rrbのブログ - 天を仰いで思うことのエントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
天を仰いで思うこと しおふみ 2009/11/06 12:00 am
しおふみ
行儀見習い。主に女性について使った。戦前までは、「娘はシオフミに出んと嫁に行かれへん」と言って、京の旧家で行儀作法を見習った。シオフミ(塩踏み)は辛苦ほ経験すること。切り身に塩がしむと骨身にこたえることから、苦労をして世間を知ること。商家に奉公する少年は丁稚で、寒天を用いず、固まっていないようかんはデッチヨーカンと呼んだものである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(84)
地震、雷、火事に思うこと

この語呂に「なぜ台風がないのか」と不思議に思っていた。で、調べてみたら、江戸後期の仇討ち小説に「世にいふ通りに地震雷火事風親父、是らが怖いものなり」と、あるという。怖いものの中に「風」を入れることもあったということがわかった。権威がとっくに失われた今の世なら親父より台風や洪水の方がふさわしいのではないか。年配の方なら台風の襲来に備え、窓に板を打ち付けたり、背負われて避難したこともあるのではないだろうか。

220日も過ぎた10月8日、台風18号が本州を縦断した。2年ぶりの上陸で2人が死亡、負傷者も多数でた。京滋でも停電や交通機関の乱れのほか彦根城の石垣が崩れ、大徳寺塔頭の屋根がめくれるなどの被害が出た。この時期の台風は、はるか東の海上を進むことが多い。ところが今年は9月下旬以降、フィリピン近海で対流活動が活発になり、太平洋高気圧が強く張り出したため、列島縦断コースになったらしい。さらに日本近海の海面水温が高かったため、勢力が急速に衰えることなく接近したと気象庁はみている。気になるのは海面水温の上昇と台風の強大化、その背後にある地球温暖化との関係。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
温暖化が進み南方の西太平洋で海面水温が今より2度ほど高くなった場合には風速が最大で80メートルに達する「スーパー台風」が発生するとの予測もあるという。そう考えると、温暖化をもたらす人間こそが実は一番怖いものに思えてくるかも…と、天を仰いで思うこと。

行儀見習い。主に女性について使った。戦前までは、「娘はシオフミに出んと嫁に行かれへん」と言って、京の旧家で行儀作法を見習った。シオフミ(塩踏み)は辛苦ほ経験すること。切り身に塩がしむと骨身にこたえることから、苦労をして世間を知ること。商家に奉公する少年は丁稚で、寒天を用いず、固まっていないようかんはデッチヨーカンと呼んだものである。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(84)
地震、雷、火事に思うこと

この語呂に「なぜ台風がないのか」と不思議に思っていた。で、調べてみたら、江戸後期の仇討ち小説に「世にいふ通りに地震雷火事風親父、是らが怖いものなり」と、あるという。怖いものの中に「風」を入れることもあったということがわかった。権威がとっくに失われた今の世なら親父より台風や洪水の方がふさわしいのではないか。年配の方なら台風の襲来に備え、窓に板を打ち付けたり、背負われて避難したこともあるのではないだろうか。

220日も過ぎた10月8日、台風18号が本州を縦断した。2年ぶりの上陸で2人が死亡、負傷者も多数でた。京滋でも停電や交通機関の乱れのほか彦根城の石垣が崩れ、大徳寺塔頭の屋根がめくれるなどの被害が出た。この時期の台風は、はるか東の海上を進むことが多い。ところが今年は9月下旬以降、フィリピン近海で対流活動が活発になり、太平洋高気圧が強く張り出したため、列島縦断コースになったらしい。さらに日本近海の海面水温が高かったため、勢力が急速に衰えることなく接近したと気象庁はみている。気になるのは海面水温の上昇と台風の強大化、その背後にある地球温暖化との関係。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
温暖化が進み南方の西太平洋で海面水温が今より2度ほど高くなった場合には風速が最大で80メートルに達する「スーパー台風」が発生するとの予測もあるという。そう考えると、温暖化をもたらす人間こそが実は一番怖いものに思えてくるかも…と、天を仰いで思うこと。


