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rrbのブログ - 今京都のエントリ

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今京都 短慮軽率 2008/08/04 12:07 am

んりょけいそつ…よく考えもせず、軽々しく行動すること。軽はずみで思慮が足りないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「短慮」は浅はかな考え。「軽率」は軽はずみなこと。
                「軽卒」と書くのは誤り。「軽率短慮」ともいう。
                類義語に軽佻浮薄(けいちょうふはく)・直情径行(ちょくじょうけいこう)がある。
                対義語は思慮分別(しりょぶんべつ)・深謀遠慮(しんぼうえんりょ)。

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今京都 自然法爾 2008/08/03 1:17 am

ねんほうに…作為をすててありのままに任せること。ほかからの力を加えないでも、一切の存在はおのずから真理にかなっているということ。
◇ちょっと予備知識 → 浄土真宗で、如来の力を頼むこと。「自然」を「しぜん」と読むのは誤り。
                類義語に自然法然(じねんほうねん)・法爾法然(ほうにほうねん)がある。

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今京都 興味津津 2008/08/02 12:04 am

ょうみしんしん…非常に関心があるさま。おもしろみが続いて関心が尽きないこと。
◇ちょっと予備知識 → 「津津」はあとからあとから湧き出てくるさま。「津津」を「深深」と書くのは誤り。
                類義語に興味索然(きょうみさくぜん)がある。


京都・東山界隈に見かける「舞妓さん体験」の風景。
2時間で、着付け・写真を含めて15000〜20000円というところが相場ときく。
この夏の炎天下でこの衣装は厳しいと思うけれど、通常ではできない体験だから…と頑張ってはりました。















この体験、興味津津…今京都。

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今京都 一喜一憂 2008/08/01 1:25 am

っきいちゆう…状況のちょっとした変化に、いちいち喜んだり悲しんだりすること。喜びと悲しみが交互に訪れること。そこから、周囲の情勢に振り回されることにも使う。
◇ちょっと予備知識 → 「一喜一憂する」などと使う。
                類義語に一笑一顰(いっしょういっぴん)がある。
                対義語は泰然自若(たいぜんじじゃく)。

月、8月。今月は夏祭りとか花火大会とか色々なイベントがある。さて、どれだけ参加できることやら…。

坂庚申堂・金剛寺
京都市東山区にそびえる五重の塔の西南側に、「サルの寺」として親しまれる八坂庚申堂・金剛寺がある。開基は平安時代に多くの伝説を残した僧侶、浄蔵貴所。この地でも、傾いた五重の塔を元に戻したとする言い伝えを残している。



浄蔵は891(寛平3)年、貴族の三善清行の子として生まれ、7歳で出家。絶大な法力を持つ僧侶として、怨霊となった菅原道真の調伏、死去した父を生き返らせた「一条戻り橋」などの逸話で知られる。法力の強大さゆえに、天皇からは、妻をめとり、子々孫々を残すことを命ぜられたともいう。



晩年の大仕事が、傾いた法観寺・五重の塔「八坂の塔」を正すことだった。法力を発揮するため、加持祈祷を行うのに選んだのが、現在、八坂庚申堂が建つ場所だった。ただ、この時すでに62歳。浄蔵は子ども二人の力を借りることにし膝上に二人を乗せて祈った。



すると、雲行きが変わり、風が吹き付け、鴨川が逆流。ところが、八坂の塔は傾いたままで、祈りを終えた浄蔵らはそのまま去ってしまった。見守る大勢の庶民はいぶかしげな様子だったが、翌朝になると、八坂の塔は元通りになっていたという。



しかし、渡来人で建築技術を持った秦一族の協力で修復したのではないかという解釈もある。理由は、浄蔵は貴族出身のため、宮廷サロンのつながりがあり、秦氏との交流があったとみられているからである。



真相は浄蔵が加持祈祷を行う一方で、秦氏が建物を手直ししたと推測されている。八坂庚申堂の本尊は秦氏の守り本尊「青面金剛」だが、その縁で仏様を招来し寺が建ったのではないかという。



