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今京都 後生大事 2008/08/13 12:00 am

しょうだいじ…心を込めて物事に励むこと。ある物事を、非常に大切にすること。
◇ちょっと予備知識 → 本来は仏教語で、来世の安楽を願って善行を積むこと。
                「後生」は前世・今世に対し、死後の世界をいう。「ごせい」と読むのは誤り。

盆 vol.2  vol.1はここ
京都人は、ご先祖様に対する思いが強く、今、自分が安穏とくらしていられるのもすべてご先祖様のおかげだと考えている。そのため、京都では、仏事作法というものがしっかりと暮らしの中に入り込んでいる。朝夕の礼拝はもちろんのこと、ご飯もお茶もすべて仏様にお供えしてからでないと先にいただくことはない。特にお盆の時には枚挙にいとまがないほどの種々様々な風習や言い伝え、しきたりがある。



そのひとつに、お盆には虫を殺してはいけないというものがあり、京都ではこれが当たり前となっている。そこにお盆の行事の本質があるといわれている。京都人は、子どもの頃から昆虫採集をしてはいけないと言われて育ってきた。また、そういわれることになんの反撥も感じないのが、これまた京都の子どもである。



「おはぐろとんぼ」という昆虫をご存知だろうか? 黒くて細い上品なトンボで、そのトンボを見ていると、どこか京都の紅の水引を連想するという。京都ではご先祖様がこのトンボに姿を変えて、お浄土から我が家に帰ってくるといわれている。このトンボのことを京都では「お精霊(しょらい)とんぼ」と呼んでいる。他の地方の方からは滑稽だといわれるかもしれないが、この「お精霊とんぼ」に手を合わせることもあるのである。



また、仏様にお水をお供えするとき、その器の中に蓮の葉や樒(しきみ)の葉を浮かべるが、これも同じような意味があり、暑い夏の日に虫たちが水を飲みに来て、誤っておぼれてはいけないために(葉にとまって水が飲めるように)と殺生をしないために心をくばっている。もちろんご先祖様がトンボに変身するとか、虫がおぼれないようになどと、本気になって考えているわけではない。しかし、そこには京都人の優しい感性というべきものがある。



今年もまた、ご先祖様に気持ちよくお帰りいただくために、お仏壇をきれいに整え、提灯をつるしたり、松明を焚いたり、キュウリやなすびにお箸で足をつけたり、麻殻(おがら)ではしご段を作ったりして、ご先祖様をお迎えする。そこに、その家その家の独特の風習が生まれ、それが、祖母から母へ、母から娘へと後生大事に受け継がれていくという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 前代未聞 2008/08/12 12:00 am

んだいみもん…今までに一度も耳にしたことがないような珍しいこと。空前の出来事。未曾有の珍事。
◇ちょっと予備知識 → 「前代」は今より前の時代、過去。「せんだい」とも読む。
                「未聞」は聞いたことがないこと。
                類義語に空前絶後(くうぜんぜつご)・先代未聞(せんだいみもん)・
                破天荒解(はてんこうかい)がある。

盆 vol.1
もうすぐお盆。京都ではお盆の時期、いくつかの行事が行われる。そもそも「お盆って何?」ということも含めて歴史や由来について調べてみた。
お盆とは、ご先祖の霊があの世から戻り、家族と一緒に楽しいひとときを過ごしてまたあの世に帰っていくという日本古来の信仰に基づく仏教行事のひとつ。当然、実際に生き返ったり姿が見えるわけではない。



8月13日ごろから16日の間にお墓参りをしたり、仏壇なお迎えのお飾りをしたり、お坊さんにお経をあげていただいたりする。
昔のお盆は旧暦7月の行事で、現代の暦では8月中旬から下旬ごろにあたる。7月は1年を半分にしたとき、後半が始まる最初の月で、正月と同様に大切な行事だと考えられていた。



各地でお盆の行事には違いがあり、京都ではご先祖の霊を「オショライさん(お精霊さん)」と呼んで、8月7日から10日の間に「六道参り」という行事が行われる。東山区の六道珍皇寺や上京区にある引接寺(千本えんま堂)では、オショライさんのためのお迎えの鐘をつく人が訪れ、水塔婆という薄い木版にご先祖の名前を書いてお寺に納めて、高野槙という木の枝を買って仏壇に飾ったりする。



六道参りが行われる六道珍皇寺と引接寺に共通する伝承は小野篁(おののたかむら)という平安時代の詩人の話。
この人は昼間は朝廷(役所)に、夜は地獄の閻魔様に仕えた人といわれ、自分の亡き母親に会うために、あの世に通じる六道の辻にある井戸を行き来できるという人だった。
そして、平安時代、両寺は亡くなった人が葬られる葬送の地の入口にあたり、死者はこの寺からあの世へ送られたので、この世とあの世の境界地でもある寺と、あの世と行き来できる小野篁が結びついた。
京都の人がお盆に両寺へお参りするのは、あの世とつながっていると伝わる所だからである。