このエントリーの情報
天を仰いで思うこと うれこい 2009/11/04 12:00 am
うれこい
うれしい。「あしたは運動会や、ウレコイな」「うれしい」よりは強調されるが、少し俗っぽい感じがする。「コイ」はヒヤコイ(冷たい)、マルコイ(丸い)、コマコイ(細かい)のコイと同じ接続語である。ウレコイことがあると、ワラケル(笑いこける)という。他動詞はワラカス。「あほなことして、ほんまにワラケテくるやんか」 ワラクから。乱れ散るの意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(83)
読書週間に思うこと

静かな夜のひととき、一人で楽しむ読書を兼好法師は、「見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」(「徒然草」第13段)と記した。賢人らが書き残した書籍に触れれば、心にしみることが多いと説いている。先月の27日から読書週間が始まっている。「すべての世代の人たちに本と親しむきっかけを…」との願いをこめた取り組みは、大正末期の1924年にさかのぼる。戦中の一時期を除き、連綿と続いてきた。ところが、読書離れが指摘されて久しい若者にも増して、昨今、中高年層でも活字が敬遠され始めているという。

文化庁が今春行った国語世論調査で、月に1冊の本さえ読まない人が60歳以上で55.5%を占めたという。ネット世代とみられる10代の47.2%をも上回っているのには驚く。読書量が減った高齢者の多くが「視力など健康上の理由」と回答。加齢とともに活字が見にくく、読書がしんどくなるのだという。それでも、兼好法師が「あはれなる事多かり」と説くように、本には感動がいっぱい詰まっている。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
今年の読書週間標語は「思わず夢中になりました」ということだ。「しんどい」と言わず、読書を続けてほしいし、続けたいものだ。「万巻の書を読み、千里の道を行く」という。中国・宋代の儒学者朱子の言葉に由来して、多くの書物を読み、旅をして経験を積んでこそ人生が豊かになるとの意。秋の夜長、兼好法師の勧めに従い、琴線に触れる一冊と出合いたい。しかし、手に入れるのは専ら仕事に関する本ばかり。まぁ、ある意味読書から離れていないからいいか…と、天を仰いで思うこと。

うれしい。「あしたは運動会や、ウレコイな」「うれしい」よりは強調されるが、少し俗っぽい感じがする。「コイ」はヒヤコイ(冷たい)、マルコイ(丸い)、コマコイ(細かい)のコイと同じ接続語である。ウレコイことがあると、ワラケル(笑いこける)という。他動詞はワラカス。「あほなことして、ほんまにワラケテくるやんか」 ワラクから。乱れ散るの意。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(83)
読書週間に思うこと

静かな夜のひととき、一人で楽しむ読書を兼好法師は、「見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる」(「徒然草」第13段)と記した。賢人らが書き残した書籍に触れれば、心にしみることが多いと説いている。先月の27日から読書週間が始まっている。「すべての世代の人たちに本と親しむきっかけを…」との願いをこめた取り組みは、大正末期の1924年にさかのぼる。戦中の一時期を除き、連綿と続いてきた。ところが、読書離れが指摘されて久しい若者にも増して、昨今、中高年層でも活字が敬遠され始めているという。

文化庁が今春行った国語世論調査で、月に1冊の本さえ読まない人が60歳以上で55.5%を占めたという。ネット世代とみられる10代の47.2%をも上回っているのには驚く。読書量が減った高齢者の多くが「視力など健康上の理由」と回答。加齢とともに活字が見にくく、読書がしんどくなるのだという。それでも、兼好法師が「あはれなる事多かり」と説くように、本には感動がいっぱい詰まっている。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
今年の読書週間標語は「思わず夢中になりました」ということだ。「しんどい」と言わず、読書を続けてほしいし、続けたいものだ。「万巻の書を読み、千里の道を行く」という。中国・宋代の儒学者朱子の言葉に由来して、多くの書物を読み、旅をして経験を積んでこそ人生が豊かになるとの意。秋の夜長、兼好法師の勧めに従い、琴線に触れる一冊と出合いたい。しかし、手に入れるのは専ら仕事に関する本ばかり。まぁ、ある意味読書から離れていないからいいか…と、天を仰いで思うこと。


