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rrbのブログ - 2009/09のエントリ

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今京都 ねそ 2009/09/20 12:00 am


黙っていて鈍い感じの人。動作の遅い人。「ネソがコソする」は、おとなしそうに見える人が、陰でこそこそ悪いことをするという慣用句。動作がのんびりして気の利かないさまをネソネソという。「のそのそ」と同系の語。コソは、こそこそする人で、擬態語から。ごてごて言う人はゴテで、くずぐずと不平、不満を並べ立てることをゴテクサという。クサは小煩わしい気持ちを表す接尾語。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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京都 嵐電沿線と嵐山界隈















しばらくの間、「嵐電沿線と嵐山界隈」と題して、嵐電沿線や嵐山で撮った写真を掲載。あえて寺社仏閣の名前や場所は伏せての掲載。写真を見て、色々と楽しんで貰えたら嬉しい…今京都。


 

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今京都 ちょか 2009/09/19 12:00 am

ょか
「もっと落ち着くのや、チョカやな」 こせこせする人。世話好きで出過ぎる人。擬態語チョカチョカに基づく。チョカには軽はずみなニュアンスが付きまとう。チョカチョカは落ち着きのないさま。チョカー・チョカスケ・オチョカサンとも。お節介の意味でも使う。節介は切匙(せっかい)から。すり鉢の内側に付いたものを掻き落とす台所用具。細かいところまで行き届くことから世話を焼くの意味になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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途(かどで)八幡宮 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月7日掲載)
源平時代を駆け抜けた美しくはかない英傑、源義経にまつわる伝説が尽きない京都。その中でも首途(かどで)八幡宮は義経が16歳のころ、都を去り、奥州へ旅立つ際に立ち寄って旅の無事を祈った場所とされ有名である。





話によると、1174年、平氏の手が伸びるのを避けるため、鞍馬寺に預けられていた牛若丸は奥州平泉の雄、藤原秀衡を頼ることになった。その際に手はずを整えて同行したのが、奥州の金を取り扱っていた金売吉次。首途八幡宮は、元の名を内野八幡宮といい、金売吉次の屋敷が近くにあったとされる。義経が旅立ちの際に立ち寄ったとされてからは首途八幡宮の名称で呼ばれるようになったということだ。





この八幡宮は平安京には御所の北東に位置し、皇城鎮護の社として尊ばれた。桃園親王の旧跡としても知られ、桃の木が植えられて美しい庭園で桃花祭が執り行われ、稚児舞の奉納などもあり、多くの参拝者でにぎわう。その後、度重なる戦火で社殿は焼け落ちたが、再建されたという。2005(平成17)年に大河ドラマで義経が主人公になったこともあり、全国から多くの義経ファンが訪れる名所ともなった。



境内には、桃の木が記念植樹され、参道には奉賛会により、「源義経奥州首途の地」の石碑が建てられるなど観光客も史跡を楽しめるように整備が進んでいる。女性を中心に多くの観光客でにぎわったブームも今は落ち着きをみせており、地域住民の憩いの場としても親しまれている。また、義経をしのんで奉賛会を中心に「義経首途祭」は毎年企画されているという。





旅の守護神は珍しく、人生の門出を迎える卒業や転勤シーズンはいうまでもなく、旅の無事を祈る参拝客が訪れるという…今京都。


 

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今京都 えずくろしい 2009/09/17 12:00 am

ぞくろしい
くどくどしい。度を越して気味が悪い。「ごてごて口紅塗ってエズクロシイ」「エズクロシイ格好して、どこへ行くのや」 エズクルシイ・エゾクルシイともいう。「エズクロシイ化粧」し「毒々しい化粧」であり、「エズクロシイ話」は、しつこい繰り言。吐き気を催す、嘔吐するのエズクからの語。「隣のお嫁さんエズイタはるし、おめでたやろか」 エズクのエは吐き出す音から。ズクは「吐(つ)く」の意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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列(狐)坂(きつねざか) (旧フォトヴィレッジ 2007年5月13・14日掲載)



五山の送り火の一つ「妙」の山すそを横切る「狐坂」。自動車専用の高架橋が2006年4月に開通し、岩倉方面への交通はより便利になった。見通しのよい高架橋の下には、大きく曲がった急な坂道が歩行者・自転車専用道路として走る。整備された道路には、険しい峠道のイメージはない。地元には、かつて「木列(きつれ)坂」と呼ばれていた頃の話が伝わる。



その話とは…。
岩倉から嫁いできた働き者の「およし」が、病気の母親の看病のために、夜にササや下草が茂る真っ暗なこの峠道を不安な足取りで歩いていた。すると、ぼんやりとした灯火が招くように進んでいく。てっきり父親が迎えに来てくれたものと、灯火を追って歩くと、実家の裏で明かりは消えてしまった。「およし」は毎晩、畑仕事を終えた後に看病に通う。木列坂にさしかかると、小さい灯がおよしの足元を照らし、道先案内をしてくれる。



看病のかいがあって、母親の病気も日ごとよくなった。そうこうしている七日目の晩、「およし」がいつものように灯火をたよりに実家に着くと、火はスーッと尾をひいて山の方に飛んで行き、そのあとから一匹のキツネが走っていくのが見えたという。母親はすっかりよくなり「およし」はキツネに感謝して、木列坂の上り口に小さなほこらを作って毎日お参りしたという。



看病の娘を狐が道案内をしたというこの道は、昔は今以上にヘアピンカーブで、かなり急な坂道。ササが茂って道幅も狭く、大八車がやっと通れるぐらいだという。夕方は怖くてとても近づけなかったというくらいの道だったらしい。狐坂の名の通り、昭和一桁の頃は、夕方になると山で『ギャー』というような鳴き声が聞こえたという。この歩行者・自転車専用となっている道路は、1965(昭和40)年、国立京都国際会館の開館を機に整備され、主要道路として車の往来が激しかった。2006年4月に高架橋が開通するまでは、この道を大型バスが行きかう。この坂道は江戸時代の都名所図会には「木摺(きすれ)坂」の表記もあるという。





また、ここにはキツネに感謝して作った祠以外にも、坂を行き来する人々の喉を潤した「桜井水」も残っている…今京都。


 

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今京都 だいもんじ 2009/09/15 12:00 am

いもんじ
大文字の送り火をダイモンジという。盂蘭盆の行事である。8月16日の夜、東山の大文字山に「大」の字がともる。このほか、周辺野山腹に「左大文字・妙法の字・鳥居形・船形」の火がともる。大文字の送り火を盆の酒に映して飲むと、病気にかからないという。送り火のカラケシ(消し炭)を水に溶かして飲み、カラケシを半紙に包んで玄関につるすと、魔よけになるとの言い伝えもある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
★関連記事はここ(←クリック)

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京都
少し雰囲気を変えて、京都・嵐山鵜飼のシーンから。





















「鵜」は、ペリカン目ウ科の鳥の総称で、海岸・湖沼などに群生する。羽は黒く、つやがあり、くちばしは細長く鋭い。潜水して魚を捕らえ、水面に浮上してから飲み込む。日本にはウミウ・カワウ・ヒメウなどがすむ。鵜飼いに用いるのは主にウミウ。ということだ。
鵜匠がたずなを引く鵜たちにもチームリーダーがいるという。そのリーダーの鵜が右を向くとチーム全体が右を向くらしい。鵜匠はチームリーダーの鵜を手なづけるだけでよいとか。京都・嵐山の鵜飼公開は、暑い京都の晩夏を惜しむかのように9月いっぱいまで実施される…今京都。


 

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今京都 いらう 2009/09/13 12:00 am

らう
触る。いじる。もてあそぶ。「汚い手でイラワンといて」「あんまりイラウと潰れるがな」 平安時代の「いろふ」が、江戸時代の初めに「いらふ」になった。井原西鶴の『西鶴織留』に「胸あけてかみさまに乳をいらはれ」とある。「いろふ」は、かかわりあう、干渉するの意味であった。イジクルは、手でいろいろとこね回すこと。
「いじる」に「繰る」を付けた。「あんまりイジクルと良い作品ができひん」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(277)




 

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