rrbのブログ - 2009/09/19のエントリ
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今京都 ちょか 2009/09/19 12:00 am
ちょか
「もっと落ち着くのや、チョカやな」 こせこせする人。世話好きで出過ぎる人。擬態語チョカチョカに基づく。チョカには軽はずみなニュアンスが付きまとう。チョカチョカは落ち着きのないさま。チョカー・チョカスケ・オチョカサンとも。お節介の意味でも使う。節介は切匙(せっかい)から。すり鉢の内側に付いたものを掻き落とす台所用具。細かいところまで行き届くことから世話を焼くの意味になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
首途(かどで)八幡宮 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月7日掲載)
源平時代を駆け抜けた美しくはかない英傑、源義経にまつわる伝説が尽きない京都。その中でも首途(かどで)八幡宮は義経が16歳のころ、都を去り、奥州へ旅立つ際に立ち寄って旅の無事を祈った場所とされ有名である。


話によると、1174年、平氏の手が伸びるのを避けるため、鞍馬寺に預けられていた牛若丸は奥州平泉の雄、藤原秀衡を頼ることになった。その際に手はずを整えて同行したのが、奥州の金を取り扱っていた金売吉次。首途八幡宮は、元の名を内野八幡宮といい、金売吉次の屋敷が近くにあったとされる。義経が旅立ちの際に立ち寄ったとされてからは首途八幡宮の名称で呼ばれるようになったということだ。


この八幡宮は平安京には御所の北東に位置し、皇城鎮護の社として尊ばれた。桃園親王の旧跡としても知られ、桃の木が植えられて美しい庭園で桃花祭が執り行われ、稚児舞の奉納などもあり、多くの参拝者でにぎわう。その後、度重なる戦火で社殿は焼け落ちたが、再建されたという。2005(平成17)年に大河ドラマで義経が主人公になったこともあり、全国から多くの義経ファンが訪れる名所ともなった。

境内には、桃の木が記念植樹され、参道には奉賛会により、「源義経奥州首途の地」の石碑が建てられるなど観光客も史跡を楽しめるように整備が進んでいる。女性を中心に多くの観光客でにぎわったブームも今は落ち着きをみせており、地域住民の憩いの場としても親しまれている。また、義経をしのんで奉賛会を中心に「義経首途祭」は毎年企画されているという。


旅の守護神は珍しく、人生の門出を迎える卒業や転勤シーズンはいうまでもなく、旅の無事を祈る参拝客が訪れるという…今京都。

「もっと落ち着くのや、チョカやな」 こせこせする人。世話好きで出過ぎる人。擬態語チョカチョカに基づく。チョカには軽はずみなニュアンスが付きまとう。チョカチョカは落ち着きのないさま。チョカー・チョカスケ・オチョカサンとも。お節介の意味でも使う。節介は切匙(せっかい)から。すり鉢の内側に付いたものを掻き落とす台所用具。細かいところまで行き届くことから世話を焼くの意味になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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首途(かどで)八幡宮 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月7日掲載)
源平時代を駆け抜けた美しくはかない英傑、源義経にまつわる伝説が尽きない京都。その中でも首途(かどで)八幡宮は義経が16歳のころ、都を去り、奥州へ旅立つ際に立ち寄って旅の無事を祈った場所とされ有名である。


話によると、1174年、平氏の手が伸びるのを避けるため、鞍馬寺に預けられていた牛若丸は奥州平泉の雄、藤原秀衡を頼ることになった。その際に手はずを整えて同行したのが、奥州の金を取り扱っていた金売吉次。首途八幡宮は、元の名を内野八幡宮といい、金売吉次の屋敷が近くにあったとされる。義経が旅立ちの際に立ち寄ったとされてからは首途八幡宮の名称で呼ばれるようになったということだ。


この八幡宮は平安京には御所の北東に位置し、皇城鎮護の社として尊ばれた。桃園親王の旧跡としても知られ、桃の木が植えられて美しい庭園で桃花祭が執り行われ、稚児舞の奉納などもあり、多くの参拝者でにぎわう。その後、度重なる戦火で社殿は焼け落ちたが、再建されたという。2005(平成17)年に大河ドラマで義経が主人公になったこともあり、全国から多くの義経ファンが訪れる名所ともなった。

境内には、桃の木が記念植樹され、参道には奉賛会により、「源義経奥州首途の地」の石碑が建てられるなど観光客も史跡を楽しめるように整備が進んでいる。女性を中心に多くの観光客でにぎわったブームも今は落ち着きをみせており、地域住民の憩いの場としても親しまれている。また、義経をしのんで奉賛会を中心に「義経首途祭」は毎年企画されているという。


旅の守護神は珍しく、人生の門出を迎える卒業や転勤シーズンはいうまでもなく、旅の無事を祈る参拝客が訪れるという…今京都。

