rrbのブログ - 2008/08のエントリ
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今京都 四分五裂 2008/08/11 2:17 am
しぶんごれつ…ばらばらに分裂すること。秩序を失って乱れること。また、そのような状態。
◇ちょっと予備知識 → 「分」は分かれる、「裂」は裂ける。「四分」は「しぶ」とも読む。
「五裂」を「五列」と書くのは誤り。
類義語に四散五裂(しさんごれつ)・四分五割(しぶんごかつ)・
四分五楽(しぶんごらく)・分崩離析(ぶんぽうりせき)がある。
町並み




地蔵物語(192)



◇ちょっと予備知識 → 「分」は分かれる、「裂」は裂ける。「四分」は「しぶ」とも読む。
「五裂」を「五列」と書くのは誤り。
類義語に四散五裂(しさんごれつ)・四分五割(しぶんごかつ)・
四分五楽(しぶんごらく)・分崩離析(ぶんぽうりせき)がある。
町並み




地蔵物語(192)





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今京都 狂瀾怒涛 2008/08/10 12:08 am
きょうらんどとう…荒れ狂ったようにひどい状態。逆巻く波のように事態が激しく乱れるさま。
◇ちょっと予備知識 → 「狂瀾」も「怒涛」も共に荒れ狂う大波のこと。「瀾」は「乱」と書くのは誤り。
類義語に疾風怒濤(しっぷうどとう)・暴風怒涛(ぼうふうどとう)がある。
対義語は天下泰平(てんかたいへい)・平穏無事(へいおんぶじ)。
町並み

以前にも掲載したことのある鳥居



地蔵物語(191)



◇ちょっと予備知識 → 「狂瀾」も「怒涛」も共に荒れ狂う大波のこと。「瀾」は「乱」と書くのは誤り。
類義語に疾風怒濤(しっぷうどとう)・暴風怒涛(ぼうふうどとう)がある。
対義語は天下泰平(てんかたいへい)・平穏無事(へいおんぶじ)。
町並み

以前にも掲載したことのある鳥居



地蔵物語(191)





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今京都 冠婚葬祭 2008/08/09 2:28 am
かんこんそうさい…四大礼式で、元服(冠)・結婚(婚)・葬式(葬)・祖先の祭礼(祭)のこと。また慶弔の儀式のこと。
◇ちょっと予備知識 → 「冠婚」は「冠昏」、「葬祭」は「喪祭」とも書く。
ねてもさめても
古い用語に「窹寐(ごび)にも忘れず」という言い方があるそうだ。そしてその用語が、京都の北、周山街道への入口にある栂尾・高山寺に伝わる古往来(平安時代や鎌倉時代の手紙)に、既に見られるという。
「窹寐の大いなる嘆(ねてもさめても気にかかって心のわだかまりをなす種)」という表現である。
「寝ても醒めても」とは、普段何気なく使う言葉であるが、背景にはこんな古典の世界が広がっていた。

「窹寐(ごび)にも忘れず」、すなわち「寐(ね)ても窹(さめ)ても忘れない」。
現代の日本語なら「寝ても覚めても」と書きそうなところであるが、元の漢字は「寐ても窹ても」。
「寐る」と「窹る」が巧みにワンセットになった漢字づかいで、このほうが表現としてはるかに美しい。漢字のもつ意味が雰囲気としてよく出ている。

「寐ても窹ても」という本来の漢字表現を守り通していると、日常に使用する漢字が際限なく広がる。そこで1923(大正12)年にはじめて、常用漢字が設定された。それは日常の不便を解消するための、ひとつの枠組みに過ぎなかったはず。

しかし、現代人はいつのまにか、その枠組みの中だけですっかり満足して暮らしている。それは殆ど「井の中の蛙」状態で、その外側に、実は豊かな大海がある。
ことば談義は、往々にして文字の意義に及んでしまう。常用漢字には、それなりの使命もあり、それなりの効用もあるのは認めなければならないけれど、その外側に広がっていた、日本語の過去の広大な眺めを省みることは、人の心にとって、全くの無用であるわけではないと思う。

「ねてもさめても」この言葉は、日本語の奥深さを感じさせる言葉かもしれない。栂尾・高山寺といえば紅葉の名所と鳥獣戯画だが、意外にも「ねてもさめても」の語源があったというお話vol.24…今京都。前回の語源は「へそくり」(←クリック)。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 「冠婚」は「冠昏」、「葬祭」は「喪祭」とも書く。
ねてもさめても
古い用語に「窹寐(ごび)にも忘れず」という言い方があるそうだ。そしてその用語が、京都の北、周山街道への入口にある栂尾・高山寺に伝わる古往来(平安時代や鎌倉時代の手紙)に、既に見られるという。
「窹寐の大いなる嘆(ねてもさめても気にかかって心のわだかまりをなす種)」という表現である。
「寝ても醒めても」とは、普段何気なく使う言葉であるが、背景にはこんな古典の世界が広がっていた。

