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今京都 前途多難 2008/08/23 12:00 am

んとたなん…行く先々に多くの苦難や災難が待ち受けていること。また、そのような予感。一寸先は闇。
◇ちょっと予備知識 → 「前途」は目的までの道のりや先行き、将来のこと。
                類義語に前途遼遠(ぜんとりょうえん)がある。
                対義語は前途洋洋(ぜんとようよう)・鵬程万里(ほうていばんり)。


「茶柱が立つと縁起がいい」。これは全国的に言われることであるが、京都人の場合は、それをお付き合いに使う。京都人は立った茶柱をきれいに洗って和紙に包んで大切にしまっておく。



それで、今後も交際を続けていきたいお客様がお見えになったとき、その大切にとっておいた茶柱を入れて、お茶をお出しする。最初に茶柱を入れてからお茶を注ぐと見事に茶柱が立つ。そこで「茶柱がたちましたなぁ」といって和をつくり、話をよりよい方向へもっていくというのである。



たとえば、結納とか結婚の相談というようなときは「茶々が入る」といってお茶を出さないという約束事があり、最初は昆布茶をお出ししするが、御膳の席にお出しするのは当然お茶ということになる。このときに先ほどの茶柱を入れ、「よき日」を表現するというより演出する。茶柱一本で交流を深めることができるのだから最高の演出といえる。



しかし、このようなことをされる方は今ではほとんどいなくなったようだ。茶柱が立つとよいというのは単にめったにないことを喜んで吉にしてしまうこと。しかし、全国的には、この茶柱のことは別にして、めったにないことは験の悪い知らせと思われることが多いようだ。京都ではそれを逆に、「よきこと」と考える。
数珠が切れると験が悪いというが、京都では数珠がきれるのは信仰が厚いということで、それだけ熱心に拝んでいるから切れたと考える。



不可抗力で自然発生的に起こったことについては、よいほうに考える暮らしの知恵を京都人はもっている。婚礼のときに雨が降れば験がよいというのもこれと同じ。茶柱が立つということをただ喜ぶだけでなく、もうひとつ踏み込んでおつきあいの演出として使用するところに京都人の発想の原点があるように思う。



この茶柱、人工的につくれないかというと無理ということである。また、実際に茶柱のリサイクルはもちろん、保存さえ大変難しいという。めったにないことを喜んで吉兆と考えるだけでなく、それをお付き合いの演出にまで使用するところに京都人の発想の原点があるという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 四方八方 2008/08/22 12:00 am

ほうはっぽう…あらゆる方向。あちらこちら。
◇ちょっと予備知識 → 「四方」南北の4つの方角。
                「八方」は、四方にさらに北東・北西・南東・南西の4つを加えたもの。
                ここからあらゆる方向のこと。
                類義語に四方八面(しほうはちめん)・四面八方(しめんはっぽう)がある。


ふらっと入ったお店で、お客さんとお店のご主人がこんな話をしていた。
「京都の町には別に交通が便利にならんでもよろしおす。ましてや高速道路が町の真ん中に走るなんて大反対どす。駐車場がないとか、車で観光がでけへんと言わはりますけど、そんなのは観光客の言い分です。駐車場がないさかい京都らしさが残るんで、車がはげしく行き来するようになったら、お寺のよさもなくなるし、地蔵盆もできんようになります。京都のことをほんまに知ろうと思うて観光しはるんやったら、車を使わんことをおすすめしますわ」
という内容である。



常に歩くか自転車で京都をウロウロしている自分にとっては、全くもって同感である。自動車を機械と考えるなら、京都は機械優先ではなくとにかく人間優先だといえる。人々とのふれあい、人々とのかかわり、人々との交流のために利便なところであって、そこに路地を舞台にした京都の生活も、また観光も成り立っているのではないかと思う。



