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今京都 堅白同異 2008/06/14 12:05 am

んぱくどうい…詭弁。こじつけの論理のこと。
◇ちょっと予備知識 → 中国戦国時代の公孫竜の理論で、目で石を見れば白さはわかるが堅さはわからない。
                触れれば堅さはわかるが白さはわからない。よって堅くて白い石はない、
                とするこじつけ。「堅白同異の弁」などと使う。
                類義語に堅石白馬(けんせきはくば)・白馬非馬(はくばひば)がある。

刀氏塔(あとしとう)
千本通に沿って静かな境内が広がる上品蓮台(じょうぼんれんだい)寺は、真言宗智山派(総本山・智積院、京都市東山区)の古刹(こさつ)。西陣方面から北へ向かって歩くと、坂道がきつくなる高台にある。



境内の墓地の一角には、弘法大師・空海の母の墓とされる「阿刀氏塔」が立っている。五輪石塔で、由緒書はないが、阿刀氏は空海の母の家系。高さは約2.5mあり、船岡山の木々を背景に、立ち並ぶ墓石の中でも、ひときわ目立つ。



この石塔はかつて、肺病祈願で知られた。慈悲深かった空海の母にちなむらしい。「京都・山城 寺院神社大事典」(平凡社)によると、石塔の前で、病人が身に触れた衣服を祈とうして焼き、その灰を飲むと全快したという。



治療方法がなかった時代、切実に回復を願う庶民の姿が目に浮かぶよう。今では訪れる人もないが、山門の北脇にひっそりと置かれた「大師母公跡 肺病平癒霊塔」の石碑が名残を伝えているという。



1913(大正2)年当時の住職が記した文書には、
「病衣焼除 患者ノ衣類腹巻等墓前ニ於テ加持シテ焼除セシム 最モ信者ノ姓名年齢ヲ記シ大師霊前ニ平癒祈念ヲスル事」。
と、几帳面な筆遣いで記されており、祈とうの作法も定められているという。



阿刀氏塔がなぜこの寺に建てられたのかは定かではない。ただ、空海が開いた東寺(南区)から、ほぼ7km真北に位置し、市内にビルが立ち並ぶ前は、上品蓮台寺から東寺の五重塔が望めたという。



上品蓮台寺は別名「十二坊」という。かつて十二の塔頭があった名残で、寺に伝わる絵図には千本通の両側に寺が立ち並ぶ様子が描かれている。現在の塔頭は三カ寺だが、地名には「十二坊」が残っている。



上品蓮台寺は聖徳太子の創建と伝えられ、当初は香隆寺と称した。宇多法皇の勅願で再建され、上品蓮台寺と改められたという。



境内には、謡曲や歌舞伎の演目で知られる「土蜘蛛(つちぐも)」に登場する源頼光の塚があり、芸能関係者の参拝がある。また、平安時代の仏師定朝の墓があり、毎年、命日に京都佛像彫刻家協会と京都仏具協同組合が法要を営んでいるという…今京都。


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今京都 刎頚之交 2008/06/13 12:04 am

んけいのこう…固い友情で結ばれている間柄。心を許し合った無二の友人。
◇ちょっと予備知識 → その人のためなら首を斬られても悔いはない、というほどの固い交わりの意から。
                類義語に刎頚之友(ふんけいのとも)・管鮑之交(かんぼうのこう)・
                水魚之交(すいぎょのこう)・断金之交(だんきんのこう)がある。

吽の呼吸
「おやかまっさんどした」というのは、「お騒がせしてすみませんでした」という意味合いで、実際にはお客さんが、つまり買い物に来た側がいうことば。
色々と数多くの商品を見せていただいたとか、詳しい説明を受けたとかそういった時に、感謝の心を込めてお店の人に対して「おやかまっさんどした」と京都ではいう。



こんなお客さんがお店にとって本当の上客で、この言葉を聞くと嬉しくなり「是非またご来店ください。この次には、今日よりもっとよい品をご覧いただけるよう努力し、また十分なご説明もさせてもらいます」と本心から思うという。



「えらい、おやかまっさんどした」
「めっそうもない」
「ほんまに助かりました」
「なにおっしゃいますやら。おおきにありがとうごさいます」
こんなやりとりが京のお店では交わされる。
京都ではお客さんも買い物のプロ。お店の人より先にお辞儀をするような感じで「すんまへんなぁ」と買いに来て、「おおきに」と帰っていく。



「よう売ってくれはった」という気持ちがお店の人に伝われば、必ず間違いのない品を買い求めることができることを京都人はちゃんと心得ている。決して打算的なものの考え方ではなく、お店の人とのあたたかいふれあいを大切に考えている。



