rrbのブログ - 2008/09のエントリ
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今京都 社交辞令 2008/09/20 12:00 am
しゃこうじれい…世の中のつきあいのための、愛想のよい対応やお世辞のこと。リップサービス。
◇ちょっと予備知識 → 「辞令」は応対のことば。とくに習慣的で形式的な言い回し。「事例」とするのは誤り。
類義語に外交辞令(がいこうじれい)がある。
町並み



散策していると、石碑が結構ある町…今京都。


◇ちょっと予備知識 → 「辞令」は応対のことば。とくに習慣的で形式的な言い回し。「事例」とするのは誤り。
類義語に外交辞令(がいこうじれい)がある。
町並み



散策していると、石碑が結構ある町…今京都。




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今京都 漁夫之利 2008/09/19 12:00 am
ぎょふのり…両者が争っている間に、ほかの関係のない者が利益を横取りすること。とんびに油揚げ。
◇ちょっと予備知識 → シギとハマグリが譲らず争っていると側にいた漁夫が両方とも捕まえたという故事から。
類義語に魚人之利(ぎょふのり)・田父之功(でんぶのこう)・犬兎之争(けんとのあらそい)
がある。
うなぎの寝床
京都の住居は、俗に「うなぎの寝床」といわれている。間口が狭く奥行きが深い構造からそういわれる。京都はもともと商人の町だったので、玄関横の格子を外せばすぐに商売ができるように考案されていた。また、のれん一枚を吊るすことで、店と生活の場を区切ることも可能であるという実に巧みな造りなのである。

普段、ここに住み、生活している京都人には気付かないことであるが、この京都の住居のつくりは結納・結婚・葬儀・年忌などのさまざまな儀式を行ううえで、大変理にかなったものになっている。たとえば結納を思い浮かべると、結納揃えを飾りつける場所、仲人、両親の座る位置、目録を受け取り受書揃えを準備する部屋など、すべての作法がスムーズに運ぶように考えられている。

また、親族が大勢集まる年忌など大広間が必要な時には、ふすまを取り除き、お仏壇を中心にお坊さんを囲んでみんなが集まり手を合わせることができるように、うまく配慮されている。さまざまな儀式をうまく演出できるような空間づくりは、まるで優れた舞台装置を見る思いである。

京都の住居は、風通しや採光が悪いとか、トイレの位置がよくないとか色々な欠点を耳にするが、実のところ、そこに住む者にとっては、その欠点に気付かないほど住み心地がよい。そのお家にとっての大事な特別の日(儀式の日)を何よりも優先した住居づくり、その先人の知恵の結晶がこの京都の住居を誕生させたのだと思う。

最近、京の町家とか京風の家などと銘打って新しい住居が販売されるようになったが、図面を拝見すれば、そのほとんどのものが儀式のできにくい間取りになっていることに一抹のさみしさを感じることもある。今風の家は、そこで生活する人の動き(動線)を第一に考えてつくられることが多く、いざお客様をお迎えするときにはスムーズに動けない間取りが多い。

京の住居は、動線が悪いからこそ、他人から家を守ることもできる。しかし、その反面、他人との交流が大変しやすいつくりでもある。昨今、結納もしないという結婚が増えていると聞くから仕方がないが、京の町家の良さが時代の流れとともに造られなくなるのではないかと危惧する京都の文化のお話…今京都。


◇ちょっと予備知識 → シギとハマグリが譲らず争っていると側にいた漁夫が両方とも捕まえたという故事から。
類義語に魚人之利(ぎょふのり)・田父之功(でんぶのこう)・犬兎之争(けんとのあらそい)
がある。
うなぎの寝床
京都の住居は、俗に「うなぎの寝床」といわれている。間口が狭く奥行きが深い構造からそういわれる。京都はもともと商人の町だったので、玄関横の格子を外せばすぐに商売ができるように考案されていた。また、のれん一枚を吊るすことで、店と生活の場を区切ることも可能であるという実に巧みな造りなのである。

普段、ここに住み、生活している京都人には気付かないことであるが、この京都の住居のつくりは結納・結婚・葬儀・年忌などのさまざまな儀式を行ううえで、大変理にかなったものになっている。たとえば結納を思い浮かべると、結納揃えを飾りつける場所、仲人、両親の座る位置、目録を受け取り受書揃えを準備する部屋など、すべての作法がスムーズに運ぶように考えられている。

