rrbのブログ - 2010/01/07のエントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
おやかまっさん とろい 2010/01/07 12:00 am
とろい
のろい。にぶい。「何やらしてもトロイし、早速の間に合わん」 江戸時代から使用。擬態語のトロトロに基づく。トロクサイ、トロコイとも。ドンクサイともいうが、ドンは「鈍」の意。クサイは、悪臭の意味から。厭い退ける気持ちを示す接尾語。ドンナは、愚鈍な、あいにく。「へまな」の意味で、「えらいドンナことしましたな」という。「どうにもならない」はドンナラン。「そんなことしたらドンナラン」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
時間
年末・年始の休暇が終り、ようよう仕事モードになりつつあるが、まだまだ、正月気分ではないが休み癖が抜け切らない。最も苦しむのが、「時間への拘束」というか「時間の概念」だ。○時から会議、○時にはどこそこへ行く、○時に来訪者の予定…等々、時間に縛られっぱなしである。

考えてみれば、知能のある生命体として人間は地球上に君臨しているといっても過言ではない。しかし、その人間の行動を支配しているのは「時間」ではないかというような気がする。人の生活から「時間」というものを取り除いたらどうなるだろう? ○時△分の新幹線に乗るとか、○時△分に待ち合わせなどもなくなる。人間社会は混乱するであろうし、日々の生活もどうなることかわからない。そう考えたとき、人は時間を利用(使用)しているようだが、実際は、時間に支配されているようだ。

人が時間を計る「時計」というものを作り出さなければどうなっていただろう。日の高いうちに出発しよう、日が暮れたから帰ろう、など、やはり、目安となる時間に縛られて生活しているのには変わりないような気がするが、現在のように厳密な時間な拘束されることはないだろう。何かの目安を羅針盤に行動を起こすのは間違いないが、「おおよそ」であり、それほど楽なことはないが、待たされる側にとってみたらたまったものではない。しかし、「おおよそ」であるから、「遅い」「早い」という基準も曖昧なものになるから、特に気にすることもなくなるだろうか…。

時間の流れは一定であり、おおよそ不変的なものだ。人は、その流れに合わせて生活しているのには違いない。そう考えたとき、この世を支配しているのは「時間」ではないかと思う…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。 ※写真は神戸ルミナリエ いずれも カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

のろい。にぶい。「何やらしてもトロイし、早速の間に合わん」 江戸時代から使用。擬態語のトロトロに基づく。トロクサイ、トロコイとも。ドンクサイともいうが、ドンは「鈍」の意。クサイは、悪臭の意味から。厭い退ける気持ちを示す接尾語。ドンナは、愚鈍な、あいにく。「へまな」の意味で、「えらいドンナことしましたな」という。「どうにもならない」はドンナラン。「そんなことしたらドンナラン」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
時間
年末・年始の休暇が終り、ようよう仕事モードになりつつあるが、まだまだ、正月気分ではないが休み癖が抜け切らない。最も苦しむのが、「時間への拘束」というか「時間の概念」だ。○時から会議、○時にはどこそこへ行く、○時に来訪者の予定…等々、時間に縛られっぱなしである。

考えてみれば、知能のある生命体として人間は地球上に君臨しているといっても過言ではない。しかし、その人間の行動を支配しているのは「時間」ではないかというような気がする。人の生活から「時間」というものを取り除いたらどうなるだろう? ○時△分の新幹線に乗るとか、○時△分に待ち合わせなどもなくなる。人間社会は混乱するであろうし、日々の生活もどうなることかわからない。そう考えたとき、人は時間を利用(使用)しているようだが、実際は、時間に支配されているようだ。

人が時間を計る「時計」というものを作り出さなければどうなっていただろう。日の高いうちに出発しよう、日が暮れたから帰ろう、など、やはり、目安となる時間に縛られて生活しているのには変わりないような気がするが、現在のように厳密な時間な拘束されることはないだろう。何かの目安を羅針盤に行動を起こすのは間違いないが、「おおよそ」であり、それほど楽なことはないが、待たされる側にとってみたらたまったものではない。しかし、「おおよそ」であるから、「遅い」「早い」という基準も曖昧なものになるから、特に気にすることもなくなるだろうか…。

時間の流れは一定であり、おおよそ不変的なものだ。人は、その流れに合わせて生活しているのには違いない。そう考えたとき、この世を支配しているのは「時間」ではないかと思う…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。 ※写真は神戸ルミナリエ いずれも カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4

