rrbのブログ - 2015/12のエントリ
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今京都 会話 2015/12/10 12:00 am
こらっ、スズメくん! 出てこい!
んっ!? な〜に?
「な〜に?」ではない。昨日の〆のコメントはどういうつもり?
えっ、何か言ったっけ?
とぼけんじゃな〜い、ご利益にかかわらずやったほうがよい、だって〜
おまけに、隠れコメントで「恋ぐらいしろ」だって〜
イヤ…あの…その…そろそろ色っぽい話があってもよい頃かと…
うっせぇ〜、ほっとけ〜〜〜
た、たしかに…、でも、合コンとかは?
なに〜!? 合コンだぁ!? てめぇ〜喧嘩売ってんのかぁ
イヤ、喧嘩は売ってないよ。気に障ったなら、謝るよ〜、すみません!
「いいよぉ〜」って、吉本新喜劇のノリはせんよ!
今度、吉本新喜劇をおごるから…ね
ホンマ? じゃ、許してあげる。やっと目が覚めてきた。スズメさん、ありがとう
な、なに? 眠気覚ましに僕をいたぶった?
そう、眠気覚ましにはスズメさんをいたぶるのが一番や〜
あちゃ〜、日ごろは想定外に優しいのに…おかしいと思った…
こうして職場の人や僕は、何かにつけていたぶられるのであった…
rrbは本当は優しいんだよ、僕は知っている
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今京都 首振地蔵−借金苦の幇間供養− 2015/12/09 12:00 am
記念写真を撮る観光客が後を絶たない清水寺正面の仁王門前。楽しそうにポーズをとる光景を、一体のお地蔵さんが、ほほ笑ましい表情で眺めている。
仁王門下の石段の北側にある同寺「善光寺堂」の敷地内に、「首振(くびふり)地蔵」と呼ばれる地蔵が立つ。御影石でできており、高さは50cm。普通の地蔵なら動かないはずの首が左右に360度回る。駒札には「願い事のある方向に首をまわして拝めば願いがかなえられるといわれ、江戸時代以来、衆庶の深甚な信仰を伝統している」とある。
同寺に伝わる話では、江戸中期、祇園の芸妓たちが、親身になって客のだんな方を世話してくれた鳥羽八という名前の幇(ほう)間(たいこ持ち)をしのんで奉納したとされる。首が回るのは、散財し過ぎて借金で首が回らなくなって亡くなったのを気の毒に思い、供養の思いを込めたとも言われる。
今の首振地蔵は「二代目」。江戸中期につくられたとされる「初代」は、二代目の背後の格子戸の中にある。20年ほど前、初代は観光ガイドやタクシー運転手の間で隠れた名所として存在が広まった。連日多くの観光客が首を回したため、首を支えている軸の部分がすり減り、頭が落ちることもあった。厨子(ずし)の内部に納めても扉を開けて回す人が後を絶たず、扉を閉ざして回すのを禁止した。ところが不評を買ったため、同寺は地蔵を新調することにした。
ただ、新調は思うように進まなかった。石屋さんが『首の切れた地蔵さんなど作れない』と作るのを嫌がったのである。説得に一年以上かかり、ようやく納得して作ってくれたとのことだ。なんでも渋る職人さんに「これは地蔵さんではないから」と説得したそうだ。
太鼓持ちの姿を模しているため、ずきんを取ると頭にちょんまげがあり、よだれかけに隠れた手には扇子を持っている。羽織のような着物も着ている。今も多くの観光客が首を回し、手を合わせる。同寺が各地で開催する「出張開帳」でも、本尊に並ぶ人気を集める。ただ拝むだけでなく、触れることで一体感を持てるからかもしれない。
善光寺堂は、鎌倉時代末期に作られた如意輪観音像などが安置されている。善光寺堂の前にある小さな厨子に、首振地蔵は置かれている。厨子は1990年に全京都建築高等職業訓練校の生徒らが建てた。恋を成就させようと、思いを寄せる人の住む方角へ地蔵の頭を向ける人が多いというが、さてご利益のほどはどうなんだろうね、羅漢さん…という今京都。
仁王門下の石段の北側にある同寺「善光寺堂」の敷地内に、「首振(くびふり)地蔵」と呼ばれる地蔵が立つ。御影石でできており、高さは50cm。普通の地蔵なら動かないはずの首が左右に360度回る。駒札には「願い事のある方向に首をまわして拝めば願いがかなえられるといわれ、江戸時代以来、衆庶の深甚な信仰を伝統している」とある。
同寺に伝わる話では、江戸中期、祇園の芸妓たちが、親身になって客のだんな方を世話してくれた鳥羽八という名前の幇(ほう)間(たいこ持ち)をしのんで奉納したとされる。首が回るのは、散財し過ぎて借金で首が回らなくなって亡くなったのを気の毒に思い、供養の思いを込めたとも言われる。
