ID : Pass :  | register
フォトヴィレッジ
(rrbのブログ)
上手い下手は関係なし
感じたままの気ままな
写真と言葉を掲載
*画像は全てリサイズ済*
 
------------------------------
《写真カテゴリ》
*
京都の町の
そぞろ歩きは
今京都
* *
スズメさんで
天を仰いで思うこと
* * *
四方山話は
おやかまっさん
* * * *
京都以外の町で
足の赴くままは
◆◆なう
------------------------------
色々とチャレンジする
rrbのブログ
フォトヴィレッジ




Photographer affectation
Delivered from Kyoto
Since 2006/4/25
Since 2007/12/9
(Renewal Start)
Copyright (C) 2006
www.rrbphotovillage.jp
All Rights Reserved
カレンダー
« « 2018 6月 » »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ご案内
今京都記事一覧
京ことば記事一覧
京が語源記事一覧
天を仰いで記事一覧
・スズメの写真
------------------------------
アクセスカウンタは
不具合のため
運用停止中
2017/9/27
過去ログ
     

rrbのブログ - 2018/06のエントリ

ヘッダーナビゲーション

現在のカテゴリー位置

サイト全体のカテゴリーナビゲーション

天を仰いで思うこと しくったかな 2018/06/29 12:00 am

昨日の内容はきょう掲載すべきだったかも。阪神淡路の震災以降、建物の強度は増している。しかし、それ以外は未だモロイままだ。特に地中埋設は気にしたい。地震は土地が動くものだ。その中に埋めるというのはどれほどの強度を必要とするか。揺れを想定しても周りが土で囲まれている限り、許容範囲は知れている。10cmもズレれば、水もガスも漏れ、あふれるだろう。それに漏れている場所の特定が目視できない分、時間を要する。

そのため人は共同溝という地下にトンネルを作り、その空洞の中にライフラインを通すことを考える。しかし、全ての地域で共同溝が作れるわけではない。できるところをそうしているだけだ。埋設したものが破壊されると応急的に地上や空中を使用する。

電線の埋設は景観としてはスッキリするが、費用対効果としてはどうなのだろうと常々感じる。ライフラインと言われるもののあり方を根本的に考える必要がある…と、天を仰いで思うこと。

あちらを立てればこちらが立たずのようにいたちごっこではないのかな

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと ら抜き言葉/新説 2018/06/22 12:00 am

このブログ、以前は毎日更新していた。2015年5月〜2015年4月までは気ままな更新。どちらかというと更新しないことが多い。2015年6月から週5日の更新が定着している。「今京都」の場合は、写真を頼みに1行くらいは必ず書くことができる。問題は、「天を仰いで思うこと」だ。週に1回ではあるが、なかなか強敵・難敵である。書くことが全く思いつかないことがある。今回がそうだ。

「さて、何を書く?」と自問。
「ら抜き言葉は?」と自答。
「それって以前に掲載してない?」と自答。
「・・・」(調べる気力もない)

「ら抜き言葉」の新説は「ら」抜きではないというもの。たとえば「食べられる」。ら抜き言葉にすると「食べれる」である。ローマ字表記をすると新説が誕生する。「食べられる」をローマ字で書くと「taberareru」である。ここで「ら」抜きであるから「tabe」の次の「ra」を抜くことになる。しかし、新説では「ra」ではなく、「ar」抜きということだ。「taberareru」の「taber・ar・eru」の「ar」を抜くと「tabereru(食べれる)」となる。一般的に「ら抜き言葉」と言われているものは、ローマ字表記をして「ら」の部分の次の「ar」を抜くと「ら」抜きになるというと規則性があるということだ。これを「ら抜き」とは言わず「ar抜き」といい、「ら抜き言葉」ではなく、市民権を得られる立派な言葉ということになる。これは言語学の世界では、既に認められている説だと聞いた。ビジネスマナーの世界では未だに「ら抜き言葉」で扱われているが…。

ビジネスマナーで思い出したが、企業が大学新卒採用時に最も重視する項目のひとつに「コミュニケーション能力」をあげる。必ず上位3位内に入っている能力である。
しかし、採用後の社会人が重視される能力は「問題発見力・課題解決力」「行動力・実行力」となり、「コミュニケーション能力」は上位5位内にも入ってこない。
矛盾と感じるが、採用時の価値基準と社会人としての価値基準の違いは必ず存在するので、矛盾とは言い切れない。それが採用試験なのである。このことを就活している学生は知っているのだろうか。

「ら抜き言葉」の新説から、ここまで文をつづることができた。次回は何か話題があることを願おう…と、天を仰いで思うこと。


新説、読んだ記憶があるようなないような…だね

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと ドラマに学ぶ 2018/06/15 12:00 am

ドラマを見ているとストーリーよりも、何気ない台詞(セリフ)に学ぶことがある。
たとえば「ブラックペアン」の渡海。金の亡者のように表現さているが、「患者がいる。それを助けるだけだ」という。あるいは「人の敵は人。人の味方も人」などの台詞にも、改めて気づかされる。

