rrbのブログ - 2009/08/11のエントリ
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今京都 じょろくむ 2009/08/11 12:00 am
じょろくむ
あぐらをかく。「このごろは、おなごはん(女性)かて、ジョロクマはりますな」 ジョロは丈六居(じょうろくい)からという。丈六居は一丈六尺の仏像のことであぐらの座像。江戸時代の京ことばを記した安原貞室の『片言(かたこと)』には「安坐し給へといふことを、じょうらくかきたまへていふこと葉は、仏の丈六の像の膝をくみおはする様より出たるか」とある。あぐらは、ア(足)グラ(座、倉)の意味からであろう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
幽霊子育飴 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月23日掲載)
一粒、口に放り込む。徐々に溶け出すと、柔らかい甘みが口いっぱいに広がる。甘すぎず、ほのかに懐かしい味。先日の六道珍皇寺門前で400年余り前から売られている麦芽糖の飴、「幽霊子育飴」。

話は1599(慶長4)年にさかのぼる。夜な夜な若い女性が飴を買いに来る。不審に思った飴屋の主人が後をつけると、鳥辺山の墓地で姿を消す。翌日、寺の住職と一緒に墓地に向かうと、盛り土の中から赤子の声が。あわてて掘り返すと、女性の遺体の横で赤子が飴をしゃぶっていた。その赤子は8歳で僧となり母の菩提(ぼだい)を弔い、1666(寛文6)年3月15日、高名な僧として68歳で亡くなった、というもの。


飴を販売する「みなとや幽霊子育飴本舗」は、後継者難などから委託販売を続けていたが、2006年末に少し西の西福寺門前に移転したという。「幽霊」という看板に興味をそそられ買い求める人、お腹のお子に与えるためか、探して訪れる妊婦さんもいるという。お店では修学旅行生らにも話を聞かせ「お母さんを泣かしたらあかんよ」とクギをさして販売するとのこと。

子を思う母の愛情の偉大さを物語るお話。母が子を殺すような今の時代にこそ、大切にされるべきだと思う。平安時代以来の葬送の地、鳥辺山のふもとにあり、現世と冥界との境域とされた「六道の辻」。飴は滋養のある食べ物。墓の近くで、飴を与えて子育てした母親がいたのかもしれない。ある程度、史実に基づいた話ではないかとの推測もあり、同様の話は京都市内でも数カ所にあるという。いずれにしても、死が身近だった殺伐とした時代を思わせるが心に染み入る母の愛のお話。一口含んだ飴に劣らず、味わい深いお話…今京都。

あぐらをかく。「このごろは、おなごはん(女性)かて、ジョロクマはりますな」 ジョロは丈六居(じょうろくい)からという。丈六居は一丈六尺の仏像のことであぐらの座像。江戸時代の京ことばを記した安原貞室の『片言(かたこと)』には「安坐し給へといふことを、じょうらくかきたまへていふこと葉は、仏の丈六の像の膝をくみおはする様より出たるか」とある。あぐらは、ア(足)グラ(座、倉)の意味からであろう。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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幽霊子育飴 (旧フォトヴィレッジ 2007年8月23日掲載)
一粒、口に放り込む。徐々に溶け出すと、柔らかい甘みが口いっぱいに広がる。甘すぎず、ほのかに懐かしい味。先日の六道珍皇寺門前で400年余り前から売られている麦芽糖の飴、「幽霊子育飴」。

話は1599(慶長4)年にさかのぼる。夜な夜な若い女性が飴を買いに来る。不審に思った飴屋の主人が後をつけると、鳥辺山の墓地で姿を消す。翌日、寺の住職と一緒に墓地に向かうと、盛り土の中から赤子の声が。あわてて掘り返すと、女性の遺体の横で赤子が飴をしゃぶっていた。その赤子は8歳で僧となり母の菩提(ぼだい)を弔い、1666(寛文6)年3月15日、高名な僧として68歳で亡くなった、というもの。


飴を販売する「みなとや幽霊子育飴本舗」は、後継者難などから委託販売を続けていたが、2006年末に少し西の西福寺門前に移転したという。「幽霊」という看板に興味をそそられ買い求める人、お腹のお子に与えるためか、探して訪れる妊婦さんもいるという。お店では修学旅行生らにも話を聞かせ「お母さんを泣かしたらあかんよ」とクギをさして販売するとのこと。

子を思う母の愛情の偉大さを物語るお話。母が子を殺すような今の時代にこそ、大切にされるべきだと思う。平安時代以来の葬送の地、鳥辺山のふもとにあり、現世と冥界との境域とされた「六道の辻」。飴は滋養のある食べ物。墓の近くで、飴を与えて子育てした母親がいたのかもしれない。ある程度、史実に基づいた話ではないかとの推測もあり、同様の話は京都市内でも数カ所にあるという。いずれにしても、死が身近だった殺伐とした時代を思わせるが心に染み入る母の愛のお話。一口含んだ飴に劣らず、味わい深いお話…今京都。

