rrbのブログ - 天を仰いで思うことのエントリ
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天を仰いで思うこと あがる・さがる 2009/06/03 12:00 am
あがる・さがる
京都旧市内の通りを北に行くのをアガル、南に行くのをサガル。もと、京都御所へ向かうことがアガルであった。南北の河原町通と東西の四条通の交差する地点は河原町四条であるが、居住地が河原町通にあって河原町四条の北にあれば河原町四条上ル、南あれば河原町四条下ルと表示する。四条通に居住地があれば四条通を先にして四条河原町東入ル、西入ルのように言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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話のネタ雑学(42)
パンは焼けば固くなるのに、お餅は焼くと柔らかくなるのはなぜ?

パンにしてもお餅にしても、でき立ては柔らかくてホカホカでこたえられない。家庭用パン焼きを購入して毎日パンを焼いていたら、つい食べ過ぎて太ってしまったという話もある。そんなパンも時間が経てば固くなる。固くなったお餅は焼くとまた柔らかくなるが、パンは固くなるばかり。その違いはどこにある。

パンもお餅も、主成分はデンプンを加熱してできたアルファデンプン。でも小麦粉のデンプンには約24%のアミロースが含まれていて、餅米にはほとんど含まれていない。アミロースが少ないほうが、アルファデンプンの老化は少ない。また、パンのほうが空気を含む率が高いので水分が逃げやすくなっているのも理由のひとつ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
いずれにしても、ラップなどにくるんで冷蔵庫に保存しておけば、パンなら数週間、お餅なら1年はおいしく食べられるという。保存の仕方も重要なんだなぁ…と、天を仰いで思うこと。
★前回はここ(←クリック)

京都旧市内の通りを北に行くのをアガル、南に行くのをサガル。もと、京都御所へ向かうことがアガルであった。南北の河原町通と東西の四条通の交差する地点は河原町四条であるが、居住地が河原町通にあって河原町四条の北にあれば河原町四条上ル、南あれば河原町四条下ルと表示する。四条通に居住地があれば四条通を先にして四条河原町東入ル、西入ルのように言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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話のネタ雑学(42)
パンは焼けば固くなるのに、お餅は焼くと柔らかくなるのはなぜ?

パンにしてもお餅にしても、でき立ては柔らかくてホカホカでこたえられない。家庭用パン焼きを購入して毎日パンを焼いていたら、つい食べ過ぎて太ってしまったという話もある。そんなパンも時間が経てば固くなる。固くなったお餅は焼くとまた柔らかくなるが、パンは固くなるばかり。その違いはどこにある。

パンもお餅も、主成分はデンプンを加熱してできたアルファデンプン。でも小麦粉のデンプンには約24%のアミロースが含まれていて、餅米にはほとんど含まれていない。アミロースが少ないほうが、アルファデンプンの老化は少ない。また、パンのほうが空気を含む率が高いので水分が逃げやすくなっているのも理由のひとつ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
いずれにしても、ラップなどにくるんで冷蔵庫に保存しておけば、パンなら数週間、お餅なら1年はおいしく食べられるという。保存の仕方も重要なんだなぁ…と、天を仰いで思うこと。
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天を仰いで思うこと しかつい 2009/06/01 12:00 am
しかつい
しかつめらしい、大人らしい、まじめくさったの意。「お子さんもシカツイこと言わはるようにならはったな」「ややさんも六ヶ月になるとシカツーならはって」「しかつべらし」の語幹シカツの形容詞化。江戸時代寛政ごろから使う。「しかつべらし」は「然りつべくあらし」の略でもっともらしいこと。浄瑠璃に「さても堅い御家老の、折々しかつい御異見に」とある。成人ぶりを褒めたり、皮肉を込めても言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
水無月。今日から6月。水を田に注ぎ入れる月の意だそうだ。そろそろ蛍も飛び交う季節がやってくる。夏の香りが、もうそこまでしている。
しばらくの間、コメント欄を閉じます。ご容赦ください。
四方山話(28)
パソコンから思うこと (エキサイト 2008年3月26日掲載)

