rrbのブログ - 2018/03のエントリ
ヘッダーナビゲーション
現在のカテゴリー位置
サイト全体のカテゴリーナビゲーション
今京都 岬神社(土佐稲荷) 2018/03/21 12:00 am
以前に掲載したけれど、たまたま通りかかったので寄ってみた岬神社。蛸薬師通の河原町通と木屋町通の間にある岬神社。
室町幕府完成の10年後、1348(貞和4)年に鴨川西岸、岬のように出っ張った所に祠を建てて祀られたのが始まり。江戸初期になると、少し西に位置する備前島町に建てられた土佐藩京屋敷に遷座されたとき、倉稲魂命(くらないたまのみこと)・石栄神(せきえいかみ)の2座を祭神とした。
土佐藩邸の庭に祀られることになったので、それ以来、「土佐稲荷」と呼ばれるようになった…という今京都。
《京都・岬神社》
室町幕府完成の10年後、1348(貞和4)年に鴨川西岸、岬のように出っ張った所に祠を建てて祀られたのが始まり。江戸初期になると、少し西に位置する備前島町に建てられた土佐藩京屋敷に遷座されたとき、倉稲魂命(くらないたまのみこと)・石栄神(せきえいかみ)の2座を祭神とした。
土佐藩邸の庭に祀られることになったので、それ以来、「土佐稲荷」と呼ばれるようになった…という今京都。
《京都・岬神社》
暑さ寒さも彼岸まででよ…とは言ってないか
このエントリーの情報
今京都 新京極通 2018/03/20 12:00 am
新京極通(しんきょうごくどおり)は、京都市中京区の南北の通りの一つ。三条通から四条通までの比較的短い通りで、1872年に京都府参事槇村正直によって作られた。
かつては広大な寺域を誇った時宗十二派の四条派の金蓮寺が、18世紀末から寺域の切り売りをはじめ、明治以前に売却地に料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建っていた。一つ隣の寺町通(寺町京極)に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまり。
明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、現在の繁華街の原型ができた…という今京都。
《京都・新京極通》
かつては広大な寺域を誇った時宗十二派の四条派の金蓮寺が、18世紀末から寺域の切り売りをはじめ、明治以前に売却地に料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建っていた。一つ隣の寺町通(寺町京極)に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用されるようになり、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまり。
明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並び、現在の繁華街の原型ができた…という今京都。
《京都・新京極通》
修学旅行生も多いよね
このエントリーの情報
今京都 黄色い提灯 2018/03/19 12:00 am
赤色は多いけど、黄色い提灯。京都ではあまり見かけない気がするが、黄色は意外と目を引くことを発見。他にもないか探してみよう…という今京都。
《京都・中京区》
《京都・中京区》
黄色い地用珍は目を引くね
このエントリーの情報
今京都 白梅辻子 2018/03/15 12:00 am
河原町通と寺町通の間にある通り。元禄の頃、遊郭ができ幕末頃に栄えた。しかし、下級の遊女屋であったことから、いつも客が蚤をもらってくるので「蚤辻子」とも呼んだらしい。それが訛り「白梅辻子」となったとか、「白梅」と言う人気遊女からついたなどの説もある…という今京都。
《京都・白梅辻子》
《京都・白梅辻子》
古地図とともに散策するのもいいかもね
このエントリーの情報
今京都 三上家路地 2018/03/14 12:00 am
三上家路地は、江戸時代の職人長家が連なる小さな路地。三上家は、古くから西陣織で栄えた紋屋町に現存する唯一の紋屋の家で、路地の一番奥が三上家となっている。両側に連なる10軒の長家には、かつて西陣織の職人達が暮らしていたが、現在は建築家や陶芸家といったアーティストの生活の場となっており、蜂蜜専門店ドラートも入っている。また、テレビドラマや映画の撮影に使われることもあり、観光目当てに訪れる人も多い…という今京都。
《京都・三上家路地》
《京都・三上家路地》
京都の楽しみ方は、やっぱ路地が一番かも…やね