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rrbのブログ - 2008/06のエントリ

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今京都 苛斂誅求 2008/06/10 12:06 am

れんちゅうきゅう…情け容赦なく責めて借金や税金を取り立てること。
◇ちょっと予備知識 → 「苛」はむごい・ひどい、「斂」は取り上げて集める、「誅」は責めるという意。
                類義語に苛政蒙古(かせいもうこ)・頭会箕斂(とうかいきれん)がある。

都ではない京都
「古都」という言葉の響きから好い印象を受ける方も多いと思うけれど、本来の意味で「古都」というのは「過去の都」のこと。だから「古都=京都」では「ただ古いだけの京都」といわれているような気がするのが京都人だという。



「京都は、かつては日本の都があったところ…」などとガイドさんの説明には大変寂しさを覚え、また「古都保存」という言葉を聞くと、京都が丸ごと冷蔵庫などに保存されてしまうように感じるとか。
京都人は今でも京都は日本の都だと考えているし、伝統という名のもとに、ただそれにしがみついているだけの地ではないと思っている。



寺社仏閣においても「どうぞ歴史ある古いものをみてください」というだけでなく、現代に生きる人々に仏様や神様の教えを理解してもらうことが大切だと考えている。



また西陣織の帯というものも、伝統工芸品というだけでただながめているだけのものではなく、実際に身体に結び、いかにそれが身体に馴染む優れた品であるかを全国の人に知っていただくことが大切だと考えている。
京都のものは全て現在進行形のものばかりなのだ。



「町並み保存」という声をよく聞くが、この1200年の間のどの時代の町並みを保存するのか。建物や景観などを守る必要は十分に感じるが、それよりもましてもっと大切なことは、京都人が脈々と受け継いできた京都の感性をきちんと後世に伝えていくことなのだという。



京都の町は現在も生きているし、これからも生き続けなければいけない。そして、その呼吸する町の中で何をつぶして何を残していくのか、その選択が重要だという。



京都人は今でも「都人」としての誇りと心得を持ちながら暮らしている。京都を古くからあったもの、過去のものとしてただ保存するのではなく、この平成の時代に息づく都人たる京都人の暮らしそのものを次の時代に伝えていきたいと考えているという。



明治維新により天皇さんが東京に行かれて、京の都には蝉の脱け殻のような御所が残った。あの日からエネルギーまでなくなってしまったのかもしれないような京都。イデオロギーは別として、今でも天皇さんにお帰りいただきたいと思っている京都人も多いという。



あの日から百数十年が経った。しかし1200年の歴史の中では、天皇さんは「ちょっと東京に行ってはるだけ」なのが京都かもしれない。
京都は現在も生きているし、これからも行き続けなければならない。大切なのは「保存する」ことではなく「伝えていく」ことだという京都の文化のお話。今を生きる京都をこれからも伝えていきたい…今京都。 ※写真は京都の町並み。

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今京都 一罰百戒 2008/06/09 12:05 am

ちばつひゃっかい…見せしめのため、最初の一人を厳しく罰すること。一人を罰することで、ほかの多くの人々が同じ罪を犯さないように戒めとすること。
◇ちょっと予備知識 → 一つの罰で百人の戒めにすることから。

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蔵物語(174)




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今京都 狐疑逡巡 2008/06/08 12:04 pm

ぎしゅんじゅん…疑い深く、なかなか決心がつかないこと。いつまでも決断せず、ぐずぐずすること。
◇ちょっと予備知識 → きつねは凍った川を渡るときに、その下に水が流れているかどうか確かめつつ、
                用心しながら歩くということから、そのように疑い深く慎重なこと。
                類義語に狐疑不決(こぎふけつ)・遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)・右顧左眄(うこさべん)・
                首鼠両端(しゅそりょうたん)がある。

並み













蔵物語(173)




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今京都 堅忍不抜 2008/06/07 12:05 am

んにんふばつ…意志が堅く、どんな困難にもじっと堪え忍んで心を動かさないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「堅忍」は意志が堅く、我慢強いこと。
                「不抜」は堅くて抜けないもののように、心がぐつかないこと。
                類義語に堅忍持久(けんにんじきゅう)・堅苦卓絶(けんくたくぜつ)・
                志操堅固(しそうけんご)・鉄心石腸(てっしんせきちょう)がある。

湯物語(22)
銭湯ひとつでも色々な逸話があるものだ。今回は社会学者の研究まである京の銭湯のお話を。ちょっと固いでだしだけれど、これも京の銭湯のお話なのでかんにん。さて、そのお話とは、京都の銭湯は石川県出身者が多いということ。



1991(平成3)年といういささか古いデータで申し訳ないが、京都府下の銭湯は約70%が石川県人で占められているという。そして京都ばかりか、大阪府下では約50%、兵庫県下でも奈良県下でも占める割合は多いという。