このエントリーの情報
天を仰いで思うこと きつぎり 2009/11/02 12:00 am
きつぎり
思い切り。徹底して。「キツギリ掃除してこの部屋きれいになりましたわ」「言うこと聞かへんならキツギリ叱っとくれやす」 ケツギリとも。ケツは尻で、底のこと。ギリは限りの意味で、徹底的、あくまでの意味になった。ケツギリからキツギリに。ケツアキザルは中途半端の者をいう。尻をあけて締まりのないさまを猿にたとえる。「きちんと戸を閉めんと飛び出してケツアキザルやな」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(82)
鞍馬の火祭に思うこと

先日の時代祭に続いて気になる祭がある。それは、鞍馬の火祭だ。鞍馬寺参道途中にある由岐(ゆき)神社の祭礼「鞍馬の火祭」。平将門の乱や天災で都が騒然としていた940(天慶3)年、朱雀天皇は鎮魂のために、御所から由岐大祭神を鞍馬の地へ遷すことを決める。御所からの遷座の行列は、1kmにもおよび、篝火が焚かれた街道を神道具を先頭に、松明を手に手にもって行路する雄壮な光景であったという。それに感銘を受けた村人が、後世にも伝えようとしたのが祭の起源とされる。油分が多いツツジの柴を藤の根で杉の木に縛りつけた松明は、最大で長さ4m、重さは100kgを超えるという。

子ども用でも長さ1m強、重さは約10kgあり、大小あわせて約500本がつくられる。10月22日の午後6時、「神事にまいらっしゃい」のかけ声を合図に、松明に火が灯される。締め込み姿の若者たちが、「サイレイヤ」「サイリョウ」とかけ声をさかんにあげて町を練り歩く。3時間後に鞍馬寺仁王門前の石段に全員が勢揃いすると、ゴウゴウと燃える松明が、秋も深まった鞍馬の里を熱くする勇壮さだ。そして由岐神社から二基の神輿がおりてきて、御旅所へ向かう。この二基の神輿は、最近160年ぶりに解体修理され、金箔や金メッキの飾り金具が炎に照らされて神々しい光を放っているという。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
残念ながらこの鞍馬の火祭も見たことがない。悲しいかぎりだ。この祭りもやがては行きたい。それにしても、京都の10月22日は時代祭があり、鞍馬の火祭もある。祭りファンにとっては、とても忙しい日となるだろう…と、天を仰いで思うこと。

思い切り。徹底して。「キツギリ掃除してこの部屋きれいになりましたわ」「言うこと聞かへんならキツギリ叱っとくれやす」 ケツギリとも。ケツは尻で、底のこと。ギリは限りの意味で、徹底的、あくまでの意味になった。ケツギリからキツギリに。ケツアキザルは中途半端の者をいう。尻をあけて締まりのないさまを猿にたとえる。「きちんと戸を閉めんと飛び出してケツアキザルやな」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(82)
鞍馬の火祭に思うこと

先日の時代祭に続いて気になる祭がある。それは、鞍馬の火祭だ。鞍馬寺参道途中にある由岐(ゆき)神社の祭礼「鞍馬の火祭」。平将門の乱や天災で都が騒然としていた940(天慶3)年、朱雀天皇は鎮魂のために、御所から由岐大祭神を鞍馬の地へ遷すことを決める。御所からの遷座の行列は、1kmにもおよび、篝火が焚かれた街道を神道具を先頭に、松明を手に手にもって行路する雄壮な光景であったという。それに感銘を受けた村人が、後世にも伝えようとしたのが祭の起源とされる。油分が多いツツジの柴を藤の根で杉の木に縛りつけた松明は、最大で長さ4m、重さは100kgを超えるという。

