rrbのブログ - 2008/02/05のエントリ
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三三五五2008/02/05 12:14 am
さんさんごご…小人数ずつで連れ立って動くこと。また、人や家があちこちに散在しているさま。ちらほら。
◇ちょっと予備知識 → あちらに3、こちらに5、というように、散らばっているということから。
梅宮大社 またげ石 vol.1
京都市右京区の梅宮大社には、祈祷の後、三回跨ぐと子どもが授かるという言い伝えから「またげ石」と呼ばれるようになった石がある。

平たく長細い石の上に卵形の石が二つ。形の由来や来歴を詳しく記した史料はないが、子授けの霊験を求めて毎年千組以上の男女が参拝するというから驚き。

このことはサブサイトで少し触れたけれど、絵馬にも全国各地の住所(←クリック)が書かれている。

この言い伝えの起源は平安期にさかのぼるという。
皇子を授かりたいと切望した壇林皇后(嵯峨天皇妃)が、子授けの神を祀る同神社を参拝。その折、境内にあった二つの石をまたいだところ、皇后は間もなく懐妊し、810(弘仁元)年に仁明天皇が誕生した。

以来、長きにわたって子授けの霊力があると信奉されてきたが、全国的に注目が集まったのが約20年前。著名な俳優が、またげ石に祈願して子と孫を得た体験を発表したことから参拝者が激増し、ピーク時には年間三千組に達したという。テレビ局の取材に応じて、何度も石をまたいだカップルに双子ができたという話もあるという。

祈祷は男女揃ってしか受けられず、石をまたぐのも二人一緒。こうした方式になったのは実はここ50年ほどのことだという。

男女同権の時代を迎え、子を産み育てるのは女性の仕事という見方は過去のものになり、男性も育児や家庭運営に積極的にかかわるべきとの考え方を取り入れた結果の改定だとの推測もある。

石をまつる場所にも変遷がある。京都府井手町付近にあったとされる神社を、今の場所に移したのは壇林皇后といわれている。

その時、石も一緒に移ってきたのか、あるいはもともとこの地にあった石をまたいだのか、明確に記録されないまま時は流れ、神社内のどこに石が置かれていたのかがはっきりするのは明治期になってからという…今京都。(続く)
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平たく長細い石の上に卵形の石が二つ。形の由来や来歴を詳しく記した史料はないが、子授けの霊験を求めて毎年千組以上の男女が参拝するというから驚き。

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この言い伝えの起源は平安期にさかのぼるという。
皇子を授かりたいと切望した壇林皇后(嵯峨天皇妃)が、子授けの神を祀る同神社を参拝。その折、境内にあった二つの石をまたいだところ、皇后は間もなく懐妊し、810(弘仁元)年に仁明天皇が誕生した。

以来、長きにわたって子授けの霊力があると信奉されてきたが、全国的に注目が集まったのが約20年前。著名な俳優が、またげ石に祈願して子と孫を得た体験を発表したことから参拝者が激増し、ピーク時には年間三千組に達したという。テレビ局の取材に応じて、何度も石をまたいだカップルに双子ができたという話もあるという。

祈祷は男女揃ってしか受けられず、石をまたぐのも二人一緒。こうした方式になったのは実はここ50年ほどのことだという。

男女同権の時代を迎え、子を産み育てるのは女性の仕事という見方は過去のものになり、男性も育児や家庭運営に積極的にかかわるべきとの考え方を取り入れた結果の改定だとの推測もある。

石をまつる場所にも変遷がある。京都府井手町付近にあったとされる神社を、今の場所に移したのは壇林皇后といわれている。

その時、石も一緒に移ってきたのか、あるいはもともとこの地にあった石をまたいだのか、明確に記録されないまま時は流れ、神社内のどこに石が置かれていたのかがはっきりするのは明治期になってからという…今京都。(続く)
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