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rrbのブログ - 2008/04のエントリ

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今京都 不眠不休 2008/04/30 12:25 am

みんふきゅう…眠りも休みもせず、作業を続けること。休まず働き続けること。またそのように精一杯頑張ること。
◇ちょっと予備知識 → 類義語に昼夜兼行(ちゅうやけんこう)・不解衣帯(ふかいいたい)がある。

田寺(矢田地蔵) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
さて、この矢田寺にはもうひとつの逸話がある。
天慶(938−946)の頃、大和の国に武者所康成という男がいた。幼少の頃から緑の山野をかけめぐり、狩を得意とするたくましい青年に成長したが、ある日やさしい父が突然、病いで亡くなった。
母がすぐ継父を迎えたため、この青年の運命が暗転した。残虐な継父は、ことあるごとに康成をいじめ抜き、耐えきれなくなった康成はついに継父を殺すことを決意する。



「憎い父がいなくなれば、再び母と一緒に平和な家庭がよみがえる」青年の憎しみがついに爆発した。ある闇夜の未明。青年は狩装束に身をかため、刀を手に父母の寝室に「夜討ち」をかけた。



「死んでもらいます」とばかり、暗やみの寝室めがけて乱入、一刀のもとに首を切り落した! 
が、どうだろう。その首はやさしい母親の首ではないか!!!
「あ、母上。母上だ。なんとしたことを…」



康成はあわてふためき、頭をかかえ込んだが、あとの祭り。継父は夜討ちを見破り、逃げたのである、あやまって母を殺した康成は、ざんげのため近くの地蔵さんに日参し、救いを求めた。
しかし康成のショックは大きく、間もなく病死、地獄へ落ちることになったが、そのとき地蔵があらわれた。



地獄入り寸前を拾われて、三日後、地蔵さんの力で再び現世によみがえった。
康成を地獄から救ったこのお地蔵さん。
別名を地獄地蔵、生身(なまみ)地蔵といわれる矢田寺の御本尊。
奈良時代末期、満慶上人という人が地獄の閻魔大王に招待されたとき、八寒八熱の地獄の中で一人のお坊さんが黙々と地獄の責めを受けているのを見てびっくり。



「なぜか」と声をかけると「わたしは世の多くの人たちの苦しみを身代わりしているのです」との返事。いたく感激した上人が現世にもどって、その坊さんの生きうつしを刻み込んだ、というりっぱなお地蔵さん、天正七年京に移り、いま寺町通り三条の商店街の一角にある矢田寺に鎮座している。
火炎を前に、本堂奥に鎮座する地蔵尊だが、天明の大火のときには町かどへ踊り出て、飢えた人たちを救った、ともいわれる。



体当たり、行動派の男らしい地蔵さんに、今も参拝客が絶えない。
「嫁に行きたいと祈る娘」「子供がほしいと願う女」「朝から家を出て、デパートをあてもなく歩き回る老人の家族」「夫の女狂いに悩む主婦」…参拝人名簿の下には、ひとつひとつ、悩みが浮き出ている。



矢田寺は京都市中京区寺町通三条上ル東側。地下鉄東西線「京都市役所前駅」から南約200m。現在は西山浄土宗の寺院。奈良県大和郡山市の矢田寺の別院だったとも言われる。
地蔵をモデルにした住職夫妻手作りの「ぬいぐるみ地蔵さん」のお守りが人気。「送りの鐘」でも知られる。毎年、冬至にはカボチャ供養の行事を行い、1000人分のカボチャを振る舞う…今京都。


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今京都 自然淘汰 2008/04/29 12:05 am

ぜんとうた…環境や自然条件に適合した生物は生き残り、そうでないものは自然に滅びていくということ。よいものは残り、悪いものは消えていくということ。
◇ちょっと予備知識 → ダーウィンが進化論で用いた語(natural selection)の訳。
                「淘」「汰」は共に選び分けること。
                類義語に自然選択(しぜんせんたく)・適者生存(てきしゃせいぞん)がある。
                対義語は人為淘汰(じんいとうた)。

田寺(矢田地蔵) vol.1
寺町通の喧騒の中にある矢田寺は地蔵菩薩像を本尊とする。絵巻物「矢田地蔵縁起」(重文、室町時代)をもとに、江戸時代後期に作られた木像で、1ヶ月で10,000人の参拝者が訪れるという。



生きとし生けるものを地獄の苦しみから救ってくれるという地蔵信仰は、今も受け継がれている。



厨子に安置されている地蔵菩薩像。実は手動のエレベーターで上下する。戦前まで、毎晩、地蔵菩薩像を耐火レンガの地下室に下ろしていた。レバーをくるくる回すとお地蔵さんが下がっていくそうだ。何度も大火に見舞われた京都ならではの工夫だといえる。