毎日当たり前のように使用しているパソコン。同機種であったとしても、他人のものと自分のものとではキーボードを操作したときに違いがあり、自分のではないとわかる。それほど身体の一部となっているといってもおかしくはない。さて、このパソコンで必ず一度は話題となるのが、「かな入力」か「ローマ字入力」か。以前に職場でも話題になったのであるが、「ローマ字入力」のイメージがあるそうだが、実は「かな入力」派。「ローマ字入力」の「無駄」が納得できないというのが最大の理由。「ローマ字入力」の場合、「な」と打つのに「n」「a」と打つことがどうも納得できない。「かな入力」であれば「な」の一押しで済む。「じ」とかになれば「z」「i」も「j」「i」もある。ややこしいと感じてしまう。「じ」は「し」と「゛」でいいではないか。「じ」と「ぢ」の違いも「かな入力」では「し」「゛」で「じ」になるし、「ち」「゛」で「ぢ」となるから一目瞭然。「お」と「を」もそうである。

慣れというのは不思議で、かなの配置を自然と覚えている。かといってローマ字の配置がサッパリかというとそうでもない。意識の切り替えによって、キーボードの表面に印字されている文字の浮かび上がり方が違う。英文入力も、かな入力も、ローマ字入力もできるのであるが、日本語を入力するには「かな入力」が断然速い。英文を入力するのも「かな入力」とほぼ変わらない。「ローマ字入力」となると頭で考えながら打たないとダメで、多少時間がかかる。「器用なのか、不器用なのか、ようわからん」といわれたが、まさにその通りだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
パソコンは便利だが、注意したいことがある。それは、最近の傾向によく見られることだが、「打つことができても、書くことができない」という落とし穴。文字を入力し、変換すると一瞬にして候補の漢字が表示される。後はその中から探せばよいだけだ。この動作を繰り返していると、イザというときに字が書けなくなっている。「あれっ、ここに点が必要だったっけ?」となる。パソコンは、漢字の変換も便利だが、「打つことができても、書くことができない」ようにならないためにも、時には手書きも心掛けたいものだ…と、天を仰いで思うこと。

しかつめらしい、大人らしい、まじめくさったの意。「お子さんもシカツイこと言わはるようにならはったな」「ややさんも六ヶ月になるとシカツーならはって」「しかつべらし」の語幹シカツの形容詞化。江戸時代寛政ごろから使う。「しかつべらし」は「然りつべくあらし」の略でもっともらしいこと。浄瑠璃に「さても堅い御家老の、折々しかつい御異見に」とある。成人ぶりを褒めたり、皮肉を込めても言う。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
水無月。今日から6月。水を田に注ぎ入れる月の意だそうだ。そろそろ蛍も飛び交う季節がやってくる。夏の香りが、もうそこまでしている。
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四方山話(28)
パソコンから思うこと (エキサイト 2008年3月26日掲載)

毎日当たり前のように使用しているパソコン。同機種であったとしても、他人のものと自分のものとではキーボードを操作したときに違いがあり、自分のではないとわかる。それほど身体の一部となっているといってもおかしくはない。さて、このパソコンで必ず一度は話題となるのが、「かな入力」か「ローマ字入力」か。以前に職場でも話題になったのであるが、「ローマ字入力」のイメージがあるそうだが、実は「かな入力」派。「ローマ字入力」の「無駄」が納得できないというのが最大の理由。「ローマ字入力」の場合、「な」と打つのに「n」「a」と打つことがどうも納得できない。「かな入力」であれば「な」の一押しで済む。「じ」とかになれば「z」「i」も「j」「i」もある。ややこしいと感じてしまう。「じ」は「し」と「゛」でいいではないか。「じ」と「ぢ」の違いも「かな入力」では「し」「゛」で「じ」になるし、「ち」「゛」で「ぢ」となるから一目瞭然。「お」と「を」もそうである。

