ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2008 2月 » »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 1
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2008/02のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

今京都 天地開闢 2008/02/19 12:06 am

んちかいびゃく…天地のでき始め。この世の始まり。
◇ちょっと予備知識 → 「開闢」は始まりのこと。古代中国の天地はもともと混沌とした一つのものが、
                二つに分かれてできたという神話から。
                類義語に開天闢地(かいてんへきち)・天地創造(てんちそうぞう)がある。

髪神社(みかみじんじゃ) vol.1
今京都で綴っている「床屋物語」。その床屋にかかわる神社が嵯峨嵐山にある。神社の名は「御髪神社(みかみじんじゃ)」。理容の祖をたたえている。昨年の秋に訪問した。



御髪神社は日本で最初に髪結いを職業とした藤原采女亮政之公(ふじわらうねめのすけまさゆき)を祀り、髪や頭にかかわる職業の人たちの参拝も多い。



1961(昭和36)年、京都市の理美容業界関係者らが政之の功績をたたえ、基晴に縁のある亀山天皇の御陵近くに髪を収める髪塚を設けて創建された。その後、業界関係者らが社殿を建立し、境内を整備していった。



政之が「理容の開祖」となったのは、鎌倉時代中期に亀山天皇の宝物警護にあたっていた父の基晴が大切な宝刀「九王丸」を紛失したのがきっかけだという。



責任を感じ、基晴は三男の正之を伴って宝刀探索のため諸国行脚の旅に出発。蒙古襲来に備え武士が集まっているとにらんで山口県下関市で居を構え、政之はそこで生計を支えるために髪結いを始めた。



当時、髪結いは自分か家人の手で行っていたが、政之は、朝鮮半島からやって来た人から技術を学び、武士らを相手にした髪結所を始めた。基晴が死去した1281年、政之は鎌倉に移り、髪結いの技術が評価され、1335年に亡くなるまで幕府で重宝されたという。



神社には、たくさんの絵馬が奉納されている。「国家試験に受かりますように」、「美しい髪になりますように」といった願い事に劣らず多いのは「髪がふさふさになりますように…」。



最近は若い人が髪を心配してお守りを買って帰ることが多いという。参拝した後、かつらがいらないようになり、毎年髪を奉納しに来る人もいるとか。心の問題によって脱毛している人には、「一生懸命お参りしなさい」ということか…。



髪の毛は年をとれば、だんだんと細くなっていくもの。薄くなるのは早いか遅いかだけの違い。あまり気にせず、髪と自分自身を大切にして欲しいものだね。



床屋は、藤原采女亮政之が下関で床の間に大きな祭壇を設けたことが由来といわれ、昭和の初め頃まで、理美容業者たちは、政之の冥福を祈り、毎月、命日の17日を定休日にしたという。



「髪の神社があるなんて…」観光に訪れ偶然この神社を発見した人は思わず口にする。この日も何人かの参拝者が口にしていた…今京都。(続く)


メント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。

 

このエントリーの情報

今京都 精励恪勤 2008/02/18 12:05 am

いれいかっきん…仕事や学業にいそしむこと。怠けずまじめに勤務すること。
◇ちょっと予備知識 → 「精励」は勤め励むこと。「恪勤」は忠実にまじめに勤めること。
                類義語に精励勤勉(せいれいきんべん)・刻苦勉励(こっくべんれい)・
                昼耕夜誦(ちゅうこうやしょう)・奮励努力(ふんれいどりょく)がある。

並み














蔵物語(144)




屋物語(20)




メント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。

 

このエントリーの情報

今京都 月卿雲客 2008/02/17 4:40 am

っけいうんかく…公卿や殿上人。雲のうえびと。身分の高い人。
◇ちょっと予備知識 → 古来、天子は日になぞらえられる。それに対し、「月卿」は月になぞらえた公卿のこと。
                「雲客」は日月を取り巻く殿上人。
                類義語に卿相雲客(けいしょううんかく)がある。

並み














蔵物語(143)




屋物語(19)




メント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。

 

