rrbのブログ - 最新エントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
今京都 医食同源 2008/01/21 12:07 am
いしょくどうげん…病気の予防には、まず日常の食生活に気を配ることが大切だということ。
◇ちょっと予備知識 → 「医食」は医薬と食事。薬と食べ物はもともと同じ源という意から。
町並み 続・烏丸通沿い
先日掲載した烏丸通(←クリック)に面しているその他の風景の紹介。
以上は東本願寺。
2011年に迎える親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念事業として、
明治の再建(1885年)以来百余年を経た真宗本廟両堂等の御修復という歴史的事業に取り組んでいる。
2008年末の完了に向けて進められているこの工事の関係で中は撮らなかった。
京都御所の植木もちゃんと手入れされるんだ…知らなんだ
地蔵物語(135)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
◇ちょっと予備知識 → 「医食」は医薬と食事。薬と食べ物はもともと同じ源という意から。
町並み 続・烏丸通沿い
先日掲載した烏丸通(←クリック)に面しているその他の風景の紹介。
以上は東本願寺。
2011年に迎える親鸞聖人七百五十回御遠忌の特別記念事業として、
明治の再建(1885年)以来百余年を経た真宗本廟両堂等の御修復という歴史的事業に取り組んでいる。
2008年末の完了に向けて進められているこの工事の関係で中は撮らなかった。
京都御所の植木もちゃんと手入れされるんだ…知らなんだ
地蔵物語(135)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
このエントリーの情報
今京都 薄利多売 2008/01/20 11:58 am
はくりたばい…個々の商品の利益を少なくし、単価を下げて大量に売ることで利益を確保する販売方法。ディスカウント販売。
◇ちょっと予備知識 → 「薄利」は利益が少ないこと。
町並み 烏丸通沿い
先日掲載した烏丸通(←クリック)から見えるいくつかの風景を紹介。
以前に紹介した護王神社(←クリック)
以前に紹介した護王神社(←クリック)
平安女学院にある聖アグネス教会の建物
町家風のお家も
地蔵物語(134)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
◇ちょっと予備知識 → 「薄利」は利益が少ないこと。
町並み 烏丸通沿い
先日掲載した烏丸通(←クリック)から見えるいくつかの風景を紹介。
以前に紹介した護王神社(←クリック)
以前に紹介した護王神社(←クリック)
平安女学院にある聖アグネス教会の建物
町家風のお家も
地蔵物語(134)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
このエントリーの情報
今京都 大兵肥満 2008/01/19 12:04 am
だいひょうひまん…からだが大きくて太っていること。またそのような人。偉丈夫。
◇ちょっと予備知識 → 「大兵」は、からだが太っていること。反対は「小兵(こひょう)」。
「だいへい」と読むのは誤り。
対義語は痩身矮軀(そうしんわいく)。
鴨川のユリカモメ vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
調べてみると30年ほど前、ユリカモメの故郷であるカムチャッカでも数が増えている。そこで、それまでの飛来先であった琵琶湖岸だけではエサが足りなくてさ迷っているうちに京都市内の河川を発見したともいわれ、さらに人々がパンくずなどを与えて歓迎したことも一因ではないかともいわれている。
食いしん坊の習性をもつユリカモメは2月になると多くが大阪湾に湧くイカナゴに魅せられて移動するという。
30年ほど前には鴨川や高野川でオイカワが異常繁殖したことがあって、ユリカモメの飛来は、これに惹かれたのかもしれないという説もある。
今から一千年近く前、近江や京にイナゴが大量発生して農耕民を困らせたとき、たくさんの鳥が飛んできてイナゴを退治したという記録もあり、それがおそらくはユリカモメだったろうともいわれている。
自然界では、ある種の生物が急に増えると、それを元に戻そうとして別の生物が何らかの働きをすることがあるといわれ、それを「地球の呼吸」と表現されているようだ。
この「地球の呼吸」現象は、ユリカモメの京への飛来も引き起こしたのかもしれない。食いしん坊ユリカモメは自然界から何らかの使命をおびて京に飛来した。鴨川・高野川など京都の川からその姿を消しつつあるユリカモメ。京での使命が終わりつつあるということなのか? だとしたら、次はどんな使命をおびて、どこへ向かうのか?
