rrbのブログ - 2008/04のエントリ
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今京都 三面六臂 2008/04/15 12:04 am
さんめんろっぴ…一人で数人分もの働きをすること。また、一人の人が多方面にわたって目覚しい活躍をすること。
◇ちょっと予備知識 → 一つのからだに3つの顔と6本の腕を持っているということから。
「臂」は手首からひじまで。下膞。
類義語に八面六臂(はちめんろっぴ)・縦横無尽(じゅうおうむじん)がある。
ニ尊院 vol.1
突然、お仕事がバタバタ状態になってしまいました。しばらくの間「小倉あん」で訪れた二尊院の雰囲気をお楽しみください。
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◇ちょっと予備知識 → 一つのからだに3つの顔と6本の腕を持っているということから。
「臂」は手首からひじまで。下膞。
類義語に八面六臂(はちめんろっぴ)・縦横無尽(じゅうおうむじん)がある。
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今京都 活殺自在 2008/04/14 12:04 am
かっさつじざい…生かすのも殺すのもこちらの思い通りであること。また、自分の思い通りに相手を動かし扱うこと。
◇ちょっと予備知識 → 「活殺」は生かすことと殺すこと。「自在」は、思いのまま・自由に、という意。
類義語に生殺与奪(せいさつよだつ)がある。
町並み
地蔵物語(158)
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◇ちょっと予備知識 → 「活殺」は生かすことと殺すこと。「自在」は、思いのまま・自由に、という意。
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今京都 豪放磊落 2008/04/13 1:47 am
ごうほうらいらく…気持ちが大きく、些細なことにこだわらないこと。また、そのような人。
◇ちょっと予備知識 → 「豪放」「磊落」は共に、心が広く快活で、小さなことにこだわらないこと。
類義語に天空海闊(てんくうかいかつ)・磊磊落落(らいらいらくらく)がある。
対義語は小心翼翼(しょうしんよくよく)。
町並み
地蔵物語(157)
かんにん…!
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◇ちょっと予備知識 → 「豪放」「磊落」は共に、心が広く快活で、小さなことにこだわらないこと。
類義語に天空海闊(てんくうかいかつ)・磊磊落落(らいらいらくらく)がある。
対義語は小心翼翼(しょうしんよくよく)。
町並み
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今京都 天罰覿面 2008/04/12 12:23 am
てんばつてきめん…何か悪いことをすると、たちどころに報いが訪れること。悪い行いには必ず報いがあるということ。
◇ちょっと予備知識 → 「天罰」は天の下す罰、または悪事に対して受ける罰。
「覿面」は、たちどころに効果が表れること。
類義語に天網恢恢(てんもうかいかい)・悪因悪果(あくいんあっか)がある。
対義語は天網之漏(てんもうのろう)。
広沢池の千手観音像
広沢池の西に浮かぶ小さな島に、ずんぐりした体形のユーモラスな千手観音像がたたずむ。
高さ約1.5m。
目をつぶり、正面には合掌する手と玉のようなものを持つ手、左右に計24の手がある。
由緒は池から200m南の遍照寺に伝わる。
同寺はもともと、池の西側一帯に境内があった。かんがい用ため池として平安時代に造られた広沢池には、同寺の重文・十一面観音像を安置した堂の建つ島があったが、江戸時代に消滅。
1893(明治26)年、現在の位置に島を再建するにあたり、仏様の不在に心を痛めた村人が、五智山蓮華寺(右京区)にまつっていた像を借り、安置したとされる。
遍照寺によると、作ったのは江戸時代の僧で、五智山蓮華寺に残る石仏群の作者と同一人物という。
また、石像はかなり流出しているようで、広沢池のものもその一つだといわれている。
石像は欠けてしまっている部分もあるが、そばにはきれいな花が飾られており、住民がよく世話をしているのが分かる。
「観音島」、愛情を込め地元の人はこの島をこう呼んでいる…今京都。
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◇ちょっと予備知識 → 「天罰」は天の下す罰、または悪事に対して受ける罰。
「覿面」は、たちどころに効果が表れること。
類義語に天網恢恢(てんもうかいかい)・悪因悪果(あくいんあっか)がある。
対義語は天網之漏(てんもうのろう)。
広沢池の千手観音像
広沢池の西に浮かぶ小さな島に、ずんぐりした体形のユーモラスな千手観音像がたたずむ。
高さ約1.5m。
目をつぶり、正面には合掌する手と玉のようなものを持つ手、左右に計24の手がある。
由緒は池から200m南の遍照寺に伝わる。
