rrbのブログ - 2017/09のエントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
天を仰いで思うこと 日本酒 2017/09/22 12:00 am
飲み屋さんで出会った数名との日本酒を呑む会。久々のご対面。みんな元気そうで何よりでした。いつものお店にいつものメンバー。店主のこだわりお料理と女将の厳選日本酒に毎回恩恵を受けている。こんなお店でいただく日本酒が大好きだ…と、天を仰いで思うこと。



《4月に飲んだ日本酒 Part1》




《4月に飲んだ日本酒 Part1》

今回はどれくらい飲んだのかな?
このエントリーの情報
今京都 どろぼう 2017/09/21 12:00 am
二条城の南側にある通りを歩いていると、「名物どろぼう」という驚きの看板が目に飛び込んでくる。看板にはさらに「うれしなつ菓子」という言葉と「格子屋」という文字も。1912(大正元)年に創業した「格子屋」というお店。この格子屋の名物は「どろぼう」という商品。
お菓子自体は「油で揚げたおこしを黒糖につけ込んだもの」だということで、麩菓子や花林糖のような感覚で食べることができる。「どろぼう」は1袋450円で、写真の量の6倍程度が袋につめられている。沖縄の方の黒糖を使用しているとのことで、間食やお茶請けに喜ばれそうな商品。昔、甘いものが少なかった時代に、「泥棒してでも食べたい。」ほど美味しいと言われたことからこの名前がついた…という今京都。


《京都・二条城界隈》
お菓子自体は「油で揚げたおこしを黒糖につけ込んだもの」だということで、麩菓子や花林糖のような感覚で食べることができる。「どろぼう」は1袋450円で、写真の量の6倍程度が袋につめられている。沖縄の方の黒糖を使用しているとのことで、間食やお茶請けに喜ばれそうな商品。昔、甘いものが少なかった時代に、「泥棒してでも食べたい。」ほど美味しいと言われたことからこの名前がついた…という今京都。


《京都・二条城界隈》
名前が「どろぼう」とは…。「どろぼうください」って買うんだよね
このエントリーの情報
今京都 七夕と送り火と 2017/09/20 12:00 am
掲載しそこなった写真を2枚。京の七夕と五山送り火。いずれも8月のイベントなので季節はずれかな…という今京都。


《京都・堀川と東山》


《京都・堀川と東山》
送り火の上の光の線はヘリコプターだったよね
このエントリーの情報
今京都 大酒神社 2017/09/19 12:00 am
大酒神社(おおさけじんじゃ)は、京都市右京区太秦にある神社。太秦映画村の近くだ。『延喜式』神名帳では「大酒神社 元名大辟神」とあることから、元の神名は「大辟神」であったことが知られる。
大酒神について、広隆寺の縁起である『広隆寺来由記』では秦の始皇帝の祖神とし、日本に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔、秦氏遠祖)が勧請したとする。伝承自体の真偽は明らかでないが、伝承に見えるように古くから太秦一帯を開発した秦氏の氏神であったと推測され、史書に見える秦酒公(はたのさけのきみ)と大酒神を関連づける説もある。
一方近世の『雍州府志』では祭神を物部守屋とし、一説に秦河勝とする。また『都名所図会』では祭神を天照大神・八幡神・天満天神とし、別説に秦の始皇帝とする説や、秦河勝とする説を載せる。
これらとは別に近年の研究では、元の神名の「大辟(大避)」から、「災厄を避ける(遠ざける)」いわゆる道祖神とする説が挙げられている。この説では、『空華日工集』・『広隆寺縁起』において神体が石と記されることと、一般に石神の多くが猿田彦神(道祖神)とされることとが関連づけて指摘される。また、「オホサケ」を「大裂」の意とし、土木技術によって大地・川を裂き開拓を行なった秦氏をたたえる神格とする説もある。
古代の祭神の神格は不詳ではあるが、現在に継承されていることは間違いない…という今京都。



《京都・太秦》
大酒神について、広隆寺の縁起である『広隆寺来由記』では秦の始皇帝の祖神とし、日本に渡来した功満王(秦始皇帝の後裔、秦氏遠祖)が勧請したとする。伝承自体の真偽は明らかでないが、伝承に見えるように古くから太秦一帯を開発した秦氏の氏神であったと推測され、史書に見える秦酒公(はたのさけのきみ)と大酒神を関連づける説もある。
一方近世の『雍州府志』では祭神を物部守屋とし、一説に秦河勝とする。また『都名所図会』では祭神を天照大神・八幡神・天満天神とし、別説に秦の始皇帝とする説や、秦河勝とする説を載せる。
これらとは別に近年の研究では、元の神名の「大辟(大避)」から、「災厄を避ける(遠ざける)」いわゆる道祖神とする説が挙げられている。この説では、『空華日工集』・『広隆寺縁起』において神体が石と記されることと、一般に石神の多くが猿田彦神(道祖神)とされることとが関連づけて指摘される。また、「オホサケ」を「大裂」の意とし、土木技術によって大地・川を裂き開拓を行なった秦氏をたたえる神格とする説もある。
古代の祭神の神格は不詳ではあるが、現在に継承されていることは間違いない…という今京都。



《京都・太秦》
ここから歩いて数分のところに映画村があるよね
このエントリーの情報
今京都 三吉稲荷神社 2017/09/18 12:00 am
日本映画の父・牧野省三の碑が建つ三吉稲荷神社(さんきちいなりじんじゃ)。三吉稲荷神社は、映画の街といわれる京都太秦の大映通商店街の中ほどにあるとても小さな神社。日活撮影所が建設された際に近くの竹藪が切り払われ、行き場を失ったキツネやタヌキの慰霊の為に日活関係者が竹藪の中にあった二つの祠をまとめて創建された珍しい神社…という今京都。


《京都・太秦》


《京都・太秦》
牧野省三氏については調べてないの? rrbは映画好きだよね。毎週のように見てるのでは?