地球温暖化による影響を受けて飛来数が減少しているととるより、「地球の呼吸」による変動ととらえたい。現実とはかけ離れてしまうかもしれないが、そのほうが心が安らぐ。
ところで、このユリカモメくんたち、トンビが現れると一斉に逃げるくせに、人にはとてもなつっこい。むしろエサをアピールしてくる。頭をコツンコツンされるし、羽でたたかれたり…なんか「エサよこさんかい!」と脅されている気分にもなった…今京都。(今日掲載の写真はEPSON R-D1sで撮影)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
◇ちょっと予備知識 → 「大兵」は、からだが太っていること。反対は「小兵(こひょう)」。
「だいへい」と読むのは誤り。
対義語は痩身矮軀(そうしんわいく)。
鴨川のユリカモメ vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
調べてみると30年ほど前、ユリカモメの故郷であるカムチャッカでも数が増えている。そこで、それまでの飛来先であった琵琶湖岸だけではエサが足りなくてさ迷っているうちに京都市内の河川を発見したともいわれ、さらに人々がパンくずなどを与えて歓迎したことも一因ではないかともいわれている。
食いしん坊の習性をもつユリカモメは2月になると多くが大阪湾に湧くイカナゴに魅せられて移動するという。
30年ほど前には鴨川や高野川でオイカワが異常繁殖したことがあって、ユリカモメの飛来は、これに惹かれたのかもしれないという説もある。
今から一千年近く前、近江や京にイナゴが大量発生して農耕民を困らせたとき、たくさんの鳥が飛んできてイナゴを退治したという記録もあり、それがおそらくはユリカモメだったろうともいわれている。
自然界では、ある種の生物が急に増えると、それを元に戻そうとして別の生物が何らかの働きをすることがあるといわれ、それを「地球の呼吸」と表現されているようだ。
この「地球の呼吸」現象は、ユリカモメの京への飛来も引き起こしたのかもしれない。食いしん坊ユリカモメは自然界から何らかの使命をおびて京に飛来した。鴨川・高野川など京都の川からその姿を消しつつあるユリカモメ。京での使命が終わりつつあるということなのか? だとしたら、次はどんな使命をおびて、どこへ向かうのか?
地球温暖化による影響を受けて飛来数が減少しているととるより、「地球の呼吸」による変動ととらえたい。現実とはかけ離れてしまうかもしれないが、そのほうが心が安らぐ。
ところで、このユリカモメくんたち、トンビが現れると一斉に逃げるくせに、人にはとてもなつっこい。むしろエサをアピールしてくる。頭をコツンコツンされるし、羽でたたかれたり…なんか「エサよこさんかい!」と脅されている気分にもなった…今京都。(今日掲載の写真はEPSON R-D1sで撮影)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
このエントリーの情報
今京都 三顧之礼 2008/01/18 9:08 am
さんこのれい…礼儀を尽くして優れた人材を招くこと。特に目下の優秀な人物を手厚く迎えること。
◇ちょっと予備知識 → 中国の三国時代に、蜀の劉備が諸葛亮孔明を3度も訪ねて軍師に迎えたという故事より。
「顧」は訪ねる、の意。
類義語に三徴七辟(さんちょうしちへき)・草廬三顧(そうろさんこ)がある。
鴨川のユリカモメ vol.1
先日、新聞に「鴨川流域 ユリカモメ最少」という見出しの記事が掲載されていた。
今年の鴨川流域のユリカモメの飛来数は971羽ということだ。この数字は、昨年比340羽減で、1996(平成8)年からの調査以来、最少の数値であるという。
これは京都の気温が上り、飛来するには暖かすぎるということなのか…と、いうことで今回は鴨川のユリカモメを取り上げる。
冬の鴨川にユリカモメはよく似合う。最近はあまり見れないけれど、雪化粧をした北山を背景に白いユリカモメが舞っている姿などは絶景に値すると思う。
また、冬枯れの河原で寒さに肩をすくめていても渡り鳥たちの小気味いい動きにつられて少しだけ心が温まるような気もする。
「あっ! パンだ!」
(ナイスキャッチ!)