同寺はもともと、池の西側一帯に境内があった。かんがい用ため池として平安時代に造られた広沢池には、同寺の重文・十一面観音像を安置した堂の建つ島があったが、江戸時代に消滅。
1893(明治26)年、現在の位置に島を再建するにあたり、仏様の不在に心を痛めた村人が、五智山蓮華寺(右京区)にまつっていた像を借り、安置したとされる。
遍照寺によると、作ったのは江戸時代の僧で、五智山蓮華寺に残る石仏群の作者と同一人物という。
また、石像はかなり流出しているようで、広沢池のものもその一つだといわれている。
石像は欠けてしまっている部分もあるが、そばにはきれいな花が飾られており、住民がよく世話をしているのが分かる。
「観音島」、愛情を込め地元の人はこの島をこう呼んでいる…今京都。
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今京都 絶体絶命 2008/04/11 12:06 am
ぜったいぜつめい…追いつめられて進退窮まった状態。どうしようもないせっぱ詰まった事態。前門の虎、後門の狼。
◇ちょっと予備知識 → 「絶体」「絶命」は共に、九星占いの凶星で、破滅の星回りといわれる。
「絶体」を「絶対」と書くのは誤り。
類義語に風前之灯(ふうぜんのともしび)・窮途末路(きゅうとまつろ)・
山窮水尽(さんきゅうすいじん)がある。
小倉あん vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
『菓子話船橋』(1840)によると、粒あんは鹿の子まだらのようである。鹿の子まだらといえば鹿、鹿といえば紅葉、というわけで有名な歌にちなんだというのである。
また、「今ひとたびのみゆきまたなむ」ならぬ「今ひとたびのお出でをおまちする」とお客様の再来店を願って「小倉あん」と命名されたとされている。
ん〜、なんだかわかったようなわからんような…。
鹿の子餅という和菓子があるそうだ。甘く煮た小豆のつぶつぶを外側につけたお餅のこと。
江戸時代には既にあったようだから、鹿の子といえば小豆のつぶつぶ、と、当時ここまではコンセンサスがとれていたことになる。
そこで命名者は考えた。小豆といえば鹿の子、鹿の子といえば紅葉、そして紅葉といえば小倉山。ほかならぬ三段論法ではないか。「今ひとたびのお出でをおまちする」は、縁起かつぎといったところか。
ちょっと苦しい気もするが、「鹿の子あん」と安直に名づけてしまわず、「小倉あん」ともってくるあたりに、京の和菓子屋さんのセンスが感じられる。
和菓子屋さんは昔から、花鳥風月や和歌の世界に生きているのだと実感させられる。
中国から持ち帰った小豆の種を日本ではじめて栽培したのが小倉の里で、平安時代のこと。
この小豆に砂糖を加えて煮詰められたあんが、宮中に献上されていたそうで、さらに、小倉山麓は小豆畑の発祥地だという。
2005年3月「小倉餡発祥之地」という碑が、小倉山麓、二尊院の境内に建てられた。碑には小倉あん発祥の由来が刻まれている。
小倉あんまでが京都が発祥の地であったというのは驚きである。今更ながら京都の歴史の奥深さに脱帽するばかりである…今京都。
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「絶体」を「絶対」と書くのは誤り。
類義語に風前之灯(ふうぜんのともしび)・窮途末路(きゅうとまつろ)・
山窮水尽(さんきゅうすいじん)がある。
小倉あん vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
『菓子話船橋』(1840)によると、粒あんは鹿の子まだらのようである。鹿の子まだらといえば鹿、鹿といえば紅葉、というわけで有名な歌にちなんだというのである。
また、「今ひとたびのみゆきまたなむ」ならぬ「今ひとたびのお出でをおまちする」とお客様の再来店を願って「小倉あん」と命名されたとされている。
ん〜、なんだかわかったようなわからんような…。
鹿の子餅という和菓子があるそうだ。甘く煮た小豆のつぶつぶを外側につけたお餅のこと。
江戸時代には既にあったようだから、鹿の子といえば小豆のつぶつぶ、と、当時ここまではコンセンサスがとれていたことになる。
そこで命名者は考えた。小豆といえば鹿の子、鹿の子といえば紅葉、そして紅葉といえば小倉山。ほかならぬ三段論法ではないか。「今ひとたびのお出でをおまちする」は、縁起かつぎといったところか。
ちょっと苦しい気もするが、「鹿の子あん」と安直に名づけてしまわず、「小倉あん」ともってくるあたりに、京の和菓子屋さんのセンスが感じられる。
和菓子屋さんは昔から、花鳥風月や和歌の世界に生きているのだと実感させられる。
中国から持ち帰った小豆の種を日本ではじめて栽培したのが小倉の里で、平安時代のこと。
この小豆に砂糖を加えて煮詰められたあんが、宮中に献上されていたそうで、さらに、小倉山麓は小豆畑の発祥地だという。
2005年3月「小倉餡発祥之地」という碑が、小倉山麓、二尊院の境内に建てられた。碑には小倉あん発祥の由来が刻まれている。
小倉あんまでが京都が発祥の地であったというのは驚きである。今更ながら京都の歴史の奥深さに脱帽するばかりである…今京都。
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