また、親族が大勢集まる年忌など大広間が必要な時には、ふすまを取り除き、お仏壇を中心にお坊さんを囲んでみんなが集まり手を合わせることができるように、うまく配慮されている。さまざまな儀式をうまく演出できるような空間づくりは、まるで優れた舞台装置を見る思いである。

京都の住居は、風通しや採光が悪いとか、トイレの位置がよくないとか色々な欠点を耳にするが、実のところ、そこに住む者にとっては、その欠点に気付かないほど住み心地がよい。そのお家にとっての大事な特別の日(儀式の日)を何よりも優先した住居づくり、その先人の知恵の結晶がこの京都の住居を誕生させたのだと思う。

最近、京の町家とか京風の家などと銘打って新しい住居が販売されるようになったが、図面を拝見すれば、そのほとんどのものが儀式のできにくい間取りになっていることに一抹のさみしさを感じることもある。今風の家は、そこで生活する人の動き(動線)を第一に考えてつくられることが多く、いざお客様をお迎えするときにはスムーズに動けない間取りが多い。

京の住居は、動線が悪いからこそ、他人から家を守ることもできる。しかし、その反面、他人との交流が大変しやすいつくりでもある。昨今、結納もしないという結婚が増えていると聞くから仕方がないが、京の町家の良さが時代の流れとともに造られなくなるのではないかと危惧する京都の文化のお話…今京都。




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今京都 一宿一飯 2008/09/18 12:00 am
いっしゅくいっぱん…一晩泊めてもらったり、食事を恵んでもらったりして、他人の世話になること。そのようなちょっとした恩義でも忘れないようにとの戒め。
◇ちょっと予備知識 → 昔、博徒には他人の世話になったことを一生の恩義とする風潮(仁義)があった。
類義語に一飯之恩(いっぱんのおん)・一飯之報(いっぱんのむくい)がある。
敬語
以前にも掲載したが「はる」のお話。京都では、「赤ちゃん笑(わ)ろたはる」「泣いたはる」という具合に、赤ちゃんという、いわば自分より目下の者にも敬語を使う。同じ関西でもよく似た言い方はあるが、目上の人にしか使わない。他の地域の方にとっては、この「〜してはる」という京都独特のことばづかいが大変不思議に聞こえるようだ。

京都で赤ちゃんに敬語を使うのにも、理由がある。赤ちゃんというのは、そのお家の方にとっては大事な大事な宝物。その大切な相手の宝物に対して敬意を表すのはあたりまえで、「笑っている」というのはやはり失礼な言い方だと感じる。時には犬や猫などのペットにまで、この「〜しはる」を使うことがあるくらいだ。京都では、小さい頃から相手のことを考えて敬語を使うことが習慣として身についている。

また、「赤ちゃん笑(わ)ろたはる」ということばは、もちろん敬語には違いないが、だからといって「笑っていらっしゃる」という、そんなよそよそしい敬語とは少し違う。赤ちゃんもそのお家の家族の一員だということをちゃんと認め、赤ちゃんの人格を尊重した上で、親しみの気持ちを込めていうことばだ。

人と人とのつながりを何よりも大切にする京都だからこと生まれたことばだと思う。京都では、赤ちゃんに対しても、目上の方に呈しても、同じ表現をする。

「慇懃無礼」ということばも存在し、確かに、うわべだけが丁寧で、実は相手を見下しているのは失礼なこと。人様に対して乱暴なことばづかいや無礼なことばを使うよりは、丁寧すぎるほうがよいと京都人は考えているという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 昔、博徒には他人の世話になったことを一生の恩義とする風潮(仁義)があった。
類義語に一飯之恩(いっぱんのおん)・一飯之報(いっぱんのむくい)がある。
敬語
以前にも掲載したが「はる」のお話。京都では、「赤ちゃん笑(わ)ろたはる」「泣いたはる」という具合に、赤ちゃんという、いわば自分より目下の者にも敬語を使う。同じ関西でもよく似た言い方はあるが、目上の人にしか使わない。他の地域の方にとっては、この「〜してはる」という京都独特のことばづかいが大変不思議に聞こえるようだ。

京都で赤ちゃんに敬語を使うのにも、理由がある。赤ちゃんというのは、そのお家の方にとっては大事な大事な宝物。その大切な相手の宝物に対して敬意を表すのはあたりまえで、「笑っている」というのはやはり失礼な言い方だと感じる。時には犬や猫などのペットにまで、この「〜しはる」を使うことがあるくらいだ。京都では、小さい頃から相手のことを考えて敬語を使うことが習慣として身についている。

また、「赤ちゃん笑(わ)ろたはる」ということばは、もちろん敬語には違いないが、だからといって「笑っていらっしゃる」という、そんなよそよそしい敬語とは少し違う。赤ちゃんもそのお家の家族の一員だということをちゃんと認め、赤ちゃんの人格を尊重した上で、親しみの気持ちを込めていうことばだ。

人と人とのつながりを何よりも大切にする京都だからこと生まれたことばだと思う。京都では、赤ちゃんに対しても、目上の方に呈しても、同じ表現をする。

「慇懃無礼」ということばも存在し、確かに、うわべだけが丁寧で、実は相手を見下しているのは失礼なこと。人様に対して乱暴なことばづかいや無礼なことばを使うよりは、丁寧すぎるほうがよいと京都人は考えているという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。




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今京都 歓天喜地 2008/09/17 12:00 am
かんてんきち…非常に喜ぶこと。天を仰いで、地に向かって喜ぶような大きな喜び。
◇ちょっと予備知識 → 「歓」は叫び喜ぶこと。「喜」は、もとは楽器を奏でて喜ぶこと。
類義語に歓欣鼓舞(かんきんこぶ)・狂喜乱舞(きょうきらんぶ)・
欣喜雀躍(きんきじゃくやく)・手舞足踏(しゅぶそくとう)がある。
着付教室
最近はすっかり核家族化してしまい、母親や若いおばあちゃんの中には娘に着物を着せられない人が増えているという。そのためか京都でも着付教室が結構人気を集めている。もちろん着物が気軽に着られるようになることはいいことだと思う。

ところが、先日、着物関係の方から「一部の着付教室では、着物をいかに楽に着るかということに主眼が置かれており、着こなすということがどこかにいってしまったかのように思う」というお話を聞いた。着物は楽に着るとすぐに着崩れを起こすということを知らないまま着ると大変なことになる。さらに、成人式やお祭りなどできものを着ている人を見かけると、着こなしているというより着付けられているといった感じがする。

「着こなす」とは着物を自分のものにすることで、そのためには、まずしっかりと着ることからはじめなくてはならないというのだ。芸妓さんや役者さんが、なぜ着崩れしないかというと、力のある男性の着付師がしっかり着付けるからである。本来、着物とは自分の皮膚の一部と感じるほど、体に馴染むようにきっちりきつく着るものである。

以前に、専門のお衣装さんに着物を着せてもらったとき、食事もできないほど帯をきつく締められて、随分苦しい思いをした。それがだんだん慣れて平気になり、帯のきつさで、かえって気持ちも引き締まるようになってくる。その時、お衣装さんから、「着物は制約のあるもの、動きにくいものだから、着物に自分の体を合わせるようにしなければいけない」と教えられた。祖母からも同じことを言われた。

京都は1000年以上の長い歴史の中で、他の地域から入ってきた人々の外圧を常に受けながらもそれに負けず、そしてまた暑さ寒さのきびしい自然環境にも耐えてきた。きびしい窮屈な状況の中で京都人が皮膚で覚えてきた暮らしの知恵と、きつい着物を上手に着こなすことが、どことなく結びつくように感じる。
近頃は、着物を着る方が少なくなった。京都においてもいろいろと工夫をこらし、着物の振興に力を注いでいるが、着物だけでなく、日本人の生活文化というべきものを、もう一度考え直してみる必要があるのではないか。

たとえば、着物の似合う家づくり、町づくり、雰囲気づくりが大切だと思う。このままでは、着物はただフォーマルな衣服になってしまいそうだという。きっちりきつく着こなした着物姿に、京都人が見えてくる。窮屈だといって脱ぎ捨ててしまうことから、京都が京都でなくなってしまうような気がするという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 「歓」は叫び喜ぶこと。「喜」は、もとは楽器を奏でて喜ぶこと。
類義語に歓欣鼓舞(かんきんこぶ)・狂喜乱舞(きょうきらんぶ)・
欣喜雀躍(きんきじゃくやく)・手舞足踏(しゅぶそくとう)がある。
着付教室
最近はすっかり核家族化してしまい、母親や若いおばあちゃんの中には娘に着物を着せられない人が増えているという。そのためか京都でも着付教室が結構人気を集めている。もちろん着物が気軽に着られるようになることはいいことだと思う。

ところが、先日、着物関係の方から「一部の着付教室では、着物をいかに楽に着るかということに主眼が置かれており、着こなすということがどこかにいってしまったかのように思う」というお話を聞いた。着物は楽に着るとすぐに着崩れを起こすということを知らないまま着ると大変なことになる。さらに、成人式やお祭りなどできものを着ている人を見かけると、着こなしているというより着付けられているといった感じがする。

「着こなす」とは着物を自分のものにすることで、そのためには、まずしっかりと着ることからはじめなくてはならないというのだ。芸妓さんや役者さんが、なぜ着崩れしないかというと、力のある男性の着付師がしっかり着付けるからである。本来、着物とは自分の皮膚の一部と感じるほど、体に馴染むようにきっちりきつく着るものである。

以前に、専門のお衣装さんに着物を着せてもらったとき、食事もできないほど帯をきつく締められて、随分苦しい思いをした。それがだんだん慣れて平気になり、帯のきつさで、かえって気持ちも引き締まるようになってくる。その時、お衣装さんから、「着物は制約のあるもの、動きにくいものだから、着物に自分の体を合わせるようにしなければいけない」と教えられた。祖母からも同じことを言われた。

京都は1000年以上の長い歴史の中で、他の地域から入ってきた人々の外圧を常に受けながらもそれに負けず、そしてまた暑さ寒さのきびしい自然環境にも耐えてきた。きびしい窮屈な状況の中で京都人が皮膚で覚えてきた暮らしの知恵と、きつい着物を上手に着こなすことが、どことなく結びつくように感じる。
近頃は、着物を着る方が少なくなった。京都においてもいろいろと工夫をこらし、着物の振興に力を注いでいるが、着物だけでなく、日本人の生活文化というべきものを、もう一度考え直してみる必要があるのではないか。

たとえば、着物の似合う家づくり、町づくり、雰囲気づくりが大切だと思う。このままでは、着物はただフォーマルな衣服になってしまいそうだという。きっちりきつく着こなした着物姿に、京都人が見えてくる。窮屈だといって脱ぎ捨ててしまうことから、京都が京都でなくなってしまうような気がするという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。




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今京都 胡馬北風 2008/09/16 12:00 am
こばほくふう…ふるさとを懐かしく思う気持ち。故郷が忘れられないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「胡馬」は昔の中国、北方の胡国産出の馬。
胡馬は、故郷を遠く離れて北風が吹くとそちらに身を寄せて懐かしむ、ということから。
類義語に越鳥南枝(えっちょうなんし)・孤死首丘(こししゅきゅう)・
池魚故淵(ちぎょこえん)がある。
明日の読み方
「あすはわが身」というが、「あしたはわが身」ではどうもしっくりこない。「明日は明日の風が吹く。」これは「あしたはあしたの風が吹く」であって「あすはあすの風が吹く」では、肝心の風も吹いてくれそうにない。「明日」を「あす」と読むのか、「あした」と読むのか、迷った覚えはないだろうか?

『上方ことば語源辞典』によると「上方ではアスというより、アシタを使う。『アシタの晩、オイヤスか』。」と例文が添えてある。色々調べると関西では「あした」、関東では「あす」が一般的な雰囲気のようだ。さらに地域を広げると西日本ではおおむね「あした」圏であり、東京方面はだんぜん「あす」が増える。「明日」は「あす」か「あした」か…。歴史上、古くからある呼び方は「あす」のほうである。

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる(古今和歌集)
舞台は奈良の明日香村、飛鳥京を流れる飛鳥川。ここに詠まれた飛鳥川は「明日」の掛詞となっていて、飛鳥川は古来よりこのように歌に詠まれてきた。
では、「明日」が「あした」となったのは、いつの頃からだろうか。都が京に移り、平安時代も過ぎた後のことのようだ。

「あした」は、もとは「朝」のこと。「夕べ」の反対語が「朝(あした)」であった。広辞苑で「あした」を引くと、いまでも「朝(あした)・明日」と出てくる。なぜなら古代には、昼間を中心にした時の表現法と、夜間を中心にした時の表現法があって、その二種類で1日を表現していた。今の1日24時間が、二日間のような感覚といえばいいか。古代人の24時間はさぞかし長かったことだろう。これぞスローライフといべきか、羨ましい。

