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rrbのブログ - 2008/08のエントリ

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今京都 曲学阿世 2008/08/16 12:00 am

ょくがくあせい…真理を曲げ、世間に気に入られるような説を唱えて人気を得ようとすること。世論に迎合したことを言ってもてはやされること。

盆 vol.5(最終回)  vol.4はここ
お盆の行事を筆頭にして、桃の節句(雛祭り)も、十三詣りも、端午の節句(菖蒲の節句)も、七夕も、お中元もお歳暮も、京都ではひと月遅れの行事が結構ある。ひと月遅れで行うことに、特に論理的な根拠があるわけではない。単に季節感に合わせている。この季節感というものが、行事には大切なものだと思う。



もし、京都が本当にただ古いものだけにこだわり、古ければよいと考えているのであれば、すべての行事を旧暦(陰暦)で行うと思うが、事柄によっては新暦を採用したり、ひと月遅れで行ったりする。このへんがまた京都人の発送の特異性だともいえる。



ところが、このひと月遅れの行事も最近はすっかりと影をひそめ、ほとんどが新暦で行われるようになった。3月3日の桃の節句でいえば、京都では桃の花は4月に咲く。このことからも、ひと月遅れの4月3日のほうが自然だと思うが、4月には菱餅がなかなか手に入らない。



端午の節句も同じようなことがいえる。この端午の節句のことを京都では「大将(たいしょ)さん」と呼ぶが、この大将さんの日にお風呂に菖蒲を入れ、入浴する。そしてその菖蒲で身体をたたくと丈夫になると言い伝えられている。現代の入浴剤にあたるものが京都には昔から存在していた。ところがこれも、ひと月遅れの6月5日には、その菖蒲が販売されていない。



もうひとつ、七夕もそうである。7月7日に天の川が見られないことは、最近、新聞でも取り上げられているが、美しい天の川をしっかり見ようと思えば、やはり8月7日に七夕をするのがよい。しかし、残念ながらその頃には七夕飾りが販売されていない。
こんな事情から、京都からひと月遅れの行事がなくなってきた。お盆の行事だけが、なんとかかろうじて、ひと月遅れの面目躍如といったところか。



お中元もお歳暮も、最近では随分と早く贈られるようになった。お中元は早くても8月に入ってからで、お歳暮は12月13日の事始めから贈りはじめるもの。近年、年賀状の発売も投函も本当に早くなった。京都で早めにしてよいのは、ご先祖様の年忌法要だけだったという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 一騎当千 2008/08/15 12:00 am

っきとうせん…人並み外れたすばらしい能力や経験などをたたえることば。抜群に実力のある優れた人のたとえ。千人力。
◇ちょっと予備知識 → もとは、ひとりの騎兵で千人を敵にできるほど強いという意から。
                「一騎当千の兵(つわもの)」などと使う。
                類義語に一人当千(いちにんとうせん)がある。

盆 vol.4  vol.3はここ
以前に地蔵物語でも掲載したが、京都には、地蔵盆という楽しい仏教行事があり、その行事そのものを親しみを込めて「お地蔵さん」という。



昔、大津の三井寺に常照(じょうしょう)というお坊さんがおられ、年若く30歳で亡くなり、お坊さんなのに地獄に堕ちた。苦しんでいるお坊さんの前に、お地蔵様が姿を現し、「常照、おまえは小さい時に私をよく拝んでくれた。極楽にやることはできないが、もう一度人間界に戻してやるので、世のため、人のために役立つ人間になりなさい」といい、そのお坊さんを生き返された。その日が8月24日であり、これが地蔵盆の由縁である。



京都ではこの地蔵尊の縁日にあたる8月24日頃を中心にして、地蔵盆が各町内ごとに行われる。お地蔵様の顔を絵の具できれいにお化粧をし、お供え物を上げ、町内の子どもの名前を書き入れた提灯を吊り下げて、お地蔵様を祀る。



そして、そのお地蔵様の前で大きな子どもも小さな子どもも一緒になって遊んだり、大人にまじって車座になり大きな長い珠数(じゅず)−京都では数珠と書かず珠数と書く−をまわす、「珠数まわし」をしたり、おやつをもらったり、楽しい福引や金魚すくいがあったり、お芝居を演じたり、歌を唄ったり、夜には映画や盆踊りまである町内も。



こうして子どもたちは楽しい二日間を過ごすのだが、この頃から厳しかった京都の夏にもほんの少しずつ涼風がたちはじめ、夏休みが終わる頃とあいまって、子ども心に一種の郷愁といったものを感じる。こんなところから京都人特有の何かが育まれるのかもしれない。
大人たちは子どもたちの喜ぶ顔を頭に描きながら、長い時間をかけて子どもたちを楽しませようと色々趣向を凝らす。そんな大人たちのあたたかい心を子どもなりに感じながら、成長し大人となり、またその子どもたちへと受け継がれていく。



