rrbのブログ - 2009/08/03のエントリ
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天を仰いで思うこと あかん 2009/08/03 12:00 am
あかん
だめだ。効果がない。役に立たない。いけない。「そんなとこで遊んだらアカンがな」 江戸時代から使い始めた。「埒(らち)あかぬ」を略してアカンと言った。「アクかアカンかやって見んとわからへん」のように肯定のアクと、否定のアカンを併用したり、「アクもんか」と反語形式で用いたりする。アカヘンともいう。丁寧に「アキマヘン」「アカシマヘン」とも。「アカンタレ」は弱虫、だめなやつ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(71) ちょっと気になる「ことば」の話
わたし的にはOKです

この言い方は行き過ぎだと感じる人が多いというが、近頃では随分頻繁に耳にするようになった。「わたし的」を言い換えれば「私としては」となるが、この表現は「他の人はともかく、自分はこう考える」という気持ちを表す。他の人の別の意見があることを認めた上で自分の意見を述べるという述べ方であるから、一見思慮深い述べ方のように思われるが、その陰にはストレートに自分の意見を言おうとしない「逃げ」の姿勢が感じられるという。
「わたし的」に類する表現としては「気持ち的には若いつもり」「暮らし的には変わりない」「仕事的には楽しい」などがある。「気持ちの上では」「暮らしについては」「仕事に関しては」のように、以下に述べることがらの範囲を限定するという意味を表わすものだから、まだ十分に自然なものとしては受け入れられていない表現である。以上は「〜に関する」「〜についての」のような意味を表わす「的」の用法から拡張して用いられているが、「的」にはもうひとつ「そのものズバリではないが、それに似ている」「そのような性質を帯びている」という意味がある。

「動物的な感性」「女性的なしぐさ」などの言い方がそうである。最近ではそのような使い方の中にも多少不自然に感じられる言い方が増えてきているという。「普通の暮らし的な生活をしてみたい」「うわさ的な話を聞いた」「こども的な男は嫌い」などだ。その他に「今までのは全部うそ的なことを言われ」や「『嫌ならやめろ』的な考え」などのように、少々長い句に「的」がつく言い方もある。長い句につく言い方は明治時代にもあったそうだ。そのものズバリと言えばいいところをあいまいにしたり、人の言葉を借りて表現したりしているという感じはぬぐえない。「的」というのは元来は名刺について形容動詞を作る接尾語。多くは漢語につくが「メルヘン的」「マニュアル的」のように外来語の名詞を形容動詞に変える働きもする。しかし和語につくことはほとんどなく、逆引き辞典で調べても「ぬえ的」ぐらいしかない。「お金的には不自由しない」は許容できないが「金銭的には不自由しない」なら許容できると感じる人が多いだろう。この違いは和語か漢語かの違いによるものである。さらに本来は名詞につく語なのに、最近では「マニアック的」「乙女チック的」など形容動詞につく例も見られる。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活
このように「的」が流行る背景には、ものごとをはっきり言わないであいまいにぼかす最近の風潮が影響を及ぼしているものと思われる。それに加え、「的」を使えば厳密な表現を使い分けなくてもよいという便利さもある。「的」を使わないで表現するとなると「私としては」「気持ちの上では」「内容に関しては」「生活の点では」など、様々な表現を言い分けなければならない。しかし「的」を使うことによっていとも簡単にその煩雑さを回避できる。
「的」が持つこのような手軽さは、これからもさらに多くの「的」表現を生む可能性がある。話し手にとっては楽な表現であるが、聞き手には正しく伝わらない表現であることを自覚して、教育やマスコミの現場では安易な「的」表現を使わない・使わせないことをめざしたいものだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)

だめだ。効果がない。役に立たない。いけない。「そんなとこで遊んだらアカンがな」 江戸時代から使い始めた。「埒(らち)あかぬ」を略してアカンと言った。「アクかアカンかやって見んとわからへん」のように肯定のアクと、否定のアカンを併用したり、「アクもんか」と反語形式で用いたりする。アカヘンともいう。丁寧に「アキマヘン」「アカシマヘン」とも。「アカンタレ」は弱虫、だめなやつ。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(71) ちょっと気になる「ことば」の話
わたし的にはOKです

この言い方は行き過ぎだと感じる人が多いというが、近頃では随分頻繁に耳にするようになった。「わたし的」を言い換えれば「私としては」となるが、この表現は「他の人はともかく、自分はこう考える」という気持ちを表す。他の人の別の意見があることを認めた上で自分の意見を述べるという述べ方であるから、一見思慮深い述べ方のように思われるが、その陰にはストレートに自分の意見を言おうとしない「逃げ」の姿勢が感じられるという。
「わたし的」に類する表現としては「気持ち的には若いつもり」「暮らし的には変わりない」「仕事的には楽しい」などがある。「気持ちの上では」「暮らしについては」「仕事に関しては」のように、以下に述べることがらの範囲を限定するという意味を表わすものだから、まだ十分に自然なものとしては受け入れられていない表現である。以上は「〜に関する」「〜についての」のような意味を表わす「的」の用法から拡張して用いられているが、「的」にはもうひとつ「そのものズバリではないが、それに似ている」「そのような性質を帯びている」という意味がある。

「動物的な感性」「女性的なしぐさ」などの言い方がそうである。最近ではそのような使い方の中にも多少不自然に感じられる言い方が増えてきているという。「普通の暮らし的な生活をしてみたい」「うわさ的な話を聞いた」「こども的な男は嫌い」などだ。その他に「今までのは全部うそ的なことを言われ」や「『嫌ならやめろ』的な考え」などのように、少々長い句に「的」がつく言い方もある。長い句につく言い方は明治時代にもあったそうだ。そのものズバリと言えばいいところをあいまいにしたり、人の言葉を借りて表現したりしているという感じはぬぐえない。「的」というのは元来は名刺について形容動詞を作る接尾語。多くは漢語につくが「メルヘン的」「マニュアル的」のように外来語の名詞を形容動詞に変える働きもする。しかし和語につくことはほとんどなく、逆引き辞典で調べても「ぬえ的」ぐらいしかない。「お金的には不自由しない」は許容できないが「金銭的には不自由しない」なら許容できると感じる人が多いだろう。この違いは和語か漢語かの違いによるものである。さらに本来は名詞につく語なのに、最近では「マニアック的」「乙女チック的」など形容動詞につく例も見られる。

(神戸 湊川神社) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
新型インフルエンザで中止になった神戸まつりのバレードが復活
このように「的」が流行る背景には、ものごとをはっきり言わないであいまいにぼかす最近の風潮が影響を及ぼしているものと思われる。それに加え、「的」を使えば厳密な表現を使い分けなくてもよいという便利さもある。「的」を使わないで表現するとなると「私としては」「気持ちの上では」「内容に関しては」「生活の点では」など、様々な表現を言い分けなければならない。しかし「的」を使うことによっていとも簡単にその煩雑さを回避できる。
「的」が持つこのような手軽さは、これからもさらに多くの「的」表現を生む可能性がある。話し手にとっては楽な表現であるが、聞き手には正しく伝わらない表現であることを自覚して、教育やマスコミの現場では安易な「的」表現を使わない・使わせないことをめざしたいものだ…と、天を仰いで思うこと。
★前回のちょっと気になる「ことば」の話はここ(←クリック)

