rrbのブログ - 天を仰いで思うことのエントリ
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天を仰いで思うこと 先生は学び人 2016/04/01 12:00 am
日本の社会で「先生」を敬称としてつける職業で一般的なのは、「教師」「弁護士」「医者」の3つである。このうち「教師」だけが国家資格ではない。また、「弁護士」と「医者」は、ヘボだとお客がつかない。さらにお客が「弁護士」や「医者」を自由に選べる。つまり「市場(しじょう)が淘汰(とうた)してくれる」ことになる。
しかし「教師」は話が違う。学校を選べても「教師」は選べない。また、学校には自動的に子どもが集まる。
どんな教師であっても、市場に淘汰されることはない。本当に指導力がなくても、地方公務員法に守られて、解雇されることがない。(うらやましい職業だ。)
さて、「いい先生」ってどんな教師のことをいうのだろう。子どもたちの「できないことを、できるように」「わからないことを、わかるように」してくれる教師は、みんな「いい先生」と定義してもいいと思う。反して、尊敬できない教師とは、どんな先生だろう。《タイプ1》勉強しない教師、《タイプ2》感情的すぎる教師、《タイプ3》子どもをいじめたりする教師。《タイプ2》と《タイプ3》は、見た目にわかりやすいが、《タイプ1》は難しい。
教師は新任で配属されると、大学を出てすぐであっても、無条件に「先生」と呼ばれる。つまり20代前半から「先生」と呼び続けられ、自分はもっぱら教える立場だと勘違いしてしまう。だから学ばなくなる。(これでは話にならない。)
勘違いも甚だしい。ちょっとしんどいことがあると甘える、逃げる。そんな教師、職員室にいないか? いないとすれば素敵な学校だ。もっというならば校長は勉強しているか…ということだ。学校での先生の親玉が「校長」だ。校長という役割は、もっとも勉強している存在でなくてはならない。「勉強してきた」ではない、現在も勉強している人でなくてはならない。
さて、現実はどうだろう。どの世代にしても、教師の中には、勘違いしている人が多いのでは?…と、天を仰いで思うこと。

しかし「教師」は話が違う。学校を選べても「教師」は選べない。また、学校には自動的に子どもが集まる。
どんな教師であっても、市場に淘汰されることはない。本当に指導力がなくても、地方公務員法に守られて、解雇されることがない。(うらやましい職業だ。)
さて、「いい先生」ってどんな教師のことをいうのだろう。子どもたちの「できないことを、できるように」「わからないことを、わかるように」してくれる教師は、みんな「いい先生」と定義してもいいと思う。反して、尊敬できない教師とは、どんな先生だろう。《タイプ1》勉強しない教師、《タイプ2》感情的すぎる教師、《タイプ3》子どもをいじめたりする教師。《タイプ2》と《タイプ3》は、見た目にわかりやすいが、《タイプ1》は難しい。
教師は新任で配属されると、大学を出てすぐであっても、無条件に「先生」と呼ばれる。つまり20代前半から「先生」と呼び続けられ、自分はもっぱら教える立場だと勘違いしてしまう。だから学ばなくなる。(これでは話にならない。)
勘違いも甚だしい。ちょっとしんどいことがあると甘える、逃げる。そんな教師、職員室にいないか? いないとすれば素敵な学校だ。もっというならば校長は勉強しているか…ということだ。学校での先生の親玉が「校長」だ。校長という役割は、もっとも勉強している存在でなくてはならない。「勉強してきた」ではない、現在も勉強している人でなくてはならない。
さて、現実はどうだろう。どの世代にしても、教師の中には、勘違いしている人が多いのでは?…と、天を仰いで思うこと。

議員も先生って呼ばれるよね。あまり良い印象はないけど…
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天を仰いで思うこと ライカ アポ・ズミクロン f2.0/50mm というレンズ 2016/03/25 12:00 am
去年の7月にレンジファインダーカメラ LEICA M-E を購入した。それ以降、町撮りに愛用している。レンズは、これまた無理して買った LEICA APO-SUMMICRON M(ライカ アポ・ズミクロンM) f2.0/50mm ASPH(フィルターサイズ・E39) である。はっきり言って、このレンズは化け物だ。まず、この写真。

