rrbのブログ - 2018/11のエントリ
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今京都 改善できないのか 2018/11/08 12:00 am
ちょっと体重が増したなぁ…と感じているときに、こういうのを見ると、結構、「ガツン」とくる。膨張率はスゴイのに、縮小率はたいしたことはない。この体質が嫌だ。改善できないのか…という今京都。


体重を気にしてるの? それとも見た目を気にしてるの?
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今京都 将来の夢 2018/11/07 12:00 am
将来、お店をやりたい。ケーキやパンは作らない(正しくは作れない)。仕入れる。私はコーヒー・紅茶・中国茶・日本茶を淹れる人に徹する。流行らなくていい。写真が好きな人が集まるお店にしたい。撮った写真を投影できる設備も整えよう。将来の夢のひとつだ。
きょうは「立冬」。暦の上ではもう冬だね…という今京都。

きょうは「立冬」。暦の上ではもう冬だね…という今京都。

どれだけの夢があるのだろう? 一度、全て書き出してみて
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今京都 絵本 2018/11/06 12:00 am
今、なぜか「絵本」に嵌っている。幼児または初等教育の教材だが、大人でも楽しめる。
そういえば…小さい頃、絵本を読んでもらった記憶が全くない。私の両親は「読み聞かせ」をしてくれなかったのだろうか。同級生が一般的に知っている絵本も、私は知らない。
だから私は情緒が安定していないのか。だから今絵本を欲しているのか。
今度、両親の墓前に問うてみよう…という今京都。

そういえば…小さい頃、絵本を読んでもらった記憶が全くない。私の両親は「読み聞かせ」をしてくれなかったのだろうか。同級生が一般的に知っている絵本も、私は知らない。
だから私は情緒が安定していないのか。だから今絵本を欲しているのか。
今度、両親の墓前に問うてみよう…という今京都。

今、アホほど本を読んでいるのも反動?
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今京都 極める 2018/11/05 12:00 am
「極める」とまではいかないが、「嗜む」程度には一通りできる。お茶・お花・着付け・書道等々。日本古来の「道」である。一通りやったが、一番は「道具が好き」と判明した。
たとえばお茶。日本茶・中国茶・紅茶等色々。それらの道具をコレクターのように集めるのが好き。道具が好きということは使うことが好きに通じる。そして人に振る舞う、つまり「お点前(おてまえ)」が好きということにもなる。お点前が好きということは、美味しく点(た)てることを求める。こうして私は私なりに極めている。
写真もこうありたい。撮るのが好き、見せるのが好き。
写真の人も極めようとしている雰囲気だ…という今京都。

たとえばお茶。日本茶・中国茶・紅茶等色々。それらの道具をコレクターのように集めるのが好き。道具が好きということは使うことが好きに通じる。そして人に振る舞う、つまり「お点前(おてまえ)」が好きということにもなる。お点前が好きということは、美味しく点(た)てることを求める。こうして私は私なりに極めている。
写真もこうありたい。撮るのが好き、見せるのが好き。
写真の人も極めようとしている雰囲気だ…という今京都。

凝り性の人はある意味で極めるよね
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天を仰いで思うこと 日日是好日 2018/11/02 12:00 am
日日是好日(にちにちこれこうにち)とは、中国の唐未から五代にかけて活躍した大禅匠、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師の言葉。禅師の悟りの境地を表した最高の言葉とされている。
「毎日いい日が続いてけっこう」などといった浅い意味ではない。今日はよい日だ悪い日だという場合、色々なものさしで判断する。しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方。
日日是好日とは、そんなこだわりやとらわれをさっぱり捨て、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地。嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが「好日」ということ。
好日の「好」は、積極的に生きる決意「よし」の「好」。目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない素晴らしい一日となるということだ。
こんな悟りの境地、私におとずれることはあるのだろうか…と、天を仰いで思うこと。

「毎日いい日が続いてけっこう」などといった浅い意味ではない。今日はよい日だ悪い日だという場合、色々なものさしで判断する。しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方。
日日是好日とは、そんなこだわりやとらわれをさっぱり捨て、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地。嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが「好日」ということ。
好日の「好」は、積極的に生きる決意「よし」の「好」。目前の現実が喜びであろうと、悲しみであろうと、ただ今、この一瞬を精一杯に生きる。その一瞬一瞬の積み重ねが一日となれば、それは今までにない素晴らしい一日となるということだ。
こんな悟りの境地、私におとずれることはあるのだろうか…と、天を仰いで思うこと。

あれっ、映画の話ではなかったの?