rrbのブログ - 2018/10のエントリ
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今京都 気づくの遅っ! 2018/10/23 12:00 am
関西テレビで月に一回放送されている『横山由依(AKB48)がはんなりめぐる京都いろどり日記』で取り上げられていた「フォーエバー現代美術館コレクション展 草間彌生 My Soul Forever展」の一コマ。2017年6月10日(土)〜2018年2月25日(日)まで開催されているとのことだが、番組を通じてその存在を知った…という今京都。
祗園・花見小路は何回か行ってるのに…
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今京都 そうだ京都行こう 2018/10/22 12:00 am
祗園花見小路での一コマ。海外からの観光客の方だったが、なんとなく「そうだ京都行こう」に使えるのではないか…という今京都。
使えそうだけれど…そんなに甘くないよ
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今京都 はんなり/京ことば 2018/10/18 12:00 am
「はんなり」という言葉、京都に関する情報誌やインターネットなどで最近はよく見かける。意味は「華やかで上品さと気品も兼ね備えている様子」ということ。他にも「粋で知的な様、明るく鮮やかである様、陽気な明るさ、すかっとした様、落ち着いた様」など広い意味を含む。当然、京都弁(京ことば)である。
元々は、着物の色合いを表現する時に使用した言葉とされている。京都は呉服文化が発展し、舞妓や芸者など着物を召した女性が活躍する町ということが、この言葉の誕生背景になるのかも。「華あり」が転じた言葉という説と「華なり」が転じた言葉という説の2つがある。
さて、本音を言葉の裏に隠して話すや嫌みな言い方をすると言われる傾向にあるのが京都人。「元気がよろしいどすな」は「うるさい」ということ、「ええ香りがしてますな」は「匂いがきつい」ということ。褒めるニュアンスで遠まわしに伝えるが、これは意地悪ではない。人間関係を円滑にするための京都人の配慮。
「はんなりしてて可愛らしいなあ」とか言われた場合、それは決して遠回しではない。「はんなり」は京都人にとって最高の褒め言葉なので、ここは京都人に認められたことを素直に喜ぶといい…という今京都。
元々は、着物の色合いを表現する時に使用した言葉とされている。京都は呉服文化が発展し、舞妓や芸者など着物を召した女性が活躍する町ということが、この言葉の誕生背景になるのかも。「華あり」が転じた言葉という説と「華なり」が転じた言葉という説の2つがある。
さて、本音を言葉の裏に隠して話すや嫌みな言い方をすると言われる傾向にあるのが京都人。「元気がよろしいどすな」は「うるさい」ということ、「ええ香りがしてますな」は「匂いがきつい」ということ。褒めるニュアンスで遠まわしに伝えるが、これは意地悪ではない。人間関係を円滑にするための京都人の配慮。
「はんなりしてて可愛らしいなあ」とか言われた場合、それは決して遠回しではない。「はんなり」は京都人にとって最高の褒め言葉なので、ここは京都人に認められたことを素直に喜ぶといい…という今京都。
京都のことばは独特やね
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今京都 オノマトペ 2018/10/17 12:00 am
「この道をな、ダーッと行くねん。そしたらな、でっかいビルがバーンと現れよる。そのビルの前をビュンと左に曲がるねん。そしたら眼の前や」
オノマトペが多いこのようなも道案内は関西特有のものかもしれない。
オノマトペとは擬声語のことで、実際の音を真似て言葉とした語。「さらさら」「ざあざあ」など。広義には擬態語も含む。
たとえば日本では犬の鳴き声は「ワンワン」。アメリカでは「バウワウ」。ロシアでは「ガフガフ」。韓国では「モンモン」。実際に聞くことができる声でも、聞く人、伝える人によって表現が違う。これもオノマトペのおもしろいところだ。
大阪はセカセカした町、東京はザワザワした町、古くて狭い京都の町は、どう表現するだろうか…という今京都。
オノマトペが多いこのようなも道案内は関西特有のものかもしれない。
オノマトペとは擬声語のことで、実際の音を真似て言葉とした語。「さらさら」「ざあざあ」など。広義には擬態語も含む。
たとえば日本では犬の鳴き声は「ワンワン」。アメリカでは「バウワウ」。ロシアでは「ガフガフ」。韓国では「モンモン」。実際に聞くことができる声でも、聞く人、伝える人によって表現が違う。これもオノマトペのおもしろいところだ。
大阪はセカセカした町、東京はザワザワした町、古くて狭い京都の町は、どう表現するだろうか…という今京都。
シャナシャナした町?
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今京都 季節につく言葉 2018/10/16 12:00 am
季節の初めごろと、その盛りや終わりごろを表す言葉はさまざま。よく使われる表現に「春浅し」や「秋深し」といった「浅い」「深い」があり、俳句の季語としてもよく用いられる。春や冬以外にも、季語には「夏浅し」「夏深し」「秋浅し」「秋深し」もあるが、あまりなじみがない。
日常手紙の書き出し等に用いる時候の挨拶言葉を見ると、「浅い」に関しては「春」に、「深い」に関しては「秋」に使うことがほとんどではないだろうか。季語にはあり、俳句では用いられても、手紙等の時候の挨拶では見かけないというのも興味深いものだ。
「浅い」「深い」のほかにも、その季節の初めのころを指す「初」は、初春、初夏、初秋、初冬と、春夏秋冬すべてに用いられ、季節の終わりごろを指す「晩」も、晩春、晩夏、晩秋、晩冬と同じくすべての季節に使う。
さらに、「お見舞い」に関しては、夏は「残暑見舞い」と、冬は「余寒見舞い」というように、「晩夏」「晩冬」に代えて「残暑」「余寒」を使うのも、季節感をよく表していて、おもしろいものだ。
色づく木々に思いを馳せながら考えた…という今京都。
日常手紙の書き出し等に用いる時候の挨拶言葉を見ると、「浅い」に関しては「春」に、「深い」に関しては「秋」に使うことがほとんどではないだろうか。季語にはあり、俳句では用いられても、手紙等の時候の挨拶では見かけないというのも興味深いものだ。
「浅い」「深い」のほかにも、その季節の初めのころを指す「初」は、初春、初夏、初秋、初冬と、春夏秋冬すべてに用いられ、季節の終わりごろを指す「晩」も、晩春、晩夏、晩秋、晩冬と同じくすべての季節に使う。
さらに、「お見舞い」に関しては、夏は「残暑見舞い」と、冬は「余寒見舞い」というように、「晩夏」「晩冬」に代えて「残暑」「余寒」を使うのも、季節感をよく表していて、おもしろいものだ。
色づく木々に思いを馳せながら考えた…という今京都。
今年は「紅葉」を撮るのかな