オショライさんはお盆の間、家々で過ごし、8月16日に再び、あの世へ戻ります。京都では、現在は行われていないが、お盆に飾った花やお供え物をその日の夕刻に鴨川や堀川に流し、先祖の霊を贈る習慣があった。そして京都を囲む山々に「大」や「妙法」などに送り火を灯し、ご先祖をあの世に送った。それが五山の送り火であり、この送り火は、ご先祖をあの世へ送るための灯りである。



送り火の起源はき、室町時代以降、万灯籠や千灯籠という京都と周辺地域で行われた灯籠行事で、8月23日、24日の化野念仏寺の千灯供養も同様である。送り火はこの灯籠行事を元に、時代の中で変化し、江戸時代初期には京都の夏の行事として定着。ちなみに、昔はもっとたくさんの送り火があり「い」「一」「竿に鈴」などが存在したようだが、今では正確な点火場所すらわかっていないという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 四分五裂 2008/08/11 2:17 am

ぶんごれつ…ばらばらに分裂すること。秩序を失って乱れること。また、そのような状態。
◇ちょっと予備知識 → 「分」は分かれる、「裂」は裂ける。「四分」は「しぶ」とも読む。
                「五裂」を「五列」と書くのは誤り。
                類義語に四散五裂(しさんごれつ)・四分五割(しぶんごかつ)・
                四分五楽(しぶんごらく)・分崩離析(ぶんぽうりせき)がある。

並み










蔵物語(192)





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今京都 狂瀾怒涛 2008/08/10 12:08 am

ょうらんどとう…荒れ狂ったようにひどい状態。逆巻く波のように事態が激しく乱れるさま。
◇ちょっと予備知識 → 「狂瀾」も「怒涛」も共に荒れ狂う大波のこと。「瀾」は「乱」と書くのは誤り。
                類義語に疾風怒濤(しっぷうどとう)・暴風怒涛(ぼうふうどとう)がある。
                対義語は天下泰平(てんかたいへい)・平穏無事(へいおんぶじ)。

並み


以前にも掲載したことのある鳥居









蔵物語(191)




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今京都 冠婚葬祭 2008/08/09 2:28 am

んこんそうさい…四大礼式で、元服(冠)・結婚(婚)・葬式(葬)・祖先の祭礼(祭)のこと。また慶弔の儀式のこと。
◇ちょっと予備知識 → 「冠婚」は「冠昏」、「葬祭」は「喪祭」とも書く。

てもさめても
古い用語に「窹寐(ごび)にも忘れず」という言い方があるそうだ。そしてその用語が、京都の北、周山街道への入口にある栂尾・高山寺に伝わる古往来(平安時代や鎌倉時代の手紙)に、既に見られるという。
「窹寐の大いなる嘆(ねてもさめても気にかかって心のわだかまりをなす種)」という表現である。
「寝ても醒めても」とは、普段何気なく使う言葉であるが、背景にはこんな古典の世界が広がっていた。



「窹寐(ごび)にも忘れず」、すなわち「寐(ね)ても窹(さめ)ても忘れない」。
現代の日本語なら「寝ても覚めても」と書きそうなところであるが、元の漢字は「寐ても窹ても」。
「寐る」と「窹る」が巧みにワンセットになった漢字づかいで、このほうが表現としてはるかに美しい。漢字のもつ意味が雰囲気としてよく出ている。



「寐ても窹ても」という本来の漢字表現を守り通していると、日常に使用する漢字が際限なく広がる。そこで1923(大正12)年にはじめて、常用漢字が設定された。それは日常の不便を解消するための、ひとつの枠組みに過ぎなかったはず。



しかし、現代人はいつのまにか、その枠組みの中だけですっかり満足して暮らしている。それは殆ど「井の中の蛙」状態で、その外側に、実は豊かな大海がある。
ことば談義は、往々にして文字の意義に及んでしまう。常用漢字には、それなりの使命もあり、それなりの効用もあるのは認めなければならないけれど、その外側に広がっていた、日本語の過去の広大な眺めを省みることは、人の心にとって、全くの無用であるわけではないと思う。



「ねてもさめても」この言葉は、日本語の奥深さを感じさせる言葉かもしれない。栂尾・高山寺といえば紅葉の名所と鳥獣戯画だが、意外にも「ねてもさめても」の語源があったというお話vol.24…今京都。前回の語源は「へそくり」(←クリック)。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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