このエントリーの情報

今京都 夫唱婦随 2008/02/16 12:05 am

しょうふずい…夫婦仲が非常によく、争わないこと。夫婦和合していること。
◇ちょっと予備知識 → 夫が言い出し妻がそれに従うことから。
                類義語に陽唱陰和(ようしょういんわ)がある。

信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)の榎(えのき) vol.2(最終回) vol.1はここ(←クリック)



この坂本龍馬と妻おりょうのロマンチックな逸話から、縁結びの御利益にあやかろうと今も木に手を当てる参拝者が絶えないという。



榎(えのき)は、平安末期に平重盛が安芸の宮島・厳島神社から苗木を移植したと伝わる。



今では京都市の天然記念物に指定され、高さ約23m、幹回り4m。太い枝が四方に各10mほど伸び小山のような姿を作る。



禁門の変(1864年)に乗じ六角獄舎で大量の処刑が行われた際は、子供たちが榎(えのき)によじ登って見たとも伝わる。



榎(えのき)は「縁の木」とも呼ばれ、縁結びの御利益が伝わる。



この神社は859年、右大臣の藤原良相が、一族の療養施設として建てた「延命院」の守護神として創建。後に藤原武信が厚く信仰し、名前の由来となる。古くから「勝駒」という駒形の守護札が伝わり、スポーツ選手や選挙関係の参拝者も多い。



龍馬とおりょうを導いた力は多くの人の心を引きつけるようだ。今も境内や木の周りでは子どもたちが駆け回り、本殿や木の前で手を合わせる参拝者が絶えないという…今京都。


メント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。

 

このエントリーの情報

今京都 群雄割拠 2008/02/15 12:09 am

んゆうかっきょ…多くの英雄たちが、各拠点に勢力を張り競い合っていること。複数の実力者が対抗して争っている状態。
◇ちょっと予備知識 → 「群雄」は多くの英雄・実力者。「割拠」はそれぞれに拠点を置いて勢力を振るうこと。
                類義語に治乱興亡(ちらんこうぼう)がある。
                対義語は千里同風(せんりどうふう)。

信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)の榎(えのき) vol.1



一本の大木を舞台にした坂本龍馬と妻おりょうのロマンチックな口伝が、武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)にはある。



江戸時代末期、龍馬は追っ手から逃れるためおりょうと離れ離れの日々を送ったが、二人の思い出の場所で榎(えのき)の木肌に伝言として「龍」の字を彫り、晴れて再会を果たすというもの。



武信稲荷神社の御神木でもある樹齢850年といわれる榎(えのき)は幕末の混乱期に悠然と二人の愛をはぐくんだ。同神社に伝わるこの物語は、当時、目の前に幕府直轄の六角獄舎があったことと深い関係があるという。



おりょうの父・楢崎将作は勤王の志士を支援した医師。1858年に始まった安政の大獄でこの獄舎に捕らえられた。



おりょうは父を心配し恋人の龍馬と向かう。だが面会は難しく、二人は高い榎(えのき)に登って安否を探ったというが、出会いは将作亡き後の1864年との説もあるだけにこの話の真偽は不明。



さて、幕府に追われる龍馬は京都で生きているとの証しに、目印に代えて榎(えのき)に名前に共通する一文字「龍」の字を彫った。



おりょうが思い出の場所を訪ねると見慣れた文字がそこに…。龍馬が京都にいることを知ったおりょうは共通の知人を介して再会できたという…今京都。(続く)


メント投稿に対するお願い
日頃よりrrbのブログ−フォトヴレッジ−をご愛顧いただきありがとうございます。
コメント投稿は、機械的なコメント投稿の攻撃に対処するために、ユーザー登録されている方に限定しています。
ご面倒ですがユーザー登録をしていただきますようお願いいたします。
ログイン後に日々の記事のタイトル(四字熟語)をクリックしていただき、下の方にスクロールするとコメント投稿画面がでてきます。「投稿する」をクリックし、下の方にスクロールするとコメント入力枠が出てきます。コメント入力後にその下にある「送信」をクリックしてください。これで投稿完了です。
コメント投稿後は「Logout」をクリックしてログアウトしてください。
ご面倒ですが、よろしくお願いします。

 

このエントリーの情報

ページナビゲーション

« 1 2 (3) 4 5 6 »

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop