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今京都 単刀直入 2008/06/19 12:05 am

んとうちょくにゅう…前置きもなく、ずばりと本論に入ること。
◇ちょっと予備知識 → 一人で刀を振るって、敵陣にまっしぐらに斬り込んでいくこと。
                「単刀」は一振りの刀。「短刀」とするのは誤り。
                類義語に単刀趣入(たんとうしゅにゅう)がある。

神稲荷
雲一つない秋空の下、朱色の鳥居の前に並べられた、水をなみなみと汲んだ樽。その水面に、傍らのイチョウから黄色い葉が一枚、落ちた。京都市左京区・妙雲院の境内にある菊神稲荷で11月7日、火焚祭が執り行われた。僧侶たちによる水行を控え、静寂な時間が過ぎる…という、記事を見て、いつかは行きたいと思っていた。



水行は同祭のハイライトだが、誰でもできるわけではないという。同院の住職をはじめ、百日の荒行を終えた者だけが許される。
参拝客が見守るなか、下帯姿の三人が、経文をとなえながら木おけで水をくみ、勢いよく頭からかぶる。繰り返し、水しぶきを飛び散らせて身を清める姿は豪快だという。



寺伝によると、菊神稲荷がまつられたのは江戸中期の十一代住職日敬聖人の頃。
京都の中心部を焼き尽くした天明の大火(1788年)は同院にも被害を及ぼした。復興のために、日敬は昼夜を問わずに奔走した。疲れ果ててうたた寝をしていると、枕元に神が現れ、こう告げた。



「我はこのほとりに住む菊神稲荷なり。このところより一丁余(約100m)南せしところに雨露にさらされてあれば、災禍の跡、復興にいち早き汝日敬、寺の一隅に我を祭祀して末永く当域と当寺の守護神とせよ」と、告げ終わるやいなや、光は南の方角に消え去った。



不思議に思った日敬は、後を追うように南に向かい、お告げ通りの位置で地面に埋もれた木像を見つけ、丁重に持ち帰り、寺の再建に併せて境内にほこらを設けた。



大火の後に見つかったためか、いつしか火よけの御利益があると地元で信仰を集めるようになった。これより以降、確かに寺と周辺の町は大きな火災に遭うことがなくなったという。



同稲荷は当初、境内でひっそりと祀られていたが、先代の住職が火焚祭を始めた。今では晩秋の風物詩として、朝から続々と参拝客が訪れるようになったとのことだ。



水行の後、鳥居の前で参拝者の名前や願い事を記した護摩木がたかれる。立ち上る炎に向かい、参拝客たちが熱心に手を合わせる。最近は火よけ以外に、商売繁盛や無病息災も願う人も増えたという。そんな祭りの様子を、神体の木像は静かに見守っているに違いない。



日蓮宗の寺院である妙雲院はもともと、堺で松林山妙雲寺と称していた。16世紀の天文の法難で、京都から堺に逃れてきた頂妙寺の復興を支えるため、現在地に移った。菊神稲荷では2月の初午祭にも水行と神体の開帳があるという。いつか実際に見たい水行…今京都。


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今京都 閑雲野鶴 2008/06/18 12:04 am

んうんやかく…何事にもとらわれず、のんびりと自然を楽しみながら暮らすこと。悠々と自由に暮らす境遇。
◇ちょっと予備知識 → 「閑雲」は静かに空に浮かんでいる雲。「野鶴」は野で気ままに進んでいる鶴。
                「閑雲」は「間雲」とも書く。
                類義語に閑雲孤鶴(かんうんこかく)・孤雲野鶴(こうんやかく)・琴歌酒賦(きんかしゅふ)・
                悠悠自適(ゆうゆうじてき)がある。

いの日の雨
6月は梅雨。雨が多いのは当たり前。けれどこの雨の多い月に結婚式も多い。結婚式の日が雨ならば、必ず出てくるのが、「雨降って地固まる」という言葉だろう。



この言葉は験(げん)のいいことだといわれるようになったが、本当のところは一種のなぐさめの言葉にしか過ぎないという。誰が考えてみても、お祝いの日に雨が降っていいわけはない。お宮詣りをはじめとして、結納や婚礼の日はもちろんのこと、特に荷出しの日に雨が降れば、娘のために今まで支度をしてきた親の気持ちは察するにあまりある。



どうしても陰気になり、気が滅入ってしまうものだ。人間にはどうすることもできない自然界のこと、誰もが空を見上げながら泣きたくなるのは当然のこと。
そんな時、相手の気持ちを察して「雨が降るのは地固まって験がよろしおすなぁ」と話しかける。この言葉に当事者はと゜れだけなぐさめられ、力づけられることか、はかり知れないものがあるという。



