ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2010 1月 » »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 1 2 3 4 5 6
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2010/01のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

天を仰いで思うこと ほんしょ 2010/01/30 12:00 am

んしょ
本衣裳の略。祇園の芸妓・舞妓の正装。正月三が日、7日、15日、八朔などの紋日に着る。ホンショは五つ紋で黒地である。カエショは三つ紋のついた色地で準正装用。代衣裳の略で、正月では紋日を除く日に着る。舞妓の化粧法として紋日には「三本足」がある。襟足に細長く三筋だけ白粉を塗らないで、地肌を見せる化粧法である。舞妓のダラリ(だらりの帯)の帯留めには子方屋(置屋)の家紋がついている。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

リンピック



2月の12〜28日にカナダ・バンクーバーで第21回オリンピック冬季競技大会が開催される。大会のスローガンは「Come Play With Us」。オリンピックで記憶に新しいのが、北京五輪の際の騒動だ。警備の隊列に取り囲まれ、怒号が飛び交う異様な緊張感の中で走らねばならなかった聖火走者らの胸の内はいかばかりだったろうかと考えてしまう。



ロープや警察官でガードされた長野市内の沿道は、中国やチベットの旗を掲げた人で埋め尽くされた。約4時間かけて、星野仙一監督からマラソンの野口みずき選手まで、80人の走者が北京五輪の聖火をつないだ。それでも卵などを投げ込んで取り押さえられたり、小競り合いでけが人が出るなどの騒ぎが相次いだ。JR長野駅付近で紙などを投げつけられたタレントの萩本欽一さんは、いかにも悔しそうに「ハッピーに走り終えたかったのに…」と語ったという。最初は笑顔だった卓球の福原愛選手も、沿道から男性が飛び出してきたために困惑した表情で立ち止まった。何よりも残念だったのは、主役であるはずの市民が不在だったことだろう。市民参加より聖火の円滑な進行が優先され、走者を遠まきにしか見られず、声を振り絞った応援も怒号にかき消されたという状況だったに違いない。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

考えてみれば、10年前の長野冬季五輪で市民挙げて盛り上げた歓迎ムードが一変したことになる。当時、鐘を打ち鳴らして平和のメッセージを世界に発信した善光寺は出発式会場を辞退し、聖火リレーの朝、チベット騒動犠牲者を追悼した。五輪が政治抜きで語れないのは分かるとしても「平和と友好」のシンボルである聖火リレーが政治問題一色に染まる光景は普通でない。何のための聖火だろうか。今回のスローガン「Come Play With Us」が選手たちだけを指し示しているものでないことを願いたい…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと いか 2010/01/28 12:00 am


凧。京都では正月に上げる凧はイカといったが、タコに換わった。御所ことばでイカという。今も洛北・洛南ではイカ、イーカが聞かれる。凧揚げはイカノボシ、イカノボリ。江戸時代には近畿ではイカ、関東ではタコであった。『浮世風呂』には「凧とはいはず。いか、いかのぼりといふが、上方の詞なり」とある。平安時代に中国から渡来したころは、紙鳶(しえん)とか紙老鴟(しろうし)といった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

ンクリート



「コンクリートから人へ」とは、うまい具合に付けた鳩山政権の政策看板と思っていた。ところが、「コンクリート屋として、いま非常に肩身が狭くて弱っています」という話を聞いた。無駄な公共事業より国民生活第一を強調したキャッチフレーズと分かっているが、コンクリートを悪者にするのはおかしいというのだ。コンクリートの専門家として黙っておれないようだ。



3年ほど前、米国ミシシッピ川に架かる道路橋が崩落した映像は衝撃的だった。維持管理に費用をかけない米国事情があったが、日本も似た状況だ。欧州では建設投資の3割を維持管理に充てているのに、日本は統計に表れないくらい少ないという。つまり、造りっぱなしで、手入れをしない。古くなれば、新しく造ればいい。高度成長期に造られた橋や建物は、補修されないまま「高齢化」している。荒廃が進み、地震などで倒壊の恐れもあるという。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

阪神大震災から15年。横倒しになった阪神高速道路の惨状が目に焼き付いている。耐震化は注目されるようになったが、維持管理にコストをかけるという意識は広がっているとは言えないのではないか。スクラップ・アンド・ビルドが許される経済状況ではなく、「造り、使いこなす」時代ではないかと考える。コンクリートは丈夫で美しく、長持ち。大切に扱えば人にやさしい物質になるのではないか…と、天を仰いで思うこと。


