rrbのブログ - 2018/02のエントリ
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今京都 便利だけれど怖い 2018/02/28 12:00 am
道路に描かれたこの標識。どういう意味だろう。「自転車の飛び出しに注意」「自転車は一旦停止しなさい」などか。自転車は便利な乗り物だが、最近の規制は厳しいものがある。酒気帯びや飲酒運転の罰金対象にもなっている。「ながら自転車」「爆走自転車」なども怖い。自転車にぶつかられた年配の方が亡くなった事故も発生している。年齢制限も免許証もないので、「軽車両」という認識が持てない乗り物である。
私の体験で、車を運転していて怖いのが自転車と原付バイク。バイクに乗っていて怖いのが原付バイク。自転車に乗っていて怖いのが自転車と原付バイク。こう考えると原付バイクが一番厄介かも。しかし、歩いていて一番怖いのが自転車だ。「ながら自転車」が突進してくる。「この歩道は自転車通行禁止」と表示されているのに、ひどい場合は「ベルを鳴らしながらオラオラ状態」で自転車が爆走。そもそも自転車のベルは「自転車が来てますよ」のお知らせのためであり、「歩行者にどけ」と促すものではない。このことで一度おじさんとバトルして警察沙汰になったこともある。当然、歩行者である私の言い分が勝たが、今から考えると、無駄なバトルだった。
便利だけれど、その分、危険性も増加する。自転車に乗る人こそ、規則を熟知して守る意識を高めるべきではないだろうか。そんなことをこの道路標識を見て思った…という今京都。

《京都・某所》
私の体験で、車を運転していて怖いのが自転車と原付バイク。バイクに乗っていて怖いのが原付バイク。自転車に乗っていて怖いのが自転車と原付バイク。こう考えると原付バイクが一番厄介かも。しかし、歩いていて一番怖いのが自転車だ。「ながら自転車」が突進してくる。「この歩道は自転車通行禁止」と表示されているのに、ひどい場合は「ベルを鳴らしながらオラオラ状態」で自転車が爆走。そもそも自転車のベルは「自転車が来てますよ」のお知らせのためであり、「歩行者にどけ」と促すものではない。このことで一度おじさんとバトルして警察沙汰になったこともある。当然、歩行者である私の言い分が勝たが、今から考えると、無駄なバトルだった。
便利だけれど、その分、危険性も増加する。自転車に乗る人こそ、規則を熟知して守る意識を高めるべきではないだろうか。そんなことをこの道路標識を見て思った…という今京都。

《京都・某所》
「頭に来てもアホとは戦うな!」を読んだでしょ、無駄なバトルはダメだよ。
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今京都 見る方向を変えて 2018/02/27 12:00 am
京都東山のシンボルのひとつといえば、法観寺八坂の塔。この塔の写真で一般的なのは1枚目のような画像。塔の周りをウロウロしていて見つけたのが2枚目の画像。一般的な撮る向きではないもののほうがリアル京都かもしれない…という今京都。


《京都・東山》


《京都・東山》
色々な角度から切り取るのが本当のリアル京都かもね
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今京都 京都にも欲しい 2018/02/26 12:00 am
仕事で年に2回は訪れる神戸市長田区。必ず鉄人28号を見に行く。長田区の鉄人28号がきっかけで「鉄人28号」について、色々と調べた。現代はインターネットで簡単に調べられるのでありがたい。主題歌は「鉄人28号」。歌詞は次のとおり。
ビルのまちに ガオー 夜のハイウエーに ガオー
ダダダダ ダーンと たまがくる ババババ バーンと はれつする
ビューンと 飛んでく 鉄人28号
あるときは 正義の味方 あるときは 悪魔のてさき いいも わるいも リモコンしだい
鉄人 鉄人 どこへゆく ビューンと 飛んでく 鉄人28号
歌詞にある「ガオー」は、最初、叫び声だと思っていた。しかし、鉄人28号のオープニングの動画を見て、叫び声ではなく、頑張るぞポーズ(一般的にガッツポーズ)の時の「擬音」ではないかと気づく。「ビルのまちに」現れるのも「夜のハイウエイに」現れるのも鉄人28号。「たまがくる」と「はれつする」は鉄人28号が攻撃されているシーンであり、攻撃されてもびくともしないという表現だろう。
今ある鉄人28号のモニュメントひとつで頼りになる存在の現在のインターネットで過去の昭和時代を楽しめる。なんて素敵な世の中なんだろう。さて、ガオーの正体、明確にご存知の方はTwitterとかでつぶやいてくださればありがたい。つくづくだけど、京都にもこういうモニュメントが欲しい…という今京都。