「窹寐(ごび)にも忘れず」、すなわち「寐(ね)ても窹(さめ)ても忘れない」。
現代の日本語なら「寝ても覚めても」と書きそうなところであるが、元の漢字は「寐ても窹ても」。
「寐る」と「窹る」が巧みにワンセットになった漢字づかいで、このほうが表現としてはるかに美しい。漢字のもつ意味が雰囲気としてよく出ている。

「寐ても窹ても」という本来の漢字表現を守り通していると、日常に使用する漢字が際限なく広がる。そこで1923(大正12)年にはじめて、常用漢字が設定された。それは日常の不便を解消するための、ひとつの枠組みに過ぎなかったはず。

しかし、現代人はいつのまにか、その枠組みの中だけですっかり満足して暮らしている。それは殆ど「井の中の蛙」状態で、その外側に、実は豊かな大海がある。
ことば談義は、往々にして文字の意義に及んでしまう。常用漢字には、それなりの使命もあり、それなりの効用もあるのは認めなければならないけれど、その外側に広がっていた、日本語の過去の広大な眺めを省みることは、人の心にとって、全くの無用であるわけではないと思う。

「ねてもさめても」この言葉は、日本語の奥深さを感じさせる言葉かもしれない。栂尾・高山寺といえば紅葉の名所と鳥獣戯画だが、意外にも「ねてもさめても」の語源があったというお話vol.24…今京都。前回の語源は「へそくり」(←クリック)。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。




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今京都 一気呵成 2008/08/08 12:04 am
いっきかせい…物事を中断せず一度に仕上げること。特に、一息に文章を書きあげること。
◇ちょっと予備知識 → 「一気」とは、一息、一呼吸の意。「呵成」を「あせい」と読むのは誤り。
「呵成」と書くのも誤り。
類義語に一瀉千里(いっしゃせんり)がある。
和紙
意外なことなんだけれど、京都は日本で最初に紙が作られた場所である。中国の製紙方法が西洋に伝わるより前から、戸籍や写経に使用されていたというから驚きである。

近代では、京都は産地としてではなく、加工の技で高名になった。理由は、昔は菓子店の周辺に必ず「箱屋さん」があり、美しい千代紙を貼った「貼箱」の技術が特に発達したというところにある。

和紙と聞いてまず思いつくのは障子やふすまなどの建具類だが、西洋風の暮らしの中では目にする機会も減りつつある。最近では若い人や外国人など、あまり和紙になじみのない人たちがおしゃれな装飾用品として購入することが増えたという。

中でも型染めの手法を用いた和紙は、昭和初期の小紋柄として、流行のレトロ・モダンと大評判。良いものは時代を経ても古びないもの。ほかに沖縄の古代柄なども人気だという。

「これも和紙なの?」と驚いてしまうのがタイ製の紙。紙の目がざっくりして、どことなくユーモラスな、野趣あふれる風合い。
国産のものでは、薄い和紙の間に押し花感覚で葉や茎を封じ込んだものや、友禅の型絵染めの技法を用いて顔料で染め抜いたものなどが個性的である。

こんな珍しい和紙を暮らしのちょっとした場面で使えばセンスがアピールできかもという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 「一気」とは、一息、一呼吸の意。「呵成」を「あせい」と読むのは誤り。
「呵成」と書くのも誤り。
類義語に一瀉千里(いっしゃせんり)がある。
和紙
意外なことなんだけれど、京都は日本で最初に紙が作られた場所である。中国の製紙方法が西洋に伝わるより前から、戸籍や写経に使用されていたというから驚きである。

近代では、京都は産地としてではなく、加工の技で高名になった。理由は、昔は菓子店の周辺に必ず「箱屋さん」があり、美しい千代紙を貼った「貼箱」の技術が特に発達したというところにある。

和紙と聞いてまず思いつくのは障子やふすまなどの建具類だが、西洋風の暮らしの中では目にする機会も減りつつある。最近では若い人や外国人など、あまり和紙になじみのない人たちがおしゃれな装飾用品として購入することが増えたという。

中でも型染めの手法を用いた和紙は、昭和初期の小紋柄として、流行のレトロ・モダンと大評判。良いものは時代を経ても古びないもの。ほかに沖縄の古代柄なども人気だという。

「これも和紙なの?」と驚いてしまうのがタイ製の紙。紙の目がざっくりして、どことなくユーモラスな、野趣あふれる風合い。
国産のものでは、薄い和紙の間に押し花感覚で葉や茎を封じ込んだものや、友禅の型絵染めの技法を用いて顔料で染め抜いたものなどが個性的である。