少し話は横道にそれるが、劇場にも駐車場がないと聞いた。京都の南座を筆頭に、大阪の松竹座、新歌舞伎座、名古屋の御園座、東京の新橋演舞場、歌舞伎座、明治座、すべて駐車場がない。役者さん用のはあってもお客さん用のものはない。あえてつくっていないという。



理由は、芝居を見終わった余韻が、車で帰るといっぺんに途切れてしまうからだという。三三五五、芝居の話をしながら帰るからこそ余韻を楽しむことができるのだという狙いである。



京都人はお客をもてなすとき、この余韻を大切にする。そしてそれは京都という町が観光客を迎えるときも同じだという。
たとえば清水寺近くの駐車場に車を入れたら、帰りも清水寺から帰らなければならない。ところが、本来はそうではなく、清水寺から産寧坂、二年坂を歩いて八坂さんのほうまで行くのがひとつのコースである。
ゆっくり散策することで、東山周辺のすばらしさがわかる。嵯峨野でも嵐山から大覚寺まで行くすばらしいコースがあるのに、車があると化野念仏寺のほうまで行かずに途中で引き返して車で帰ることになる。



京都は車が似合わないところ。車で行くと京都の風情ある路地も小道もあるくことはできない。
車社会といわれる昨今であるが、京都ではとにかく歩くか、自転車をお奨め。そうすることで京都の本当のよさや魅力を発見することができるという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 旭日昇天 2008/08/21 12:00 am

ょくじつしょうてん…朝日が空に昇るように、勢いが非常に盛んであること。日の出の勢い。飛ぶ鳥を落とす勢い。
◇ちょっと予備知識 → 「旭日」は朝の太陽のこと。「旭日昇天の勢い」などと使う。
                類義語に旭日東天(きょくじつとうてん)・騎虎之勢(きこのいきおい)・
                破竹之勢(はちくのいきおい)がある。


少し前に掲載した祇園祭・その後で少し触れた「無駄」ということについて、少し考えてみたい。



この言葉を一番象徴しているのは京都では祇園祭のようにいわれるのも事実である。祇園祭を無駄と表現するのは適切な言葉ではないが、祇園祭ほど長い時間と手間隙をかけて行われるものは他にはないし、とらえ方によっては最大の無駄ともいえる。そして一ヶ月にわたって行われるこの祇園祭を十分に理解しようと思うならば、宵山や巡行を見ただけではその本当の良さを知ることはできない。見る側にも無駄とも思えるほどの大変な時間が必要となる。



この一見「無駄」とも見えるものに大切な時間を費やし、惜しげもなくお金を使うことが、京都人の発想の根源にあるように思う。
たとえば、床の間にかけられる掛け軸。これも生活するうえで別段なくてもいいものである。しかし、京都人はこの掛け軸にこだわり、部屋に合わせ、季節に合わせ、儀式に合わせ、またお客様に合わせて選び、しつらえる。



器もまったく同じことがいえる。ただ、物が中に入ればよいなどと決して考えていない。無駄なものを無駄にしないのが人々の叡智であり、京都人は、古来より次々と無駄をつくることで京都をつくってきたのではないだろうか。
ところが現代社会の発想では、とにかく無駄なものは出来得る限りはぶいていこうとする風潮がある。無駄を排除することがよき合理主義ともてはやされ、それが現代的だとか近代的なものの考え方だともいわれている。



この考え方からいえば、京都の人が大切な家の道具とする広蓋も袱紗も風呂敷も、ひいては京都のしきたりやお作法そのものまでが、無駄で不要のものということになってしまう。
しかし、全てを「無駄」という言葉で片付けてしまうと、それこそ無味乾燥な世の中になってしまうことも事実だし、大げさにいえば、「そこに京都は存在し得なくなってしまう」ことになる。無駄から得られる人間のゆとりとか充足感といったものを京都の人は大切にしてきた。それが例え形に表れなくても、人々の心を和ませ豊かにするものであると考えてきた。京都らしい音を響かせる鹿(しし)おどしもまた、無駄といえば無駄なもの。しかし、その無駄が生み出す音に心の安らぎを感じるのは京都人だけではないのは事実。



一見、合理的に思えないものにこそ、本当の合理主義があることを京都人は知っている。だからこそ京都の暮らしの中に多く「無駄」がしっかりと息づいているのではないだろうか。これから先も本当の京都を後世に残して伝えていくには、京都の新しい「無駄」をまた生み出す必要があるのではないかという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 一挙一動 2008/08/20 12:00 am

っきょいちどう…手を挙げたり、体を動かしたりするちょっとした動作。一つ一つの小さな動き。一挙手一投足。
◇ちょっと予備知識 → 「一」は「ちょっと」という意。「挙動」は立ち居振る舞いのこと。
                類義語に一言一行(いちげんいっこう)がある。

・歌仙堂











まだ写真があったので、昨日の続きで紹介…今京都。

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今京都 孤城落日 2008/08/19 12:00 am

じょうらくじつ…孤立して味方もなく、勢いが衰えて心細いさま。衰退の一途をたどるだけの状態。
◇ちょっと予備知識 → 「孤城」は敵に囲まれ、援軍もなく、取り残された城。「落日」は西に傾く夕日。
                類義語に孤城落月(こじょうらくげつ)・孤軍奮闘(こぐんふんとう)・
                孤立無援(こりつむえん)がある。

仙堂
真夏の高台寺。塔頭の一つ、円徳院境内にある「歌仙堂」は、夏日にも参詣が絶えない。祭られているのは同寺を創建した北政所ねねのおい、木下勝俊。桃山時代に大名として立身したが、その後に出家して長嘯子(ちょうしょうし)と名乗り、数多くの和歌を残している。



勝俊はねねの兄、木下家定の長男。豊臣秀吉縁者の武将として26歳で若狭小浜城主に。一方、名人の細川幽斎に歌を学び、高い素養を持つ文化人として知られた。



転機は1600(慶長5)年の関ケ原の戦。勝俊は前哨戦の伏見城攻防戦で徳川家康側の東軍の守る伏見城にいたが、城を囲んだ石田三成率いる西軍には実弟の小早川秀秋がいたため、戦わずに撤退。「北政所様を守るために」と高台寺へと向かったとされる。



「あらぬ世に 身はふりはてて 大空も 袖よりくるも はつしぐれかな」
この歌は勝俊が撤退時に詠み残したと円徳院に伝わっている。豊臣政権の急激な陰り、豊臣一族として栄えた兄弟が敵味方として相まみえる皮肉な状況…。歴史の荒波にさらされた心の高ぶりを表しているようにも思える。だが、この行為は、敵前逃亡の汚名を着せられて妻に離縁され、勝者となった徳川家からは裏切り者として領地を奪われてしまう。



こうなることは分かった上での行動に思える。歌からはすべてを捨てて生きることの覚悟を感じとれるという。長嘯子の号を名乗った勝俊は30歳すぎで出家し、文雅の道に入る。京都・東山の地でねねの近習として過ごす傍ら、当代きっての俳人・歌人の松永貞徳のほか、徳川幕府側の小堀遠州や林羅山、春日局らとも親交。死去する90歳近くまで約60年間、花鳥風月から恋愛まで数多くの和歌を残し、近世を代表する歌人として「歌仙」と称された。



勝俊が東山で結んだ庵は歌仙堂と呼ばれ、現在の建物は1917年にねねの墓がある高台寺に建てられ、歌人の聖地として親しまれている。勝俊からは幸せとは何かを考えさせられる。天下人の秀吉や家康の晩年より、すべてを捨てて風流に生きた長嘯子に人の幸せを感じないだろうか。境内には豊臣秀吉の念持仏「三面大黒天」もあり、毎月3日は縁日行事が催される…今京都。

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