rrbのブログ - 2016/02のエントリ
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◆◆なう ショーウイドウ 2016/02/29 12:00 am
お洒落な街は、ショーウインドウもお洒落だと思う。これは、無意識のうちの思い込みなのだろうか。♪ ショーウインドウ 万華鏡のよう ♪ と歌っていたのは岩崎宏美さん(万華鏡)だったかな。ショーウンドウを飾る人はどんな人だろう。何かしらの物語が展開されているショーウンドウはしばらく眺めて会話をしてしまう。街撮りのひとつにショーウインドウを組み込んでいこう…という神戸なう。

《神戸》

《神戸》
確かに物語のあるショーウインドウはいいよね
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天を仰いで思うこと 有名税 2016/02/26 12:00 am
芸能人やスポーツ選手、議員の話題が尽きない。薬物や横領の類は徹底的に掘り起こせばいいと思う。しかし、恋愛、特に《不倫》については、倫理に違反することであるが、どちらか一方だけが取り上げられるのはいかがなものかと思う。有名な方が取り上げられている雰囲気がある。《有名税》ということか。喧嘩両成敗ではないが、《不倫》はどちらか一方の想いだけでは成立しないだろう。そのあたりはどうなっているのでしょうねぇ。
報道を見ていると「人権」はどこにあるのかと思うことも、シバシバある。徹底的に個人名が出されるケースもあれば、AやBと匿名で報道されることもある。この違いも《有名税》か。
さて、《有名税》という言葉があるのかどうか不明だが、報道を見る限り「有名なほうが損」だな…と、天を仰いで思うこと。

報道を見ていると「人権」はどこにあるのかと思うことも、シバシバある。徹底的に個人名が出されるケースもあれば、AやBと匿名で報道されることもある。この違いも《有名税》か。
さて、《有名税》という言葉があるのかどうか不明だが、報道を見る限り「有名なほうが損」だな…と、天を仰いで思うこと。

一般庶民が一番平和だね…と思う
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今京都 先斗町 2016/02/25 12:00 am
♪ 富士の高嶺に 降る雪も 京都先斗町に 降る雪も 雪に変りは ないじゃなし ♪ と《お座敷小唄》にもある先斗町を久々に歩いた。先斗町は、もともとは鴨川の州で、江戸時代初期の1670(寛文10)年に護岸工事で埋立てられ、新河原町通と呼ばれていた。 繁華街としては茶屋、旅籠などが置かれたのが始まりである。芸妓、娼妓が居住するようになり、何度も取り締りを受けたが、川端二条にあった『二条新地』(にじょうしんち)の出稼ぎ地として認められ、明治初期に独立。1872(明治5)年に鴨川をどりが初演され、先斗町は花街としての花を開かせる。
一説によれば、先斗という地名の語源はポルトガル語のponto(「先」の意)にあるとされる。しかし、正しいポルトガル語は"PONTA"なのに「ポント」と読まれることや、なぜ「先斗」の字があてられたのかなどが謎とされる。また、鴨川と高瀬川の2本の川に挟まれていることを、2枚の皮に挟まれている鼓にたとえ、鼓の「ポン」と鳴る音に掛けて、「ぽんと」となったという説もある…という今京都。

《京都・先斗町》
一説によれば、先斗という地名の語源はポルトガル語のponto(「先」の意)にあるとされる。しかし、正しいポルトガル語は"PONTA"なのに「ポント」と読まれることや、なぜ「先斗」の字があてられたのかなどが謎とされる。また、鴨川と高瀬川の2本の川に挟まれていることを、2枚の皮に挟まれている鼓にたとえ、鼓の「ポン」と鳴る音に掛けて、「ぽんと」となったという説もある…という今京都。

《京都・先斗町》
先斗町は番号がついている路地がたくさんあるよね
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おやかまっさん えっ?(絵)、まぁ!(馬) 2016/02/24 12:00 am
神社に行くと自分では奉納しないのに、ついつい見てしまうのが絵馬である。微笑ましいものもあれば、どう表現していいかわからないものもある。自分の中で、これまでのヒットはこれだ。「えっ、まぁ、ステキ」となったものである。「この強さがあるなら大丈夫だよ」と思わずつぶやいてしまった…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《京都・嵐山》

《京都・嵐山》
この言い切り方がステキだなぁ
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おやかまっさん 来た道・行く道 2016/02/23 12:00 am
身内にしろ、施設利用者にしろ、高齢の方が犠牲になる事件が多くなったように思う。どうして高齢の方を標的にするのか。自分の思い通りに動かないからか。真意は不明だが、「実行者より体力的に弱者である」ということは明白だ。たやすく手にかけることができる。
どんなに若くても、将来、必ず行き着くところが高齢社会である。その時、自分より若い者から同様の扱いを受けたとしたらどう感じるだろう。そんな扱いをされる覚えもないが、それはある日突然に襲ってくる。どんなに泣き叫ぼうが逃げることができない。むしろ信じている相手に突然に手を下されるのである。そして体力的に相手の方が強いから、確実に負ける。
一方で、幼児・児童に対する攻撃も後を絶たない。親から子へのものが増加している。これも情けなく、恐い話である。何があっても、守ってくれる存在からの攻撃だから逃げ場がない。「しつけのため」と口にしているが、子どもとは親の背中を見て育つのである。特に、幼少の頃は親のマネをしているとしても過言ではない。子どものできない行動を引き起こしているのは親自身である。親ができていないから子どももできていない。なのに弱者は手にかけられる。
弱者は、その瞬間、何を考えるだろうか。「どうして?」「なぜ?」「何があったんだ?」 一瞬にして多くの「?」が脳裏をよぎるが、有無を言わせない速さで事が進む。想像しただけで恐ろしい。
誰しも子どもから大人へ、大人から高齢者への道を歩んでいる。そのことを肝に銘じて他者とせっしたいものだ。それが「思いやり」というものではないか…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《京都・化野念仏寺》
どんなに若くても、将来、必ず行き着くところが高齢社会である。その時、自分より若い者から同様の扱いを受けたとしたらどう感じるだろう。そんな扱いをされる覚えもないが、それはある日突然に襲ってくる。どんなに泣き叫ぼうが逃げることができない。むしろ信じている相手に突然に手を下されるのである。そして体力的に相手の方が強いから、確実に負ける。
一方で、幼児・児童に対する攻撃も後を絶たない。親から子へのものが増加している。これも情けなく、恐い話である。何があっても、守ってくれる存在からの攻撃だから逃げ場がない。「しつけのため」と口にしているが、子どもとは親の背中を見て育つのである。特に、幼少の頃は親のマネをしているとしても過言ではない。子どものできない行動を引き起こしているのは親自身である。親ができていないから子どももできていない。なのに弱者は手にかけられる。
弱者は、その瞬間、何を考えるだろうか。「どうして?」「なぜ?」「何があったんだ?」 一瞬にして多くの「?」が脳裏をよぎるが、有無を言わせない速さで事が進む。想像しただけで恐ろしい。
誰しも子どもから大人へ、大人から高齢者への道を歩んでいる。そのことを肝に銘じて他者とせっしたいものだ。それが「思いやり」というものではないか…ということで、どうも、おやかまっさんどした。

《京都・化野念仏寺》
現代社会って乱れているよね、何よりも人の心が一番壊れているね