これは50mmの画角そのままだ。リサイズをしている以外は何の加工もしていない。そしてこの写真。

同じくリサイズをしているが、先の写真をトリミングした以外は何もしていない。
これがこのレンズの写りということだ。驚きである。描写にこだわらず単にズームしたいだけとした場合、このレンズだけで十分だといえる。望遠レンズよりはしっかりと写るのではないだろうか。
以下は『LEICA STYLE MAGAZINE』に掲載されていた内容の引用だ。
このレンズはいろいろな意味でスペシャルな存在だ。(略)光学設計は凝りに凝った超贅沢なもので、アポクロマートレンズや非球面レンズ、そしてフローティング機構が盛り込まれている。(略)本来は中望遠レンズや大口径広角レンズなどに使われる設計手法を「50mmF2」という中庸なスペックのレンズに投入してしまうところが普通ではない。(略)妥協のない光学系を採用した効果はてきめんで、その描写は超シャープでどこまでも際限なく解像していくような写り方をする。
まさしくその通りだ。撮るのが好きなだけで、用語を駆使して文章を書く知識はないが、この写りがすべてを物語っていると思う。
不思議なことにLEICAで撮ると魅力的な写真が何枚も撮れてしまう。色の出方や被写体の立体感が、一眼レフカメラで撮ったものと違って見える。これは「ライカマジック」かもしれない。機材に負けない腕前になりたいものだ。アホほど借金をしてまで買った価値はあったのでは…と、天を仰いで思うこと。

これは50mmの画角そのままだ。リサイズをしている以外は何の加工もしていない。そしてこの写真。

同じくリサイズをしているが、先の写真をトリミングした以外は何もしていない。
これがこのレンズの写りということだ。驚きである。描写にこだわらず単にズームしたいだけとした場合、このレンズだけで十分だといえる。望遠レンズよりはしっかりと写るのではないだろうか。
以下は『LEICA STYLE MAGAZINE』に掲載されていた内容の引用だ。
このレンズはいろいろな意味でスペシャルな存在だ。(略)光学設計は凝りに凝った超贅沢なもので、アポクロマートレンズや非球面レンズ、そしてフローティング機構が盛り込まれている。(略)本来は中望遠レンズや大口径広角レンズなどに使われる設計手法を「50mmF2」という中庸なスペックのレンズに投入してしまうところが普通ではない。(略)妥協のない光学系を採用した効果はてきめんで、その描写は超シャープでどこまでも際限なく解像していくような写り方をする。
まさしくその通りだ。撮るのが好きなだけで、用語を駆使して文章を書く知識はないが、この写りがすべてを物語っていると思う。
不思議なことにLEICAで撮ると魅力的な写真が何枚も撮れてしまう。色の出方や被写体の立体感が、一眼レフカメラで撮ったものと違って見える。これは「ライカマジック」かもしれない。機材に負けない腕前になりたいものだ。アホほど借金をしてまで買った価値はあったのでは…と、天を仰いで思うこと。
このレンズ恐いね。望遠レンズっていらんやん…と思う
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天を仰いで思うこと ぼっち飯研究会 2016/03/18 12:00 am
ある大学の掲示板で、学生が発行している新聞を目にした。その新聞の中に、学生がつくったサークル「ぼっち飯研究会」の紹介があった。記事によると「大学に入学したけれど、友だちができず一人ぼっちでご飯を食べている者が集まって、友だちづくりに励む…」とあった。この取り組みとサークル名称に違和感を覚えた。
「ぼっち飯研究会」という名称であるならば、どんな「ぼっち飯」の形態があるか。どのようにして「ぼっち飯」の世界に入っていったか。などを研究すべきではないだろうか。「ぼっち飯」を研究するサークルのはずである。ところが記事によると「友だちづくりのサークル」となっている。ひとりぼっちが集まって友だち活動をするのであれば、それは「友だちづくり研究会」であろう。「最近の大学生のレベルはこんなものか」と、かつての大学生であった自分がつぶやいていた。
確かに、最近の大学生は言葉力がないように思う。書き言葉と話し言葉が混在したレポートも目にした。敬体と常体が混在しているレポートもある。もっと言葉を大切にしないと、将来困るよ。それにしても、「小さなことが気になるのが僕の悪いクセ」、杉下右京ではないが、小さなことが気になるようになった…と、天を仰いで思うこと。