今の首振地蔵は「二代目」。江戸中期につくられたとされる「初代」は、二代目の背後の格子戸の中にある。20年ほど前、初代は観光ガイドやタクシー運転手の間で隠れた名所として存在が広まった。連日多くの観光客が首を回したため、首を支えている軸の部分がすり減り、頭が落ちることもあった。厨子(ずし)の内部に納めても扉を開けて回す人が後を絶たず、扉を閉ざして回すのを禁止した。ところが不評を買ったため、同寺は地蔵を新調することにした。
ただ、新調は思うように進まなかった。石屋さんが『首の切れた地蔵さんなど作れない』と作るのを嫌がったのである。説得に一年以上かかり、ようやく納得して作ってくれたとのことだ。なんでも渋る職人さんに「これは地蔵さんではないから」と説得したそうだ。
太鼓持ちの姿を模しているため、ずきんを取ると頭にちょんまげがあり、よだれかけに隠れた手には扇子を持っている。羽織のような着物も着ている。今も多くの観光客が首を回し、手を合わせる。同寺が各地で開催する「出張開帳」でも、本尊に並ぶ人気を集める。ただ拝むだけでなく、触れることで一体感を持てるからかもしれない。
善光寺堂は、鎌倉時代末期に作られた如意輪観音像などが安置されている。善光寺堂の前にある小さな厨子に、首振地蔵は置かれている。厨子は1990年に全京都建築高等職業訓練校の生徒らが建てた。恋を成就させようと、思いを寄せる人の住む方角へ地蔵の頭を向ける人が多いというが、さてご利益のほどはどうなんだろうね、羅漢さん…という今京都。
ご利益があるならやってみる? イヤ、ご利益がなくてもやったほうがいいのでは?
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今京都 火伏せの大イチョウ、水を噴き類焼防ぐ? 2015/12/08 12:00 am
京都市中京区の本能寺。市民や修学旅行生が行き交う寺町通の繁華街から法華宗大本山本能寺の門をくぐると、目の前に閑静な境内が広がる。さらに進むと本堂の奥、南東角に大きなイチョウがそびえる。2004年に京都市の保存樹に指定された「火伏せの大イチョウ」だ。
名前の由来は1788(天明3)年の旧暦1月に京都を襲った大火災「天明の大火」にさかのぼる。市内中心部全域に火の手が回ったといい、お寺の「法華宗年表」は被害を「禁裏、二条城、公家65、町家18万余、神社220余、寺院928」と記録する。炎は、本能寺にも迫った。本堂などが次々に焼失していくなか、イチョウから水が噴き出して、近くの建物は類焼を免れたという。イチョウの西隣にある塔頭「龍雲院」の門と建物の一部は天明の大火以前のまま残っている。
木が本当に水を噴き出して、迫る炎を食い止めたのだろうか。イチョウの葉は肉厚で含水率が高く、防火林として街路樹に用いられる。実際に水を噴くことは考えにくいが、水分の多い生木が熱せられると、焼き魚を作っている時のように、表面にあぶくが出ることもあるのではないかと想像する。伝承は類焼を食い止めたイチョウの役割を強調して生まれたのだろう。
本能寺の「能」の文字は長く「☆」と併用されてきた。1928(昭和3)年に現在の本堂が建立され、境内の建物が整備されたときから、公式には「☆」だけを使うようになった。旁(つくり)の「去」から「二度と火災に遭うことがないように」という願いが込められた。同時に胴回り3mほどに成長したイチョウにしめ縄が飾り付けられた。火伏せの大イチョウにあやかろうと、本能寺の札を求める人がいるといい、近所では火難よけの神で知られる愛宕神社の札と並べて張っている店もあるという。
なお、本能寺は京都市中京区寺町通御池下ル、京都市営地下鉄東西線の市役所前駅すぐ。1415(応永22)年に日隆聖人が「本応寺」として建立して以降、宗教上の対立に加え、本能寺の変などで焼失と再建を繰り返してきた。移転も重ね、火伏せの大イチョウがある現在の場所で5カ所目となる…という今京都。
【注】☆は「能」の旁を去に変えたもの。たびたび火災に遭うので火=ヒを払うという意。
名前の由来は1788(天明3)年の旧暦1月に京都を襲った大火災「天明の大火」にさかのぼる。市内中心部全域に火の手が回ったといい、お寺の「法華宗年表」は被害を「禁裏、二条城、公家65、町家18万余、神社220余、寺院928」と記録する。炎は、本能寺にも迫った。本堂などが次々に焼失していくなか、イチョウから水が噴き出して、近くの建物は類焼を免れたという。イチョウの西隣にある塔頭「龍雲院」の門と建物の一部は天明の大火以前のまま残っている。