子ども用でも長さ1m強、重さは約10kgあり、大小あわせて約500本がつくられる。10月22日の午後6時、「神事にまいらっしゃい」のかけ声を合図に、松明に火が灯される。締め込み姿の若者たちが、「サイレイヤ」「サイリョウ」とかけ声をさかんにあげて町を練り歩く。3時間後に鞍馬寺仁王門前の石段に全員が勢揃いすると、ゴウゴウと燃える松明が、秋も深まった鞍馬の里を熱くする勇壮さだ。そして由岐神社から二基の神輿がおりてきて、御旅所へ向かう。この二基の神輿は、最近160年ぶりに解体修理され、金箔や金メッキの飾り金具が炎に照らされて神々しい光を放っているという。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
残念ながらこの鞍馬の火祭も見たことがない。悲しいかぎりだ。この祭りもやがては行きたい。それにしても、京都の10月22日は時代祭があり、鞍馬の火祭もある。祭りファンにとっては、とても忙しい日となるだろう…と、天を仰いで思うこと。


このエントリーの情報
天を仰いで思うこと ののさん 2009/10/30 12:00 am
ののさん
太陽。月。神様。仏様。太陽や月のように信仰の対象になるものを呼んだ。神仏に対して祈る人のことばを「ノーノー」と聞いた子どもたちが命名したと思われる。ノンノンサンとも。月や神仏にマンマンチャンともいう。拝む時、「マンマンチャン、あん」とアンを添える。太陽をニチリン(日輪)サン、オテント(天道)サンと崇め、雷もカミナリサンとサンをつける。京都府北部では雷はハタガメという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(81)
時代祭に思うこと

千年以降の風俗を一列にして人に悟らしむるは、日本国中の祭式起こりて以来、未だその比を見ざるの盛観たり…5月の葵祭、7月の祇園祭に続き、京都三大祭の最後を飾るのが時代祭。今年も10月22日に行われた。時代祭が始まったのは、1895(明治28)年。平安遷都1100年を記念し、1895(明治28)年に創建された平安神宮の奉祝行事として、「ひと目で京都の歴史と文化がわかる行事を」とはじまった時代行列。室町幕府を開いた足利尊氏が朝廷の逆賊とみなされていたため、当初から除外されていた室町時代列が、2007(平成19)年から新たに参列し、より華やかな行列となった。

今風に言えば、都大路に華麗な時代絵巻を繰り広げ…ということになる。戦時の中断などがあったが、今年は105回目。隊列は、明治維新からはじまり、維新勤皇隊列の山国隊に扮した鼓笛隊の少年たちの先導により、幕末志士列、徳川城使上洛列、江戸時代婦人列、豊公参朝列、織田公上洛列、室町幕府執政列、室町洛中風俗列、楠公上洛列、中世婦人列、城南流鏑馬列、藤原公卿参朝列、平安時代婦人列、延暦武官行進列、延暦文官参朝列など、約2000人がそれぞれ時代考証された装束をまとい、調度品をもって行列する。午前9時からの神事ののち、隊列は正午に京都御所建礼門を出発、烏丸通、御池通、河原町通、三条通を経由して、約4.5kmを約3時間かけて練り歩き、平安神宮に到着する。時代を彩る2000人の行列に穏やかな秋の陽光がふりそそいだ。

これは時代祭ではなく、嵐山の斎宮行列からの一コマ
時代祭は市民による市民の祭り。市民組織の平安講社が運営し、子どもからお年寄りまで地域ぐるみで行列に加わる。少子化で童役の確保が悩みの種だが、今年は城南流鏑馬列(鎌倉時代)に4組の親子三代が登場し、にぎやかさが増したという。行列を先導する維新勤王隊列を担当する中京区朱雀地区でも小学生らに鼓笛を教えるなど後継者育成に乗り出している。そんな市民の熱い思いが時代祭を支えてきたのだろう。

これは時代祭ではなく、嵐山の斎宮行列からの一コマ
室町時代列が創設された一昨年のようなビッグニュースこそなかったものの、紀貫之の女(むすめ)の単衣(ひとえ)や小野小町の沓(くつ)など250点余りが新調されたという。坂本龍馬に西郷隆盛、豊臣秀吉に淀君、また紫式部に清少納言と、おなじみの歴史人物をみつけるのが楽しい祭り。時代祭は、東京遷都で芽生えた人々の危機感から誕生したともいわれる。時代状況は東京一極集中の今日にも通じる。見る人は気づかなくとも年々、祭りは生まれ変わる。京都の意地と誇りを託すこの祭り、やがて、しっかりと写真に納めたい…と、天を仰いで思うこと。

