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rrbのブログ - 2010/01のエントリ

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おやかまっさん なきみそ 2010/01/10 12:00 am

きみそ
泣き虫。よく泣く人。「太郎はナキミソや」 ミソはヘス(圧す)に基づく。ベシ、ベソからミソになった。ナキとも。「あの子はナキで困ります」 動詞「泣く」を名詞化した。ませた人をマセ、いらつく人をイラチという類。西陣織屋では茹でた枝豆をナキマメと言った。「ウデーマメ、サヤマメ」と売りに来た。秋口に茹で豆を食べるころから夜なべが始まり、その辛さから泣き豆と名づけた。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)

蔵物語(289)と



この「地蔵物語」はどこまで続くのだろうか? と気になる時がある。京都にお地蔵さんが多いことは、お地蔵さん地蔵物語お盆(4)地蔵盆の雰囲気で伝えたとおりである。それらのことがきっかけで「地蔵物語」としてシリーズ化していったのだが、今回で289回。写真の在庫を確認しても300回は軽くいきそうだ。それでも全てを撮り終わっているわけではないから先が見えない。京都の町を散策しては撮り溜めているが、完全制覇がくるのだろう、と気が遠くなりそうだ。一度撮ったものはチェックしているから重複はないと自負しているが、ある町内の分は怪しい状況となっている。まぁ、続けられる限り続けたい。



一方、羅漢さんは確実に同じ羅漢さんを掲載している。理由は、同じ羅漢さんでも、撮った日・カメラ・レンズ・アングルが違ったりしているからだ。今季の冬は雪に埋もれる羅漢さんを撮りたいと考えているが、あいにく、積雪はまだない。年末年始や先日の寒波でも積雪がないのは珍しい。それだけ温暖化が進んだということか。撮りたいシーンがなかなか撮れないのは辛いが、自然現象だけに、焦ってもしかたないと割り切るしかない。



話は変わるが、お友達のブログを年末から全く訪問できていないのが辛い。年末年始の雑多で、年末年始のご挨拶もできていないという無礼を働いている。この場を借りて、心からお詫び申し上げたい。なんとか今の課題を解決し、いつもの「おはようございます」という決まりセリフで訪問したい。もうしばらく無礼を許してくだいませ。
さて、今年も羅漢さんと地蔵物語には何かとお世話になりそうだ…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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おやかまっさん とろい 2010/01/07 12:00 am

ろい
のろい。にぶい。「何やらしてもトロイし、早速の間に合わん」 江戸時代から使用。擬態語のトロトロに基づく。トロクサイ、トロコイとも。ドンクサイともいうが、ドンは「鈍」の意。クサイは、悪臭の意味から。厭い退ける気持ちを示す接尾語。ドンナは、愚鈍な、あいにく。「へまな」の意味で、「えらいドンナことしましたな」という。「どうにもならない」はドンナラン。「そんなことしたらドンナラン」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)


年末・年始の休暇が終り、ようよう仕事モードになりつつあるが、まだまだ、正月気分ではないが休み癖が抜け切らない。最も苦しむのが、「時間への拘束」というか「時間の概念」だ。○時から会議、○時にはどこそこへ行く、○時に来訪者の予定…等々、時間に縛られっぱなしである。



考えてみれば、知能のある生命体として人間は地球上に君臨しているといっても過言ではない。しかし、その人間の行動を支配しているのは「時間」ではないかというような気がする。人の生活から「時間」というものを取り除いたらどうなるだろう? ○時△分の新幹線に乗るとか、○時△分に待ち合わせなどもなくなる。人間社会は混乱するであろうし、日々の生活もどうなることかわからない。そう考えたとき、人は時間を利用(使用)しているようだが、実際は、時間に支配されているようだ。



人が時間を計る「時計」というものを作り出さなければどうなっていただろう。日の高いうちに出発しよう、日が暮れたから帰ろう、など、やはり、目安となる時間に縛られて生活しているのには変わりないような気がするが、現在のように厳密な時間な拘束されることはないだろう。何かの目安を羅針盤に行動を起こすのは間違いないが、「おおよそ」であり、それほど楽なことはないが、待たされる側にとってみたらたまったものではない。しかし、「おおよそ」であるから、「遅い」「早い」という基準も曖昧なものになるから、特に気にすることもなくなるだろうか…。



時間の流れは一定であり、おおよそ不変的なものだ。人は、その流れに合わせて生活しているのには違いない。そう考えたとき、この世を支配しているのは「時間」ではないかと思う…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。 ※写真は神戸ルミナリエ いずれも カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4


 

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おやかまっさん ほいない 2010/01/03 12:00 am

いない
はかない。あわれな。物足りない。「ホイナイ死に方しやはったな」「こんなおかずではちょっとホイノおすやろ」「本意無し」から。本来の気持ちに反して残念なこと。「本意」は「まこと」の意味。また、ホロナイは、頼りない・愛想のない・あっけない。「分かっているのか分からへんのかホロナイ人や」 ホロナエルは、諦める・当てが外れる。「今度の試験あかん、ホロナエルわ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)





初夢とは、「新年最初に見る夢」のことで、ふつうは、元日または2日の夜に見る夢をいうが、古くは、節分の夜に見る夢をいった。一茶の作品に「初夢に古郷(ふるさと)を見て涙かな」というものがある。



正月や盆といえば、帰省。今年も昨日からUターンラッシュが始まり、今日がピークということだ。それでも例年よりは混雑具合はマシなような気がする。民族の大移動という印象があるこの帰省、帰れる故郷がある人、ない人、人さまざまだが、この不景気が人の足を鈍らせているという。車で移動できる距離ならまだ気楽に帰れるが、飛行機などを使用しなければならない距離であると、移動費だけでも相当の費用がかかる。



技術が進んだとしても、ドラえもんの「どこでもドア」にはかなわない。こうなると、意味は違うが、一茶のように「初夢で故郷を見るのがよい」かも…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。 ※写真は神戸ルミナリエ すべて カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4


 

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おやかまっさん 謹賀新年 2010/01/01 12:00 am

んがしんねん
あけましておめでとうございます。
旧年中は何かとお世話になり厚く御礼申し上げます。
拙いブログですが、本年もよろしくお願いいたします。
2010年 元旦


睦月。今日は元日。新しい希望と決意とを持って新しい年の始めを祝う日。門松で年神様を迎え、井戸から若水を汲んで供え、雑煮やおせち料理を食べて祝うのがしきたり…と昨年の1月1日に記載した。


(神戸ルミナリエ) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

「一月一日(いちがついちじつ)」
千家尊福作詞・上真行作曲

年の始めの ためしとて
おわりなき世の めでたさを
松竹たてて 門ごとに
祝う今日こそ 楽しけれ

初日のひかり さしいでて
四方に輝く 今朝のそら
君がみかげに 比えつつ
仰ぎ見るこそ 尊とけれ


(神戸ルミナリエ) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

という歌も掲載した。この歌もここ数年はさっぱりと聞かなくなった。これも時代なのだろうか。門松をたててい家もあまりみない。京都の西陣などの織物関係の家には、まだ見かけるのがうれしいが、珍しい光景となりつつあるような気もする。


(神戸ルミナリエ) カメラ/EPSON R-D1s  レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

2010年、平成22年。特に記念すべき年でもないが、今年は何か新しいことが始まるような予感もある。特に根拠があるわけではないが、そんな気がする…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


 

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