木が本当に水を噴き出して、迫る炎を食い止めたのだろうか。イチョウの葉は肉厚で含水率が高く、防火林として街路樹に用いられる。実際に水を噴くことは考えにくいが、水分の多い生木が熱せられると、焼き魚を作っている時のように、表面にあぶくが出ることもあるのではないかと想像する。伝承は類焼を食い止めたイチョウの役割を強調して生まれたのだろう。
本能寺の「能」の文字は長く「☆」と併用されてきた。1928(昭和3)年に現在の本堂が建立され、境内の建物が整備されたときから、公式には「☆」だけを使うようになった。旁(つくり)の「去」から「二度と火災に遭うことがないように」という願いが込められた。同時に胴回り3mほどに成長したイチョウにしめ縄が飾り付けられた。火伏せの大イチョウにあやかろうと、本能寺の札を求める人がいるといい、近所では火難よけの神で知られる愛宕神社の札と並べて張っている店もあるという。
なお、本能寺は京都市中京区寺町通御池下ル、京都市営地下鉄東西線の市役所前駅すぐ。1415(応永22)年に日隆聖人が「本応寺」として建立して以降、宗教上の対立に加え、本能寺の変などで焼失と再建を繰り返してきた。移転も重ね、火伏せの大イチョウがある現在の場所で5カ所目となる…という今京都。
【注】☆は「能」の旁を去に変えたもの。たびたび火災に遭うので火=ヒを払うという意。
「本能寺の変」といえばエグスプロージョン。彼らはダンサー・振付師であり芸人ではない
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◆◆なう 気象用語の不思議 2015/12/07 12:00 am
ふだん何気なく聞いている「集中豪雨」。「狭い範囲に数時間にわたり強く降り、100ミリから数百ミリの雨量をもたらす雨」という定義をされているが、もともとは気象用語ではなく、マスコミ生まれの言葉だ。昭和28年8月に、京都府南部の南山地域をおそった局地的な豪雨を、朝日新聞が「集中豪雨」という見出しをつけ、以来ひろく使われていくようになったと言われている。
「木枯らし1号」も同じ。もともとは季節のお知らせとして気象庁が報道機関に伝えていたもの。古くから「木枯らし1号」があったわけではない。
2008年に新語・流行語大賞のトップ10にも選ばれた「ゲリラ豪雨」。メディアが多用したことで一気に定着した。でも実は、「ゲリラ豪雨」は不適切用語である。理由は、ゲリラという言葉が戦争を想像させたり、予測不可能と思われるからだ。ゲリラ豪雨の変わりに、気象庁では「局地的大雨」と言っている。
同じく、「爆弾低気圧」という言葉もそうだ。速いスピードで発達する低気圧のことで、24時間以内に20hPa程度、気圧が下がる低気圧のことを差す。「爆弾」という言葉が適切ではないとしている。
ニュースでよく見る気象庁の会見や発表では、「ゲリラ豪雨」や「爆弾低気圧」という言葉は使っていないので、注意して聞いてみるのもおもしろいかも…とはいえ、「言葉は生き物」と言われている。いつの日か、正式な用語として扱われる日がくるかもしれない…という神戸なう。
「木枯らし1号」も同じ。もともとは季節のお知らせとして気象庁が報道機関に伝えていたもの。古くから「木枯らし1号」があったわけではない。
2008年に新語・流行語大賞のトップ10にも選ばれた「ゲリラ豪雨」。メディアが多用したことで一気に定着した。でも実は、「ゲリラ豪雨」は不適切用語である。理由は、ゲリラという言葉が戦争を想像させたり、予測不可能と思われるからだ。ゲリラ豪雨の変わりに、気象庁では「局地的大雨」と言っている。
同じく、「爆弾低気圧」という言葉もそうだ。速いスピードで発達する低気圧のことで、24時間以内に20hPa程度、気圧が下がる低気圧のことを差す。「爆弾」という言葉が適切ではないとしている。
ニュースでよく見る気象庁の会見や発表では、「ゲリラ豪雨」や「爆弾低気圧」という言葉は使っていないので、注意して聞いてみるのもおもしろいかも…とはいえ、「言葉は生き物」と言われている。いつの日か、正式な用語として扱われる日がくるかもしれない…という神戸なう。
言葉は生きものとはきく言葉だね
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天を仰いで思うこと 初期の画像 2015/12/04 12:00 am
スズメさんを撮り始めたころの画像だが、ちょっと掲載するのが恥ずかしくなる。なんでもいいから撮ってやろうという意気込みのものだ。ピントも甘いし、画質もよくない。まして構図なんて…だ。この頃が懐かしくもある…と、天を仰いで思うこと。
初めは誰でも素人だけど、継続は力なり!…だね