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rrbのブログ - 2009/12のエントリ

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天を仰いで思うこと みずな 2009/12/16 12:00 am

ずな
葉に切れ込みのあるアブラナ科の一、二年草。京都の東寺、九条あたりの低湿地に栽培された。「今朝食べたミズナはおいしおしたな」 江戸時代の『雍州府志』に、畦の間に水を引き入れて作ったので水菜というとある。主として煮たき用にするが漬物にもなる。同種のものにミブナ(壬生菜)がある。水菜は葉に細かい切れ込みがあるが、壬生菜にはない。関東ではミズナもミブナも「京菜」と呼ぶ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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方山話(100) ちょっと気になる「ことば」の話
みたいな



最近、「一緒にやろうよ、みたいな話だった」とか、「お前は帰れ、みたいな態度がむかつく」というように、会話の内容を「みたいな」で受ける言い方が見られる。学校文法では、「みたいだ」は、名詞や活用語の終止形につくとされるが、この用法は、終助詞「よ」や命令形に接続するので、例外となる。この「みたいだ」と同じように、前の語句を受けて、概略を示したり例として示したりするものに「ようだ」がある。両者は前の語句との接続に違いがある。まず、名詞と接続する場合、「ようだ」は「彼のような学生」とか「馬とか牛といったような家畜」のように「の」や「という(といった)」を中に入れるが、「みたいだ」は「彼みたいな学生」とか「馬や牛みたいな家畜」のように、直接名詞につける。



また「ようだ」は名詞以外のものでも「君がするような仕事ではない」のように動詞に直接つけることができるが、これに対し「みたいだ」は、動詞に直接つけて「君がするみたいな仕事ではない」というと不自然な言い方になってしまう。「彼は帰るみたいだ」のような言い方はできるが、これは「たぶん、〜だろう」という推量を表わすのであって、「いわば、〜といった」とか「たとえば〜」といった概略や例示の用法ではありません。冒頭の例のような、引用部分を受ける場合は、「『一緒にやろうよ』というような話だった」や「『お前は帰れ』のような態度」という形、つまり、先の名詞の場合と同じように「という」や「の」を中に入れる形になる。引用部分は名詞とよく似た性質がある。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

一方、「みたいだ」のほうは、名詞には「の」をそえず直接つけるので、引用句を名詞と同様に扱うと「一緒にやろうよ、みたいな話だった」のような言い方ができあがる。このように「一緒にやろうよ、みたいな話だった」とか、「お前は帰れ、みたいな態度がむかつく」などの言い方は、引用部分を名詞と同様に扱うという、それなりの文法的な手続きを踏んで作り出されたものだ。しかし、現時点では、友達同士の使用ならともかく、改まった場面では好ましい表現ではない。会話を直接引用するのであれば、不必要にぼかさないで、はっきり「〜という」で示すほうが良いし、例示の意味を含めるなら、「〜というような」や「といった」「(さも)〜と言わんばかりの」といった表現を使うようにしたいものだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)


 

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今京都 ほどらいに 2009/12/15 12:00 am

どらいに
おおよそ。適当に。「この蜜柑、ホドライニ500円がとこ(程度)おくれやす」 程合いから。『古今著聞集』に「引出物の程らひ」のように記され、程度の意味。「そないにきちんとせんとホドライにしとき」 ホドライコとも。ホドノエーは、すかっとして、ごてごてしないで節度があるさま。「あの人はほんまにホドノエーお方どすな」は、「愛想がよい」の意味でも使用し、皮肉をこめてもいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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坂神社御手洗井/手洗水町 (旧フォトヴィレッジ 2007年9月1日掲載)



烏丸通のオフィスが立ち並ぶ一画に、いつも柵で塞がれている井戸がある。八坂神社御手洗井である。ここにはかつて祇園社の御旅所があり、毎朝この井戸から霊水を汲み、牛頭天王社にお供えしていたのだそうだ。





看板には「信長の代に御旅所は別の場所に移したが、名水であったためこのまま留め、祇園會中のみ開いて民に神水を供するようにしたと」と書かれている。この御手洗井では7月14日に井戸替えが行われ、祇園祭の7月15〜24日の間に限り柵がとられる。また、16日の10時より井戸のふたをあけて御祓いも行われる。どこまでも透き通った雑味の無い水は冷たく美しいという。