関東でも石川県人は頑張っているという。もっとも東京では新潟、富山県人のほうが多く、石川県人はそれに次ぐ第3位で約25%。神奈川県では約50%となっているらしい。千葉県でも約35%というから、日本の大都市の銭湯はあきらかに石川県人を筆頭に北陸人が支えているといえる。中でも京都は70%とその割合はダントツである。



なぜ、石川県人が多いかという理由はいくつかあるようだが、雪の多い北陸には出稼ぎの習慣があり、酒造りの杜氏らが出稼ぎ先の京都にとどまって開業したのがはじまりといわれている。おまけに重労働の銭湯の仕事に、郷里の地縁・血縁者を呼び寄せ、彼らが所帯をもち、経験を積んで独立開業する。さらに同郷の若者を呼び寄せるという循環が定着して安心して働きに出られる就職ルートが確立したのではないというのが一番強い説である。



銭湯の組合や業界団体でも石川県出身者の連帯感は強く、石川県内でもその出身地域別にきめ細やかな同郷団体が結成されているという。それが心の支えとなり、また経営上の情報交流になり、地縁血縁ネットワークはさらに張り巡らされていく。



入手した平成14年11月時点の京都府下の銭湯経営者273人のうち「○出さん」という姓の方は約10人。「中出さん」の三人がもっとも多く、「東出」「西出」「北出」「上出」「山出」となっている。各都市に出てきたら「○出さん」なのだろうかとも気になるが…ともかく「○出さん」という姓が多いようだ。



一昨日から「銭湯物語」を一気に連載した。そもそも銭湯の始まりは、平安時代末の京。鎌倉時代になると僧侶達が身を清める為に、寺社に設置されていた「浴堂」を一般にも無料で開放する寺社が現れて、やがて荘園制度が崩壊すると入浴料をとるようになり、これが本格的な銭湯の始まりと言われている。つまり、「京都は銭湯の発祥の地」なので、銭湯ひとつでもこれだけのお話がある。
さて、「銭湯物語」は今回で一応の終末としたい。再開するかどうか不明だけれど、ひとまず、しばし休憩の「銭湯物語」…今京都。


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今京都 付和雷同 2008/06/06 12:07 am

わらいどう…しっかりとした自分の主張を持たず、軽々しく他人の意見に同調すること。周囲の意見に流されやすいこと。
◇ちょっと予備知識 → 「雷同」は、雷が鳴ると物がそれに共鳴するように、やたらに他人に同調すること。
                「雷同付和」ともいう。
                類義語に阿付雷同(あふらいどう)・付和随行(ふわずいこう)・唯唯諾諾(いいだくだく)・
                吠影吠声(はいえいはいせい)がある。

湯物語(21)
京都市北区紫野にある銭湯「船岡温泉」が国の有形文化財に登録されている。「銭湯では三例目」ということだが、先の二例は大阪の銭湯だそうだ。



「船岡温泉」といえば、玄関に唐破風(からはふ)を備えた古風で格調高い銭湯として、西陣ではよく知られている。もともとは料理旅館「船岡楼」として、1923(大正12)年に建てられたのだそうだ。1947(昭和22)年に旅館を廃業したのち、鞍馬口通の銭湯として今日にいたっている。



この銭湯、脱衣場の格天井では、極彩色の浮き彫り鞍馬天狗が高い鼻をぶら下げ、牛若丸に剣術を教えている。それより何よりスゴイのは欄間の手の込んだ透かし彫りである。思わず見とれてぐるりを見渡すと透かし彫りにされたテーマはやすらい祭り、賀茂の競馬、葵祭など京の伝統祭事があれば、唐突に肉弾三勇士がいる、近江八景もあると圧倒される…らしい。



ところで、銭湯になぜ唐破風をつけるのか。
1873(明治6)年、祇園円山公園にお目見えした日本初のヘルスセンター「吉水温泉」も玄関は唐破風造であったという。この因果関係は京都だけのことではない。「坊ちゃん」で知られる松山の道後温泉は1894(明治27)年の木造三層楼建築。ここでも正面の瓦葺屋根が唐破風になっている。



銭湯研究家によると、現在は東京の銭湯にむしろ堂々たる唐破風が多く見られるそうだ。
銭湯の歴史は昨日の「町風呂と町湯」でも触れたが、その起源は仏教伝来までさかのぼる。



奈良の寺院には仏像をお湯で洗ったり、僧が入るための「温室」(写真は京都)があった。やがて庶民への「施浴(せよく)」を行う宗教的な大湯屋へ。これが世俗化して平安末期以降、湯屋が京の町に登場するようになるが、いっぽう13世紀以降の禅宗寺院では「浴堂(よくどう)」が伽藍配置の重要な一角を占めるようになった。



古くは奈良・東大寺の大湯屋にある風呂屋形(蒸し風呂)、京都では東福寺の浴室、西本願寺飛運閣の黄鶴台浴室など、いずれもそこには唐破風を見ることができる。
かつて入浴は宗教的行為であった。その初心を日本人はいまだ引きずっているのか、銭湯研究家の間では「銭湯の唐破風は、寺院浴堂のパロディだった」などといわれているそうである…今京都。


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