慣れというのは不思議で、かなの配置を自然と覚えている。かといってローマ字の配置がサッパリかというとそうでもない。意識の切り替えによって、キーボードの表面に印字されている文字の浮かび上がり方が違う。英文入力も、かな入力も、ローマ字入力もできるのであるが、日本語を入力するには「かな入力」が断然速い。英文を入力するのも「かな入力」とほぼ変わらない。「ローマ字入力」となると頭で考えながら打たないとダメで、多少時間がかかる。「器用なのか、不器用なのか、ようわからん」といわれたが、まさにその通りだ。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
パソコンは便利だが、注意したいことがある。それは、最近の傾向によく見られることだが、「打つことができても、書くことができない」という落とし穴。文字を入力し、変換すると一瞬にして候補の漢字が表示される。後はその中から探せばよいだけだ。この動作を繰り返していると、イザというときに字が書けなくなっている。「あれっ、ここに点が必要だったっけ?」となる。パソコンは、漢字の変換も便利だが、「打つことができても、書くことができない」ようにならないためにも、時には手書きも心掛けたいものだ…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと ももける 2009/05/29 12:00 am
ももける
布・和紙・編み物などの表面がこすれて毛羽立つこと。「この古文書の紙がモモケテあんじょう読めへんな」「何回も縫い直ししてるうちにモモケテしもた」 ボボケルとも。モモ、ボボは毛羽立つさまを形容する擬態語に基づく。東京のボヤケルに対していう。平安時代には「あつごゆ」といい、厚く膨らんでいるの意味。『枕草子』には「くるみ色といふ色紙のあつごえたるを」とある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(52) ちょっと気になる「ことば」の話
全然いい

「全然いい」「全然平気だ」と最近よく使う。「全然」は昔から否定と呼応する形で使われてきた。歴史的にみると「全然」は江戸時代の後期の頃に中国の白話(はくわ)小説(口語体で書かれた小説)に使われていたものを取り入れるようになったもので、「全く然り」(まったくしかり)という訓がそのまま当てはまるものだった。したがって、「まったく」「すっかり」とか「まるっきり」などの訓もあてられていたようだ。明治時代以降、「全然…ない」「全然…ずに」などと否定と呼応する用法とともに、肯定の表現にも使われている。「全然」が「違う」「別だ」「ダメだ」「間違いだ」「反対だ」など、内容的に否定的な要素、マイナスの要素を含む語にかかっていくものは、打ち消しとの呼応を表す副詞と同様に考えることができ、実際に古くから使われている。

次に、現在、「全然いい」とか「全然平気だ」というように「全然」が「とても」「非常に」という意味で普通に使われるようになっているのかどうか。多くの国語辞典において、こういう用法が「俗語」として挙げられているが、それが程度を表す副詞として、単に「とても」「非常に」という意味で使われているかというと、かなり疑問である。相手が天気を心配しているときに自分がすでに天気予報を確認していて「きょうは全然いい天気だよ」といったり、自分の服装に自信が持てず、気にしている相手に対して「その服、全然似合っているよ」といったりするように、否定的な状況、あるいは、心配な状況・懸念をつくがえし、まったく問題がないという場合に用いるのが普通である。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「大丈夫?」と聞かれて、「全然平気!」と答えるのも同様。つまり「あなたが思っていることとは違って」という限定で使用するのがよさそうだ。つまり「まったく問題なく」の意であり、「とても」「非常に」とは明らかに違う。その他に「全然」は「こっちのほうが全然いい」とか「さっきより全然よくなった」というようにも使用されるが、これは「断然」との類似から広まったのだろう。「全然」を肯定表現で使うのは必ずしも間違いではなく、否定的な状況や懸念をくつがえして「まったく問題なく」の意味で使う用法や、二つの物事を比較して使う用法は、現在、一般化しているといえるのかもしれない…と、天を仰いで思うこと。
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布・和紙・編み物などの表面がこすれて毛羽立つこと。「この古文書の紙がモモケテあんじょう読めへんな」「何回も縫い直ししてるうちにモモケテしもた」 ボボケルとも。モモ、ボボは毛羽立つさまを形容する擬態語に基づく。東京のボヤケルに対していう。平安時代には「あつごゆ」といい、厚く膨らんでいるの意味。『枕草子』には「くるみ色といふ色紙のあつごえたるを」とある。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(52) ちょっと気になる「ことば」の話
全然いい

「全然いい」「全然平気だ」と最近よく使う。「全然」は昔から否定と呼応する形で使われてきた。歴史的にみると「全然」は江戸時代の後期の頃に中国の白話(はくわ)小説(口語体で書かれた小説)に使われていたものを取り入れるようになったもので、「全く然り」(まったくしかり)という訓がそのまま当てはまるものだった。したがって、「まったく」「すっかり」とか「まるっきり」などの訓もあてられていたようだ。明治時代以降、「全然…ない」「全然…ずに」などと否定と呼応する用法とともに、肯定の表現にも使われている。「全然」が「違う」「別だ」「ダメだ」「間違いだ」「反対だ」など、内容的に否定的な要素、マイナスの要素を含む語にかかっていくものは、打ち消しとの呼応を表す副詞と同様に考えることができ、実際に古くから使われている。

次に、現在、「全然いい」とか「全然平気だ」というように「全然」が「とても」「非常に」という意味で普通に使われるようになっているのかどうか。多くの国語辞典において、こういう用法が「俗語」として挙げられているが、それが程度を表す副詞として、単に「とても」「非常に」という意味で使われているかというと、かなり疑問である。相手が天気を心配しているときに自分がすでに天気予報を確認していて「きょうは全然いい天気だよ」といったり、自分の服装に自信が持てず、気にしている相手に対して「その服、全然似合っているよ」といったりするように、否定的な状況、あるいは、心配な状況・懸念をつくがえし、まったく問題がないという場合に用いるのが普通である。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「大丈夫?」と聞かれて、「全然平気!」と答えるのも同様。つまり「あなたが思っていることとは違って」という限定で使用するのがよさそうだ。つまり「まったく問題なく」の意であり、「とても」「非常に」とは明らかに違う。その他に「全然」は「こっちのほうが全然いい」とか「さっきより全然よくなった」というようにも使用されるが、これは「断然」との類似から広まったのだろう。「全然」を肯定表現で使うのは必ずしも間違いではなく、否定的な状況や懸念をくつがえして「まったく問題なく」の意味で使う用法や、二つの物事を比較して使う用法は、現在、一般化しているといえるのかもしれない…と、天を仰いで思うこと。
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天を仰いで思うこと たも 2009/05/27 12:00 am
たも
「音頭してタモ(音頭をとってください)」「食べてタモレ(食べてください)」「してください」の意味。洛北で使用。給(たも)るのめ命令形に基づく。目下の者に「こうしてタモ」のように言い、御所ことばで明治時代にも用いた。『曽根崎心中』に「一部始終を聞いてたも」とある。御所ことばにある「出ましゃてイタダカサレ(出てくださいませ)」のイタダカサレは、目上に話す丁寧な表現である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(37)
ぼやき漫才に思うこと (エキサイト 2008年5月13日掲載)

かつて、世相を槍玉に上げては、とんちんかんな難癖を付ける「ぼやき漫才」というのがあった。その第一人者といえば、人生幸朗と生恵幸子の夫婦コンビだという。1982(昭和57)年に幸朗が他界した後には、継ぐ者が殆どおらず廃れてしまった。世相や社会の出来事にツッコミを入れて、ボヤイたり、思い切りこきおろしたりして大いに笑わせた。
その進行の一例は、
幸朗:「浜の真砂は尽きるとも世にボヤキの種はつきまじ」と石川五右衛門の辞世の句を捩る
幸子:「キザなこと言うなこのハナクソ!」とすかさず突っ込む。
幸朗:「わたしのこと、みなボヤキやあ、ボヤキやあ言うてねぇ」
幸子:「当たり前や。誰かて言わはるわ。ボケ!」
幸朗:「しかし、みなさん、これは私がボヤクのやのうて、今の世の中が私をボヤかしまんねん」
というパターン。
そして「まぁ皆さん聞いてください」と聴衆に語りかけ、その当時の世相・ニュースを斬り始める。今、ボヤキたくなることがあまりに多い世相となってしまったように思う。先行き不透明になってきた年金問題も、幸朗師匠が生きていたらネタにしたに違いないだろう。「宙に浮き、消えてほしいのは社会保険庁」とでも言ったか、どうか。

偽装問題も、ボヤカずにはおられないだろう。食品表示の偽装に始まって、耐火建材や橋梁型枠の品質偽装があった。これで終わりかと思ったら、製紙業界の有力企業が再生紙の古紙配合率を偽装していたことが明るみに出た。こちらは「一流企業がいったい何してんのや」「頭下げるだけやったら、だれでもできる」などのセリフが飛び出すのだろうか。いや、もっと鋭いツッコミが出たかもしれない。
世界的な投機マネーのために原油や小麦が高くなり、庶民の台所にも影響が大きい。米海兵隊員の少女暴行事件も許せない。「ええ加減にせんかい。ほんまに怒るで」という声が聞こえてきそうだ。天国で「ボヤキより、怒りぶちまけの漫才がいるんやろうな」とボヤイているのかもしれない。
そして、再び、高級料亭「船場吉兆」の客の食べ残した食材を別の客に出していたことが明らかになった。本店を含む全料亭で使い回しが行われていた。ボヤキが最高潮に達した時、幸朗の「責任者出てこい!」のセリフとともに締の一節を述べる。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「笑え、笑え、笑う門には福来る。皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げ、ボヤキ講座予定終了でございます」 この「責任者出てこい!」のセリフによってストレスを解消した「ぼやき漫才」。責任者が出てきても、その口から出る言葉は眉唾物が多く、ストレス解消にはならないかも…。今、世間では新型インフルエンザの発症にピリピリとした状態。一時の間でも「笑い」が欲しい…と、天を仰いで思うこと。