その後の寺は、60日ごとに巡る庚申(かのえさる)の日、寝ずに夜を明かして長寿を願う庚申信仰、下着を祈祷して失禁を防ぐ「タレコ封じ」など、民間習俗の寺院として広く親しまれている。庚申のサルの語呂合わせからか、生まれたお守り「くくり猿」は今も昔も人気を集める。



サルが手足をくくったような姿で、本願成就のためには欲望を抑えて心と行動を戒める大切さを説く。「浄蔵さんにはなれないかもしれないが、庚申の使いであるくくり猿を持つことで、自分を律せられる良い人になる一助になれば」と願いを込める。屋根の上の三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」は日光東照宮神厩舎が有名であるが、ここのほうが先だといわれている…今京都。

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今京都 眼高手低 2008/07/31 12:06 am

んこうしゅてい…眼識は高くても、実際の技術や能力が低いこと。また、望みは高くとも実力がそれに伴わないこと。
◇ちょっと予備知識 → 絵や文章などについて、目は肥えていて他人のものを批評するが、
                自分でつくりあげる能力は備わっていない、などの場合に使う。
                類義語に志大才疎(しだいさいそ)がある。

川五右衛門 vol.3(最終回)  vol.2はここ
安土桃山時代に大泥棒として名をはせた石川五右衛門の墓は、山鉾を模した「祗園閣」がそびえる大雲院の境内墓地にある。御影石に戒名を刻んだ高さ約2mの墓石は、角の所々が欠けている。一見、歴史を感じさせるようだが、実は人々が削って持ち帰った跡だといわれている。その大雲院を訪れた。



さて、墓石を削って、何のために持ち帰るか。墓は、以前に大雲院があった京都市下京区寺町通四条下ルの貞安前之町に、1979(昭和54)年まであった。当時、日中は誰でも出入りできた。墓石が削られたのは、そのころのことらしい。



理由は幾つか伝わる。
約50年前、手癖が悪い子を持つ母親が「五右衛門の墓石のかけらをお守りの中に入れると、悪い癖が治る」と耳にして、削りに来たことがあった。おそらく「希代の大泥棒」の反面教師を願ったのだろう。
また、心臓を患っていた中学生の母親が、完治を願って訪れたこともあった。数々の修羅場をくぐり抜けた五右衛門の「度胸」を頼みにしたのかもしれない。



さらには、賭け事に強くなるとも信じられている。この理由では、群馬県の養寿寺にある幕末の侠客(きょうきゃく)・国定忠治の墓碑も、博才にあやかろうとする人たちに削られているという。



効果のほどは定かではない。人に見られたら効果がなくなると信じられているので、削った皆さんはこっそりと持ち帰るというお話もある。ただ、養寿寺によると、効果どころか、碑を削って重病を患った人もいたというから、恐いものだ。



五右衛門の戒名は「融仙院良岳寿感禅定門」といい、当時としては、社会に貢献した人や信仰のあつい人に付けられた位の高い戒名だという。理由は分からないが「ただの盗賊につける戒名ではない」のは確かなことのようだ。



義賊。時の権力者・豊臣秀吉に対抗した反体制派のヒーロー。時代を経て、五右衛門は歌舞伎の演目などで、さまざまな姿に伝説化されている。墓石を削りに来た人たちは、良くも悪くも歴史に名を残した五右衛門の「功績」に魅力を感じ、その「御利益」にあやかろうとしたのだろう。



大雲院は、現在は円山公園の南側(京都市東山区祇園町)にあるが、元は下京区の寺町通にあった。三条河原で極刑の釜煎(い)りに処される前に寺町通を引き回された石川五右衛門は、大雲院を開いた貞安上人(じょうあんしょうにん)に出会い、法を説かれて反省、感泣し、「処刑のあと、自分を供養してほしい」と願い出たとされている。また、織田信長公の墓もある。



いずれにしても石川五右衛門にまつわるお話は不思議なものが多い。石川五右衛門とは「天下の大泥棒」だったのか、それともただの「こそ泥」だったのか。はたまた、豊臣秀吉が統制のために生み出した架空の人物だったのか、謎が残る。歌舞伎に登場することから、ただの人物ではないような気もする…今京都。
※石川五右衛門で使用した写真は大雲院を訪問したときに撮ったもので、2008年7月29日の風景は「祗園閣」の上からのもの。

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