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rrbのブログ - 2010/09のエントリ

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天を仰いで思うこと 天高く 2010/09/24 12:00 am

高く
今年は残暑が厳しく、9月に入ってからも盛夏の如き暑さが続いていた。しかし、最近になってようやく朝夕に涼しさを感じるようになり、22日の中秋の名月・23日の雨を境に温度が一気に下がった。自転車通勤をしていると、その空気の違いがよくわかる。長〜い登り坂を乗り越えて職場の駐輪場に自転車をとめる。「ふぅ〜」と、ふと見上げた空。青空にポッカリと白い雲。「あれっ…空が高い。天高く馬肥ゆる秋。もう秋だ」と感じた。



この時期になると「天高く馬肥ゆる秋」という故事がよく使われる。現在では「豊穣の秋」や「食欲の秋」を彷彿とさせる言葉として使用されているが、元々は中国から伝わった故事である。紀元前、中国の北方に匈奴(きょうど)と呼ばれる騎馬民族が遊牧生活を営んでいた。彼らの住む土地では冬の寒さが厳しく、その期間は食料が全くとれなかったという。匈奴の人々は馬に春や夏、十分に草を食べさせ肥えさせた。そして、秋になり農耕を営む人々が収穫の時期を迎えると、その収穫物を強奪するために馬を駆って一斉に南下してくるのである。つまり、「天高く馬肥ゆる秋」とは、「秋には北方騎馬民族の侵略を警戒せよ」という戒めの言葉であり、「秋には必ず異変が起きる」という意味の故事成語である。現在、我々が使っている意味とは全く異なることに驚きだ。



秋になり馬や牛、鶏などが肥えるのは好ましいことだが、人間も太る傾向がある。新米や、さつま芋、果物類梨、ぶどう、柿、栗、りんご、みかんなど糖分たっぷり、小松菜、大根、きゃべつ、魚類ではサンマ、イワシ、サケ、サバなど秋の味覚が食欲を誘う。ついつい食べ過ぎては、心地よさにウトウト。食べては寝るという太る最強の循環が待っている。職場の健康診断も過ぎたことだ。「え〜い、ままよ」と過ごしていると成長しているお腹周りに気づき焦る。全くもっての魔の悪循環だ。



さて、天を地球の回りにある空気の部分と仮定すると、暑い太陽光線を受けて空気が膨張する夏が最も高く、冬に低くなるので、秋は中ぐらいの高さといえる。それなのに、秋の空が高いと言われるのは…。
気温の低下とともに湿気の低下と空気も心地よく夏バテからも回復する。一年中で最も良い季節である。秋は日が短くなり、地面が冷えてくる。そして、大気の状態が安定し、強い風も吹かない。台風や秋の長雨の後で、地面は湿っていて、ちりやごみが立ちにくくなっている。
つまり、夏の間の湿気の多い空気に変わって、大陸育ちの乾燥した空気が日本を覆い、視界が良くなるために空が高く見える。このため秋の空は、一年のうちで一番澄んで青く見える、ということである。このように論で考えるともっともらしいが、情緒がない。太るのも気にせず、秋の味覚などを満喫するのが一番だ…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと 語感 2010/09/16 12:00 am


先日の長期出張の際、出歩くことを控えて本を読みまくった。その中で出会った一冊の本が実に面白かった。今でも読み返している。本のタイトルは『軽くて深い井上陽水の言葉』という。この本は、明治大学の齋藤孝教授が、井上陽水の不思議な魅力を徹底解説している。とても読みやすい本で、190ページくらいであったが、2時間もかからなかった。その本の一部を掲載したい。



今年の夏もラジオ等で流れていた井上陽水の「少年時代」。この歌の素晴らしさは「どう響くか」ということも考えられているところにあるという。井上陽水は言葉の意味以上に音の響きを大切にするところがある。韻を踏んだり、語呂合わせをしたりして、歌にリズムを持たせる手法をよく使っているが、響きも意識しているということだ。高い音で伸ばすときは、ウよりもイの方がよいと考えているらしい。

『少年時代』

夏が過 風あざ
誰のあこがれ さまよう
青空 残された
私の心は 夏模様
夢が覚め 夜の中
冬が 窓を閉じて
かけたままで
夢はつま 想い出のあとさ
夏まつ 宵かが
胸の高なり 合わせて
八月は 夢花
私の心は 夏模様



ん〜なるほど。井上陽水の歌にはこういう秘密やしくみがあったのだ。聞いていて心地よいのはこういったところも要因となっている。歌をつくるにも、韻を意識するというのはスゴイことだ。単に歌をつくるだけでなく、こういう手法も考え含めていくのが、本当のプロかも知れない、と感じた。
しかし、井上陽水は「普通の人は、曲を作るなんてとても難しいことで、特殊な才能がなければと考えているかもしれない。まったくそうではない。フスマ貼りと同じで、一種の仕事にすぎない」と言い切っている。
簡単に言えば、「曲作りは段取り仕事だ」というのだ。これには驚いた。と同時に、肩に力を入れて仕事をしている自分がつまらない存在に思えた。確かにそうだ。何事も段取りどおりにしていくと全てうまくいく。
この本は最近出合った本の中でもよい影響を与えてくれた本のひとつだ。少し値段は高いが機会があれば読んで欲しい。そろそろ読書の秋だ…と、天を仰いで思うこと。


 

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天を仰いで思うこと テンキ 2010/09/12 12:00 am

ンキ
テンキという音で思い浮かぶのは、まず「天気」だろう。しかし、ここでは「転機」のお話。「人生の転機」というと、何か大きな出来事のように考えがちだ。だが、大きなことばかりが人生の転機なのだろうか…と考えた。大きな出来事が人生の転機となる可能性が高いことは当然だが、大きな出来事だけが人生の転機と考えるのは、いかがなものだろうか。どんな些細なことでも「人生の転機」になりうるのではないか…と考える。さらに、「人生の転機」とは、その時に「これが人生の転機だ」と分かるのだろうか。後に考え、気がついてみたら、「あぁ、あのことが人生のひとつの転機だったのかも…」というのが正直なところだろう。



自分の転機は…と考えると大学進学と就職であろう。結論的には行きたい大学に進学しなかったということだ。正しくは「行きたい大学に進学できなかった」ということだ。自分の名誉のために言うが、試験で落ちた訳ではない。なんとも呆れた裏話がそこにはある。自分の名誉のためにその事実を明かすことはやめておく。さらに就職。正直、就職には無頓着であった。大学に提出しなければならない求職票も提出していない状況だった。大学からの呼び出しはなかったが、たまたま廊下で出会った大学の人の言葉で現在に至っている。直ぐに思いつく内容ではこの2つだ。しかし、じっくり考えると中学校1年生の時の松本先生(仮名)との出会いが一番大きい。その話を少しだけ掲載しておこう。



松本先生は数学の先生で、初めての人事異動で我校に赴任。年齢的には26歳くらい。気の弱いオトナシイ先生で、授業の進行もオトナシすぎる。他の授業ではそんなに荒れなかったが、松本先生の授業だけは荒れた。といっても小学校5年生の時の荒れように比べたらオトナシイものだが…。松本先生は、その性格からか声が小さく、何を言ってるのかわからない。そのことが原因で授業が楽しくない。クラス一番のヤンチャ坊主が暴れ出した。「お前の教え方ではわからない」というような罵声を浴びせた。その一言から荒れた数学の授業へと変貌していったのだった。
「グチャグチャ言うんやったら、あんたが教えたら!?」というヤンチャ坊主に向けたクラスの優等生生徒の一言。
この一言が、結果的にあらぬ方向に進むことになった。

「おらぁ、わからん。わからんからできん」とヤンチャ坊主。
「だったら静かにしといたら?」と優等生生徒。
負けん気の強いヤンチャ坊主の「そんなこと言うんやったら、お前が教えてみぃな」との応戦の言葉。
「自分にも無理」と優等生生徒。
「そんなら人に言うな」とヤンチャ坊主。
「自分には無理やけど、○○さんはできるんとちゃう?」と、いきなり人に振ってくる優等生生徒。もともとこの優等生生徒とはあまり仲が良くなかったので、意地悪な無茶ブリ。この優等生生徒の無茶ブリに『何考えてるねん!?』と思いながらも自分の口から出た言葉に自分でもビックリ。
「今日は無理。次回からだったら大丈夫」 こんなことを言ってしまう自分にビックリだ。しかし、二言はない。次の時間からはしっかりと教鞭をとった。ドキドキだったが、なんとかできた。クラスのみんなも「わかりやすい」と褒めてくれた。松本先生にあっては「こうして教えればいいんだ…」という始末。まぁ、こうして荒れたクラスは落ち着きを取り戻していった。



別に数学が得意というわけでもなかったが、このことがキッカケに他の教科もドンドン成績がのびていった。小学校まで下から数えたほうが早いくらいの成績であったのが、一気に上昇。クラスでも学年でも上から数えたほうが早いくらいだ。この成績は高等学校卒業まで続いた。松本先生との出会い、優等生生徒の無茶ブリ。このキッカケにより勉強の仕方を学んだ。今でもその勉強の仕方が活かされている。大学進学よりもこちらのほうが「転機」だろう。

