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今京都 半信半疑 2008/07/29 12:07 am

んしんはんぎ…物事を信じきれず、うそか本当か判断しかねること。半分は信じているが半分は疑っているということ。
◇ちょっと予備知識 → 「半信」を「半真」、「半疑」を「半偽」と書くのは誤り。

川五右衛門 vol.1
洛東の名刹、南禅寺の壮大な三門に上がると「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金…」と、つい見得を切りたくなる。それほどに有名なこの台詞は、天下の大泥棒、石川五右衛門のものであるが、不思議なことがある。



不思議なこととは、南禅寺の三門は1467(応仁元)年までに焼失しており、その後、復興されたのは江戸時代になってからの1628(寛永5)年という。石川五右衛門が生きた1557〜1594年には形をとどめていないのである。



五右衛門がこの三門を棲家にしていたとか、「絶景かな、絶景かな」の名台詞も、実は全て歌舞伎のために初代並木五瓶(なみきごへい)が書き下ろしたフィクションだというから驚きである。



その歌舞伎の題目は「楼門五三桐」。「楼門」は「ろうもん」ではなく「さんもん」、すなわち「三門」と読む。五三桐は「ごさんのきり」と読み、禅宗南禅寺の「五山」のことであり、太閤秀吉の家紋「五三桐」にも通じる。



芝居のストーリーは太閤秀吉と悪党石川五右衛門の対決めいて、秀吉が、三門の上で優雅に春を満喫する石川五右衛門の正体を見破る筋書きとなっている。フィクションとはいえ、天下人秀吉が直接対決するほどの大泥棒・石川五右衛門とは、いったいどんな悪漢だったのだろうと思う。



五右衛門は、一説には三好氏の臣・石川明石の子、あるいは遠州浜松に生まれ、のちに河内国石川邸の医家・山内古底の家に寓したと伝えられる…今京都。(続く)


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今京都 紫電一閃 2008/07/28 12:09 am

でんいっせん…刀がきらりとひらめくこと。そこから一瞬の変化。物事が急激に変化すること。
◇ちょっと予備知識 → 「紫電」は鋭い刀を振るとひらめく紫のいなずまのこと。「一閃」は、さっとひらめくこと。
                類義語に光芒一閃(こうぼういっせん)・電光石火(でんこうせっか)がある。

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今京都 器用貧乏 2008/07/27 10:10 am

ようびんぼう…なまじ器用なため万事にそつなくこなすが、一つのことに専念しないので大成しないこと。あれこれと手を出して結局どれも身につかないこと。
◇ちょっと予備知識 → 他人から便利がられて利用され、自分自身のことで大成てせきないことにも使う。
                類義語に巧者貧乏(こうしゃびんぼう)・梧鼠之技(ごそのぎ)がある。

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今京都 一攫千金 2008/07/26 12:20 am

っかくせんきん…一度に大金を手に入れること。大した苦労もなく巨万の富を得ること。濡れ手で粟。
◇ちょっと予備知識 → 「一攫」はひとつかみ。「一獲」と書くのは本来は誤り。「千金」は「万金」ともいう。
                「一攫千金を狙う」などと使う。
                類義語に一攫万金(いっかくまんきん)がある。

でも日本の首都・京都
お百度参りというデモがあると聞いた。京都の人々は何百人と連れ立って「遷都反対」「天皇はんを京都から離すな」と、御所のまわりを歩き続けたという。クライマックスには、数千人もの群衆が御所の石薬師門に詰めかけて直訴デモを行ったということだ。



1867(慶応3)年10月の江戸幕府の大政奉還からかずか半年足らず。王政復古は日本の中心が江戸から再び京都に還ることを意味したし、鳥羽伏見の戦いで官軍の大勝利では「これで安心して暮らせる」と京都人は大喜びしたはずだった。江戸開城、京都所司代廃止、そして京都府が誕生した。



京の町はその4年前、蛤御門の変の砲撃戦で焼け野原になった。洛中大部分の家が焼かれ、人々はまだ路頭に迷っていた。「都がどこかに移るのではないか」「東京に遷都するそうだ」うわさが駆け巡る中、1868(慶応4)年7月、突然に江戸を東京と改め、都を東京に移す旨が発表された。



京都市民は動揺し、そして怒った。ここは千年の日本の都である。維新を達成するために戦火に耐え、犠牲を払ったのは京都人ではないか。それを見捨て、都まで奪うとは何ごとかと、さきの請願でデモが始まったというのである。
実際、京に住み慣れたお公家さんたちの間でも、東京遷都には猛烈な反対があった。それならばと大阪遷都、大和遷都などの妥協案も論議されたという。



慶応を明治に改元し、これより一世一元と制定したのは、この年の9月8日。その12日後には天皇が京都を出発することになる。天皇東幸においても、あれやこれやのいきさつがあったらしい。当時、幕府の反乱軍がまだ東海道にいるということで、大阪から船で東幸する安全策が計画された。
ところが、海上での天皇奪還計画も聞こえて、イギリスの軍艦に援助を願おう、いや天皇東幸に外国の手を借りるのは、と二転三転。結局はもとの陸路で1868(明治元)年9月20日、威儀を正した三千人の大行列が東海道を進んだ。



ところが天皇はその3ヶ月後、京都へ帰ってこられた。父孝明天皇の三周年祭と、天皇ご自身の結婚のためである。皇后は、東京遷都ののちも京都御所にお輿入れされ、天皇皇后揃って京都での生活を開始。と思ったのもつかの間の翌1869(明治2)年3月、天皇はおひとりで再び東京へ向かわれた。そして皇后の行列が京都を離れ、東京に到着されたのは半年以上のちの10月のことであった。



政府官庁が東京に移る実質的な東京遷都というのは、天皇が二度目に東京へ向かった1869(明治2)年3月から始まって、その年末にほぼ終わった。それと同時に版籍奉還が行われ、公家・大名が華族となって大半が東京に移った。京都には役人もいない、皇族・華族もいない、それにつれて、そういう人たちを相手にしていた商売も傾き、一部は東京に移った。



これが当時の東京遷都の様子なのだが、考えてみれば東京遷都も、遷都したという法令も、何もないまま「なしくずし」的遷都であったという。京都市民のDNAの中には「京都が日本の首都」ということが根強く残されたままになっており、「今でも日本の首都・京都」となっているのかもしれない、という京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 眼光紙背 2008/07/25 9:02 am

んこうしはい…本をよく読み、裏の意味まで理解すること。洞察力を働かせて注意深く読むこと。読書の理解力が極めて高いこと。
◇ちょっと予備知識 → 「眼光紙背に徹す」の略。
                類義語に紙背之意(しはいのい)・熟読玩味(じゅくどくがんみ)がある。

光院・蓮月庵 vol.2(最終回)  vol.1はここ
晩年、蓮月の人間像を示すエピソードが伝わる。
ある晩、盗賊が茶室に侵入した。蓮月は「高価な物もたいしたお金も持っていない」と答え、腹をすかせている様子の盗賊に、はったい粉を茶で溶いて与えた。さらに「売ればお金になる」と、部屋にあるだけの自作の陶器を持ち帰らせたという。



翌日、大津方面へ向かう道で行き倒れた盗賊が見つかった。死因は毒死。蓮月が知らずに与えたはったい粉は以前、勤王派ともいわれた蓮月の命を狙う刺客が送ったものだった。蓮月の慈悲深い心が自らの命を救った。



なぜ蓮月は寂しさを心に封じ込めながらも、苦難の人生を生き抜けたのか。そこには、「尊い命を相次いで失った蓮月には、陶器や歌を作り出す創作の『生みの喜び』が生きる力につながったのではないか」と想像する。
ひっそりと立つ蓮月庵には、生き続けることで苦しみを乗り越えた蓮月をしのび訪れる人が絶えないという。



神光院は真言宗弘法大師の霊場で、東寺、仁和寺と並ぶ京の三弘法の一つで、病気平癒や無病息災を祈願する「キュウリ封じ」が毎年7月に営まれる。



今月21日に営まれ、京阪神から訪れた参拝者が心身の健康を祈ったと新聞に掲載されていた。
「キュウリ封じ」は、弘法大師が中国から持ち帰った秘法といわれ、体内の病魔を封じ込めたキュウリを地中に埋め、キュウリが土にかえるのと同時に病気も治るとされる。



本堂では、参拝者の名前が書かれた紙を巻いたキュウリが供えられ、祈願の読経。その後、キュウリを受け取った参拝者は、肩や腰をキュウリでさすって、願いを込める。



最後に、蓮月に茶室を紹介したのは同院の月心和上と親交があり、蓮月がただ一人、心を許した明治、大正に活躍した画家の富岡鉄斎だとされている…今京都。

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