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと せんど 2010/01/24 12:00 am

んど
二種のセンドがある。たくさん、十分に、毎度、長時間の意味で全高のアクセントのセンド。「センド教えてあげたのに」「センド言うて聞かせました」「センド待ったのに来やはらへん」「千度も」の意味から。安永4年刊『物類称呼』に「多いといふことを(中略)京にてせんどといふ」と。センドのンに高さアクセントがあるとき、先日、以前、千度の意味になる。「センドお目にかかったとき」「センドはお世話になりました」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

都弁(3) (2)はここ(←クリック)



共通語で「京都へ行こう」は、京都弁では「京都へ」の「へ」を省略して「京都行こか」となる。このように京都弁では、一般的に助詞の「は」「が」「と」「を」「へ」を省略することが多くある。例えば「年が若い」し「年若いなあ」、「空が青い」は「空青いなあ」、「ないと思う」は「ない思うなあ」、「花を植えよう」は「花植えよか」という感じだ。
そして、京都弁特有の表現として、「手」「目」「歯」などの一音の発音を、「手ぇ」「目ぇ」「歯ぁ」というように引き伸ばす。その他「怖い!」「熱い!」「ひどい!」などのいわゆる「感嘆表現」を、京都弁では語尾を省略して、「怖(こわ)!」「熱(あつ)!」「ひど!」と言う。さらに、その上に「いやっ!」を乗せれば、より驚きが強調される。「いやっ!」は共通語の「うわっ!」「ええっ!」に通じる言葉で、「いやっ!えらいきついこと言わはるわあ」(ええっ!本当にきついこと言うのですね)や「いやっ!この服ええわあ」(まあ!この服いいわね)というように用いる。



京都には長い間、御所が存在していた。そのため、宮中で話されていた御所言葉の影響を受けている部分がある。したがって、京都弁は、大きく分けて御所で離されていた公家言葉と、街中で話されていた町言葉に分類される。公家言葉は、宮中や宮家、公家の間で室町時代から女官によって話されていた言葉だが、町言葉は、話す人の職業や地域によって分類される。「中京ことば」は、中京区を中心に室町の問屋街などで話されることばで、町言葉の代表的なものとされる。
「職人ことば」は、西陣の織物に従事する人たちのことば。
「花街ことば」は、祇園などの花街で舞妓や芸妓などによって話されることば。
「伝統工芸語」は、京焼、京友禅などの現場で話されることば。
「農家ことば」は、大原、口丹波など京都周辺の農村部ではなされることば。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

京都弁で興味深いのは、直接的な言い方を避けて婉曲的で非断定的な言い回しをするところだ。「〜してください」と標準語で言うところを、京都弁になると、「〜してもらわしまへんやろか」となる。遠回しの表現が京都らしい。断る時も同様で、「おおきに」とか「考えときまっさ」などといった曖昧な返事をする。角の立たない断り方は、京都ならではのものである、ということで、今回の「京都弁」についてはおしまい。
さて、このブログも、そろそろ連続更新が難しくなってきた。連続更新が途絶えても堪忍してもらわしまへんやろか…と、天を仰いで思うこと。
★関連記事は、京ことば(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと ぐいち 2010/01/23 12:00 am

いち
食い違い。ちぐはぐ。「いつもあの人と話がグイチになってしもてな」「履物がグイチになってるし、きちんと揃えておきなはい」 賭博でサイコロの目の「五」と「一」が出るのを「五一」といったことから。双六(すごろく)のサイコロの目で五をグという。サイコロの目は上の面と下の面を合わせるとすべて七になる。五一では七にならない。五と一は上下になっていないので食い違うの意味になった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

都弁(2) (1)はここ(←クリック)



京都弁の特徴のひとつに語尾に「やす」をつけることが多くある。「おいでやす」(いらっしゃいませ)を例に出すまでもなく、「やす」も広く一般的に京都弁を連想させる言葉である。「やす」は敬語であり、「おあがりやす」(お召し上がりください、おあがりください)、「お食べやす」(お召し上がりください)、「お座りやす」(おかけください、お座りになってください)などのように用いる。



「やす」よりも軽い敬語として「はる」という語尾に付ける言葉がある。多くは第三者に誰かの言動を伝えるときに使われ、標準語の「食べる」は「食べはる」、「言う」は「言わはる」、「寝る」は「寝はる」、「起きる」は「起きはる」などと用いる。具体的な例文としては、「お客様が朝食を食べる」の場合、「お客さんが朝食を食べはる」となる。現在進行形では、「食べてはる」のように「はる」の前に「て」を入れて「言うてはる」「寝てはる」「起きてはる」となり、過去の言動を伝える場合は、「食べはった」のように「はる」を「はった」にする。京都では身内の言動を言い表すときにも「はる」や「はった」を日常的に使用しており、他人と距離を置くという京都人の風潮が家族間にもあるということがよくわかる。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

これもよく使われる「へん」と「ひん」であるが、これは共通語の「ない」に該当する言葉である。「歩かない」は「歩かへん」、「流れない」は「流れへん」、「投げない」は「投げへん」などとなる。ただ、「起きない」のように、「へん」とするべき部分の前につく音が「い」の段の場合は、「へん」ではなく「ひん」とする。なので「起きない」は「起きひん」となる。また、「しない」「寝ない」など「へん」とすべき前の音が一音しかない場合は、前の一音を引き伸ばして言う。なので「しない」は「しーひん」、「寝ない」は「ねーへん」となる。
「してこよう」「聞いてこよう」などの共通語の「こよう」は、京都弁では「してこう」「聞いてこう」というように「こう」となる。また「こうしよう」「何しよう」などの「しよう」は、京都弁では「こうしょう」「何しょう」というように「しょう」になる。
京都弁には、同じ言葉を重ねて強調する特徴がある。たとえば「この着物、綺麗綺麗やなあ」(この着物、とても綺麗だなあ)、「器用は風が強い強いなあ」(今日は風がとても強いなあ)、「この部屋、広い広いわあ」(この部屋、とても広いなあ)という感じだ。京都弁は本当に特徴がある…と、天を仰いで思うこと。
★関連記事は、京ことば(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)


 

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと てんと 2010/01/22 12:00 am

んと
全く。まるで。さっぱり。「このごろは不景気でテント売れしまへん」「株が下がってテントあきまへんな」「天から」が変化した。「頭から」「最初から」の意味になった。「てんで話にならん」のテンデは「天で」から。「トント忘れてた」のトントとも同系。チントは「きちんと」の意。キチットともいい、「散らかしたものはチント元通りに直しときや」 正確に折り目正しくの意味。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

都弁(1)



タイトルにも使用している「京ことば」。以前に8回の連載で掲載したが、もう少し簡略的に考えてみようと再度取り組んでみた。さて、現在、京都弁は関西弁という枠組みの中に位置づけられているが、同じ関西弁でも他の地域に比べて、著しい特色がある。京都は朝廷と公家を中心に貴族の文化を育んできた都であるから、他の地域の関西弁と比較して、上品な言葉使いが特色となっている。



関西人といえば、一般的に「ズケズケと物を言う」「なれなれしい」というイメージであるが、京都人はそのイメージとは逆で、お互いの「適度な距離の人間関係」を重視する。そのため京都では馴れ馴れしくしたり、はっきりとした物言いを避ける風潮がある。典型的な例として知られているのが、長居の客に帰って欲しいときに言う「ぶぶづけでも一杯どうどす?」(お茶漬けでも一杯どうですか?)という一言だ。こう言われた客は、帰ってもらいたいという相手の気持ちを察して、丁重にお断りして帰宅するという暗黙の了解が京都にはある。


(神戸) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

京都弁といえば、言葉の最後に「どす」がつくというイメージが一般的だが、実は、今日の京都では「です」という共通語が一般的である。さらに付け加えると、千年前の京都でも公家や武家たちは「どす」をほとんど使用していなかったといわれる。では、共通語の「です」を、京都人は「京都弁」として、どのように使用しているのか。それは、「なぁ」との組み合わせで、京都弁として成立させているという。先に書いたように、京都人は断定を避けた物言いをする風潮がある。例えば、共通語の「そうです」は京都弁では、「そうですなぁ」となる。「どす」と同じく「おす」も「です」と同じ意味を持つ京都弁だが、厳密には「おす」は「明るおすなぁ」(明るいですね)や「丸うおすなぁ」(丸いですね)などの形容詞に、一方「どす」は「あれは東山どす」(あれはヒガシヤマです)や「これが金閣寺どす」(これが金閣寺です)などの名詞に用いる。少し京都弁(京ことば)について、まとめなおしてみよう…と、天を仰いで思うこと。
★関連記事は、京ことば(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)


 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

(1) 2 3 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop