rrbのブログ - 2008/08のエントリ
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前代未聞2008/08/12 12:00 am
ぜんだいみもん…今までに一度も耳にしたことがないような珍しいこと。空前の出来事。未曾有の珍事。
◇ちょっと予備知識 → 「前代」は今より前の時代、過去。「せんだい」とも読む。
「未聞」は聞いたことがないこと。
類義語に空前絶後(くうぜんぜつご)・先代未聞(せんだいみもん)・
破天荒解(はてんこうかい)がある。
お盆 vol.1
もうすぐお盆。京都ではお盆の時期、いくつかの行事が行われる。そもそも「お盆って何?」ということも含めて歴史や由来について調べてみた。
お盆とは、ご先祖の霊があの世から戻り、家族と一緒に楽しいひとときを過ごしてまたあの世に帰っていくという日本古来の信仰に基づく仏教行事のひとつ。当然、実際に生き返ったり姿が見えるわけではない。

8月13日ごろから16日の間にお墓参りをしたり、仏壇なお迎えのお飾りをしたり、お坊さんにお経をあげていただいたりする。
昔のお盆は旧暦7月の行事で、現代の暦では8月中旬から下旬ごろにあたる。7月は1年を半分にしたとき、後半が始まる最初の月で、正月と同様に大切な行事だと考えられていた。

各地でお盆の行事には違いがあり、京都ではご先祖の霊を「オショライさん(お精霊さん)」と呼んで、8月7日から10日の間に「六道参り」という行事が行われる。東山区の六道珍皇寺や上京区にある引接寺(千本えんま堂)では、オショライさんのためのお迎えの鐘をつく人が訪れ、水塔婆という薄い木版にご先祖の名前を書いてお寺に納めて、高野槙という木の枝を買って仏壇に飾ったりする。

六道参りが行われる六道珍皇寺と引接寺に共通する伝承は小野篁(おののたかむら)という平安時代の詩人の話。
この人は昼間は朝廷(役所)に、夜は地獄の閻魔様に仕えた人といわれ、自分の亡き母親に会うために、あの世に通じる六道の辻にある井戸を行き来できるという人だった。
そして、平安時代、両寺は亡くなった人が葬られる葬送の地の入口にあたり、死者はこの寺からあの世へ送られたので、この世とあの世の境界地でもある寺と、あの世と行き来できる小野篁が結びついた。
京都の人がお盆に両寺へお参りするのは、あの世とつながっていると伝わる所だからである。

オショライさんはお盆の間、家々で過ごし、8月16日に再び、あの世へ戻ります。京都では、現在は行われていないが、お盆に飾った花やお供え物をその日の夕刻に鴨川や堀川に流し、先祖の霊を贈る習慣があった。そして京都を囲む山々に「大」や「妙法」などに送り火を灯し、ご先祖をあの世に送った。それが五山の送り火であり、この送り火は、ご先祖をあの世へ送るための灯りである。

送り火の起源はき、室町時代以降、万灯籠や千灯籠という京都と周辺地域で行われた灯籠行事で、8月23日、24日の化野念仏寺の千灯供養も同様である。送り火はこの灯籠行事を元に、時代の中で変化し、江戸時代初期には京都の夏の行事として定着。ちなみに、昔はもっとたくさんの送り火があり「い」「一」「竿に鈴」などが存在したようだが、今では正確な点火場所すらわかっていないという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 「前代」は今より前の時代、過去。「せんだい」とも読む。
「未聞」は聞いたことがないこと。
類義語に空前絶後(くうぜんぜつご)・先代未聞(せんだいみもん)・
破天荒解(はてんこうかい)がある。
お盆 vol.1
もうすぐお盆。京都ではお盆の時期、いくつかの行事が行われる。そもそも「お盆って何?」ということも含めて歴史や由来について調べてみた。
お盆とは、ご先祖の霊があの世から戻り、家族と一緒に楽しいひとときを過ごしてまたあの世に帰っていくという日本古来の信仰に基づく仏教行事のひとつ。当然、実際に生き返ったり姿が見えるわけではない。

8月13日ごろから16日の間にお墓参りをしたり、仏壇なお迎えのお飾りをしたり、お坊さんにお経をあげていただいたりする。
昔のお盆は旧暦7月の行事で、現代の暦では8月中旬から下旬ごろにあたる。7月は1年を半分にしたとき、後半が始まる最初の月で、正月と同様に大切な行事だと考えられていた。

各地でお盆の行事には違いがあり、京都ではご先祖の霊を「オショライさん(お精霊さん)」と呼んで、8月7日から10日の間に「六道参り」という行事が行われる。東山区の六道珍皇寺や上京区にある引接寺(千本えんま堂)では、オショライさんのためのお迎えの鐘をつく人が訪れ、水塔婆という薄い木版にご先祖の名前を書いてお寺に納めて、高野槙という木の枝を買って仏壇に飾ったりする。

六道参りが行われる六道珍皇寺と引接寺に共通する伝承は小野篁(おののたかむら)という平安時代の詩人の話。
この人は昼間は朝廷(役所)に、夜は地獄の閻魔様に仕えた人といわれ、自分の亡き母親に会うために、あの世に通じる六道の辻にある井戸を行き来できるという人だった。
そして、平安時代、両寺は亡くなった人が葬られる葬送の地の入口にあたり、死者はこの寺からあの世へ送られたので、この世とあの世の境界地でもある寺と、あの世と行き来できる小野篁が結びついた。
京都の人がお盆に両寺へお参りするのは、あの世とつながっていると伝わる所だからである。

オショライさんはお盆の間、家々で過ごし、8月16日に再び、あの世へ戻ります。京都では、現在は行われていないが、お盆に飾った花やお供え物をその日の夕刻に鴨川や堀川に流し、先祖の霊を贈る習慣があった。そして京都を囲む山々に「大」や「妙法」などに送り火を灯し、ご先祖をあの世に送った。それが五山の送り火であり、この送り火は、ご先祖をあの世へ送るための灯りである。

送り火の起源はき、室町時代以降、万灯籠や千灯籠という京都と周辺地域で行われた灯籠行事で、8月23日、24日の化野念仏寺の千灯供養も同様である。送り火はこの灯籠行事を元に、時代の中で変化し、江戸時代初期には京都の夏の行事として定着。ちなみに、昔はもっとたくさんの送り火があり「い」「一」「竿に鈴」などが存在したようだが、今では正確な点火場所すらわかっていないという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。




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