rrbのブログ - 最新エントリ
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今京都 一目瞭然 2008/07/14 12:03 am
いちもくりょうぜん…一目見ただけで、はっきり了解すること。ぱっと見ただけでも様子が明らかにわかること。
◇ちょっと予備知識 → 「瞭然」は「了然」とも書く。
類義語に一目即了(いちもくそくりょう)・明明白白(めいめいはくはく)がある。
町並み
地蔵物語(184)
◇ちょっと予備知識 → 「瞭然」は「了然」とも書く。
類義語に一目即了(いちもくそくりょう)・明明白白(めいめいはくはく)がある。
町並み
地蔵物語(184)
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今京都 汗牛充棟 2008/07/13 10:55 am
かんぎゅうじゅうとう…所蔵している書物が非常に多いことのたとえ。
◇ちょっと予備知識 → 「汗牛」は車に積んで牛に引かせれば牛が汗をかくほどのという意。
「充棟」は家の中で積めば棟木にまで届くほど大量であるということ。
「充棟汗牛」ともいう。
類義語に載籍浩瀚(さいせきこうかん)・擁書万巻(ようしょばんかん)がある。
町並み
地蔵物語(183)
◇ちょっと予備知識 → 「汗牛」は車に積んで牛に引かせれば牛が汗をかくほどのという意。
「充棟」は家の中で積めば棟木にまで届くほど大量であるということ。
「充棟汗牛」ともいう。
類義語に載籍浩瀚(さいせきこうかん)・擁書万巻(ようしょばんかん)がある。
町並み
地蔵物語(183)
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今京都 孤軍奮闘 2008/07/12 9:36 am
こぐんふんとう…支援者もいない困難な状況の中で、ひとり全力で闘うこと。
◇ちょっと予備知識 → もとは援軍がなく孤立した小人数の軍勢で、懸命に戦うことから。
類義語に孤城落日(こじょうらくじつ)・孤立無援(こりつむえん)・
僑軍孤進(きょうぐんこしん)がある。
無言詣り
今の時期京都では祇園祭で賑わっている。来週はいよいよ巡行だ。その祇園祭のとき、お旅所まで無言詣りをするという風習がある。
一般の方が、今ではどれだけされているが不明だが、祗園の舞妓さんや芸妓さんたちは、今でも願をかけて御旅所に無言でお詣りをしている。
祇園祭の間、神様には八坂神社から新京極の前にある地までお出ましいただく。その地のことをお旅所といい、そこにお詣りする。そのお詣りには黙っていくという約束事があり、たとえ人に話しかけられても口を聞いてはいけない。そうすると願い事が叶わなくなるという。
無言詣りはただ単に言い伝えだけでなく、それなりの理由がある。他のことは一切考えず、ひとつのことに一心になれという教えである。さらに、結納も無言でおさめるものだという。なぜ結納も無言でおさめるかというと、結納とは、仲人が婿方の大切な結納の品をあずかり、嫁方に持参するのが本来の形。その折、仲人は嫁方の玄関においても目礼だけで言葉を出さず、黙って部屋に通り、所定の場所に結納の品を飾りつける。
そののち、仲人ははじめて正式な口上を述べる。ここまで仲人も嫁方も言葉を交わさない。婿方からおあずかりした大切な結納の品を、まだ嫁方にお渡しせぬうちに余計なことをいってはいけないという理由がある。
無言でことを行うということは、無言であることによって、より真剣な感情を先様にお伝えすることにもなる。
神前結婚式においても、神官以外は婿も嫁も、両家の親族一同も、そばに控えた巫女も、ほとんど言葉を発せず進行。
無言の中では、今まで聞くことのできなかった音がやさしく耳に入ってくることもある。
ひと時の静寂は、大変荘厳な雰囲気をつくりだすもの。そしてそこに完成された日本の美を必ず感じとれることだと思うそんな京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
◇ちょっと予備知識 → もとは援軍がなく孤立した小人数の軍勢で、懸命に戦うことから。
類義語に孤城落日(こじょうらくじつ)・孤立無援(こりつむえん)・
僑軍孤進(きょうぐんこしん)がある。
無言詣り
今の時期京都では祇園祭で賑わっている。来週はいよいよ巡行だ。その祇園祭のとき、お旅所まで無言詣りをするという風習がある。
一般の方が、今ではどれだけされているが不明だが、祗園の舞妓さんや芸妓さんたちは、今でも願をかけて御旅所に無言でお詣りをしている。
祇園祭の間、神様には八坂神社から新京極の前にある地までお出ましいただく。その地のことをお旅所といい、そこにお詣りする。そのお詣りには黙っていくという約束事があり、たとえ人に話しかけられても口を聞いてはいけない。そうすると願い事が叶わなくなるという。
無言詣りはただ単に言い伝えだけでなく、それなりの理由がある。他のことは一切考えず、ひとつのことに一心になれという教えである。さらに、結納も無言でおさめるものだという。なぜ結納も無言でおさめるかというと、結納とは、仲人が婿方の大切な結納の品をあずかり、嫁方に持参するのが本来の形。その折、仲人は嫁方の玄関においても目礼だけで言葉を出さず、黙って部屋に通り、所定の場所に結納の品を飾りつける。
そののち、仲人ははじめて正式な口上を述べる。ここまで仲人も嫁方も言葉を交わさない。婿方からおあずかりした大切な結納の品を、まだ嫁方にお渡しせぬうちに余計なことをいってはいけないという理由がある。
無言でことを行うということは、無言であることによって、より真剣な感情を先様にお伝えすることにもなる。
神前結婚式においても、神官以外は婿も嫁も、両家の親族一同も、そばに控えた巫女も、ほとんど言葉を発せず進行。
無言の中では、今まで聞くことのできなかった音がやさしく耳に入ってくることもある。
ひと時の静寂は、大変荘厳な雰囲気をつくりだすもの。そしてそこに完成された日本の美を必ず感じとれることだと思うそんな京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。
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今京都 千秋万歳 2008/07/11 12:04 am
せんしゅうばんざい…長い歳月のこと。また長寿を願ったり祝ったりするときのことば。
◇ちょっと予備知識 → 「千」「万」は数が多いこと。「秋」「歳」は共に年のこと。
「万歳」は「ばんぜい」「まんざい」とも読む。
類義語に千秋万古(せんしゅうばんこ)・千秋万世(せんしゅうばんせい)がある。
右が左・左が右
昔から京都ではいつも御所というものを目のあたりに見ることができたためか、町なかにおいても御所がいつも中心にあり、京都人の生活の中にしっとりと溶け込んでいる。だから、御所を主体とした左と右に、左が右であることに京都人はなんの疑問も持っていない。
京都では、現在の地名においても、御所に向かって右が左京区、左が右京区となっている。つまり、御所の方から見て左右を決められたので、向かって右が左で左が右ということになった。
京都ではお雛様をお飾りするときも、男雛を左側(向かって右側)に置くし、左大臣、右大臣も、また桜も橘も他所の地方とは反対に並べる。
結納飾りの尉(じょう)と姥(うば)の高砂人形も、同じことがいえる。
左と右、この左右論ともいうべきものは、他にもいろいろとあり、注連縄も地域によりその巻き方が異なるし、帯の巻き方にも京都式と関東式がある。京都では左巻きといわれているが実際は右に巻いていく方式である。
金銀の水引のかかった金封を思い浮かべると、向かって右に金色、左に銀色がくるように結んである。一説によれば、これは神話に登場する伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)に由来し、この二神が出合われ仲むつまじく結ばれた姿を水引の結びで表現しているのだといわれている。向かって右が陽で男性を表現した金色、向かって左が陰で女性を表現した銀色。これら金封の水引については不思議と全国的に統一されているが、本当は逆に結ぶべきだという説もある。
結婚式における新郎と新婦の並び方も、最近は教徒でもほとんどが関東式になってきたという。
それはともかく、このようにいろいろな意味が込められた左と右、何が正しく何が誤りだと結論づけることはできないが、こんなところにも何か京都的なものを感じる。
つまり、普段何気になく見ているものの中にも京都は存在しているという京都の文化のお話…今京都。
【関連記事】 左京・右京(←クリック)。
◇ちょっと予備知識 → 「千」「万」は数が多いこと。「秋」「歳」は共に年のこと。
「万歳」は「ばんぜい」「まんざい」とも読む。
類義語に千秋万古(せんしゅうばんこ)・千秋万世(せんしゅうばんせい)がある。
右が左・左が右
昔から京都ではいつも御所というものを目のあたりに見ることができたためか、町なかにおいても御所がいつも中心にあり、京都人の生活の中にしっとりと溶け込んでいる。だから、御所を主体とした左と右に、左が右であることに京都人はなんの疑問も持っていない。
京都では、現在の地名においても、御所に向かって右が左京区、左が右京区となっている。つまり、御所の方から見て左右を決められたので、向かって右が左で左が右ということになった。
京都ではお雛様をお飾りするときも、男雛を左側(向かって右側)に置くし、左大臣、右大臣も、また桜も橘も他所の地方とは反対に並べる。
結納飾りの尉(じょう)と姥(うば)の高砂人形も、同じことがいえる。
左と右、この左右論ともいうべきものは、他にもいろいろとあり、注連縄も地域によりその巻き方が異なるし、帯の巻き方にも京都式と関東式がある。京都では左巻きといわれているが実際は右に巻いていく方式である。
金銀の水引のかかった金封を思い浮かべると、向かって右に金色、左に銀色がくるように結んである。一説によれば、これは神話に登場する伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)に由来し、この二神が出合われ仲むつまじく結ばれた姿を水引の結びで表現しているのだといわれている。向かって右が陽で男性を表現した金色、向かって左が陰で女性を表現した銀色。これら金封の水引については不思議と全国的に統一されているが、本当は逆に結ぶべきだという説もある。
結婚式における新郎と新婦の並び方も、最近は教徒でもほとんどが関東式になってきたという。
それはともかく、このようにいろいろな意味が込められた左と右、何が正しく何が誤りだと結論づけることはできないが、こんなところにも何か京都的なものを感じる。
つまり、普段何気になく見ているものの中にも京都は存在しているという京都の文化のお話…今京都。
【関連記事】 左京・右京(←クリック)。
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今京都 文武両道 2008/07/10 12:06 am
ぶんぶりょうどう…学芸と武道の2つの道。また、その両方に優れていることをいう。
◇ちょっと予備知識 → 類義語に允文允武(いんぶんいんぶ)・経文緯武(けいぶんいぶ)・文武二道(ぶんぶにどう)・文武兼備(ぶんぶけんび)がある。
今京都
この写真、携帯電話のカメラをデジタルカメラモードに設定しての撮影。
「意外と写るんだ」と感心したけれど、なかなか難しい。
なんとか趣向を凝らしてみたけれど、10分間ほどしか時間がなかったから、これが限界。
「もう少しゆとりのある出張に…」と思ったけれど、その言葉は口にできない。「こうして撮れただけでもマシか…」と思った博多への出張。最近、異常に仕事がたてこんで、突然の出張もシバシバ。時間がうまく作れないことも、シバシバ。今回はお休み…今京都。
◇ちょっと予備知識 → 類義語に允文允武(いんぶんいんぶ)・経文緯武(けいぶんいぶ)・文武二道(ぶんぶにどう)・文武兼備(ぶんぶけんび)がある。
今京都
この写真、携帯電話のカメラをデジタルカメラモードに設定しての撮影。
「意外と写るんだ」と感心したけれど、なかなか難しい。
なんとか趣向を凝らしてみたけれど、10分間ほどしか時間がなかったから、これが限界。
「もう少しゆとりのある出張に…」と思ったけれど、その言葉は口にできない。「こうして撮れただけでもマシか…」と思った博多への出張。最近、異常に仕事がたてこんで、突然の出張もシバシバ。時間がうまく作れないことも、シバシバ。今回はお休み…今京都。