rrbのブログ - 2010/02のエントリ
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今京都 きさんじな 2010/02/23 12:00 am
きさんじな
快活な。あっさりした。「だれとでも仲良うしてキサジンナ子やな」「あの先生、誰にでも気さくに話しかけはるしキサンジナお人どす」 キサンジでなく、気疲れがする、気苦労なさまをキシンドナという。「気」とシンドイの複合。「あの人としゃべっていてもキシンドナ話ばっかりでキシンドナこっちゃ」「お偉いさんの集まりでキシンドナことですのや」 キズカイナイは心配ない、安心できるの意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
海だった京都
現在の京都府は北部だけが海に接し、京都盆地一帯は海とは無縁の地理にある。しかし、はるか時を遡れば大阪湾が深く京都盆地のあたりまでつながっていた時代があったという。更新世(180〜160万年前から1万年まで)の氷期には海面水位が下がり、陸地が広がるとともに膨大な土石が下流に押し流される。間氷期には、海面水位が上がり、内陸部へも海が入り込んでくる。はじめて京都盆地に海が入り込んでくる。はじめて京都盆地に海が侵入してはたのは約130万年前のことといわれる。京都盆地には7層の「海成粘土層」(大阪層群)が発見されており、合計7度海の侵入があった。

京都盆地の生成には日本列島は東西に圧縮する力も働いた。地殻変動により、盆地を取り巻く東西(比叡山・西山)が隆起し、間に挟まれた盆地は沈降した。約80万年前の第三海成粘土層は広い範囲に及び、現・京都市街の大部分が海に没していたことがわかる。京都市街、特に南部の海抜高度は低く、南区では最高でもわずか28cmしかないという。地球温暖化が進めむ現代、再び海と化すこともあるのだろうか…今京都。(『京都のふしぎ発見』より)

快活な。あっさりした。「だれとでも仲良うしてキサジンナ子やな」「あの先生、誰にでも気さくに話しかけはるしキサンジナお人どす」 キサンジでなく、気疲れがする、気苦労なさまをキシンドナという。「気」とシンドイの複合。「あの人としゃべっていてもキシンドナ話ばっかりでキシンドナこっちゃ」「お偉いさんの集まりでキシンドナことですのや」 キズカイナイは心配ない、安心できるの意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
海だった京都
現在の京都府は北部だけが海に接し、京都盆地一帯は海とは無縁の地理にある。しかし、はるか時を遡れば大阪湾が深く京都盆地のあたりまでつながっていた時代があったという。更新世(180〜160万年前から1万年まで)の氷期には海面水位が下がり、陸地が広がるとともに膨大な土石が下流に押し流される。間氷期には、海面水位が上がり、内陸部へも海が入り込んでくる。はじめて京都盆地に海が入り込んでくる。はじめて京都盆地に海が侵入してはたのは約130万年前のことといわれる。京都盆地には7層の「海成粘土層」(大阪層群)が発見されており、合計7度海の侵入があった。

京都盆地の生成には日本列島は東西に圧縮する力も働いた。地殻変動により、盆地を取り巻く東西(比叡山・西山)が隆起し、間に挟まれた盆地は沈降した。約80万年前の第三海成粘土層は広い範囲に及び、現・京都市街の大部分が海に没していたことがわかる。京都市街、特に南部の海抜高度は低く、南区では最高でもわずか28cmしかないという。地球温暖化が進めむ現代、再び海と化すこともあるのだろうか…今京都。(『京都のふしぎ発見』より)


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おやかまっさん ちゃらんぽらん 2010/02/22 12:00 am
ちゃらんぽらん
いい加減。でたらめ。無責任な言行。「チャランポランばっかし言うて信用できひん」「ちゃらほら」から。チャラは、でたらめをいう意味の擬態語。ホラは洞に基づく。類義語を重ねて強調した。チャラは帳消しの意味でもいう。でたらめだったことから帳消しの意味になった。「こんだけ返すしチャラにしてくれへんか」 ベンチャラを言う人はチャラキ、口先だけのおべっかをチャラテンという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
のようなもの
「ニュース言葉の秘密」という本をコンビニでほぼ衝動的に買った。580円という値段の割には、内容がおもしろい。ニュースには、おなじみの言い回しや常套句が多くあり、それぞれの使い方には明確な基準や理由があるという。
まず、よくあるのが「のようなもの」という表現。使われているシーンはこうだ。「犯人はバールのようなものでシャッターをこじ開け」 さて、バールのようなものとは、どんなものか。他には「刃物のようなもの」「ヒモのようなもの」がある。刃物ではなく、刃物のようなもの。ヒモではなく、ヒモのようなもの。さて、どんなものを想像するだろうか。

このような「断定しない表現」を多用するのは、ニュースが速報性を保ちつつ、正確性を留保するための苦肉の策だという。ニュースに使う言葉に、結構、苦労している様子が伺える…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。

いい加減。でたらめ。無責任な言行。「チャランポランばっかし言うて信用できひん」「ちゃらほら」から。チャラは、でたらめをいう意味の擬態語。ホラは洞に基づく。類義語を重ねて強調した。チャラは帳消しの意味でもいう。でたらめだったことから帳消しの意味になった。「こんだけ返すしチャラにしてくれへんか」 ベンチャラを言う人はチャラキ、口先だけのおべっかをチャラテンという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
のようなもの
「ニュース言葉の秘密」という本をコンビニでほぼ衝動的に買った。580円という値段の割には、内容がおもしろい。ニュースには、おなじみの言い回しや常套句が多くあり、それぞれの使い方には明確な基準や理由があるという。
まず、よくあるのが「のようなもの」という表現。使われているシーンはこうだ。「犯人はバールのようなものでシャッターをこじ開け」 さて、バールのようなものとは、どんなものか。他には「刃物のようなもの」「ヒモのようなもの」がある。刃物ではなく、刃物のようなもの。ヒモではなく、ヒモのようなもの。さて、どんなものを想像するだろうか。

このような「断定しない表現」を多用するのは、ニュースが速報性を保ちつつ、正確性を留保するための苦肉の策だという。ニュースに使う言葉に、結構、苦労している様子が伺える…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


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おやかまっさん ずぼら 2010/02/21 12:00 am
ずぼら
だらしないこと。無精。なげやり。やりっ放し。「何をやらしてもズボラやな」 ずるずると下がる相場をズボラという。スベラとも。滑るに基づく。江戸時代にはズンベラボンといった。京都府北部でダワナは、怠けてだらしないさまをいう。「あんなダワナ男と組んでもあかん」 その地域ではダワは怠惰、馬鹿の意味で使用する。ダワはタワケと結び付く語であろうか。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(295)と羅漢



だらしないこと。無精。なげやり。やりっ放し。「何をやらしてもズボラやな」 ずるずると下がる相場をズボラという。スベラとも。滑るに基づく。江戸時代にはズンベラボンといった。京都府北部でダワナは、怠けてだらしないさまをいう。「あんなダワナ男と組んでもあかん」 その地域ではダワは怠惰、馬鹿の意味で使用する。ダワはタワケと結び付く語であろうか。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
地蔵物語(295)と羅漢




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おやかまっさん てんぽのかわ 2010/02/20 12:00 am
てんぽのかわ
当てもなく行うこと。「テンポノカワでやってみよ」 思い切ってやってみるときにいう。江戸時代の初めにテンポと言ったが、18世紀はじめに「の皮」をつけていうようになった。「嘘の皮」「へちまの皮」という類で、口拍子でいう。テンポは「転蓬(てんぽう)」からか。転蓬は風に吹かれて飛ぶ蓬(よもぎ)。定めない生活を送ること、流浪の意味にもなった。「ええままよ、やってしまえ」といった感じ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
読書
AERA Mookに「日本神話がわかる」というのがある。1,365円と少々高いが買った。結構おもしろいし、実に興味深い。日本神話の特徴は、最高神は他では類を見ない慈悲深い女神というところであろう。他の神話では、ゼウスをはじめとしてユピテル、ラーなど、例外なく男の神となっており、押しなべて敵を容赦なく滅ぼし、罪を過酷きわまりないやり方で罰している。しかし、日本神話の最高神はアマテラスという処女神なのであり、その慈悲深さは、弟のスサノヲに対する反応に読むことができる。

さらに、殺害を嫌う徹底した優しさや、欧米とは正反対の労働観がある。ギリシヤの神々は「罰」として労働させたが、日本神話では違う。「仕事」とは神に近づく業であるとされているあたりも実におもしろい。AERA Mookの「日本神話がわかる」という本は実に興味深い。さらに「古代史がわかる」も手に入れた。この辺の話もおいおい掻い摘んで掲載していこうかな…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。

当てもなく行うこと。「テンポノカワでやってみよ」 思い切ってやってみるときにいう。江戸時代の初めにテンポと言ったが、18世紀はじめに「の皮」をつけていうようになった。「嘘の皮」「へちまの皮」という類で、口拍子でいう。テンポは「転蓬(てんぽう)」からか。転蓬は風に吹かれて飛ぶ蓬(よもぎ)。定めない生活を送ること、流浪の意味にもなった。「ええままよ、やってしまえ」といった感じ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
読書
AERA Mookに「日本神話がわかる」というのがある。1,365円と少々高いが買った。結構おもしろいし、実に興味深い。日本神話の特徴は、最高神は他では類を見ない慈悲深い女神というところであろう。他の神話では、ゼウスをはじめとしてユピテル、ラーなど、例外なく男の神となっており、押しなべて敵を容赦なく滅ぼし、罪を過酷きわまりないやり方で罰している。しかし、日本神話の最高神はアマテラスという処女神なのであり、その慈悲深さは、弟のスサノヲに対する反応に読むことができる。

さらに、殺害を嫌う徹底した優しさや、欧米とは正反対の労働観がある。ギリシヤの神々は「罰」として労働させたが、日本神話では違う。「仕事」とは神に近づく業であるとされているあたりも実におもしろい。AERA Mookの「日本神話がわかる」という本は実に興味深い。さらに「古代史がわかる」も手に入れた。この辺の話もおいおい掻い摘んで掲載していこうかな…ということで、今回のお話はおしまい。どうも、おやかまっさんどした。


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天を仰いで思うこと やっとまかせ 2010/02/19 12:00 am
やっとまかせ
荷物を担ぐときの掛け声。「ヤットマカセで担いで行こう」 「ヤッ」と力を入れるときに発することばに、「任す」の命令形マカセをつけた。ヤットは「辛うじて」の意味で全国に広まった。「ヤッ」と力を入れるときに発する語に基づく。洛北大原では「ヤット難しい」のように「たくさん、多く」の意味で使用。式亭三馬『浮世風呂』には「横に寝て転(こけ)る方がやつと速いぢや」のように、「はるかに」の意味も。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
春近し

「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(服部嵐雪)どころか一気に春本番のような陽気になったかと思えば、また冬に逆戻り。体調管理にはくれぐれもご注意を。気がつけば、冬枯れの木立が並ぶ中で、梅がつぼみを膨らませている。蛤(はまぐり)御門近くの梅林では、そろそろ満開に近いのではないだろうか。
梅は百花のさきがけだ。冬を耐えていの一番に春を告げる。このところの暖かさが本物の春か思案しているに違いない。

一方、東寺の初弘法では、生活にも春が来るようにと大勢の人が、大師像に手を合わせる。御影堂前でハイチ大地震支援の托鉢をする僧侶の姿もあったという。現地ではこの瞬間にも、人々が食料や治療を求めて長蛇の列をつくっているに違いない。壊滅的な被害を受けたカリブ海の小国に、早く春が訪れるよう祈らずにはおれない。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
日本では政界に激震が走っている。政権与党のカネの問題だ。こちらは、冬をしのげば春が来るとは限らない。つぼみを膨らませるほど、世間の風は暖かくはないのでは…と、天を仰いで思うこと。

荷物を担ぐときの掛け声。「ヤットマカセで担いで行こう」 「ヤッ」と力を入れるときに発することばに、「任す」の命令形マカセをつけた。ヤットは「辛うじて」の意味で全国に広まった。「ヤッ」と力を入れるときに発する語に基づく。洛北大原では「ヤット難しい」のように「たくさん、多く」の意味で使用。式亭三馬『浮世風呂』には「横に寝て転(こけ)る方がやつと速いぢや」のように、「はるかに」の意味も。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
春近し

「梅一輪一輪ほどの暖かさ」(服部嵐雪)どころか一気に春本番のような陽気になったかと思えば、また冬に逆戻り。体調管理にはくれぐれもご注意を。気がつけば、冬枯れの木立が並ぶ中で、梅がつぼみを膨らませている。蛤(はまぐり)御門近くの梅林では、そろそろ満開に近いのではないだろうか。
梅は百花のさきがけだ。冬を耐えていの一番に春を告げる。このところの暖かさが本物の春か思案しているに違いない。

一方、東寺の初弘法では、生活にも春が来るようにと大勢の人が、大師像に手を合わせる。御影堂前でハイチ大地震支援の托鉢をする僧侶の姿もあったという。現地ではこの瞬間にも、人々が食料や治療を求めて長蛇の列をつくっているに違いない。壊滅的な被害を受けたカリブ海の小国に、早く春が訪れるよう祈らずにはおれない。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
日本では政界に激震が走っている。政権与党のカネの問題だ。こちらは、冬をしのげば春が来るとは限らない。つぼみを膨らませるほど、世間の風は暖かくはないのでは…と、天を仰いで思うこと。

