rrbのブログ - 2009/12/18のエントリ
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おやかまっさん はしじかどすけど 2009/12/18 12:00 am
はしじかどすけど
端近なところですけれども。「ハシジカドスケド、おかけやしとくれやす」 奥座敷へ招き入れるほどでない客に、玄関や縁先で対応するときにいう。「ハシジカドスケド、どうぞおざぶをあてとくれやす」と座布団を勧める。端近は家の内で端に近いところ。上がり口。『源氏物語』賢木の巻に「端近の席に座る」と。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
節度のある服装
京ことばで「お邪魔しました」という意味の「おやかまっさん」という言葉で新しいカテゴリを作ることにした。「今京都」や「天を仰いで思うこと」とは違う何かを綴りたいと考えからである。どれだけのことが綴れるか、どれだけ続けることができるか不安はあるが、今までと違う何か、本音のあたりのことを気にせずに綴れれば…と考えている。

さて、最近は社会風潮から「職場における特に女性の制服」を強制しない職場が増えている。そういう職場は、制服を強制しない変わりに「社会人として節度のある服装に心がけること」とか「執務に影響のない服装に心がけること」とかの指示がされている。職場における女性の服装が自由になるのはいいことだと思うが、「ちょっと待ってよ、その格好はないやろ!」と感じることがある。
今の時季であれば、ブーツがそのひとつ。仕事中でもブーツのままというのは「どうなん?」と、聞きたくなる。「ファッションだ」と言われれば、「確かにファッションだ」と否定はできない。しかし、ブーツのままで応対されと、とてもイヤな気になる。訪問先などで、「こちらでございます。ご案内します」と先導される場合でも、「ボッコ、ボッコ」とブーツの後をついていくこともシバシバ。「しばらくお待ちください」と湯茶の接待もブーツのまま。また、建物の中を歩いていると、ボッコ、ボッコと後から足音が。『この音はブーツや』と心の声がつぶやく。『ここは街中ではない、建物の中…』と自問自答。そんな自問自答をさえぎるように、ボッコ、ボッコという音がついてくる。『なんで、同じ方向…』と、少しイライラが増す。それでも、ボッコ、ボッコとついてくる。『あぁ、耳障りだ。その音どうにかせぇよ、かなん』とさらにイライラが増す。
「社会人として節度のある服装に心がけること」「執務に影響のない服装に心がけること」という意味を理解していない。自分の感性が判断基準ではなく、他人がどう思うかということを考えない社会人が増えてきている。接待しなければならない相手は、若者であることが少ない。ほとんどが自分より年上の方だ。その方々が、ブーツのままの接待を許容・寛容するだろうか。ちょっと考えれば分かる。しかし、ブーツのままなのだ。そういう会社は全体的に指導がなっていないという陰の評価を受けてしまう。また、その人は社会人として軽く見られてしまい、結局は損をすることになる。実際にそんな話を耳にしたことがある。また、光り物(飾り物)も気になる。ネックレス、ブローチ、ピアス、イヤリング、指輪など。ポイントとしてつけているのはいいが、指輪も二つ以上しているのはちょっと気になる。最近ではネイルアートや付け爪も。

「セクハラ」という言葉が社会権を持った頃から、男性から見た女性に対する「イケテナイ注意」が特に激減したのではないか。結果、イケテルと勘違いしている女性を増殖させているのではないか。この社会現象は、ある意味、とても意地悪な男性たちを作り上げることにもなっている。本当は「イケテナイ」のに、「イケテナイ」と言うと、「セクハラ」だと言われしかなん、ということから、男性は女性に対して本音を隠す。 「イケテナイ」時は「イケテナイ」と注意し合える人間関係を作り上げるのも困難な環境になったものだ。この先、自分の服装関係を誰にチェックして貰えばいいのか、また、人間関係がどうなっていくのだろう、と気になる。ちょっとした気遣いで損をしない自分を維持したいものだ…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。

端近なところですけれども。「ハシジカドスケド、おかけやしとくれやす」 奥座敷へ招き入れるほどでない客に、玄関や縁先で対応するときにいう。「ハシジカドスケド、どうぞおざぶをあてとくれやす」と座布団を勧める。端近は家の内で端に近いところ。上がり口。『源氏物語』賢木の巻に「端近の席に座る」と。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
節度のある服装
京ことばで「お邪魔しました」という意味の「おやかまっさん」という言葉で新しいカテゴリを作ることにした。「今京都」や「天を仰いで思うこと」とは違う何かを綴りたいと考えからである。どれだけのことが綴れるか、どれだけ続けることができるか不安はあるが、今までと違う何か、本音のあたりのことを気にせずに綴れれば…と考えている。

さて、最近は社会風潮から「職場における特に女性の制服」を強制しない職場が増えている。そういう職場は、制服を強制しない変わりに「社会人として節度のある服装に心がけること」とか「執務に影響のない服装に心がけること」とかの指示がされている。職場における女性の服装が自由になるのはいいことだと思うが、「ちょっと待ってよ、その格好はないやろ!」と感じることがある。
今の時季であれば、ブーツがそのひとつ。仕事中でもブーツのままというのは「どうなん?」と、聞きたくなる。「ファッションだ」と言われれば、「確かにファッションだ」と否定はできない。しかし、ブーツのままで応対されと、とてもイヤな気になる。訪問先などで、「こちらでございます。ご案内します」と先導される場合でも、「ボッコ、ボッコ」とブーツの後をついていくこともシバシバ。「しばらくお待ちください」と湯茶の接待もブーツのまま。また、建物の中を歩いていると、ボッコ、ボッコと後から足音が。『この音はブーツや』と心の声がつぶやく。『ここは街中ではない、建物の中…』と自問自答。そんな自問自答をさえぎるように、ボッコ、ボッコという音がついてくる。『なんで、同じ方向…』と、少しイライラが増す。それでも、ボッコ、ボッコとついてくる。『あぁ、耳障りだ。その音どうにかせぇよ、かなん』とさらにイライラが増す。
「社会人として節度のある服装に心がけること」「執務に影響のない服装に心がけること」という意味を理解していない。自分の感性が判断基準ではなく、他人がどう思うかということを考えない社会人が増えてきている。接待しなければならない相手は、若者であることが少ない。ほとんどが自分より年上の方だ。その方々が、ブーツのままの接待を許容・寛容するだろうか。ちょっと考えれば分かる。しかし、ブーツのままなのだ。そういう会社は全体的に指導がなっていないという陰の評価を受けてしまう。また、その人は社会人として軽く見られてしまい、結局は損をすることになる。実際にそんな話を耳にしたことがある。また、光り物(飾り物)も気になる。ネックレス、ブローチ、ピアス、イヤリング、指輪など。ポイントとしてつけているのはいいが、指輪も二つ以上しているのはちょっと気になる。最近ではネイルアートや付け爪も。

「セクハラ」という言葉が社会権を持った頃から、男性から見た女性に対する「イケテナイ注意」が特に激減したのではないか。結果、イケテルと勘違いしている女性を増殖させているのではないか。この社会現象は、ある意味、とても意地悪な男性たちを作り上げることにもなっている。本当は「イケテナイ」のに、「イケテナイ」と言うと、「セクハラ」だと言われしかなん、ということから、男性は女性に対して本音を隠す。 「イケテナイ」時は「イケテナイ」と注意し合える人間関係を作り上げるのも困難な環境になったものだ。この先、自分の服装関係を誰にチェックして貰えばいいのか、また、人間関係がどうなっていくのだろう、と気になる。ちょっとした気遣いで損をしない自分を維持したいものだ…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。

