板には「信長の代に御旅所は別の場所に移したが、名水であったためこのまま留め、祇園會中のみ開いて民に神水を供するようにしたと」と書かれている。この御手洗井では7月14日に井戸替えが行われ、祇園祭の7月15〜24日の間に限り柵がとられる。また、16日の10時より井戸のふたをあけて御祓いも行われる。どこまでも透き通った雑味の無い水は冷たく美しいという。
「手洗水町(てあらいみずちょう)」という町名は祇園会の期間の一週間だけに用いられる神聖な井戸に因み、天正時代の町割の際に町民が豊臣秀吉に願い許された名だと伝えられている。このわずかな空間だけ、人や車でごったがえす烏丸通の喧騒が嘘のように、神水のように穏やかで神聖な時が流れているように感じる…今京都。
おおよそ。適当に。「この蜜柑、ホドライニ500円がとこ(程度)おくれやす」 程合いから。『古今著聞集』に「引出物の程らひ」のように記され、程度の意味。「そないにきちんとせんとホドライにしとき」 ホドライコとも。ホドノエーは、すかっとして、ごてごてしないで節度があるさま。「あの人はほんまにホドノエーお方どすな」は、「愛想がよい」の意味でも使用し、皮肉をこめてもいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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八坂神社御手洗井/手洗水町 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月1日掲載)
烏丸通のオフィスが立ち並ぶ一画に、いつも柵で塞がれている井戸がある。八坂神社御手洗井である。ここにはかつて祇園社の御旅所があり、毎朝この井戸から霊水を汲み、牛頭天王社にお供えしていたのだそうだ。
看板には「信長の代に御旅所は別の場所に移したが、名水であったためこのまま留め、祇園會中のみ開いて民に神水を供するようにしたと」と書かれている。この御手洗井では7月14日に井戸替えが行われ、祇園祭の7月15〜24日の間に限り柵がとられる。また、16日の10時より井戸のふたをあけて御祓いも行われる。どこまでも透き通った雑味の無い水は冷たく美しいという。
「手洗水町(てあらいみずちょう)」という町名は祇園会の期間の一週間だけに用いられる神聖な井戸に因み、天正時代の町割の際に町民が豊臣秀吉に願い許された名だと伝えられている。このわずかな空間だけ、人や車でごったがえす烏丸通の喧騒が嘘のように、神水のように穏やかで神聖な時が流れているように感じる…今京都。