日がなエサ探しにいそしんだユリカモメたちは、夕方になると、どこからともなく仲間の群れが鴨川上空に集まってきて、いっせいに天に吸い込まれるように舞い上がる。この光景を「鳥柱(とりばしら)」というらしい。
鳥柱は大文字山より高く上昇し、ねぐらとなる琵琶湖に一気に降下する。琵琶湖畔で待っていると、はじめは白い点のような群れが急に大群になって人々を驚かせるという。
この鴨川のユリカモメが、突然、群れをなして飛来してきたのは1974(昭和49)年1月のこと。
白い来訪者たちに、京都の人はびっくりしたという。それから毎年冬に必ず飛来し、今ではすっかりと鴨川の冬の風物詩となった。
30年ほど前は一万羽を数えていたユリカモメの飛来が年々減少し、今年はついに1000羽を割った。そもそも30年ほど前、どうして鴨川にやってきたのかということはいまだに謎だという…今京都。(続く)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
◇ちょっと予備知識 → 中国の三国時代に、蜀の劉備が諸葛亮孔明を3度も訪ねて軍師に迎えたという故事より。
「顧」は訪ねる、の意。
類義語に三徴七辟(さんちょうしちへき)・草廬三顧(そうろさんこ)がある。
鴨川のユリカモメ vol.1
先日、新聞に「鴨川流域 ユリカモメ最少」という見出しの記事が掲載されていた。
今年の鴨川流域のユリカモメの飛来数は971羽ということだ。この数字は、昨年比340羽減で、1996(平成8)年からの調査以来、最少の数値であるという。
これは京都の気温が上り、飛来するには暖かすぎるということなのか…と、いうことで今回は鴨川のユリカモメを取り上げる。
冬の鴨川にユリカモメはよく似合う。最近はあまり見れないけれど、雪化粧をした北山を背景に白いユリカモメが舞っている姿などは絶景に値すると思う。
また、冬枯れの河原で寒さに肩をすくめていても渡り鳥たちの小気味いい動きにつられて少しだけ心が温まるような気もする。
「あっ! パンだ!」
(ナイスキャッチ!)
日がなエサ探しにいそしんだユリカモメたちは、夕方になると、どこからともなく仲間の群れが鴨川上空に集まってきて、いっせいに天に吸い込まれるように舞い上がる。この光景を「鳥柱(とりばしら)」というらしい。
鳥柱は大文字山より高く上昇し、ねぐらとなる琵琶湖に一気に降下する。琵琶湖畔で待っていると、はじめは白い点のような群れが急に大群になって人々を驚かせるという。
この鴨川のユリカモメが、突然、群れをなして飛来してきたのは1974(昭和49)年1月のこと。
白い来訪者たちに、京都の人はびっくりしたという。それから毎年冬に必ず飛来し、今ではすっかりと鴨川の冬の風物詩となった。
30年ほど前は一万羽を数えていたユリカモメの飛来が年々減少し、今年はついに1000羽を割った。そもそも30年ほど前、どうして鴨川にやってきたのかということはいまだに謎だという…今京都。(続く)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
このエントリーの情報
今京都 加持祈祷 2008/01/17 9:12 am
かじきとう…病気や災難から逃れるために神仏に祈ること。
◇ちょっと予備知識 → 「加持」は真言宗での呪法で、仏の加護によって災いを払う祈りのこと。
「祈祷」は心を込めて神仏に祈ること。
烏丸通(からすまどおり) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
さて、つまり平安京の時代には今の千本通りが朱雀大路としてメインストリートだった時代に、既に烏丸小路があったということ。
しかし、当時は両側の東洞院通や西洞院通のほうがずっと大きい通りだったということ。
また平安京の市街にかつて流れていた川として、堀川、小川、西洞院川、今出川、夷川などと並んで、烏丸川という川もあったということ。