大きい子どもと小さい子どもが一緒に遊ぶという機会が少なくなった現代、子どもたちの縦割りの絆を深める地域のコミュニケーションの場であった行事が衰退していくことが残念である。
京都の子どもたちは、お地蔵様をいつも身近に感じながら、自然に仏様の教えに慣れ親しんできた。ところが、近年、この地蔵盆も随分と様変わりをして、なぜかお地蔵様の存在が希薄になってきているという。
もう一度、地蔵盆が仏教行事であることを確認する必要があり、京都人は、子どもの頃に、この地蔵盆に心をときめかせた経験を誰もがもっているという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 寛仁大度 2008/08/14 12:00 am

んじんたいど…寛大で、慈悲深いこと。情け深く度量が大きいこと。
◇ちょっと予備知識 → 「寛仁」は心が広く、情けが深いこと。
                「大度」は度量が大きく、些細なことにはこだわらないこと。
                「態度」と書くのは誤り。
                類義語に豁達大度(かったつたいど)・寛洪大量(かんこうたいりょう)がある。

盆 vol.3  vol.2はここ
8月16日、京の夏の夜空に燃え上がる大文字。この行事は全国的に有名であるが、決して京都の夏の夜の観光イベントではない。お盆の最後の行事として、ご先祖様をお浄土にお送りするための仏教行事である。



この大文字の送り火のことを、他の地方の方が「大文字焼き」といわれることがあるが、そういわれることを京都人は心よしとは思っていない。送り火は山焼きではない。ご先祖様をお送りするために灯す清らかな「火」なのである。



この送り火がいつ頃から始まったのか、確かな記録はないという。しかし、記録がないということは、一般民衆がはじめたものであるといわれている根拠ともなっている。お盆の13日にお迎えしていた我が家のご先祖様をお送りする火が、別れを惜しむかのように、門口から辻に、そしてより遠くまでと、人々が次第に山へと登りはじめ、それがやがて大文字の送り火にまで発展したのではないかといわれている。



「大」の文字にもいろいろな説があり、時の権力者に殺された町衆の姿を表しているとか、弘法大師様が書かれた文字であるとか、これもいまだ確かなことはわからない。この行事は五山の送り火ともいわれるように「大」の文字(如意ヶ岳)だけではなく、「妙法」(松ヶ崎)、船形(船山)、左大文字(衣笠山)、鳥居形(嵯峨鳥居本)と、西へ西へ次々と点火される。昔はこの他にも「い」「一」「竹に鈴」「蛇」「長刀」などがあったと伝えられている。



送り火の点火に用いられている護摩木に姓名・年齢などを書いておさめると厄除けになるといわれている。また、消し炭を白い奉書紙に巻いて水引をかけ家に吊るしておくと、盗難除けのお守りになるとか、煎じて飲めば腹痛がおさまるとか、盃に水を入れ大文字の大の字を映して飲むと願い事がかなうとも無病息災に暮らせるともいわれている。このことは以前にもうひとつの五山に掲載したが、まさにこれが京都の発想なのである。



大文字の送り火を見る機会があれば、送り火を見ながらお酒を飲むといったことだけは避けて欲しいものだ、送り火に向かって手を合わせ、涙している京都人もいるのだからという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 後生大事 2008/08/13 12:00 am

しょうだいじ…心を込めて物事に励むこと。ある物事を、非常に大切にすること。
◇ちょっと予備知識 → 本来は仏教語で、来世の安楽を願って善行を積むこと。
                「後生」は前世・今世に対し、死後の世界をいう。「ごせい」と読むのは誤り。

盆 vol.2  vol.1はここ
京都人は、ご先祖様に対する思いが強く、今、自分が安穏とくらしていられるのもすべてご先祖様のおかげだと考えている。そのため、京都では、仏事作法というものがしっかりと暮らしの中に入り込んでいる。朝夕の礼拝はもちろんのこと、ご飯もお茶もすべて仏様にお供えしてからでないと先にいただくことはない。特にお盆の時には枚挙にいとまがないほどの種々様々な風習や言い伝え、しきたりがある。



そのひとつに、お盆には虫を殺してはいけないというものがあり、京都ではこれが当たり前となっている。そこにお盆の行事の本質があるといわれている。京都人は、子どもの頃から昆虫採集をしてはいけないと言われて育ってきた。また、そういわれることになんの反撥も感じないのが、これまた京都の子どもである。