「手洗水町(てあらいみずちょう)」という町名は祇園会の期間の一週間だけに用いられる神聖な井戸に因み、天正時代の町割の際に町民が豊臣秀吉に願い許された名だと伝えられている。このわずかな空間だけ、人や車でごったがえす烏丸通の喧騒が嘘のように、神水のように穏やかで神聖な時が流れているように感じる…今京都。


 

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天を仰いで思うこと すいば 2009/12/14 12:00 am

いば
一人だけで遊ぶ場所。大切なものを隠しておく秘密の場所。子どもたちの遊ぶ秘密基地。「あそこは瞳ちゃんのスイバや」「好き場」から。「あの山には玉虫のスイバがあった」のように「好む場所」を指した。「あの人はスイナ着物着やはって、よう似合うたはるわ」のスイナは、粋な、玄人向きの意味。スキ「好き・数寄」からか。スイ(推)して知るという忌みからとも。丹波ではスイットともいう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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を仰いで思うこと
だまし絵に思うこと



見る者の目をあざむくような絵は「だまし絵」と呼ばれる。一見、不可解な図像だが、斜めから見ると正しい絵が浮かび上がったり、迫真の描写で現実と見誤るような画面だったり、いろんなタイプがある。有名なのは、16世紀のイタリア人画家アンチンボルドが描いたルドルフ2世の肖像画だろう。すべてが野菜と果物で構成された絵で、一つのモチーフが別のものに見えることからダブルイメージと呼ばれる。



日本にも同様の作品はある。小さな裸の人物が寄り集まって顔や手を構成する歌川国芳の浮世絵「みかけはこはゐがとんだいゝ人だ」は代表格だ。だが、信仰の対象である仏画にも、そんなだまし絵があったというから驚く。青蓮院(京都市東山区)で昨年の12月20日まで公開された国宝「青不動」がそれである。現存する平安仏画の最高傑作とされる名品だが、よく見ると、不動明王の背後で燃えさかる炎が、7羽の火の鳥(迦楼羅(かるら))とのダブルイメージになっている。同院の資料によれば、迦楼羅は三毒(貪欲(どんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴)を食らい尽くす鳥で、炎の形状に重ねて描くことで「悪鬼を焼き尽くす聖なる力が内在していることを表現している」という。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

同院でのご開帳は、平安時代の創建以来初めてとのことだ。青不動の力で荒廃の世を良い方向に導いてほしいと踏み切った。殺伐とした事件や不祥事が絶えない日本。どうか世の悪鬼が聖なる炎にだまされ消えうせますように…と、天を仰いで思うこと。


 

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今京都 へつる 2009/12/13 12:00 am

つる
少量を削り取る。「このご飯ちょっと多すぎるしヘツッといて」 ヘズルとも。ハツル(削る)と同系。鎌倉時代の辞書『塵袋』には「カタハシヲヘギトルヤウナル事ヲ、ヘツルト云」とある。うわまえをはねることにもいう。「ようけお菓子もろたし、ちょっとだけヘツッテもええやろか」 えわまえ(上前)は上米(うわまい)の変化した形。もちは、寺社へ寄進した米のことであった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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蔵物語(287)




 

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今京都 えんばんと 2009/12/12 12:00 am

んばんと
あいにく。折あしく。「せっかく来てもろたのにエンバント出掛けてましたんや」「雨降りでエンバント運動会中止や」 天保12年刊の『新撰大阪詞大全』には「ゑんばとは、さしあたってといふこと」とある。江戸時代のことばを記した『志不可起』には「ゑんば北越筋の詞に最中の義を云ふ」とある。エンバト、エンバナともいう。エンバはアンバイと関係するかも知れない。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

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子石/朝鮮半島の石人



お団子に結った髪、袖の長い着物姿。手を胸の前に合わせた唐子の石像が、京都市上京区千本通五辻上ルの銘木業者の店先にひっそりとたたずむ。所有者は「祖父の代から置いてあるが、由来は知らない。北東角だから鬼門よけでしょうか」と首をひねっているという。



実はこの石像、朝鮮半島の石人の一つということ。石人とは、王や貴族ら身分の高い人の墓を守る人型の石像を指す。鎧姿で剣を手にした「武人石」、笏(しゃく)を手にした「文人石」をはじめ、子どもの姿をした「童子石(どうじせき)」もあるという。



お地蔵さんと勘違いして、手を合わせたり、さい銭を置いていく人もいるという。穏やかな表情は確かにお地蔵さんのようだけど、御利益は期待できないかも…今京都


 

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