「音頭してタモ(音頭をとってください)」「食べてタモレ(食べてください)」「してください」の意味。洛北で使用。給(たも)るのめ命令形に基づく。目下の者に「こうしてタモ」のように言い、御所ことばで明治時代にも用いた。『曽根崎心中』に「一部始終を聞いてたも」とある。御所ことばにある「出ましゃてイタダカサレ(出てくださいませ)」のイタダカサレは、目上に話す丁寧な表現である。(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(37)
ぼやき漫才に思うこと (エキサイト 2008年5月13日掲載)

かつて、世相を槍玉に上げては、とんちんかんな難癖を付ける「ぼやき漫才」というのがあった。その第一人者といえば、人生幸朗と生恵幸子の夫婦コンビだという。1982(昭和57)年に幸朗が他界した後には、継ぐ者が殆どおらず廃れてしまった。世相や社会の出来事にツッコミを入れて、ボヤイたり、思い切りこきおろしたりして大いに笑わせた。
その進行の一例は、
幸朗:「浜の真砂は尽きるとも世にボヤキの種はつきまじ」と石川五右衛門の辞世の句を捩る
幸子:「キザなこと言うなこのハナクソ!」とすかさず突っ込む。
幸朗:「わたしのこと、みなボヤキやあ、ボヤキやあ言うてねぇ」
幸子:「当たり前や。誰かて言わはるわ。ボケ!」
幸朗:「しかし、みなさん、これは私がボヤクのやのうて、今の世の中が私をボヤかしまんねん」
というパターン。
そして「まぁ皆さん聞いてください」と聴衆に語りかけ、その当時の世相・ニュースを斬り始める。今、ボヤキたくなることがあまりに多い世相となってしまったように思う。先行き不透明になってきた年金問題も、幸朗師匠が生きていたらネタにしたに違いないだろう。「宙に浮き、消えてほしいのは社会保険庁」とでも言ったか、どうか。

偽装問題も、ボヤカずにはおられないだろう。食品表示の偽装に始まって、耐火建材や橋梁型枠の品質偽装があった。これで終わりかと思ったら、製紙業界の有力企業が再生紙の古紙配合率を偽装していたことが明るみに出た。こちらは「一流企業がいったい何してんのや」「頭下げるだけやったら、だれでもできる」などのセリフが飛び出すのだろうか。いや、もっと鋭いツッコミが出たかもしれない。
世界的な投機マネーのために原油や小麦が高くなり、庶民の台所にも影響が大きい。米海兵隊員の少女暴行事件も許せない。「ええ加減にせんかい。ほんまに怒るで」という声が聞こえてきそうだ。天国で「ボヤキより、怒りぶちまけの漫才がいるんやろうな」とボヤイているのかもしれない。
そして、再び、高級料亭「船場吉兆」の客の食べ残した食材を別の客に出していたことが明らかになった。本店を含む全料亭で使い回しが行われていた。ボヤキが最高潮に達した時、幸朗の「責任者出てこい!」のセリフとともに締の一節を述べる。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
「笑え、笑え、笑う門には福来る。皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げ、ボヤキ講座予定終了でございます」 この「責任者出てこい!」のセリフによってストレスを解消した「ぼやき漫才」。責任者が出てきても、その口から出る言葉は眉唾物が多く、ストレス解消にはならないかも…。今、世間では新型インフルエンザの発症にピリピリとした状態。一時の間でも「笑い」が欲しい…と、天を仰いで思うこと。


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天を仰いで思うこと かにここ 2009/05/25 12:00 am
かにここ
「約束の時間にカニココ間に合うてよかった」「お金がのうてカニココや」のように「とにかく」「ぎりぎり」の意味で使用。西陣・室町を中心に用いた。語源は「かにかく」。「かにかく」の語が衰え、トニカクに変わっていくとともに使用しなくなった。名詞としては、新生児の初めて出す便も、臨終の人のそれもカニココである。「カニココが出たしもうあかんわ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(12)
髪にまつわる話 (エキサイト 2008年2月27日掲載)