「おはぐろとんぼ」という昆虫をご存知だろうか? 黒くて細い上品なトンボで、そのトンボを見ていると、どこか京都の紅の水引を連想するという。京都ではご先祖様がこのトンボに姿を変えて、お浄土から我が家に帰ってくるといわれている。このトンボのことを京都では「お精霊(しょらい)とんぼ」と呼んでいる。他の地方の方からは滑稽だといわれるかもしれないが、この「お精霊とんぼ」に手を合わせることもあるのである。



また、仏様にお水をお供えするとき、その器の中に蓮の葉や樒(しきみ)の葉を浮かべるが、これも同じような意味があり、暑い夏の日に虫たちが水を飲みに来て、誤っておぼれてはいけないために(葉にとまって水が飲めるように)と殺生をしないために心をくばっている。もちろんご先祖様がトンボに変身するとか、虫がおぼれないようになどと、本気になって考えているわけではない。しかし、そこには京都人の優しい感性というべきものがある。



今年もまた、ご先祖様に気持ちよくお帰りいただくために、お仏壇をきれいに整え、提灯をつるしたり、松明を焚いたり、キュウリやなすびにお箸で足をつけたり、麻殻(おがら)ではしご段を作ったりして、ご先祖様をお迎えする。そこに、その家その家の独特の風習が生まれ、それが、祖母から母へ、母から娘へと後生大事に受け継がれていくという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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今京都 前代未聞 2008/08/12 12:00 am

んだいみもん…今までに一度も耳にしたことがないような珍しいこと。空前の出来事。未曾有の珍事。
◇ちょっと予備知識 → 「前代」は今より前の時代、過去。「せんだい」とも読む。
                「未聞」は聞いたことがないこと。
                類義語に空前絶後(くうぜんぜつご)・先代未聞(せんだいみもん)・
                破天荒解(はてんこうかい)がある。

盆 vol.1
もうすぐお盆。京都ではお盆の時期、いくつかの行事が行われる。そもそも「お盆って何?」ということも含めて歴史や由来について調べてみた。
お盆とは、ご先祖の霊があの世から戻り、家族と一緒に楽しいひとときを過ごしてまたあの世に帰っていくという日本古来の信仰に基づく仏教行事のひとつ。当然、実際に生き返ったり姿が見えるわけではない。



8月13日ごろから16日の間にお墓参りをしたり、仏壇なお迎えのお飾りをしたり、お坊さんにお経をあげていただいたりする。
昔のお盆は旧暦7月の行事で、現代の暦では8月中旬から下旬ごろにあたる。7月は1年を半分にしたとき、後半が始まる最初の月で、正月と同様に大切な行事だと考えられていた。



各地でお盆の行事には違いがあり、京都ではご先祖の霊を「オショライさん(お精霊さん)」と呼んで、8月7日から10日の間に「六道参り」という行事が行われる。東山区の六道珍皇寺や上京区にある引接寺(千本えんま堂)では、オショライさんのためのお迎えの鐘をつく人が訪れ、水塔婆という薄い木版にご先祖の名前を書いてお寺に納めて、高野槙という木の枝を買って仏壇に飾ったりする。



六道参りが行われる六道珍皇寺と引接寺に共通する伝承は小野篁(おののたかむら)という平安時代の詩人の話。
この人は昼間は朝廷(役所)に、夜は地獄の閻魔様に仕えた人といわれ、自分の亡き母親に会うために、あの世に通じる六道の辻にある井戸を行き来できるという人だった。
そして、平安時代、両寺は亡くなった人が葬られる葬送の地の入口にあたり、死者はこの寺からあの世へ送られたので、この世とあの世の境界地でもある寺と、あの世と行き来できる小野篁が結びついた。
京都の人がお盆に両寺へお参りするのは、あの世とつながっていると伝わる所だからである。



オショライさんはお盆の間、家々で過ごし、8月16日に再び、あの世へ戻ります。京都では、現在は行われていないが、お盆に飾った花やお供え物をその日の夕刻に鴨川や堀川に流し、先祖の霊を贈る習慣があった。そして京都を囲む山々に「大」や「妙法」などに送り火を灯し、ご先祖をあの世に送った。それが五山の送り火であり、この送り火は、ご先祖をあの世へ送るための灯りである。



送り火の起源はき、室町時代以降、万灯籠や千灯籠という京都と周辺地域で行われた灯籠行事で、8月23日、24日の化野念仏寺の千灯供養も同様である。送り火はこの灯籠行事を元に、時代の中で変化し、江戸時代初期には京都の夏の行事として定着。ちなみに、昔はもっとたくさんの送り火があり「い」「一」「竿に鈴」などが存在したようだが、今では正確な点火場所すらわかっていないという京都の文化のお話…今京都。 ※写真は京都の町並みで本文とは関係ないのであしからず。

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