「矢田地蔵縁起」の物語は、死後の世界をつかさどる閻魔王の悩みから始まる。世の中に苦しみが蔓延していて、それがかえって自身の身の災いとなっていたため、閻魔王は受戒を決意。
平安時代初期の朝廷の高官・小野篁に相談すると、篁は「受戒するには当代切っての僧侶、満慶上人がよい」と答えた。



満慶は、大和国(奈良県)の矢田寺の高僧。閻魔王は使者を遣わし、満慶を迎えて悩みを打ち明けると、満慶は戒を授け、閻魔王の心を癒した。



喜んだ閻魔王がお礼をしたいと申し出ると、満慶は地獄を見たいと言った。閻魔王が地獄の鉄扉を開けて案内した。燃え立つ炎の中に湯が煮立った釜があった。
そこには、生前の悪業によって人が次々と落ちてきた。うめき声が響く、まさに地獄絵巻だった。



ふと見上げると、一人の僧が奔走している。地蔵菩薩だった。満慶が話しかけると、地蔵菩薩はこう答えた。
「現世に戻ったら、私に似せた像を作りなさい。そして像を拝み、私と縁を結びなさい。一毛の縁もなければ、地獄の衆生を救うことができないのだ」と。
縁起に描かれたのは、地蔵菩薩の「救済仏」としての姿だった。



近年、矢田寺では絵巻物の模写を使って絵解きしているという。地蔵には『代受苦(だいじゅく)』の御利益がある。
子どものためだけのお地蔵さんではない。
京都の辻々に置かれている本来の理由を忘れないで欲しいと思う…今京都。(続く)


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今京都 亀毛兎角 2008/04/28 12:05 am

もうとかく…毛の生えたかめと角のあるうさぎ。そこから、実在するはずがないということ。ありえないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「兎角亀毛」ともいう。
                類義語に烏白馬角(うはくばかく)・塩香風色(えんこうふうしょく)・
                亀毛蛇足(きもうだそく)・蛇足塩香(だそくえんこう)がある。

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今京都 一日千秋 2008/04/27 2:21 am

ちじつせんしゅう…一日会わないと、随分長い間会っていないように感じられること。待ち遠しくて、一日が千年にも感じられること。待ちこがれることのたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 「一日三秋」からきた言葉。「一日千秋の思い」などと使う。「一日」は「いちにち」とも読む。
                類義語に一刻千秋(いっこくせんしゅう)・三秋之思(さんしゅうのおもい)がある。

並み 嵯峨・嵐山
















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今京都 三令五申 2008/04/26 12:05 am

んれいごしん…何度も言い聞かせること。繰り返して命令すること。
◇ちょっと予備知識 → 3度命令し、5度繰り返して言い聞かせるという意から。
                 類義語に耳提面訓(じていめんくん)・耳提面命(じていめんめい)・
                 周知徹底(しゅうちてってい)がある。

社仏閣
京都の有名な寺社仏閣はいつも修学旅行生や観光客でいっぱい。たくさんの人に京都の寺社仏閣を見ていただくのは嬉しいことだが、京都人にとって、寺社仏閣はやっぱり信仰の対象。そこには複雑なものがあるという。



本来、寺社仏閣を見るということは、仏教や神様の教えの一端だけでも理解することだ。寺社仏閣は観光のために存在しているのではく、当然、壇信徒(檀家)がいる。その人たちにとって寺社仏閣へ行くということはお参りそのものなのだという。



しかし、いつも観光客ばかりで落ち着いてお参りもできず、時にはさみしい思いもしているのだとか…。



京都は「観光で生活している」といわれることを京都人はよしとしていない。
たとえ門前でお土産物を販売しているお家でも、「どんなお客でもいいからたくさんの人に来てもらいたい」と考えているわけではなく、京都の寺社仏閣が「観光地」とだけの扱いをされることに眉をひそめているという。



京都人は京都を知っていただくために京都に来て欲しい。たとえば修学旅行にしても、修学旅行の生徒さんに問題があるわけではなく、修学旅行のあり方が問題だと指摘する。京都に来ていただく以上、それまでに京都のことを十分に勉強してきて欲しい。そうすれば短時間であっても京都のよさにふれることができるのだという。



確かに京都は観光都市をうたっているし、京都人は決して観光客を拒否しない。



しかし、京都には京都のルールがあるという。そんなプライドを持ち続けないと、どんどん京都がダメになってしまうことを京都人は知って恐れている。



こういうところをさして京都人は冷たいと非難されるのかもしれないが、東京ディズニーランドでお弁当が食べられないのも、そこにポリシーがあるから。京都とディズニーランドは全く異質なものだけれど、どこかで相通じる気質を感じることができるような気がする。



観光シーズン以外の京都の寺社仏閣は京都らしい風情があふれているし、京都人の心のよりどころだと感じることができる。京都の寺社仏閣を訪問するのは寒い日や雨の日がいいという。
京都人にとって寺社仏閣は決して観光地ではなく、信仰の場であるということへの理解が必要。もうすぐゴールデンウィーク。京都へ起こしの際はちょっと勉強をしたうえで…という京都の文化のお話…今京都。

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