rrbのブログ - 2008/06/17のエントリ
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今京都 極悪非道 2008/06/17 12:04 am
ごくあくひどう…心がよこしまで、行いが悪いこと。人の道に背く極めつきの悪事。
◇ちょっと予備知識 → 「極悪」は、悪に徹していること。「極悪非道の輩」「極悪非道の悪事」などと使う。
類義語に悪逆非道(あくぎゃくひどう)・悪逆無道(あくぎゃくむどう)・
大逆無道(たいぎゃくむどう)がある。
ほうき
古来から「ほうき」というものは邪気を追い払い、悪いものを掃き出してしまう力があると考えられてきた。その「ほうき」で面白いお話が京都にはある。

京都では、逆さに立てた「ほうき」に布(手拭い)をかぶせて、ほおかぶりをさせ、それを一心に拝む。時にはご飯やお菓子などをお供えすることもあるという。これは、お客さんに早く帰って欲しいときのおまじないだという。つまり、長居をするお客さんは早く帰ってもらいたいときは「ほうき」を逆さに立てるのである。

お供えしたり、拝むという行為は、「ほうき」そのものを神様とか仏様に格上げすることになるが、布をかぶせることでより一層、身近なものと演出している。そして、ただのおまじないといったことではなく、この行為にはこれに加えて重要な意味が潜んでいる。子が親に対して発信するサインであり、暗号でもあった。

長居するお客さんに対して、子どもがその方の辞去を願って子どもなりの豊かな感性と発想で「ほうき」を逆さにして拝んでいるということは、お客さんに親を占領されていることへの反撥であり、親に対する無言の愛情表現でもある。

そんな我が子の姿を親が見れば、うれしくて喜ばずにはおれない。たとえ大切なお客さんであっても親は決してとがめたりしないし、もちろん「ほうき」は廊下の突き当たりなど、お客さんから見えないところにこっそり立てかけられたのはいうまでもない。

「ほうき」という道具を仲介して、親と子の連帯、つながりをより一層深いものにしてきたのは、とても心あたたまることである。京都ではこのような親子の絆を深めるためのとてもよいソフトが、生活の中にきちんとおさまっている。このソフトが健全な限り親子の断絶というのはありえない。

ところが残念なことに、最近では家庭から「ほうき」がだんだんなくなってきた。「ほうき」のかわりに掃除機を逆さに立てるといったことは聞かない。京都の家庭から「ほうき」をなくしてほしくないものだ。
逆さに立てかけた「ほうき」は、邪気ならぬ長居するお客さんを追い払う親と子のコミュニケーションの道具だという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 「極悪」は、悪に徹していること。「極悪非道の輩」「極悪非道の悪事」などと使う。
類義語に悪逆非道(あくぎゃくひどう)・悪逆無道(あくぎゃくむどう)・
大逆無道(たいぎゃくむどう)がある。
ほうき
古来から「ほうき」というものは邪気を追い払い、悪いものを掃き出してしまう力があると考えられてきた。その「ほうき」で面白いお話が京都にはある。

京都では、逆さに立てた「ほうき」に布(手拭い)をかぶせて、ほおかぶりをさせ、それを一心に拝む。時にはご飯やお菓子などをお供えすることもあるという。これは、お客さんに早く帰って欲しいときのおまじないだという。つまり、長居をするお客さんは早く帰ってもらいたいときは「ほうき」を逆さに立てるのである。

お供えしたり、拝むという行為は、「ほうき」そのものを神様とか仏様に格上げすることになるが、布をかぶせることでより一層、身近なものと演出している。そして、ただのおまじないといったことではなく、この行為にはこれに加えて重要な意味が潜んでいる。子が親に対して発信するサインであり、暗号でもあった。

長居するお客さんに対して、子どもがその方の辞去を願って子どもなりの豊かな感性と発想で「ほうき」を逆さにして拝んでいるということは、お客さんに親を占領されていることへの反撥であり、親に対する無言の愛情表現でもある。

そんな我が子の姿を親が見れば、うれしくて喜ばずにはおれない。たとえ大切なお客さんであっても親は決してとがめたりしないし、もちろん「ほうき」は廊下の突き当たりなど、お客さんから見えないところにこっそり立てかけられたのはいうまでもない。

「ほうき」という道具を仲介して、親と子の連帯、つながりをより一層深いものにしてきたのは、とても心あたたまることである。京都ではこのような親子の絆を深めるためのとてもよいソフトが、生活の中にきちんとおさまっている。このソフトが健全な限り親子の断絶というのはありえない。

ところが残念なことに、最近では家庭から「ほうき」がだんだんなくなってきた。「ほうき」のかわりに掃除機を逆さに立てるといったことは聞かない。京都の家庭から「ほうき」をなくしてほしくないものだ。
逆さに立てかけた「ほうき」は、邪気ならぬ長居するお客さんを追い払う親と子のコミュニケーションの道具だという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。