当然といえば当然だが、お昼時の買い物や閉店間際の買い物、日用品ならともかく大切な品物なら、こういった時間帯はできるかぎり避けるのがお客としてのマナーであり、気配りでもある。



「いつ頃お伺いしたら、よろしおすやろ」と、前もって電話をかけることも京都ではよくある。お金を支払うときにも、わずかな買い物に一万円を出せば「おおきいものですいません」というし、大きい買い物に小さなお金を出せば「こまこうてすいません」という。



このように礼儀正しいお客さんには、お買い上げの金額の大小にかかわらず最大限のおもてなし、サービスをするのが京都の商売人。
「よいものを販売したい」
「よりよいものを買い求めたい」
お店とお客さんが阿吽の呼吸で結ばれて、京都の商売は成り立っているという京都の文化のお話…今京都。


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今京都 実事求是 2008/06/12 12:05 am

つじきゅうぜ…事実に基づいて真理を探求すること。先入観や風説を排し、真実を追い求めようとする姿勢。
◇ちょっと予備知識 → 「実事」は本当のこと。「求是」は真実を求めること。

帳面
「きちょうめん」な性格、「きちょうめん」な人、などとこの言葉、現在でも日常的によく使われる。漢字で書けば「几帳面」。だが、あまりにも身近すぎて「几帳面」という意味ありげな漢字を振り返ってみることなど、これまで一度もなかった。



意外や意外、「几帳面」は古めかしい言葉である。その意味あいは、文字通り「几帳」の面をさすという。まずは「几帳」とは何かである。



「几帳」は平安時代の衝立といえばいい。源氏物語絵巻などで、十二単のお姫様のそばに描かれている。美しい絹織り布を垂らした間仕切りのような、移動式カーテンともいわれる室内調度品。平安時代の貴婦人はいつもそばに「几帳」を立て、自分の姿を外から直接見られないようにしていた。華やかな「几帳」のかげに女性がいる、そのことだけで「几帳」は存分になまめかしさを漂わせていたのだった。



そのためか「几帳」はその造りも、仕上げも、すこぶる入念なものであった。平安時代に既にこんな職人技が発揮されていたのだ。「几帳」は台木の上にT字型の細い柱を組み、そこに絹布を垂らす構造。その柱の仕上げに、ふつうなら角にカンナをあてて削るだけのところを、撫角(なでかく)といって角を円くし、その両側に段(きだ)と呼ばれる切れ目をつけた。



すなわちこれが「几帳面」。この細工は面が正確に削られていないとできないところから、「几帳面をとる」といえば、このように面を正確に仕上げることをさすようになった。



全ては女性を優美になまめかしく演出するための手技。また絹織り布といえば当時は貴重なもの。面をなめらかに仕上げなければ、風でゆらぐたび絹が柱にふれて傷んでしまう。デリケートな絹が「几帳面」さを要求したともいえる。



1603(慶長8)年刊の『日葡辞書』(日本語・ポルトガル語辞書)は、当時の標準語であった京ことばを中心に集めているが、そのなかにも「キチョウメンヲトル」は登場している。このようにして、当初は面をさすことばだった「几帳面」が、やがては「きちんとした性格」をさすようになった。



それにしても平安時代の絵巻物の世界に「きちょうめん」の語源があったとは。しかも、あの夢物語のような絵巻物のなかで、すでに大工や指物職人が理にかなった技を発揮して、ものすごく「きちょうめん」な仕事をしていたわけだ。日本人の器用さのルーツを見る思いがする。
いずれにしても「几帳面」は、意外なことに語源が京都にあった言葉のお話vol.21…今京都。前回の語源は>「やまやま」(←クリック)。  ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 窮鼠嚙猫 2008/06/11 2:17 pm

ゅうそごうびょう…弱者でも追い詰められて必死に抵抗すれば、思わぬ力を発揮することがあるということ。
◇ちょっと予備知識 → 猫に追われたねずみが、猫に嚙みついて窮地を脱するということから。
                「窮鼠猫を嚙む」のかたちで使う。
                類義語に窮鼠嚙狸(きゅうそごうり)・禽困覆車(きんこんふくしゃ)・
                困獣猶闘(こんじゅうゆうとう)がある。

現寺
幼い娘と息子をさらわれて、安寿、厨子王と母が呼び返す。人買いの山椒太夫が強いる陰惨な児童への重労働。幼い姉弟の流転を描いた説経節「さんせう太夫」は、小説では森鴎外、映画では溝口健二監督らが題材としてきた。安寿と厨子王の物語の舞台となった寺が、京都市下京区にひっそりとたたずむ。