こんな珍しい和紙を暮らしのちょっとした場面で使えばセンスがアピールできかもという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。




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今京都 談論風発 2008/08/07 12:06 am
だんろんふうはつ…議論や討論が活発に行われること。
◇ちょっと予備知識 → 「談論」は談話と議論のこと。「風発」は風が吹き起こるように、勢いが激しいこと。
類義語に議論百出(ぎろんひゃくしゅつ)・百家争鳴(ひゃっかそうめい)がある。
祇園祭・その後
先月の7月に開催された祇園祭。それが日本を代表する祭りであることは今更いうまでもない。祇園祭といえば、今では動く文化財とか動く芸術品とかいわれ、何かしら観光ショー化してしまった部分もある。

もともと、平安京建都後、京の都に大流行した疫病を追い払うために、町衆が寄り集まって知恵を出し合い、自分たちのために自分たちの力で作り上げた祭り(神事)である。
それから千有余年。今なお、この祇園祭に携わっている町衆の心意気というものが感じられ、そこに、この祭りを現代まで受け継ぐことができた大きな要因がある。

まだ、京都にチンチン電車が走っていた頃、山鉾巡行のために、わざわざその電車の架線を取り払って鉾を動かしたということがあったという。大変な作業であるが京都にとってはそれが当たり前だという。

近年は地下鉄工事のため、御池通は巡行できないほどの工事関係物が。しかし、前日まで路上にあった全てのものを取り除き、無事、山鉾を通した。
このような内容から考えると、京都人間は内向的だとかバイタリティーがないなどとよく批判されるが、この祇園祭をみると京都人の心に秘めたエネルギーやパワーを認識することができる。

山鉾巡行の順番を決めるために、毎年京都市の市議会議場に紋付姿の鉾町の代表が集まり、くじ取り式が行われる。そして、巡行当日、京都市長が当時の装束に身をかため、そのくじを改める大役、奉行の役を演じる。
これがまさに京都、千年の都なのである。

祗園祭ほど長い期間にわたって無駄の限りをつくした祭りはないといわれているが、その無駄の中から、人々のふれあいを、心のゆとりを生んできた。一見無駄に見えるものを無駄にしないところに京都人の心があり、それがまた誇りでもあるという。山鉾を見上げてただ見とれるだけでなく、山鉾に向かって手を合わせる京都人がいる限り、また、陰でこの祭りを支える女性が存在する限り、この祇園祭を後世に確実に伝承していくことができるという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。


◇ちょっと予備知識 → 「談論」は談話と議論のこと。「風発」は風が吹き起こるように、勢いが激しいこと。
類義語に議論百出(ぎろんひゃくしゅつ)・百家争鳴(ひゃっかそうめい)がある。
祇園祭・その後
先月の7月に開催された祇園祭。それが日本を代表する祭りであることは今更いうまでもない。祇園祭といえば、今では動く文化財とか動く芸術品とかいわれ、何かしら観光ショー化してしまった部分もある。

もともと、平安京建都後、京の都に大流行した疫病を追い払うために、町衆が寄り集まって知恵を出し合い、自分たちのために自分たちの力で作り上げた祭り(神事)である。
それから千有余年。今なお、この祇園祭に携わっている町衆の心意気というものが感じられ、そこに、この祭りを現代まで受け継ぐことができた大きな要因がある。

まだ、京都にチンチン電車が走っていた頃、山鉾巡行のために、わざわざその電車の架線を取り払って鉾を動かしたということがあったという。大変な作業であるが京都にとってはそれが当たり前だという。

近年は地下鉄工事のため、御池通は巡行できないほどの工事関係物が。しかし、前日まで路上にあった全てのものを取り除き、無事、山鉾を通した。
このような内容から考えると、京都人間は内向的だとかバイタリティーがないなどとよく批判されるが、この祇園祭をみると京都人の心に秘めたエネルギーやパワーを認識することができる。

山鉾巡行の順番を決めるために、毎年京都市の市議会議場に紋付姿の鉾町の代表が集まり、くじ取り式が行われる。そして、巡行当日、京都市長が当時の装束に身をかため、そのくじを改める大役、奉行の役を演じる。
これがまさに京都、千年の都なのである。

祗園祭ほど長い期間にわたって無駄の限りをつくした祭りはないといわれているが、その無駄の中から、人々のふれあいを、心のゆとりを生んできた。一見無駄に見えるものを無駄にしないところに京都人の心があり、それがまた誇りでもあるという。山鉾を見上げてただ見とれるだけでなく、山鉾に向かって手を合わせる京都人がいる限り、また、陰でこの祭りを支える女性が存在する限り、この祇園祭を後世に確実に伝承していくことができるという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。