太陽。月。神様。仏様。太陽や月のように信仰の対象になるものを呼んだ。神仏に対して祈る人のことばを「ノーノー」と聞いた子どもたちが命名したと思われる。ノンノンサンとも。月や神仏にマンマンチャンともいう。拝む時、「マンマンチャン、あん」とアンを添える。太陽をニチリン(日輪)サン、オテント(天道)サンと崇め、雷もカミナリサンとサンをつける。京都府北部では雷はハタガメという。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(81)
時代祭に思うこと

千年以降の風俗を一列にして人に悟らしむるは、日本国中の祭式起こりて以来、未だその比を見ざるの盛観たり…5月の葵祭、7月の祇園祭に続き、京都三大祭の最後を飾るのが時代祭。今年も10月22日に行われた。時代祭が始まったのは、1895(明治28)年。平安遷都1100年を記念し、1895(明治28)年に創建された平安神宮の奉祝行事として、「ひと目で京都の歴史と文化がわかる行事を」とはじまった時代行列。室町幕府を開いた足利尊氏が朝廷の逆賊とみなされていたため、当初から除外されていた室町時代列が、2007(平成19)年から新たに参列し、より華やかな行列となった。

今風に言えば、都大路に華麗な時代絵巻を繰り広げ…ということになる。戦時の中断などがあったが、今年は105回目。隊列は、明治維新からはじまり、維新勤皇隊列の山国隊に扮した鼓笛隊の少年たちの先導により、幕末志士列、徳川城使上洛列、江戸時代婦人列、豊公参朝列、織田公上洛列、室町幕府執政列、室町洛中風俗列、楠公上洛列、中世婦人列、城南流鏑馬列、藤原公卿参朝列、平安時代婦人列、延暦武官行進列、延暦文官参朝列など、約2000人がそれぞれ時代考証された装束をまとい、調度品をもって行列する。午前9時からの神事ののち、隊列は正午に京都御所建礼門を出発、烏丸通、御池通、河原町通、三条通を経由して、約4.5kmを約3時間かけて練り歩き、平安神宮に到着する。時代を彩る2000人の行列に穏やかな秋の陽光がふりそそいだ。

これは時代祭ではなく、嵐山の斎宮行列からの一コマ
時代祭は市民による市民の祭り。市民組織の平安講社が運営し、子どもからお年寄りまで地域ぐるみで行列に加わる。少子化で童役の確保が悩みの種だが、今年は城南流鏑馬列(鎌倉時代)に4組の親子三代が登場し、にぎやかさが増したという。行列を先導する維新勤王隊列を担当する中京区朱雀地区でも小学生らに鼓笛を教えるなど後継者育成に乗り出している。そんな市民の熱い思いが時代祭を支えてきたのだろう。

これは時代祭ではなく、嵐山の斎宮行列からの一コマ
室町時代列が創設された一昨年のようなビッグニュースこそなかったものの、紀貫之の女(むすめ)の単衣(ひとえ)や小野小町の沓(くつ)など250点余りが新調されたという。坂本龍馬に西郷隆盛、豊臣秀吉に淀君、また紫式部に清少納言と、おなじみの歴史人物をみつけるのが楽しい祭り。時代祭は、東京遷都で芽生えた人々の危機感から誕生したともいわれる。時代状況は東京一極集中の今日にも通じる。見る人は気づかなくとも年々、祭りは生まれ変わる。京都の意地と誇りを託すこの祭り、やがて、しっかりと写真に納めたい…と、天を仰いで思うこと。


このエントリーの情報
天を仰いで思うこと せこい 2009/10/28 12:00 am
せこい
「あんなセコイことせんでもええのに」 ずるい。醜悪な。粗悪な。若者ことばとして広まった。セコイは役者・寄席芸人の用語セコから。セコは悪い、醜い意味。良いこと、得意芸はハコといった。「セコイ芸」のようにセコイは明治時代の芸能人が「下手な」の意味で用い、ハコを形容詞化した良い、美しいのハクイ(白い)の対義語であった。セコイには、けちくさい、みみっちいの意もあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
天を仰いで思うこと
にしんに思うこと