「ぼっち飯研究会」という名称であるならば、どんな「ぼっち飯」の形態があるか。どのようにして「ぼっち飯」の世界に入っていったか。などを研究すべきではないだろうか。「ぼっち飯」を研究するサークルのはずである。ところが記事によると「友だちづくりのサークル」となっている。ひとりぼっちが集まって友だち活動をするのであれば、それは「友だちづくり研究会」であろう。「最近の大学生のレベルはこんなものか」と、かつての大学生であった自分がつぶやいていた。
確かに、最近の大学生は言葉力がないように思う。書き言葉と話し言葉が混在したレポートも目にした。敬体と常体が混在しているレポートもある。もっと言葉を大切にしないと、将来困るよ。それにしても、「小さなことが気になるのが僕の悪いクセ」、杉下右京ではないが、小さなことが気になるようになった…と、天を仰いで思うこと。

確かに一理あるけれど、そんなことにこだわっていたら友だちなくすよ〜
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天を仰いで思うこと いま 2016/03/11 12:00 am
太宰治文学というか、文豪の表現にやられている。嵌ってしまっている。「いま、という瞬間は、面白い。いま、いま、いま、と指でおさえているうちにも、いま、は遠くへ飛び去って、あたらしい「いま」が来ている。」 これは『女生徒』に書かれている一文だ。
「いま」といった「いま」は既に過ぎたもの。「いつやるの? 今でしょ!」と言った瞬間の「今」は、既に過去のものである。これは「いま」という時間を点で捉えた場合だ。点で捉えるとこの表現は正しい。ただ、私たちは時間にしても点では捉えず、面あるいは線のように幅をもたして捉えることが多い。それを表現をしてしまっているのである。
「いつやるの? 今でしょ!」は、厳密に表現すると、「いつからやるの? 今からでしょ!」となるのではないだろうか。そんな理屈とも屁理屈ともいえるようなことを考えるようになった。文豪といわれる人の文章に触れるのは、本当におもしろい…と、天を仰いで思うこと。

「いま」といった「いま」は既に過ぎたもの。「いつやるの? 今でしょ!」と言った瞬間の「今」は、既に過去のものである。これは「いま」という時間を点で捉えた場合だ。点で捉えるとこの表現は正しい。ただ、私たちは時間にしても点では捉えず、面あるいは線のように幅をもたして捉えることが多い。それを表現をしてしまっているのである。
「いつやるの? 今でしょ!」は、厳密に表現すると、「いつからやるの? 今からでしょ!」となるのではないだろうか。そんな理屈とも屁理屈ともいえるようなことを考えるようになった。文豪といわれる人の文章に触れるのは、本当におもしろい…と、天を仰いで思うこと。

おぉ、完全に嵌ってるね〜、しばらくは文豪気取りの文章を書くのかな?
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天を仰いで思うこと 自己開示 2016/03/04 12:00 am
職場について、パソコンのスイッチを入れる。そして更衣室へ。制服はないが仕事はスーツと決めている。スーツでの通勤は嫌なので、職場で着替える。この行動は仕事のON・OFFスイッチともなっている。次に、ブログなどのチェック。まだ仕事は始めない。一通りネットサーフィンを楽しんだ後に、飲み物を作りに流しへ。ポットに湯が沸いているが、必ずヤカンで沸かす。午前は紅茶と決めている。湯を沸かして、紅茶をいれている間に、その日のスケジュール確認や到達目標を決める。自分にとっては、この時間が最も重要であり、ここでの段取りが狂うと、ガタガタな一日になる。紅茶が完成し、「さて、やるか…」と、自分のデスクへ。ここからが時間との勝負となり仕事が始まる。決めた到達目標に向かってGO! GO! GO! わき目も触れずにGO! GO! GO! 仕事の日はこんな始まりである。
よく「自由人やね」と言われるから、あまりよい印象ではなさそうだ。他の人にはどう映っているのか知る由もないが、結果が勝負な世界なので、結果が出ている限り容認されているのだろう。自分が上司で、こんな部下がいたら扱いにくいかも…と、天を仰いで思うこと。

よく「自由人やね」と言われるから、あまりよい印象ではなさそうだ。他の人にはどう映っているのか知る由もないが、結果が勝負な世界なので、結果が出ている限り容認されているのだろう。自分が上司で、こんな部下がいたら扱いにくいかも…と、天を仰いで思うこと。

ある程度勤務年数がある場合、仕事のやり方ができているよね