それだけではない、地が固まって験がいいだけでは終わらさず、「降り込む」「入り込む」(福が来るの意)などといった験のよい言葉をも作り出した。これも暮らしの知恵であり、京都、ひいては日本人の心根のやさしさといえる。
京都人は、単に迷信や言い伝えにこだわっているわけではない。迷信や言い伝えから心の優しさを取り出し、事を行ってきた。だからこそ全国津々浦々にまで、こんな言葉が広まったのだと思われる。



このように儀式作法とは、本来、心根の優しいものだったのだが、現在、反撥をうけているのはなぜだろう。本当の意味や心が正しく伝わらなかったためだろうか。表面上の形ばかりにとらわれて、儀式作法を一人歩きさせた責任を十分に自覚しながら、その反省の上に立ち、本当の意味、心を伝えていかねばならない。それが伝承というものだろうし、京都の心を残す大切な事柄のひとつだと確信したい。



これとよく似たことに数字の「はち」というのがある。たとえば八万円の金額をお祝いとして受け取ったとき、本来「八」という数字は陰の数であり、あまりお祝い事にはふさわしくない。しかし、頂戴した以上は仕方ない。そんな時「八は末広がりや」という言葉を使うことで、不快な心をなぐさめてきた。



この他にも人を思いやる言葉は数多くあるだろう。これらは全て暮らしの知恵であり、京都人の、ひいては日本人の心根の優しさといえる。
「雨降って地固まる」は、もともとは当事者をなぐさめるために生まれた京都人の心根の優しさがうかがわれる言い伝えだという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 極悪非道 2008/06/17 12:04 am

くあくひどう…心がよこしまで、行いが悪いこと。人の道に背く極めつきの悪事。
◇ちょっと予備知識 → 「極悪」は、悪に徹していること。「極悪非道の輩」「極悪非道の悪事」などと使う。
                類義語に悪逆非道(あくぎゃくひどう)・悪逆無道(あくぎゃくむどう)・
                大逆無道(たいぎゃくむどう)がある。

うき
古来から「ほうき」というものは邪気を追い払い、悪いものを掃き出してしまう力があると考えられてきた。その「ほうき」で面白いお話が京都にはある。



京都では、逆さに立てた「ほうき」に布(手拭い)をかぶせて、ほおかぶりをさせ、それを一心に拝む。時にはご飯やお菓子などをお供えすることもあるという。これは、お客さんに早く帰って欲しいときのおまじないだという。つまり、長居をするお客さんは早く帰ってもらいたいときは「ほうき」を逆さに立てるのである。



お供えしたり、拝むという行為は、「ほうき」そのものを神様とか仏様に格上げすることになるが、布をかぶせることでより一層、身近なものと演出している。そして、ただのおまじないといったことではなく、この行為にはこれに加えて重要な意味が潜んでいる。子が親に対して発信するサインであり、暗号でもあった。



長居するお客さんに対して、子どもがその方の辞去を願って子どもなりの豊かな感性と発想で「ほうき」を逆さにして拝んでいるということは、お客さんに親を占領されていることへの反撥であり、親に対する無言の愛情表現でもある。



そんな我が子の姿を親が見れば、うれしくて喜ばずにはおれない。たとえ大切なお客さんであっても親は決してとがめたりしないし、もちろん「ほうき」は廊下の突き当たりなど、お客さんから見えないところにこっそり立てかけられたのはいうまでもない。



「ほうき」という道具を仲介して、親と子の連帯、つながりをより一層深いものにしてきたのは、とても心あたたまることである。京都ではこのような親子の絆を深めるためのとてもよいソフトが、生活の中にきちんとおさまっている。このソフトが健全な限り親子の断絶というのはありえない。



ところが残念なことに、最近では家庭から「ほうき」がだんだんなくなってきた。「ほうき」のかわりに掃除機を逆さに立てるといったことは聞かない。京都の家庭から「ほうき」をなくしてほしくないものだ。
逆さに立てかけた「ほうき」は、邪気ならぬ長居するお客さんを追い払う親と子のコミュニケーションの道具だという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 天佑神助 2008/06/16 12:05 am

んゆうしんじょ…天の助けと神のご加護。また、思いがけない偶然によって助かること。苦しいときの神だのみ。
◇ちょっと予備知識 → 「天佑」は天の助けのこと。「天祐」とも書く。「神助天佑」ともいう。
                類義語に神佑天助(しんゆうてんじょ)がある。

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今京都 千差万別 2008/06/15 12:06 am

んさばんべつ…ものによってさまざまに様子が異なること。いろいろな違いがあって一律でないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「千」「万」は共に数が多いこと。「万別」は「まんべつ」とも読む。
                類義語に十人十色(じゅうにんといろ)・千種万別(せんしゅばんべつ)・
                千姿万態(せんしばんたい)・多種多様(たしゅたよう)がある。

並み

















蔵物語(175)




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