rrbのブログ - 2017/11のエントリ
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今京都 小川通(1/2) 2017/11/30 12:00 am
小川通(おがわどおり)は京都市内の南北の通りの一つ。西洞院通と油小路通の間に位置。北は紫明通から南は錦小路通まで。名称は上立売通から一条通まで通りの西側を昭和後期まで小川が流れたことに由来する。流れた小川は「こかわ」とも読む。平安京には存在せず、豊臣秀吉による天正の地割で新設された通りである。
南の延長線上を東中筋通(ひがしなかすじどおり、別名天使突抜通(てんしのつきぬけどおり))が走る…という今京都。





《京都・小川通》
南の延長線上を東中筋通(ひがしなかすじどおり、別名天使突抜通(てんしのつきぬけどおり))が走る…という今京都。





《京都・小川通》
豊臣秀吉の区画整理の影響が大きいね
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今京都 突抜 2017/11/29 12:00 am
京都の町名に「突抜(つきぬけ)」がつくことが意外と多いということに気がついた。豊臣秀吉が区画整理をしたときに突き抜けるように道を造ったことに由来するのだろうと勝手に想像しているが、ハズレでもないように思う。町撮りをしていると色々と勉強になる…という今京都。


《京都・木下突抜町2枚》




《京都・社突抜町4枚》


《京都・木下突抜町2枚》




《京都・社突抜町4枚》
確かに「突抜町」は多いような気がするね
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今京都 了頓図子 2017/11/28 12:00 am
了頓図子(りょうとんずし)は、衣棚通(ころものたなどおり)の南端、室町通と新町通の間にあり、六角通 から三条通に抜ける。
了頓図子町は、安土地桃山時代の茶人に由来。足利家代々の従臣・広野家があった由緒ある一角で、末裔である広野了頓(ひろのりょうとん)が茶亭を構え、茶道の普及にいそしんだ地として知られる。
この了頓図子町は、広野家の屋敷内の中の小路で、六角通の入り口には明治維新のころまで門があったと言われる。茶人・広野了頓の屋敷があったことから「了頓図子」と名付けられたとされる…という今京都。





《京都・了頓図子》
了頓図子町は、安土地桃山時代の茶人に由来。足利家代々の従臣・広野家があった由緒ある一角で、末裔である広野了頓(ひろのりょうとん)が茶亭を構え、茶道の普及にいそしんだ地として知られる。
この了頓図子町は、広野家の屋敷内の中の小路で、六角通の入り口には明治維新のころまで門があったと言われる。茶人・広野了頓の屋敷があったことから「了頓図子」と名付けられたとされる…という今京都。





《京都・了頓図子》
辻子・図子は、調べても由来が不明なところが多いよね
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今京都 忍耐 2017/11/27 12:00 am
京都・伏見稲荷大社には鳥居がたくさん立てられている。千本鳥居は有名だ。鳥居は色鮮やかで、ここで写真を撮るのは楽しく、飽きがこない。難点は、観光客が多く、人・人・人。撮りたい雰囲気が訪れるまで待つ。たくさんの人を入れたくないので待つ。通行をせき止めないように端っこで小さくなって待つ。ここで何時間も費やすのか…と思うくらい待つ。ひたすら待つ。伏見稲荷大社で写真を撮るのは忍耐が必要だが、楽しい…という今京都。






《京都・伏見稲荷大社》






《京都・伏見稲荷大社》
rrbは人がいないのを結構撮ってるよね。どけくらい粘ってるのかな?
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天を仰いで思うこと 日本酒 2017/11/24 12:00 am
「熱燗は翌日に残らない」とお店の人から教わった。で、熱燗を呑ましてもらった。想像以上に美味しかったので癖になりそうだ。これで日本酒ネタはしばらく休憩…と、天を仰いで思うこと。




《9月中旬に飲んだ日本酒 Part2》





《9月中旬に飲んだ日本酒 Part2》

熱燗が体に優しいとは。おやじっぽいけど大丈夫なんや