人間を除く動物界には天敵というものが存在する。弱肉強食の世界であるが、いたずらに狩りはしない。空腹を満たすための狩り、つまり生きるためのものである。
しかし、人間界では「ムカつく」とか「ウザい」とかで攻撃。自分の快楽のための攻撃であり、生きるためのものではない。

地球上で最も恐怖な存在は人間だ…と、天を仰いで思うこと。

人間は恐いよね

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと 知らないのが平和な時代 2018/06/08 12:00 am

最近はライカばかり使用していて、一眼レフを手にすることが少なくなった。それはスズメさんを撮っていないということでもある。もうスズメさんを撮らないのかな? けど写真の話になるとスズメさんの話をよくするよね。スズメさん撮影、今は休憩中というところか。

さて、話変わって、以前(5月4日)に「自撮者」のことを掲載した。それから、色々と当て字を考えていた。自撮(自殺)、他撮(他殺)、写撮(射殺)、射撮(射殺)、殺影(撮影)など「撮(さつ)」を「殺(さつ)」に当てはめると、結構、今の時代に当てはまるような気がする。インターネット・SNSの普及によって誰でも簡単にニュースを発信できる。スマホを持っている道行く人は全て記者であり、パパラッチであると言っても過言ではない時代だ。何気に投稿した動画を含む画像は、時に、物議を醸す。いわゆる炎上というものだ。炎上で済むならまだマシかも。事態は思わぬ方に向かっていくのが世の常。一枚の画像が社会問題や人権問題となり、場合によっては、ひとりの命を奪うことにもつながりかねない。そんな意味で「撮」は「殺」だ。

対面(井戸端)での陰口・悪口からインターネット上での陰口・悪口と場を変えている。場を変えただけではない。場が変わることに大きな変化もある。対面(井戸端)の場合、その場にいない友だちの悪口である。社会学にあるスケープゴートの理論だ。保育園や幼稚園に子どもを送った後のお母さん方にありがちな行動は、その場に残って延々とおしゃべりを続けることだ。これは一言で表すと、「その場にいないと不安になる」とのことだ。その場にいないお友だちの悪口」のターゲットが自分になるのが怖いのである。

一方、インターネット上ではハンドルネーム等での使用なので人物を特定されることは少ない。今話している眼の前の人のことをチョイチョイのチョイチョイチョイとスマホで悪口を投稿することも可能だ。極端な例としては、対面(井戸端)で「まぁ〜ステキね」などと話を合わせながら、「全然イケてないやん」などとの本心をスマホから投稿。それも本人の眼前で…というのが可能になる。

こう考えた場合、インターネット・SNSの普及は恐ろしい。このブログ、既に12年。この間、特に炎上はなかったように思うが、エゴサーチをしないから知らないだけかも。何でも知ることができる世の中になっているが、そういう世の中だからこそ、かえって知らないことが平和かもしれない…と、天を仰いで思うこと。

有名人・芸能人ではないなら、エゴサーチはしない方がいいと思う

このエントリーの情報

天を仰いで思うこと 水無月 2018/06/01 12:00 am

きょうから6月。水無月(みなづき)だ。

水無月の由来には色々とあるらしいが、「無」の解釈が重要となるとのこと。「無」は、連体助詞の「な」であり、「な」は「の」の母音交替形。つまり、「の」という意味で「水の月」であるとする説が有力らしい。また「な」は、奈良時代に既に用例は限定されていたという。

まぁ、神無月の「無」が「の」であり、「神の月」であるということと同じということだね。梅雨のど真ん中のような月で水がない月とは俄かに信じがたい。

また、田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」であるとする説もある。

6月は、梅雨で鬱陶しいのもあるが、何よりも祝日が存在しない月なのでキライ。6月1日が金曜日で30日が土曜日。ということは、月曜日から金曜日の平日が合計21日もある。「げっ」と思いきや、ゴールデンウィークのある5月も平日は実は21日。なのにこんなにも印象が違うのは…なぜ?

大人だし文句を言わずに働くしかないか…と、天を仰いで思うこと。

5月と6月の平日の数が同じってなんか不思議だね

このエントリーの情報

 
     
お願い
画像等の著作権は、所有者または撮影者に帰属しています
画像等の無断転用は、固くお断りします
------------------------------
← に掲載以外の写真等は
もっと今京都
↓ ↓ ↓

------------------------------
《LINK》


XP canon


photocon

------------------------------
《ポチッとお願い》

にほんブログ村 写真ブログ 京都風景写真へ

にほんブログ村 写真ブログ 野鳥写真へ

にほんブログ村 写真ブログへ



PV Access Ranking
にほんブログ村

------------------------------
copyright Tsuwano
Screen Project

スズメ(rrbphoto)
ランダムスクロール
(表示30枚/全枚)
こんな1枚

シジュウカラ


ヒヨドリ


絵馬に願いを


手水舎


千本鳥居


幸せを感じるとき


哲学の道


影絵

pagetop