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今京都 自問自答 2008/09/02 12:00 am

もんじとう…自分自身に問いかけ、自分でそれに答えること。自分の疑問に自分で答えを出すこと。心の声に耳を傾けること。
◇ちょっと予備知識 → 「自問自答する」などと使う。

ったりとほっこり
世間の「京ことば」に対する関心がこのところとみに高くなっているように思う。書店の書棚には幾冊もの「京ことば」に関する書籍がならべられ、「京ことば」の辞典まで登場し、大変人気があると聞く。何を隠そうその「京ことば辞典」などことばに関する辞典を数冊持っているひとりである。
以前にも「はるにほっこり」や「京ことば(8回連載)」で取りあげたが、「まったり」と「ほっこり」をどうしても取りあげたい。



ひと口に京ことばといっても大変多彩で、御所を中心にした「御所ことば」、室町の商家に伝わる「商人ことば」、西陣地区の「職人さんことば」、祗園の花街で使われる「芸妓さんや舞妓さんことば」、それに一般の暮らしの中で交わされる「暮らしことば」などがある。また性別や世代によっても随分と異なり、ご高齢の方がおっしゃることばには、若い世代には理解できないことも多くある。



明治生まれの方がよく使っていたという「おなぎ」や「おさぎ」は最近まったく聞かない。(えっ、「おなぎ」「おさぎ」って何のことか?って。 「おなぎ」は「うなぎ」、「おさぎ」は「うさぎ」のこと。) また、「おおきに(ありがとう)」を使用している子どもも少なくなったとのことだ。京都弁も少しずつ変化しているということか。
京都弁といえば、ある本に「京都人は京ことばを京都弁とは決して言わない」と書かれていたのを読んだ記憶がある。個人的には「京ことば」というより「京都弁」というほうが親しみやすいので好きなんだけれどね。



さて、その京都弁で、最近、京都人も勘違いしているのが「ほっこり」ということば。「ほっとする」という意味で使われているが、暮らしの中では「疲れた」という時に使用し、「あぁ、ほっこりしたなぁ、お茶にしようか」というように使う。ある新聞広告で「ほっこりするおもてなし」というキャッチコピーを見たことがあるが、「疲れるおもてなし」「疲れたおもてなし」ということになってしまう。おそらく、ことばの勘違いで使用したのだろう。



もうひとつは「まったり」ということば。このことばはお料理の味付けを表現するときに使われ、とろんとして穏やかな口当たりという意味で使用される。また、人を評して使うこともあり、「まったりした人やなぁ」という使い方をする。こういわれると、ぼんやりした愚鈍な人と評されたと思い、気を悪くする方もいると聞くが、本来、まったりとは「穏やかで重厚」という意味の大変な褒めことばである。つまり「まったりした人」とは「穏やかで重厚な人」ということなのだから、怒るどころか喜ばなければならない。



「ほっこり」を癒すには「まったり」が一番ということ。この「まったり」と「ほっこり」、個人的にはどんなに時代が変化しても、セットでありつづけたいと思う京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

【関連記事】
はるにほっこり 京ことば(vol.1) 京ことば(vol.2) 京ことば(vol.3) 京ことば(vol.4) 京ことば(vol.5)
京ことば(vol.6) 京ことば(vol.7) 京ことば(vol.8)


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今京都 玉石混淆 2008/09/01 12:00 am

ょくせきこんこう…よいものと悪いもの、賢人と凡人、優れたものと劣ったものが入り混じっていること。
◇ちょっと予備知識 → 「玉」は宝玉。「石」は値打ちのない石、つまらないもの。
                「混淆」は入り混じること。「混交」とも書く。
                類義語に玉石雑糅(ぎょくせきざつじゅう)・玉石同架(ぎょくせきどうか)・
                玉石同匱(ぎょくせきどうき)・牛驥同早(ぎゅうきどうそう)がある。

月。地獄のような8月も無事終わることができた。今日から9月。また新たな気持ちでガンバp(^^)qだ。

並み










蔵物語(198)




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今京都 一子相伝 2008/08/31 12:00 am

っしそうでん…技芸などの奥義を、わが子のうちの一人だけに伝えて、ほかには秘密にしておくこと。秘伝を門外不出にして秘かに伝えていくこと。
◇ちょっと予備知識 → 「相伝」は代々伝えていくこと。
                類義語に一家相伝(いっかそうでん)・父子相伝(ふしそうでん)がある。

並み










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今京都 完全無欠 2008/08/30 12:00 am

んぜんむけつ…完璧なこと。どこから見ても欠点がなく、完成していること。
◇ちょっと予備知識 → 「完全」も「無欠」も欠けた所がないこと。
                類義語に完美無欠(かんびむけつ)・金甌無欠(きんおうむけつ)・
                十全十美(じゅうぜんじゅうび)がある。