応仁の乱後、秀吉の天正時代に烏丸川が姿を消したということ。
などがわかった。
そして「烏丸川があったので烏丸小路が生まれ、烏丸小路にもとづいて今日の烏丸通が起こったと見るべきではないか」という一説にであった。
つまり「カラスマ(烏丸)はカワラ(川原)ス(州)マ(際)が語源で、川原の州の上に発達した所という意味ではないか」ということだ。
現に烏丸線の地下鉄工事では川原があったことを示す砂層がみつかっており、烏丸綾小路では弥生時代の住居が川原州に発掘されたそうだ。
この説が正しいなら「烏」も「丸」も当て字ということになる。本来は「カワラスマ(川原州際)」。烏丸の「丸」を呼びやすいように「マ」と略したのではなく、マ(際)という音が先にあって、そこに中心(本丸)の意味を込めて「丸」の字を当てた、というわけだ。
今風にいえば、フリーマーケットのことを略して「フリマ」と呼んだりするが、そこに「振丸」と漢字を当てたようなもの、といえばいいかな。いずれにしても「烏丸」にかかわらず、読み方が結構難しい。
調べて思ったのであるが、この問題については、「ここは、かつての王城の地である、都である。日本語はここから生まれたのである、と平然と構え『そうかぁ、これが都ことばというものか』なんて、妙に納得するにとどまることがいい」ようだ。
そうそう、昨日の「烏丸丸太町」の読み方は「からすままるたまち」…今京都。(一連の写真は烏丸通の北側(北大路)から南側(京都駅)までの間の風景)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。
◇ちょっと予備知識 → 「加持」は真言宗での呪法で、仏の加護によって災いを払う祈りのこと。
「祈祷」は心を込めて神仏に祈ること。
烏丸通(からすまどおり) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)
さて、つまり平安京の時代には今の千本通りが朱雀大路としてメインストリートだった時代に、既に烏丸小路があったということ。
しかし、当時は両側の東洞院通や西洞院通のほうがずっと大きい通りだったということ。
また平安京の市街にかつて流れていた川として、堀川、小川、西洞院川、今出川、夷川などと並んで、烏丸川という川もあったということ。
応仁の乱後、秀吉の天正時代に烏丸川が姿を消したということ。
などがわかった。
そして「烏丸川があったので烏丸小路が生まれ、烏丸小路にもとづいて今日の烏丸通が起こったと見るべきではないか」という一説にであった。
つまり「カラスマ(烏丸)はカワラ(川原)ス(州)マ(際)が語源で、川原の州の上に発達した所という意味ではないか」ということだ。
現に烏丸線の地下鉄工事では川原があったことを示す砂層がみつかっており、烏丸綾小路では弥生時代の住居が川原州に発掘されたそうだ。
この説が正しいなら「烏」も「丸」も当て字ということになる。本来は「カワラスマ(川原州際)」。烏丸の「丸」を呼びやすいように「マ」と略したのではなく、マ(際)という音が先にあって、そこに中心(本丸)の意味を込めて「丸」の字を当てた、というわけだ。
今風にいえば、フリーマーケットのことを略して「フリマ」と呼んだりするが、そこに「振丸」と漢字を当てたようなもの、といえばいいかな。いずれにしても「烏丸」にかかわらず、読み方が結構難しい。
調べて思ったのであるが、この問題については、「ここは、かつての王城の地である、都である。日本語はここから生まれたのである、と平然と構え『そうかぁ、これが都ことばというものか』なんて、妙に納得するにとどまることがいい」ようだ。
そうそう、昨日の「烏丸丸太町」の読み方は「からすままるたまち」…今京都。(一連の写真は烏丸通の北側(北大路)から南側(京都駅)までの間の風景)
コメント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。