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rrbのブログ - 2008/10のエントリ

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今京都 汗馬之労 2008/10/11 12:00 am

んばのろう…駆けずり回って働くこと。物事の取りまとめなどに懸命に努力すること。
◇ちょっと予備知識 → もとは戦功を立てるために馬を走り回らせて汗をかかせることから。
                「汗馬之労をとる」のように使う。
                類義語に汗馬功労(かんばこうろう)・汗馬之功(かんばのこう)・
                犬馬之労(けんばのろう)がある。

うやら風邪の峠は越えたよう。風邪には寝るのが一番ね。

碗子の水
1780(安永9)年に刊行された当時のガイドブック「都名所図会」にも紹介されている。江戸中期の画家伊藤若冲(1716〜1800)がデザインした石仏群で知られる石峰寺の石段下に、「茶碗子(ちゃわんこ)の水」の添え書きとともに井戸がある。
伝えによれば、その昔、都に住む茶人が宇治川の水をくませて茶の湯に用いていた。ある時、いつものように宇治橋まで水をくみに行った使いの者が、この近くで水をこぼしてしまった。仕方なく、使いの者はこのわき水を持ち帰り、知らぬ顔をしていた。



だが、主人はいつもの水と違うことに気付いた。問いつめられ、使いの者は恐る恐る一部始終を話した。叱られるどころか、「宇治川の水に勝る」と褒められ、その後は宇治までの遠出の労が省けたという。晩年を石峰寺当寺で過ごした若冲さんも、この名水を味わったのではないかと思いをはせる。
わき水は地元の農家が長く、収穫した野菜を洗う水として使ってきた。地元では『清水』と呼んで、飲み水にも使っていたという。明治12(1879)年に旧東海道線の鉄道が開通するころまでは、伏見街道まで木管でつないで、往来する旅人や牛馬の飲み水にしていたともいわれている。



しかし、時代を超えて地域に親しまれてきたわき水も、枯れてしまった。20年ほど前の下水道工事で水量が半減し、周辺での宅地開発で地下水脈が絶たれたためではないかという。
井筒の横には、長さ20mほどの水路を渡した施設がある。そこに茶碗子の水を引いて野菜の泥を落としていた。わき水は一定の温度に保たれ、冬は温かく、夏冷たい。ここの水で洗った野菜は鮮度がいいと、市場でも評判がよかったのに…と地元の住民は残念がる。



今、人々に愛された名水を物語るのは、ステンレス製のふたに覆われた直径約1mの井筒だけだ。「茶碗子の水」がわいていた井戸は、住宅が広がる京都市伏見区深草野手町の路傍にひっそりとある。そばに地蔵堂が立っていたが、枯れた井戸を惜しむような雰囲気に見受けられた…今京都。


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今京都 欣求浄土 2008/10/10 12:00 am

んぐじょうど…死後、極楽浄土に往生することを心から願うこと。
◇ちょっと予備知識 → 仏教語。「欣求」は喜んで求めること。「浄土」は極楽浄土のこと。
                「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土」と対にして使われることが多い。
                類義語に安楽浄土(あんらくじょうど)・厭穢欣浄(おんえごんじょう)がある。
                対義語は厭離穢土(おんりえど)。

邪を引いたみたい。鼻水がズルズル、咳がコンコン。熱はまだない。しかし、身体が気だるい。皆さん、体調管理には十分注意してくださいね!

ざれ石



君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで
と、「君が代」にもでてくる「さざれ石」。漢字では「細石」と書く。この石がどこに実在するか、などと考えてもみなかった。だから、この石があの「君が代」に出てくる細石ですよ、といわれても戸惑ってしまう。



しかし、いっぽうで「君が代」に歌われた地がもし実在するとしたら、それはやはり京都ではないかとも思う。
確かにそこには「さざれ石」という石碑が建っていた。場所は「千代の古道(ふるみち)」と呼ばれる右京区山越の道の途中である。



千代の古道は、かつて平安貴族が都から広沢の地を経て、嵯峨御所(大覚寺)へ通う道だったそうで、古来多くの歌に詠まれている。その古道の北、通称さざれ石山の中腹西側に六畳敷の巨岩が横たわっている。平安初期、嵯峨天皇が嵯峨御所行幸の際、この地を休息の場所とし、さざれ石と名づけたのだという。山にはほかにも、大小幾多のさざれ石の露頭が見られるというが、今は入山できず、残念ながら確認することができない。