さて、自分のことはこれくらいにしておいて…と。
結論、進学や就職、結婚や離婚、あるいは病気などが「人生の大きな曲がり角」であることは論を俟たないが、日常生活のありふれたことが、転機になることも少なくない。一冊の本で考え方や生活が変わるのもひとつの転機だし、新聞の広告による何かの講座を受講するのもひとつの転機。
しかし、人生の転機となるキッカケは、やはり「人」が関係している。人生を振り返ると、出会った人により、なんらかの影響を与えられている。数々の出会いがあり、別れもある。これからも色々な人と出会うだろうし、様々な影響を与えられるだろう。人との出会いも含めて全ての出会いに感謝するとともに、自分も人にいい影響(転機)を与えられるような存在であれば…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 内裏の歴史 2010/09/11 12:00 am

裏の歴史
平安京が都であるのはそこに天皇の居所(内裏)があったからに他ならない。現代からみると重厚・不動の印象が強いが、市街の推移と同様に、そこにも流転が常という長い歴史があった。



960(天徳4)年以降、内裏はたびたび焼失の憂き目をみた。976(貞元1)年の火災時には時の円融天皇が1年間太政大臣・藤原兼通邸に住居し(堀川殿)、そののち災厄に見舞われるたびに摂関家などに仮の内裏が設けられた。これを里内裏(さとだいり)といい、白河天皇以降は里内裏事実上の皇居となっていく。本来の内裏は1227(安貞1)年に焼失して以降再建されず、1331(元弘1)年に光厳天皇が即位した土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)が里内裏と定まった。



その里内裏もまた幾度となく焼失を繰り返し、そのたびに時の権力者に頼らざるを得なかった。今の御所の祖型は、1790(寛政2)年、裏松固禅裏松固禅老中松平信が裏松固禅(光世)の『大内裏図考証』に従い、承明門・紫宸殿・清涼殿などを平安時代の形式で復元再興して成った。1854(安政1)年にも焼失するが、翌1855(安政2)年には寛政期と同規模で再建され、今日まで姿を留める。



紫宸殿前の植樹といえば、右近の橘・左近の桜がセットのようだが、平安建都時には桜ではなく左近の梅だった。いつからそれが桜に変わったかは不明だが、『古事談』(鎌倉初期)によれば960(天徳4)年に内裏が焼けたあと、醍醐天皇の第四皇子重明親王(906〜954)邸にあった桜を移植したとある…今京都。(『京都のふしぎ発見』より)


 

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天を仰いで思うこと 猛暑 2010/09/07 12:00 am


長い出張がようよう終わった。休みなく日常の生活になっている。なんと酷使されていることか…この暑い中。暑いといえば、連日のように各地で最高気温を記録している。



「30年に一度の異常気象」という見出しの記事を新聞で見たのは9月4日のこと。記事によると、名古屋では36.8度で49年ぶりの9月の最高気温ということだった。その名古屋に9月4・5日と滞在していた。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

5日の夜に京都に帰ったが、京都駅界隈が異常に暑い。いつもの暑さとどこか違う。それもそのはずだ。京都では39.9度を記録したとのことだ。この39.9度は全国で今年最高気温だと。さらに、この温度は9月の国内最高気温を10年ぶりに更新したことになるという。全国921観測地点中128地点で35度以上の猛暑日、653地点で30度以上の真夏日となった、とのことだ。まるで最高気温を追いかけるように日本列島を移動していたようだ。



さて、この異常な猛暑が地球温暖化の影響ならば、「10年ぶり」や「30年に一度」や「49年ぶり」というのは、もうない。次の発生は「近いうち」ということになる。つまり、30年や49年という「悠長なことを言っておられない」ということではないだろうか。来年もこのような暑さになる可能性もあるということだ。人類が作ってしまった「地球温暖化」というツケはそのまま人類に跳ね返る。自動車使用禁止日などを設定していけば少しはマシになるかもと考えるが、快適空間に慣れ親しんでしまった人類にとって「我慢」は酷なことだろう。今からでも遅くない、少しでも地球温暖化防止にできることをしていこう、と考えるが、流石にこの暑さには耐えられない。こうして地球温暖化を防止するどころか、加速させてしまう行為をとってしまう。されば、この暑さも受け入れなければならない。因果応報だ…と、天を仰いで思うこと。


 

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