山椒太夫の苦役から弟をうまく逃してやった安寿姫は拷問を受ける。弟の厨子王は姉の守り本尊のお地蔵さまを手に、丹後国分寺へ、さらに追われてこの権現寺へとたどり着く。ここに厨子王の守り本尊だという「身代わり地蔵」が伝わる。



山椒太夫の追っ手が、厨子王が隠れている皮のつづらを怪しみ、やりで突いた。身に付けていたお地蔵さまが切っ先を受け止め、厨子王は難を逃れた。身代わり地蔵は10cmほどの小さな念持仏で、胴のあたりにやりの傷がある。寺には、厨子王が身を隠したという皮のつづらの一部も残るという。



説経節は中世、節を付けて語られた口承の物語や民衆芸能に起源を持つ。厨子王も、権現寺の額では「津子王丸」と、違う字が当てられている。「説経節は、民衆の間に広く流布していったので、少しずつ違う伝承が各地に残っています」と浜田義信住職はいう。



説経節では皮のつづらに身を潜めて丹後から権現寺に運ばれた厨子王は足腰が立たず、土車で大阪の天王寺まで運ばれる。霊験で治癒し、山椒太夫に復讐を果たす。
古地図の写しを広げると、権現寺は山陰街道の起点にあったという。江戸期の絵地図では、ちょうど「お土居」のすぐ外に位置し、旅籠(はたご)も並んでいる。交通の要衝だったことが物語の舞台になった一因だろうと推測。



辺りはかつて朱雀野といった。権現寺は歓喜寺といい、度重なる戦乱などで焼失、権現堂だけが残った。名前も何度か変わった。明治時代の終わりの山陰線敷設に伴い、市中央卸売市場の南、新千本通七条の角から現在地へと強制移転をした。境内には、一部が焼け焦げた鎌倉時代の石仏がたたずむ。安寿と厨子王の流転のように、権現寺も幾多の苦難をたどったが、信仰や伝承は今に息づくという…今京都。


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今京都 苛斂誅求 2008/06/10 12:06 am

れんちゅうきゅう…情け容赦なく責めて借金や税金を取り立てること。
◇ちょっと予備知識 → 「苛」はむごい・ひどい、「斂」は取り上げて集める、「誅」は責めるという意。
                類義語に苛政蒙古(かせいもうこ)・頭会箕斂(とうかいきれん)がある。

都ではない京都
「古都」という言葉の響きから好い印象を受ける方も多いと思うけれど、本来の意味で「古都」というのは「過去の都」のこと。だから「古都=京都」では「ただ古いだけの京都」といわれているような気がするのが京都人だという。



「京都は、かつては日本の都があったところ…」などとガイドさんの説明には大変寂しさを覚え、また「古都保存」という言葉を聞くと、京都が丸ごと冷蔵庫などに保存されてしまうように感じるとか。
京都人は今でも京都は日本の都だと考えているし、伝統という名のもとに、ただそれにしがみついているだけの地ではないと思っている。



寺社仏閣においても「どうぞ歴史ある古いものをみてください」というだけでなく、現代に生きる人々に仏様や神様の教えを理解してもらうことが大切だと考えている。



また西陣織の帯というものも、伝統工芸品というだけでただながめているだけのものではなく、実際に身体に結び、いかにそれが身体に馴染む優れた品であるかを全国の人に知っていただくことが大切だと考えている。
京都のものは全て現在進行形のものばかりなのだ。



「町並み保存」という声をよく聞くが、この1200年の間のどの時代の町並みを保存するのか。建物や景観などを守る必要は十分に感じるが、それよりもましてもっと大切なことは、京都人が脈々と受け継いできた京都の感性をきちんと後世に伝えていくことなのだという。



京都の町は現在も生きているし、これからも生き続けなければいけない。そして、その呼吸する町の中で何をつぶして何を残していくのか、その選択が重要だという。



京都人は今でも「都人」としての誇りと心得を持ちながら暮らしている。京都を古くからあったもの、過去のものとしてただ保存するのではなく、この平成の時代に息づく都人たる京都人の暮らしそのものを次の時代に伝えていきたいと考えているという。



明治維新により天皇さんが東京に行かれて、京の都には蝉の脱け殻のような御所が残った。あの日からエネルギーまでなくなってしまったのかもしれないような京都。イデオロギーは別として、今でも天皇さんにお帰りいただきたいと思っている京都人も多いという。



あの日から百数十年が経った。しかし1200年の歴史の中では、天皇さんは「ちょっと東京に行ってはるだけ」なのが京都かもしれない。
京都は現在も生きているし、これからも行き続けなければならない。大切なのは「保存する」ことではなく「伝えていく」ことだという京都の文化のお話。今を生きる京都をこれからも伝えていきたい…今京都。 ※写真は京都の町並み。

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