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rrbのブログ - 2008/08のエントリ

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今京都 勧善懲悪 2008/08/26 12:00 am

んぜんちょうあく…よい行いを勧め、悪行を懲らしめること。善人を尊び悪人を退けること。
◇ちょっと予備知識 → 儒教的道徳の一表現。社会正義の本道としてもてはやされ、
                江戸から現代に至るまで広く文芸の題材として取り入れられている。
                類義語に遏悪揚善(あつあくようぜん)・勧奨懲戒(かんしょうちょうかい)・
                破邪顕正(はじゃけんしょう)・揚清激濁(ようせいげきだく)がある。

まわり
「おまわり」とは警察のことでも回ることでもない。ご飯の「おかず」のことなのである。もともとお公家さんのされていたことで、食事の時に、ご飯のまわりにぐるりと「おかず」をならべて食されたところから、この「おまわり」という言葉が生まれたという。それがいつのまにか、一般庶民にも広まり、「おかず」のことを「おまわり」というようになった。



最近は、テレビや雑誌などで「おばんざい」と紹介されるが、「おばんざい」というのは京都だけではない。「おまわり」というのが京都独特の言葉なのである。この「おまわり」という言葉のように、昔、お公家さんが使ってた言葉も、今ではほとんど残っていないように思われるが、実際は結構ある。



それも普段何気なく使っている言葉に残っている。その一例をあげると、「おぐし」(髪)、「おつむ」(頭)、「おちょうずい」(手洗い)、「おこた」(炬燵)、「おまん」(饅頭)、「おすもじ」(寿司)、「おこわ」(赤飯)、「おなます」(膾)、「おかぼ」(かぼちゃ)、「ぐじ」(甘鯛)などがそうである。これらは全て日常的な言葉で、主に女性が伝えてきたため現在まで残っているのだと思われている。



言葉だけではなく、およそ京都の風習といわれるものは、その殆どがお公家さんたちの儀式からはじまっている。京都では6月30日に「水無月」というお菓子を食べる。これは、その昔、お公家さんたちが冬の氷を氷室に入れて夏まで貯蔵しておいたものを、6月の盛夏に取り出し、それを食することで暑気払いをし、暑い夏を越したものだそうだ。



それを見てきた一般庶民が、その氷片に似せてつくったのが「水無月」というお菓子である。三角形の白いしんこで氷を形取り、その上にまめに暮らせるようにとの願いも込めつつ、悪魔を退散させるとも言われる小豆をのせ、食べた。誰がこういうものを考案し、誰が用いたのかは全くの謎であるが、こんなことが京都中に広まったのである。



京都では「上つ方」(うえつかた)といわれるお公家さんと一般庶民とが、いかに関わりをもっていたかがわかり、京都人が潜在的にお公家さんに憧れているという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 一切合切 2008/08/25 12:00 am

っさいがっさい…何もかも皆。残らずすべて。
◇ちょっと予備知識 → 「一切」「合切」は共にすべてという意で、強調するために重ねている。
                「合切」は「合財」とも書く。
                類義語に森羅万象(しんらばんしょう)がある。

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今京都 故事来歴 2008/08/24 12:00 am

じらいれき…伝えられてきた事物の由来や歴史。そのようになった理由やいわれ。
◇ちょっと予備知識 → 「故事」は昔の出来事。いわれのある話。「来歴」は経歴や由来、由緒。
                「故事」は「古事」とも書く。

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今京都 前途多難 2008/08/23 12:00 am

んとたなん…行く先々に多くの苦難や災難が待ち受けていること。また、そのような予感。一寸先は闇。
◇ちょっと予備知識 → 「前途」は目的までの道のりや先行き、将来のこと。
                類義語に前途遼遠(ぜんとりょうえん)がある。
                対義語は前途洋洋(ぜんとようよう)・鵬程万里(ほうていばんり)。


「茶柱が立つと縁起がいい」。これは全国的に言われることであるが、京都人の場合は、それをお付き合いに使う。京都人は立った茶柱をきれいに洗って和紙に包んで大切にしまっておく。



それで、今後も交際を続けていきたいお客様がお見えになったとき、その大切にとっておいた茶柱を入れて、お茶をお出しする。最初に茶柱を入れてからお茶を注ぐと見事に茶柱が立つ。そこで「茶柱がたちましたなぁ」といって和をつくり、話をよりよい方向へもっていくというのである。