さざれ石は、伝承では成長する石とされている。京のさざれ石(学名チャート=珪質の堆積岩)はごつごつして硬く、獣角状の光沢を含む山石の地石のこと。古来、京の西山、つまり鳴滝から嵯峨、衣笠山一帯の山々は、さざれ石の産地として知られてきたという。また水成岩であるさざれ石は、このあたりがかつて水底であったことを示す岩でもあるそうだ。



「君が代」は『古今集』巻七にある「砂(いさご)長ジテ巖トナル頌(うた)」
わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで(よみ人知らず)
がもとになっている。これは中国に習って嵯峨天皇が朝廷で始めた算画(長寿を祝う宴)での祝い歌で、水中から拾った小石が成長したという中国唐代の逸話をふまえたものだといわれている。



すなわち嵯峨天皇のさざれ石伝説を読み解けば、長寿の祝い歌である「千代に八千代に」をもとに、「千代の古道」の掛詞として「さざれ石」と名づけた、ということになるだろうか。



ちなみに、岐阜県天然記念物のさざれ石(石灰質角礫岩)は、伊吹山の東の麓にあたる岐阜県春日村(現、揖斐川町)にある。また伊勢神宮にも、出雲大社にも、さざれ石は奉納されているそうだ。



しかし、そこまで足を運ばなくても、今回は行かなかったが、嵯峨天皇お好みのさざれ石は、龍安寺石庭の四石、金閣寺の鏡池湖護岸石、天龍寺や妙心寺の庭園景石、また蛇塚古墳にも用いられているという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は護王神社に奉納されている岐阜県のさざれ石


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今京都 千里同風 2008/10/09 12:00 am

んりどうふう…世の中が平和で穏やかなこと。また、ある風俗が国の隅々まで行き渡っているさま。
◇ちょっと予備知識 → 千里も離れたところまで同じ風が吹くということから。
                類義語に万里同風(ばんりどうふう)・同文同軌(どうぶんどうき)がある。

子(おなご)はんは宝
京都では他の地域と違い、今でいうキャリアウーマンを昔から認めていた。商家にしても、お茶屋にしても、女将さんがきっちりと取り仕切っているからこそ、やっていける。外で仕事をする女性、店や家を守る女性、そのいずれの女性も京都では認めてきた。そして女性たちも、それに応えるかのように自分の役割をきちんと果たしてきた。



ちょっと極端な言い方かも知れないが、京都の歴史は女性がつくり、動かしてきたといっても過言ではないように思う。それぞれの家のしきたりや行事も、人様とのおつきあいも、料理も、こと細かに女性が守ってきたからこそ、今日まで伝承されてきたのだ。もし男性がこういったことを取り仕切っていたら、おそらく、こんなにきちんと伝えられなかったのではないか…といわれている。



祇園祭でも、鉾を動かすのは確かに男性の仕事だが、陰で女性はお客を向かえ、その家を守り、しきるという重要な仕事を担っており、それがあったればこそ、祭りが今日まで続いてきたのだといわれる。鉾がけがれるから鉾の上に女性を上げてはいけないなどといわれるが、とんでもない。大事な女性を高い鉾に上げては危険だからというのが真意であり、これが後世あやまって伝えられたのだというから驚きだ。



結婚式の仲人への挨拶は母親がいくとか、結婚祝などは女性が持参するほうがよいとか、また商売では開店時の一番最初のお客には女性に来てもらわないと店が繁盛しないなどといわれているが、これらは全て女性が動くということが「験がいい」と京都では考えられてきたからであるという。「京都らしい人」とか「京都の人は風情があってよろしいですね」などは、全て女性に対していわれることば。京都の男性の方は「もうちょっとしゃきっとせんと」と思われているかもしれない。



ある著名な学者は、日本は決して男尊女卑の国ではなかったといっている。家ひとつをとっても、母屋はあるが父屋などはないし、いろりがあった昔には「かか座」という主婦が座る場所が決まっており、その場所には他の誰も座らないものだったという。また、ご飯を分け与えるのは父親ではなく母親であり、その権限を持っていたのはスゴイことだと思う。京都が1200年の間、「京都」であり続けたのも、やはり食事ひとつもおろそかにせず毎日つくり続けてきた京の女子(おなご)はんがいてこそであるという京都の文化のお話…今京都。 ※決して殿方に喧嘩を売っているわけではないのであしからず。


