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rrbのブログ - 2009/04のエントリ

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今京都 八百長 2009/04/30 12:00 am

おちょう…競技などで示し合わせた通りの結果に持ち込むこと。いんちき試合。また、物事を馴れ合いに進めること。
◇ちょっと予備知識 → 昔、八百長という人が、弱い相手との碁の勝敗を事前に調整していたことから。

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 (旧フォトヴィレッジ 2007年4月25日掲載)
簾の連なる路地。京都の路地のよくある光景のひとつが簾。以前にを取り上げたけれど、こういう路地はホントに多い。



これも路地。「こんなに広いのに?」って思うかも知れないけれど、それには訳がある。街撮りをしている最中に教わったお話だけれど、京都では「通り名」がついていない道は全て路地になるという。車が通れるくらい広くたって「通り名」がついていない道は路地だということだ。



では「通り名」がつく条件は…というと「抜けていること」。旧市街の四方の外周道路間を抜けていることらしい。ひとつの例でいうと西の外周道路から東の外周道路まで抜けている道が「通り」となる。北と南とでも条件は同じ。それが基本となっており、途中で切れている道は路地ということらしい。当然、時代が流れ区画整理などで道が途中で寸断されているものもあれば、曲げられて違う「通り」に接続されているものもある。原則は平安京の町並みでつくられたままだという。



このお話、わざわざ地図まで持ち出して40分間の講義となったけれど、とってもためになるお話で楽しかった。街の随所に物知り博士がいるようだ、という京の街のお話…今京都。


 

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今京都 無尽蔵 2009/04/28 12:00 am

じんぞう…いくら取っても尽きないこと。限りがないこと。
◇ちょっと予備知識 → 仏教でたくさんの財宝を納める蔵のことで、無限の功徳があることのたとえ。
                類義語に無限(むげん)・野放図(のほうず)がある。
                対義語は有限(ゆうげん)・際限(さいげん)。

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好みと江戸好みと左前 (旧フォトヴィレッジ 2007年7月13日掲載)
京風の着こなしは、着物が帯になじみ、帯が着物になじむような取り合わせ。たとえば上品な淡いブルーの訪問着には、京都では銀や白の帯を合わせることが多い。あるいは着物の色から一色を選んで帯を合わせるとか、着物と帯が同系色の濃淡になるとか、そういう着こなしが好まれる。これが「京好み」。



これに対して江戸好み、つまり関東風の着こなしは、先ほどの訪問着でいえば、黒の帯を取り合わせたりする。それは帯、または着物を強調するような着こなしで、東京が発信元である現在の着物雑誌ではよく目にする。どこかにアクセントをおく着こなしで、その底流にはファッションは自己主張であるとする近代の意思が感じられる。これが「江戸好み」。



京都人は、帯であれ、着物であれ、どちらかが際立って目立つということは好まない。着物、帯、小物も含めて全体がしっくりとなじんで、そのなかにも「まぁ、すてきやわぁ」という気配をかもし出す。しかし、よくよく考えると「京好み」という言葉、京都にいる限り出合うことはない。「京好みでよろしおすなぁ」なんて、当の京都人同士が使うわけがない。ところが、一歩京都の外に出れば、「京好み」という言葉がいきいきと輝いてひとり歩きする。これぞ京都ブランドの威力ということか。この「京好み」、実は無意識のままに、京都人が母から娘へ、そのまた娘へと代々受け継がれているようである。つまり、身体にしみついた継承だということ。



着物のお話のついでにもうひとつ。それは「左前」「右前」。着物をあまり着ない女性はついつい左前で着てしまう。これは普段の女性の洋服は着物とギャクで左前だからである。着物の左前は死に装束。知ってはいるけれど、左前はダメだから、右を前にしたつもりが左前になってしまうということはよくある。着物が現在のような「右前」になったのは、719(養老3)年に出された衣服令以来のこと。「天下百姓をして襟を右にせしむ」との一文があり、古代中国の風習に合わせたという説がもっとも有力である。この令までは日本では左前が当たり前だったというから驚き。


(よく見ると左前)

さて、左前は、理屈で考えるとあわせが逆になってしまい、ついつい「左前」となる。それは「前」を「まえ」、つまり「前方(ぜんぽう)」と理解するからである。「前」には「さき」という読みや意味がある。だから「左前」は「ひだりまえ」と読まず「ひだりさき」と読めばよい。つまり、「左を先に合わせる」と死に装束の「左前」となる。「右を先にあわせる」と覚えておくと浴衣くらいは間違えずに自分で着れるようになる。浴衣や着物でお出かけしようと考えている方は、これくらいの知識はもっておいても損はない、という京の街のお話…今京都。


 

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今京都 未曾有 2009/04/26 12:00 am

ぞう…これまでに一度もなかったこと。有史以来初めて起こったこと。
◇ちょっと予備知識 → 類義語に空前絶後(くうぜんぜつご)・前代未聞(ぜんだいみもん)破天荒(はてんこう)
                がある。

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蔵物語(254)




 

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今京都 満艦飾 2009/04/25 12:00 am

んかんしょく…女性が派手に着飾ること。また、洗濯物をたくさん並べて干してあるさま。
◇ちょっと予備知識 → もとは、祝日などに軍艦の全体を旗や電灯などで飾り立てること。
                類義語に綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)がある。
                対義語は弊衣破帽(へいいはぼう)。