「にしん」といえば、石狩挽歌(北原ミレイ)がある。
♪ 海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた番屋の隅で わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら 破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロロー
沖を通るは 笠戸丸 わたしゃ涙で にしん曇りの空を見る
燃えろ篝火 朝里の浜に 海は銀色 にしんの色よ
ソーラン節に 頬そめながら わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれてオンボロロ オンボロロー
かわらぬものは 古代文字 わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る ♪
と、歌の話ではない。

「にしん」は別名「春告魚」。産卵期の春から初夏にかけてが脂が多く美味しい。塩焼き、フライ、マリネにするほか、身欠きニシンや燻製、コンブで巻いて煮締めた「こぶ巻き」などの加工品とされる。冷凍・冷蔵技術や輸送の発達していなかった時代、身欠きニシンは山間地では重要な食材であった。京都名物に、「にしん料理」があるのもこのような理由による。なお、名物として知られる「にしんそば」は明治時代に誕生したものであるが、それには古くから京都の庶民料理として親しまれていたおばんざい、鰊の昆布巻きに着想を得ている。食通で知られる北大路魯山人は、著書「魯山人味道」(平野雅章 編)で、「煮たもの焼いたものはさほどでも無いが、乾物を水でもどしたものを上手く料理すると美味しくなる」と言っている。卵を干したものや塩蔵品は数の子(かずのこ)と呼ばれる。
と、調べたのはいいが、「にしんそば」「数の子」以外の食べ方をしたことがないということに気づいた。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「数の子」は卵であるから、それを除くと、「にしんそば」以外に「にしん」を食べた記憶がないのである。京都名物に「にしん料理」というがあるが、食べ記憶がない。一体どんな味? 一度は食べてみたい…と、天を仰いで思うこと。

「あんなセコイことせんでもええのに」 ずるい。醜悪な。粗悪な。若者ことばとして広まった。セコイは役者・寄席芸人の用語セコから。セコは悪い、醜い意味。良いこと、得意芸はハコといった。「セコイ芸」のようにセコイは明治時代の芸能人が「下手な」の意味で用い、ハコを形容詞化した良い、美しいのハクイ(白い)の対義語であった。セコイには、けちくさい、みみっちいの意もあった。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
天を仰いで思うこと
にしんに思うこと

「にしん」といえば、石狩挽歌(北原ミレイ)がある。
雪に埋もれた番屋の隅で わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら 破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺でオンボロロ オンボロロー
沖を通るは 笠戸丸 わたしゃ涙で にしん曇りの空を見る
燃えろ篝火 朝里の浜に 海は銀色 にしんの色よ
ソーラン節に 頬そめながら わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれてオンボロロ オンボロロー
かわらぬものは 古代文字 わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る ♪
と、歌の話ではない。

「にしん」は別名「春告魚」。産卵期の春から初夏にかけてが脂が多く美味しい。塩焼き、フライ、マリネにするほか、身欠きニシンや燻製、コンブで巻いて煮締めた「こぶ巻き」などの加工品とされる。冷凍・冷蔵技術や輸送の発達していなかった時代、身欠きニシンは山間地では重要な食材であった。京都名物に、「にしん料理」があるのもこのような理由による。なお、名物として知られる「にしんそば」は明治時代に誕生したものであるが、それには古くから京都の庶民料理として親しまれていたおばんざい、鰊の昆布巻きに着想を得ている。食通で知られる北大路魯山人は、著書「魯山人味道」(平野雅章 編)で、「煮たもの焼いたものはさほどでも無いが、乾物を水でもどしたものを上手く料理すると美味しくなる」と言っている。卵を干したものや塩蔵品は数の子(かずのこ)と呼ばれる。
と、調べたのはいいが、「にしんそば」「数の子」以外の食べ方をしたことがないということに気づいた。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「数の子」は卵であるから、それを除くと、「にしんそば」以外に「にしん」を食べた記憶がないのである。京都名物に「にしん料理」というがあるが、食べ記憶がない。一体どんな味? 一度は食べてみたい…と、天を仰いで思うこと。