たとえば、結納とか結婚の相談というようなときは「茶々が入る」といってお茶を出さないという約束事があり、最初は昆布茶をお出ししするが、御膳の席にお出しするのは当然お茶ということになる。このときに先ほどの茶柱を入れ、「よき日」を表現するというより演出する。茶柱一本で交流を深めることができるのだから最高の演出といえる。



しかし、このようなことをされる方は今ではほとんどいなくなったようだ。茶柱が立つとよいというのは単にめったにないことを喜んで吉にしてしまうこと。しかし、全国的には、この茶柱のことは別にして、めったにないことは験の悪い知らせと思われることが多いようだ。京都ではそれを逆に、「よきこと」と考える。
数珠が切れると験が悪いというが、京都では数珠がきれるのは信仰が厚いということで、それだけ熱心に拝んでいるから切れたと考える。



不可抗力で自然発生的に起こったことについては、よいほうに考える暮らしの知恵を京都人はもっている。婚礼のときに雨が降れば験がよいというのもこれと同じ。茶柱が立つということをただ喜ぶだけでなく、もうひとつ踏み込んでおつきあいの演出として使用するところに京都人の発想の原点があるように思う。



この茶柱、人工的につくれないかというと無理ということである。また、実際に茶柱のリサイクルはもちろん、保存さえ大変難しいという。めったにないことを喜んで吉兆と考えるだけでなく、それをお付き合いの演出にまで使用するところに京都人の発想の原点があるという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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今京都 四方八方 2008/08/22 12:00 am

ほうはっぽう…あらゆる方向。あちらこちら。
◇ちょっと予備知識 → 「四方」南北の4つの方角。
                「八方」は、四方にさらに北東・北西・南東・南西の4つを加えたもの。
                ここからあらゆる方向のこと。
                類義語に四方八面(しほうはちめん)・四面八方(しめんはっぽう)がある。


ふらっと入ったお店で、お客さんとお店のご主人がこんな話をしていた。
「京都の町には別に交通が便利にならんでもよろしおす。ましてや高速道路が町の真ん中に走るなんて大反対どす。駐車場がないとか、車で観光がでけへんと言わはりますけど、そんなのは観光客の言い分です。駐車場がないさかい京都らしさが残るんで、車がはげしく行き来するようになったら、お寺のよさもなくなるし、地蔵盆もできんようになります。京都のことをほんまに知ろうと思うて観光しはるんやったら、車を使わんことをおすすめしますわ」
という内容である。



常に歩くか自転車で京都をウロウロしている自分にとっては、全くもって同感である。自動車を機械と考えるなら、京都は機械優先ではなくとにかく人間優先だといえる。人々とのふれあい、人々とのかかわり、人々との交流のために利便なところであって、そこに路地を舞台にした京都の生活も、また観光も成り立っているのではないかと思う。



少し話は横道にそれるが、劇場にも駐車場がないと聞いた。京都の南座を筆頭に、大阪の松竹座、新歌舞伎座、名古屋の御園座、東京の新橋演舞場、歌舞伎座、明治座、すべて駐車場がない。役者さん用のはあってもお客さん用のものはない。あえてつくっていないという。



理由は、芝居を見終わった余韻が、車で帰るといっぺんに途切れてしまうからだという。三三五五、芝居の話をしながら帰るからこそ余韻を楽しむことができるのだという狙いである。



京都人はお客をもてなすとき、この余韻を大切にする。そしてそれは京都という町が観光客を迎えるときも同じだという。
たとえば清水寺近くの駐車場に車を入れたら、帰りも清水寺から帰らなければならない。ところが、本来はそうではなく、清水寺から産寧坂、二年坂を歩いて八坂さんのほうまで行くのがひとつのコースである。
ゆっくり散策することで、東山周辺のすばらしさがわかる。嵯峨野でも嵐山から大覚寺まで行くすばらしいコースがあるのに、車があると化野念仏寺のほうまで行かずに途中で引き返して車で帰ることになる。



京都は車が似合わないところ。車で行くと京都の風情ある路地も小道もあるくことはできない。
車社会といわれる昨今であるが、京都ではとにかく歩くか、自転車をお奨め。そうすることで京都の本当のよさや魅力を発見することができるという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


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