さて、そこでの夜を基準にした表現法は「ゆうべ」が1日のはじまりで、「よい」「よなか」「あかとき」、最後に「あした」がやってくる。つまり夜が明けたときが「あした」で、すなわち「朝」。
源氏物語に「霧のいと深きあした、いたくそそのかされ給いて」と出てくるなど、古文でしばしば耳にする「あした」は朝の意味である。では、「あした」が朝を意味するなら、今日の「あした」と明日の「あした」はどう区別するのだろうか…紛らわしい。という訳でかどうだか、中世以後しだいに、夜が明けた次の時間をさすようになり、やがて朝の意味から明日の意味へと変わっていったのだそうだ。

ちなみに「朝(あした)に夕べを謀らず」という中国からきた古いことばがあるが、これは翌朝のことではない。いまが朝で、夕刻のことまで考える余裕がない。つまり将来を考慮してないことをいう。これを耳で聞くと「明日(あした)に夕べを謀らず」となって、「後悔先に立たず」のようになってしまいそうだ。なんだかわかるようなわからんようなややこしいお話になってしまった…今京都。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 「胡馬」は昔の中国、北方の胡国産出の馬。
胡馬は、故郷を遠く離れて北風が吹くとそちらに身を寄せて懐かしむ、ということから。
類義語に越鳥南枝(えっちょうなんし)・孤死首丘(こししゅきゅう)・
池魚故淵(ちぎょこえん)がある。
明日の読み方
「あすはわが身」というが、「あしたはわが身」ではどうもしっくりこない。「明日は明日の風が吹く。」これは「あしたはあしたの風が吹く」であって「あすはあすの風が吹く」では、肝心の風も吹いてくれそうにない。「明日」を「あす」と読むのか、「あした」と読むのか、迷った覚えはないだろうか?

『上方ことば語源辞典』によると「上方ではアスというより、アシタを使う。『アシタの晩、オイヤスか』。」と例文が添えてある。色々調べると関西では「あした」、関東では「あす」が一般的な雰囲気のようだ。さらに地域を広げると西日本ではおおむね「あした」圏であり、東京方面はだんぜん「あす」が増える。「明日」は「あす」か「あした」か…。歴史上、古くからある呼び方は「あす」のほうである。

世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる(古今和歌集)
舞台は奈良の明日香村、飛鳥京を流れる飛鳥川。ここに詠まれた飛鳥川は「明日」の掛詞となっていて、飛鳥川は古来よりこのように歌に詠まれてきた。
では、「明日」が「あした」となったのは、いつの頃からだろうか。都が京に移り、平安時代も過ぎた後のことのようだ。

「あした」は、もとは「朝」のこと。「夕べ」の反対語が「朝(あした)」であった。広辞苑で「あした」を引くと、いまでも「朝(あした)・明日」と出てくる。なぜなら古代には、昼間を中心にした時の表現法と、夜間を中心にした時の表現法があって、その二種類で1日を表現していた。今の1日24時間が、二日間のような感覚といえばいいか。古代人の24時間はさぞかし長かったことだろう。これぞスローライフといべきか、羨ましい。

さて、そこでの夜を基準にした表現法は「ゆうべ」が1日のはじまりで、「よい」「よなか」「あかとき」、最後に「あした」がやってくる。つまり夜が明けたときが「あした」で、すなわち「朝」。
源氏物語に「霧のいと深きあした、いたくそそのかされ給いて」と出てくるなど、古文でしばしば耳にする「あした」は朝の意味である。では、「あした」が朝を意味するなら、今日の「あした」と明日の「あした」はどう区別するのだろうか…紛らわしい。という訳でかどうだか、中世以後しだいに、夜が明けた次の時間をさすようになり、やがて朝の意味から明日の意味へと変わっていったのだそうだ。

ちなみに「朝(あした)に夕べを謀らず」という中国からきた古いことばがあるが、これは翌朝のことではない。いまが朝で、夕刻のことまで考える余裕がない。つまり将来を考慮してないことをいう。これを耳で聞くと「明日(あした)に夕べを謀らず」となって、「後悔先に立たず」のようになってしまいそうだ。なんだかわかるようなわからんようなややこしいお話になってしまった…今京都。 ※写真は本文とは関係ないのであしからず。