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今京都 縦横無尽 2008/10/08 12:00 am

ゅうおうむじん…思う存分に行動すること。何の障りもなく、伸び伸びと自由自在であること。
◇ちょっと予備知識 → 「縦横」は縦と横、東西と南北。そこから、あらゆる方向の意。
                類義語に縦横自在(じゅうおうじざい)・縦横無碍(じゅうおうむげ)・
                自由自在(じゆうじざい)がある。

理的
京都人は論理的ではなく、物事を深く考えないといわれることがある。ある意味ではこれは的中しているという。京都人は、元来、物事を論理的にうまく言い表すことがヘタなのだという。しかし、この論理的に物事を見つめないところに京都人の知恵がある。



論理的に深く思考することで話が途中から横道にそれてしまうことがある。「大」が「小」になったり、「善」が「悪」になったり、「きれいなもの」が「きたなく」なってしまうことさえある。金閣寺がきれいだ、竜安寺もきれいだし、銀閣寺もいい、それだけでよい。三者を比べてどこがどうだと論理的に見つめることが、京都人はあまり好きではない。



京都で花嫁道具をご近所の人々に見てもらうのは、これだけ親に支度をしてもらったので見て欲しいという花嫁の感謝の心だという。他人と比べてどうだとか、見せびらかすためでは決してない。見せてもらう側も「あの娘さんお嫁に行かはる、よかったなぁ」と思う心が大切であり、それ以上、どこへとか、どんな人となどと詮索しだすと、本来のおめでたいと思う気持ちがどこかへいってしまう。



ひと頃、矢を射られた鴨の姿が連日テレビに映し出されたことがあったが、その鴨を見てただただ「かわいそうに」と思う、そんな発想が京都的なのだ。しかし、その一方で人間は鴨を食しているではないかという論評もあり、なるほどその論評も筋道が通っている。しかしながら、この事柄も論理的に深く考えることで「鴨がかわいそうだ」という本来の優しい感情がどこかにいってしまうことに、京都人は釈然としない。



京都人の直感の素晴らしさ。直感というのは、何も考えていないということではなく、その方が人間的な機微を表現するにふさわしいと考えている。そしてその判断が驚くほど正確なのだ。そこには京都人の感情を大切にする心が基本にあり、「しきたり」や「作法」を通して、京都人の暮らしの中に古より脈々と伝えられてきた洞察力があると思う。



幕末の頃、強靭は勤皇派、佐幕派の、どちらにもつかなかった。勤皇の志士たちが殺されるのも新撰組の人々が殺されるのも、同じ思いでかわいそうにと感じていたにちがいない。それは京都人が社会の情勢にうといというのではなく、どの時代においても、人と人がいがみ合うことが最も悲しいことだと考えていたのだろう。これが1200年の間、はげしい世の移り変わりを間近で見てきた京都人の哲学かもしれないという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文と関係ないのであはからず。


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今京都 議論百出 2008/10/07 12:00 am

ろんひゃくしゅつ…議論が活発に行われること。いろいろな意見が出て、盛んに論じられること。
◇ちょっと予備知識 → 「百出」は数多く出ること、いろいろ出ること。
                類義語に侃侃諤諤(かんかんがくがく)・甲論乙駁(こうろんおつばく)・
                諸説紛紛(しょせつふんぷん)・談論風発(だんろんふうはつ)がある。

豊神社(おおとよじんじゃ) vol.4(最終回)  vol.3はここ
最後に愛宕社を鎮るのは狛鳶。



京都の北西に連なる山並みの一段高いところの愛宕山に愛宕信仰の総本社である愛宕神社はある。


向かって左が愛宕社・狛鳶、右が日吉社・狛猿



京都では愛宕さんと親しまれると共に火伏せの神として知られ、おくどさん(かまどのこと)や台所には、御守りの「阿多古祀符 火迺要慎」と書かれた貼り紙をされている家も多い。







この愛宕信仰と鳶の関係だが、実は未だよく判らない。神使いであろうことは想像できるのだが、その経緯などは謎のままである。ここは大豊神社…今京都。


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