《神戸・長田区》
ダダダダ ダーンと たまがくる ババババ バーンと はれつする
ビューンと 飛んでく 鉄人28号
あるときは 正義の味方 あるときは 悪魔のてさき いいも わるいも リモコンしだい
鉄人 鉄人 どこへゆく ビューンと 飛んでく 鉄人28号
歌詞にある「ガオー」は、最初、叫び声だと思っていた。しかし、鉄人28号のオープニングの動画を見て、叫び声ではなく、頑張るぞポーズ(一般的にガッツポーズ)の時の「擬音」ではないかと気づく。「ビルのまちに」現れるのも「夜のハイウエイに」現れるのも鉄人28号。「たまがくる」と「はれつする」は鉄人28号が攻撃されているシーンであり、攻撃されてもびくともしないという表現だろう。
今ある鉄人28号のモニュメントひとつで頼りになる存在の現在のインターネットで過去の昭和時代を楽しめる。なんて素敵な世の中なんだろう。さて、ガオーの正体、明確にご存知の方はTwitterとかでつぶやいてくださればありがたい。つくづくだけど、京都にもこういうモニュメントが欲しい…という今京都。



《神戸・長田区》
「神戸なう」にせずに無理矢理「今京都」にしたね
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天を仰いで思うこと 印象 2018/02/23 12:00 am
きょうは23日。今月は28日までだから、きょうを含めても今月の残りは一週間もない。来週の木曜日からは、いよいよ弥生3月。「春」の体感を色々と味わうことが増えてくる。
3月を「春」という言葉で捉えると、明るい印象がある。12カ月で一カ月の平均気温が一番低い厳しい寒さの2月の後だからなおさらのことだ。しかし、「卒業」とか「旅立ち」いう言葉で捉えると、喜びとともにどこか寂しさを感じる。3月は「始まり」よりも「終わり」という印象か。「門出」が使われるのは4月だろうか。3月とは違い、なんとなく「始まり」の印象がある。
2月28日と3月1日はさほど気持ちは変わらないのに、3月31日と4月1日とでは随分違う。3月まで見ていた顔が4月からはない。3月には見なかった顔が4月には表れる。3月と4月の印象の違いは、日本の学校教育が運用している4月始まりの学年暦が影響しているのだろうと予測。
このことについては、改めて考えてみたい…と、天を仰いで思うこと。

3月を「春」という言葉で捉えると、明るい印象がある。12カ月で一カ月の平均気温が一番低い厳しい寒さの2月の後だからなおさらのことだ。しかし、「卒業」とか「旅立ち」いう言葉で捉えると、喜びとともにどこか寂しさを感じる。3月は「始まり」よりも「終わり」という印象か。「門出」が使われるのは4月だろうか。3月とは違い、なんとなく「始まり」の印象がある。
2月28日と3月1日はさほど気持ちは変わらないのに、3月31日と4月1日とでは随分違う。3月まで見ていた顔が4月からはない。3月には見なかった顔が4月には表れる。3月と4月の印象の違いは、日本の学校教育が運用している4月始まりの学年暦が影響しているのだろうと予測。
このことについては、改めて考えてみたい…と、天を仰いで思うこと。