加(みょうが)
「冥加」というのは、神仏のご加護という意味。京都では「そんなことしたら冥加に悪い」とか「冥加につきる」などと、この「冥加」ということばを大変よく使う。



子どもの頃、画用紙に絵を描いていて、まだ白い部分がたくさん残っているのに捨てたりすると、すぐ「そんな冥加の悪いことをして」と祖父母からしかられたものだ。物を粗末に扱ってはいけない、そんなことをすると神仏のご加護が受けられない、もっと倹約しなさい、という意味で使われている。主に大人が子どもに対していうことばだといえる。



思うに、京都人が「けち」といわれるのはこういったところが影響しているかもしれない。しかし、その根底に流れているのは、たとえ紙一枚でもその物が生きていると考えなさいという教えだそうだ。
たとえば紐で品物をくくる時、余ってしまった部分を普通は捨てるが、捨てずに残しておけばその短い紐でも十分に役立つときがある、そしてその紐にも生命があるのだから大事にしなさいということ。一般にいうところの「けち」とは少しその意味が違う。



この物を大事にするといったことが発展し、京都人は一見つまらないと思えるものにも、大層愛着を持つ。
たとえば、自分の本や鞄なども、もともと大量生産されたものなので、いくらでも同じ品が存在する。しかし、そんなことは十分わかった上で、数ある中からそのひとつを自分が選び出し、自分の手元に嫁入りさせたということは、その品自体、大変幸福であると考える。そしてその品を幸せにするために可愛がって、粗末に扱ったりしてはいけないと発想する。



不思議な縁で手に入れた品、そこに「冥加」という神仏のご加護や恵があって、はじめてその人の努力が実り、仕事や勉学ができるようになると考える。もし仮に、それがこわれて捨てなければならなくなったら、なんらかの思い(感謝)をもって捨てるように教え伝えられてきた。



自分が手にした品物に生命を吹きかけ、その物自体が喜びを感じるくらい大事にしなさい、という考え方は、決して京都人特有のものではないと思う。日本人の根底には同じ感性が少なからずあると思う。殺伐とした平成の時代にもう一度、そんな感性を思い出してみる必要があり、京都ではまだまだ暮らしの中にこういったことが息づいているという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 五臓六腑 2008/08/29 12:00 am

ぞうろっぷ…はらわた、内臓、転じて、からだ中、または心の中。
◇ちょっと予備知識 → もとは漢方の語で、5つの臓器と6つのはらわた。
                「五臓」は心臓・肺臓・脾臓・肝臓・腎臓。
                「六腑」は大腸・小腸・胃・胆・膀胱・三焦(消化・排泄を行う器官)のこと。

イトルに使用している四字熟語が今回から3年めに突入。そろそろ終焉を迎えそうなのが辛い。次からのタイトルに頭を痛める今日この頃だわ。

宕(あたご)さん
あるデータによると京都は放火を別として、火事の少ないところだという。それは京都の住宅事情が大いに関係しているらしい。京都の町家は隣とくっついていることが通常であり、火事についての意識は大変高く、火を出してはいけないということに、昔から大変神経を使ってきたとのことだ。



念には念を入れて火の始末をするという京都人のしつこさで、町を火から守ってきた。それぞれの住人の責任感の強さがそうさせてきたのだろうが、京都人はこれを「愛宕さん(愛宕神社)のおかげどす」という。ここに京都の一種独特のことばづかいがあり、奥ゆかしさがあると感じる。



「愛宕さんのお札」は京都の家庭には、イヤ、家庭だけでなく、近代的なビルの中でも見かける。毎年7月31日の夜から8月にかけて、右京区の愛宕山山頂にある愛宕神社で千日詣というものがあり、この日にお詣りすれば千日分のご利益があるとされている。この日は町内単位でお詣りするところもあり、毎年大変な賑わいを見せている。



しかし、だからといって、お詣りした人だけが、このお札を貼っているわけではない。京都では、たとえ、愛宕さんがどこにあるかを知らない人でも、このお札のことは知っていて、誰かから貰うなどして台所に貼ってある。このへんがまた京都らしいところかもしれない。



「あなたのところに愛宕さんのお札ありますか?」
「はい、ありますよ」
「そのお札はん、なんて書いてるかご存知?」
「えっ、なんて書いてましたやろ、火が何とか、でしたやろか?」
と、お札に対してはこんな程度の認識なんだが、必ず各家にあるという代物だ。



愛宕さんにはまことに失礼なことなんだが、普段は全く気にとめていないし、ゆっくり眺めることもしなければ、手を合わせることもない。いわばこのお札は京都人にとって空気と同じような存在なのである。これほど自然にさりげなく、京都の人々の暮らしの中に溶け込んでいるお札というものも、他にはないように思う。
焚き火のあと、花火のあと、京都人の口から思わず出ることばがある。
「ひのようじん、火の用心、火迺要慎(ひのようじん)」、そんな京都の文化のお話…今京都。

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