「今京都」で掲載した「髪にまつわる話」の締めくくり。17世紀のフランス国王、ルイ13世は心労ゆえに薄毛となり、22歳でカツラをつけたという。廷臣たちがそれに倣い、カツラはやがて上流階級の正装として各国に広まったという。時は移れど、世に「自分を変えたい」願望は尽きない。「ハゲを隠しているという意識につきまとわれているかぎり、変貌できない」とクギを刺す本もあると聞く。隠せぬままに変わり損ねた落胆は大きい。

(京都府南丹市美山町)
育毛ケアで効果が薄かった男性が大手業者を訴え、430万円を返して貰う和解が成立したという記事が以前に新聞に載っていた。業者は「必ず生えるとは言っていない」と反論したが、原告の強い不満に折れたということだ。毎週の頭皮ケアや補助食品に、この男性は約680万円と4年の時を費やしたという。生える保証のない育毛にこれほどお金がかかり、その出費と手間をいとわぬ客層があることに驚く。あるべき物が無いのを恥じる心に、業者は手を差し伸べる。毛が戻って前向きに変われるのならいいが、見てくれや世間体に追われる人生はもったいない。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
頭髪の気になり具合は「自分の人生をどの程度自分のものにできたかを測るものさし」でもあるという。人は交通事故を笑えないが、バナナの皮で転べば笑う。なぜなら、大したことではないからだ。ここに精神的にハゲを克服するポイントがあるという。神に頼るのでもなく、薬に頼るのでもない。「大したことはない」と思えることこそ、体裁ではなく内面から自分を変るポイントだということだ。なるほど…と、天を仰いで思うこと。
★「今京都」で掲載した髪にまつわる話は、こことこことここ。

「約束の時間にカニココ間に合うてよかった」「お金がのうてカニココや」のように「とにかく」「ぎりぎり」の意味で使用。西陣・室町を中心に用いた。語源は「かにかく」。「かにかく」の語が衰え、トニカクに変わっていくとともに使用しなくなった。名詞としては、新生児の初めて出す便も、臨終の人のそれもカニココである。「カニココが出たしもうあかんわ」(『京都新聞・折々の京ことば』堀井令以知より)
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四方山話(12)
髪にまつわる話 (エキサイト 2008年2月27日掲載)

「今京都」で掲載した「髪にまつわる話」の締めくくり。17世紀のフランス国王、ルイ13世は心労ゆえに薄毛となり、22歳でカツラをつけたという。廷臣たちがそれに倣い、カツラはやがて上流階級の正装として各国に広まったという。時は移れど、世に「自分を変えたい」願望は尽きない。「ハゲを隠しているという意識につきまとわれているかぎり、変貌できない」とクギを刺す本もあると聞く。隠せぬままに変わり損ねた落胆は大きい。

(京都府南丹市美山町)
育毛ケアで効果が薄かった男性が大手業者を訴え、430万円を返して貰う和解が成立したという記事が以前に新聞に載っていた。業者は「必ず生えるとは言っていない」と反論したが、原告の強い不満に折れたということだ。毎週の頭皮ケアや補助食品に、この男性は約680万円と4年の時を費やしたという。生える保証のない育毛にこれほどお金がかかり、その出費と手間をいとわぬ客層があることに驚く。あるべき物が無いのを恥じる心に、業者は手を差し伸べる。毛が戻って前向きに変われるのならいいが、見てくれや世間体に追われる人生はもったいない。

(神戸) カメラ/EPSON R-D1s レンズ/NOKTON classic 35mm F1.4
頭髪の気になり具合は「自分の人生をどの程度自分のものにできたかを測るものさし」でもあるという。人は交通事故を笑えないが、バナナの皮で転べば笑う。なぜなら、大したことではないからだ。ここに精神的にハゲを克服するポイントがあるという。神に頼るのでもなく、薬に頼るのでもない。「大したことはない」と思えることこそ、体裁ではなく内面から自分を変るポイントだということだ。なるほど…と、天を仰いで思うこと。
★「今京都」で掲載した髪にまつわる話は、こことこことここ。