きょうはなんか感慨深いものがあるね。どうかした?
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今京都 歌は世につれ 2018/02/22 12:00 am
「歌は世につれ世は歌につれ」、世の中の変化に応じて歌も変化し、歌の変化によって世の中も影響を受ける。歌は世情をよく反映しているものだの意。(『広辞苑』)。
このことを意識して歌詞を見ると、時代によって使われる物が違う。スマートフォンなどが普及せず、携帯電話もない時代の通信手段の有線電話やハガキ、手紙。昭和の時代の歌詞には、「電話」はもちろん「葉書、絵葉書、手紙」という文字がみられる。歌のタイトルに「手紙」が使われていることもある。
現在、LINEやメール等が日常的なやりとりの方法となっているが、歌詞に登場することはまだまだ稀ではないだろうか。「歌は世につれ…」は確かだろうが、LINEやメールという言葉は、趣や風情というものが表現しづらいからだろうか。あるいは、詩としてどのように完成させるかという作詞家の感性によるものか。詳細はわからないが、たとえば、「あなたから突然届いた一通のLINE(またはメール)」よりは、「あなたから突然届いた一通の便り」のほうが世代を限定せず受け入れやすいかもしれない。
一方、写真の世界を見てみると、フィルムからデジタルへの流れはあっても大きく変化があるわけではないと思う。インスタグラムなどの流行りで写真が身近なものになっているのではないか。カメラという大それた物を持たなくても、スマートフォンの写真が身近にある。撮ることは撮っていたが、それを表現する場がない。そこにインスタグラムが登場。場を提供されたことによって、一気に「写真」というものへの馴染みが広がったように感じる。
インスタグラムやツイッターを覗くと、ステキな構図のものもあれば、インスタ映えするような独特な撮り方をされているものもある。何よりも「素(す)」の描写がある。ドラマやバラエティーという「番組」として構成された中ではなく、そこでは見ることができない横顔(とで表現すべきか)の投稿が親しみを感じさせる。簡単に言えば、芸能人を身近に感じることができるのがインスタグラムやツイッターの良さだろう。
京都の町撮りをしていて見かける光景に、年配の方々がタブレットで写真を撮っているのが増えた。そのままご自身のブログやインスタグラムに投稿。なんて素敵な時代なことか。現在は、写真は贅沢な趣味ではなく、ごく身近なもの。
私も肩の力を抜いて、リアルな京都を撮っていきたい。そんなことを思いながらの京の町撮り…という今京都。



《京都・あちこち》
このことを意識して歌詞を見ると、時代によって使われる物が違う。スマートフォンなどが普及せず、携帯電話もない時代の通信手段の有線電話やハガキ、手紙。昭和の時代の歌詞には、「電話」はもちろん「葉書、絵葉書、手紙」という文字がみられる。歌のタイトルに「手紙」が使われていることもある。
現在、LINEやメール等が日常的なやりとりの方法となっているが、歌詞に登場することはまだまだ稀ではないだろうか。「歌は世につれ…」は確かだろうが、LINEやメールという言葉は、趣や風情というものが表現しづらいからだろうか。あるいは、詩としてどのように完成させるかという作詞家の感性によるものか。詳細はわからないが、たとえば、「あなたから突然届いた一通のLINE(またはメール)」よりは、「あなたから突然届いた一通の便り」のほうが世代を限定せず受け入れやすいかもしれない。
一方、写真の世界を見てみると、フィルムからデジタルへの流れはあっても大きく変化があるわけではないと思う。インスタグラムなどの流行りで写真が身近なものになっているのではないか。カメラという大それた物を持たなくても、スマートフォンの写真が身近にある。撮ることは撮っていたが、それを表現する場がない。そこにインスタグラムが登場。場を提供されたことによって、一気に「写真」というものへの馴染みが広がったように感じる。
インスタグラムやツイッターを覗くと、ステキな構図のものもあれば、インスタ映えするような独特な撮り方をされているものもある。何よりも「素(す)」の描写がある。ドラマやバラエティーという「番組」として構成された中ではなく、そこでは見ることができない横顔(とで表現すべきか)の投稿が親しみを感じさせる。簡単に言えば、芸能人を身近に感じることができるのがインスタグラムやツイッターの良さだろう。
京都の町撮りをしていて見かける光景に、年配の方々がタブレットで写真を撮っているのが増えた。そのままご自身のブログやインスタグラムに投稿。なんて素敵な時代なことか。現在は、写真は贅沢な趣味ではなく、ごく身近なもの。
私も肩の力を抜いて、リアルな京都を撮っていきたい。そんなことを思いながらの京の町撮り…という今京都。



《京都・あちこち》
一瞬、天を仰いで…かと思ったよ