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らがなとカタカナ (旧フォトヴィレッジ 2007年7月22日掲載)
以前から気になっていたのが「ひらがな」と「カタカナ」である。「日本語とは、漢字と平仮名と片仮名の三つの文字からなる特異な言語である。一つの言語が三種類の文字を使う例は、世界を見渡しても他にない」といわれるくらい日本語は特異であるといわれている。漢字は中国からやってきた。しかし、その漢字(漢語)に支配されることなく、日本人は「ひらがな」と「カタカナ」を生み出した。「ひらがな」は平安時代、京都で生まれた。しかし、「カタカナ」はこれより早く8世紀初頭には「ツ」の字が一番最初に漢字に混じりだすという史実がある。また、「カタカナ」は「ひらがな」と同様に、平安時代の文化を支えた文字だともいわれている。



今現在、「カタカナ」といえば「パソコン」「ファッション」「パスタ」「リストラ」「セクハラ」などと外来語のための文字かと錯覚してしまいそうなくらいだし、擬態語・擬音語程度にしか使われていない。習字の世界でも「カタカナ」は手本がなく、どう書いていいかわからないという。あと思いつくのは書類のフリガナ。これが意外と「ひらがな」ではなく「カタカナ」が多いのに驚く。このあたりに何かいわれがありそうな感じがする。「カタカナ」には書体としての基準が生まれていないし、現在も、なお、ない。だから文字としてはまだ半人前の文字であるという意味で「片仮名」だという説もある。平安時代に生まれた文字の双子の姉妹のような「カタカナ」と「ひらがな」なのに、「カタカナ」はなぜいつまでたっても半人前なんだろうと疑問となる。



「源氏物語」や「古今和歌集」の王朝文学が都でもてはやされた平安時代、「ひらがな」は「女手(おんなで)」と呼ばれ、「漢字」は「男手(おとこで)」と呼ばれていた。これは「女っぽい」とか「女性が好んで書いた」という意味ではない。当時は中国が男で、日本は女。「漢字」と「ひらがな」で一対を成すと考えられていたようだ。ここで既に「カタカナ」の存在がない。「カタカナ」とは一体何?とますます疑問となる。



「ひらがな」は「漢字」をくずした文字、すなわち中国に敬意をはらって、漢語でない場合は文字をくずして書くところから誕生した。これに対して「カタカナ」は漢文を読み下すために発明された文字だといえる。たとえば「夏空」という漢文に「ノ」を加えて「夏ノ空」、「昇降」なら「昇リ降リ」として日本語化する。単語だけではない。「念仏往生トケヤスシ(とけ易し)」などと漢字片仮名交じり文でわかりやすく翻訳し、一般庶民に理解しやすいように使用されている。この翻訳機能がのちの外来語表記にあてられたと思われる。明治時代から昭和の戦前までは、ベースボールは「野球」、ノートは「帳面」、レールは「線路」と日本人は漢字翻訳が得意であった。



つまり西欧語は「とりあえず片仮名でいったん受け止め、漢語訳できるものは漢字にするし、できないものは片仮名のまま使ってしまう」ということなんだと思う。「カタカナ」がない中国ではそれができない。日本ではこの二面作戦が可能であるから、日本語は東アジアでいちはやく西欧語を吸収するのに成功したということかも。今現在、商品やブランドにあふれかえる外来語に、いちいち日本語訳して受け止める余裕をなくしている。かといって「カタカナ」が一人前に昇格するわけでもない。半人前のままの「カタカナ」に包囲されて、何も思わず暮らしている日本人がいる。



「カタカナ」は肩身が狭い。実際、携帯電話などのデジタル文字では、打つと同時に半角文字に変換されたりして、文字サイズからして肩身が狭い。なのに何の違和感もなく使用されているのである。そして、この半人前の「カタカナ」のおかげで、不便なく言葉の世界で暮らせてるのも事実である。その「カタカナ」も「ひらがな」も京都と関係があったとは驚き、という京の街のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


 

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今京都 朴念仁 2009/04/23 12:00 am

くねんじん…無口で無愛想な人。人付き合いの下手な人。また、気の利かない人。
◇ちょっと予備知識 → 「朴念人」と書くのは誤り。
                類義語に鈍物(どんぶつ)がある。

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寄せ、軒吊り看板 (旧フォトヴィレッジ 2007年4月24日、5月25日掲載)



町家ではよく見かける格子を取り囲むようにして取り付けられた柵を駒(こま)寄せという。牛や馬を繋ぐためとも、犬矢来と同じ目的でつけられたともいわれている。調べてみてもそれ以上に詳しいことはわからない。牛や馬を繋ぐにしても広い道幅ならともかく、京都は大通り以外は狭い道。歩く人には大きな迷惑だったかもしれない。それより、格子の向こうは開けっ放しが多いので防犯のためのものと考えたほうが自然。格子と駒寄せの間は当然私有地。駒寄せが朽ちてきて撤去するところもあれば、鉄などでやりかえるところもある。いつまでも残ってほしいもとつのアイテムだ。



暖簾とほぼ同じくらいくらいの京都のアイテム。今では京都の街では見かけることが少なくなってきているのが、軒吊り看板。屋根看板が一番多いような気がする。看板のタイプを見て歩くのも、散策のひとつの楽しみ、という京の街のお話…今京都。


 

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